2011年12月9日金曜日

どうして外国人住民は、地域の住民投票から外されるのでしょうか。

毎日新聞(12月6日地方版)によると、鳥取市庁舎新築・移転を巡る住民投票条例案が永住外国人に投票資格を認めていないのは同市自治基本条例の理念に反する、市自治基本条例では国籍に関係なく市民を規定している、とする要望書が知人の「在日」から出されたということです。
http://mainichi.jp/area/tottori/news/20111206ddlk31010543000c.html


私はその2日前の毎日新聞の報道にも注目しました。それは「外国人にも住民投票権を付与する三重県松阪市の「市まちづくり基本条例案」に市民から反対意見が相次いでいる問題で、山中光茂市長は3日までに毎日新聞の取材に「変えるつもりは一切ない。来年3月議会に提案する」と明言し、同3月議会で原案通り制定を目指す考えを示した。」という記事です。山中光茂同市長は、「オール野党を理由に条例案可決の見通しが立たないことを認める一方で『外国人への偏見など低い次元の理由で否決されるのであれば、私を市長にしておく必要はない』と発言。進退に触れる表現を用い、条例成立に不退転の決意を示した。」とあり、市長は、自分は外国人参政権には反対だが、「外国人にも同じ住民として、まちづくりに役割を果たしてもらうのが根幹だ」と述べているところから見ると、外国人住民に関する明確な考えと、それが松阪市によって自分の職を賭してもいいほどに重要な問題と考えていることがうかがえます。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111204k0000m010086000c.html

その昔、橋本大二郎元高知県知事や、田中康夫元長野県知事が、職員になるのに国籍を問うべきではない、中央政府の「当然の法理」には従う必要はないとして、国籍条項を撤廃したことを思い出します。しかし彼らが去った後、私は長野県に直接電話をして確認をしたことがあるのですが、最終的に、門戸の開放までは進んでも、その後採用した外国人に対する管理職昇進の禁止、職務の制限は「当然の法理」の枠を突破できないで終わったようです。政令都市で全国で一番最初に門戸の開放を実現した川崎市では、全国で最初に「当然の法理」を正当化する制度を作ったままです。私たちの運動はまだこの線を突破できないでいるのです。

新潟市では外国人への住民投票は認めなかったと聞いています。それは拉致事件に対する反発からの処置であったようですが、多くの政令都市を含む、地方自治体で外国人の住民投票を認めるところが増えてきている反面、今回の鳥取のように外国人住民を住民条例に参加する資格から外したのは、時代の波が国民国家の枠の強化に動いているからなのでしょうか。

今国会で9日、民主党の内部問題で4ヶ国との原子力協定が採決されてしまいました。しかし粘り強く原発輸出反対の声をあげていくしかありません。それには、「在日」も一緒になって日本国内での脱原発、原発排除の運動を進めることが何よりも重要です。国内の運動が盛り上がらないのに、輸出反対の運動が拡がるはずがありません。自分と自分の家族の命を守るという最も素朴、根源的な運動が拡がれば、これは国民国家の枠を突き抜けていくことになるのではないかと私は願っています。

そしてその自分と自分の家族を守るという強い意志が、地域社会のあり方を変えていくことになるでしょうし、その動きは外国人住民の地域での政治参加を実現する方向に進むでしょう。まさに「原発体制と問う」ことは原発の排除にとどまらず、それを生み出した社会構造そのものを問うことになるのです。「在日」はどう生きるのか、3・11で問われたのは日本人だけではありません。「在日」自身もまた全く同様に問われたのです。日本社会の民族差別を糾弾してきた私たちは、その民族差別を生み出した日本社会の部外者ではなく、私たちもまた「原発体制」に加担してきたという「悔い改め」が必要であると思います。

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