2011年12月1日木曜日

日立の定年退職を迎えてー朴鐘碩(2011年11月30日)

朝食前にパ-トナ-とこれまでの歩みを神に感謝しお祈りする。「会社正門で記念写真を撮ろう」と言っていたパ-トナ-は、珍しく途中まで見送ってくれた。採用を取り消されて、私が日立製作所を提訴したのは、1970年12月8日だった。19歳の時だ。裁判した頃、「大きな日立を相手に勝てない。やっても無駄だ」「この裁判は同化裁判だ」など多くの批判を受けた。「民族」のない貧困家庭に生まれ、世間知らずの私自身の生き方が厳しく問われた。

勝訴して初めて入社した、緊張した日の気持ちは、忘れていない。私はこの職場で何年、いや何日働けるだろうか。職場の人たちと上手くやっていけるだろうか。人間らしく生きることと仕事は両立できるか、何度も悩んだ。入社5年目に胃潰瘍で1ヶ月入院した。

あれから40年以上になる。通い慣れた通勤路を歩きながら、様々な出来事が甦る。今日は、私の節目となる日だ。いつもと違う複雑な心境だ。本当に嫌な職場であれば私は自分から辞めていただろう。無事今日まで勤めることができた。

退職後、職場が変わるため引越し作業を始める。これまでお世話になった職場の人たちに挨拶回りする。定時後、同僚、私、2名の定年退職者の挨拶の場が設定された。職場のフロアは、共にコンピュ-タ・ソフトウエアシステムを開発、保守したエンジニア、従業員の人たちが集まった。これまで苦楽を共にし、汗を流し、お世話になった上司、同僚、後輩の人たちだ。業務で御支援いただいた関連会社の人たちも集まり、フロアは100名以上で一杯だった。過去、何人もの人たちが定年退職されたがこれだけ多くの人たちが集まっただろうかと感じるほどだった。上司から退職者2名と職歴が紹介された。先に同僚退職者の挨拶。次に私のお別れの挨拶となった。集まった人たちの視線は、問題(裁判)を起こして入社し職場集会で大きな声で発言してきた私に集中する。

【挨拶概要】
『パク・チョンソクです。定年退職の日は、ス-ツ・ネクタイで出勤しようと思ったのですが、引越し作業もあり、ラフな服装で申し訳ありません。組合役員選挙以外で、これまでお世話になった皆さんの前でお話できる、挨拶できる場を設定していただき心より感謝します。

ご存知かと思いますが、私は高校卒業して間もなく、19歳で日立製作所を訴えました。4年近い裁判闘争の経験は、現在の自分の原点であり繫がっています。裁判闘争のビデオは、会社に保存されていますので、機会あれば是非皆さんに見ていただきたいと思います。40年前、若かった私の姿が映っています。

この事件は、皆さんのお子さんが通う中学あるいは高校の社会科の教科書に掲載されていると思います。今年3月11日、東日本大震災、原発事故が発生しました。私は自己負担で被災地である気仙沼に行ってきました。そこで出会ったボランティアの学生たちは、日立闘争を知っていました。私本人に出会ったことに驚き、就職や生き方について語りました。

私は大学に招かれ学生たちに講義しました。横浜国立大学では400名近い学生の前で話し、東京外国語大学にも行きました。立命館大学の名誉教授宅に招かれ学生に私の体験を話しました。先日も国際協力機構JICAと関連するNPOに招かれました。学生、青年たちは、「裁判して日立で働き、定年まで勤めた」ことに驚いていました。ある大学では、お父さんが働いている同じ会社だ、いう学生もいました。
私は、青年や学生たちが、自分のことにように私の体験を聞く姿を見て、40年経過した現在も日立就職差別裁判の意味は生きていると改めて思いました。

私は、2年前にNZ Aucklandに観光兼ねて語学研修に行ってきました。勿論自分で費用を負担したわけですが。
One of my favorite proverbs is:it means “Never never never give up. Never say die for everything .”
先日の送別会では、下手な英語で挨拶して申し訳ありません。私は、このソフトウエア事業部で多くのことを学ばせていただきました。いろんなことがありましたが本当に心より感謝し、御礼申し上げます。
今後、間接部門でシニア所員として働くことになりますが、今後ともよろしくお願いします。心温まる送別会を開いていただき、本当にありがとうございました。』

100名を超える職場の人たちの表情は、大きな声で話す私に集中してくれた。組合役員選挙の時と違う、優しさのようなものを私は感じた。女性から花束、直属上司から激励の言葉と記念品をいただき、退職者2名への大きな拍手がフロア全体に響いた。こうして裁判闘争含めた私の41年余の日立製作所での生活は一旦終わりを告げた。

1970年に出会い、日立闘争以来40年以上にわたり多くのご指導をいただいた崔勝久、曺慶姫夫妻、李錦容オモニに感謝します。生きる支えとなった3人の息子たち、苦労をかけたパ-トナ-に心から感謝する。私たち家族を今日まで導いた神に感謝します。アーメン。

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