ー(崔)奥田さんの出版記念会に私はたまたま出席したんですよ。バプテスト連盟の教会でやったときに、私も彼の新著を読みましたが、とてもいい本ですよ。ハウスレスとホームレスの違いとか、「きずな」(絆)の必要性、そこから彼が経験した「きづな」ということを説明するのですが、支援者がいくら善意でなにかしようとしてもきず(傷)というものが出てくるんで、きれいごとでは済まないと。そのきれいごとですまない絆をつくるところに、キリスト者の信仰のあり方という話をしをしていて、それは首尾一貫しているし大変いい話だと思いました。
私が疑問を持ったのは、その本の中でもそうですし、出版記念会でも被災地のはなしはするんですよ、東北のね。彼のハウスレスからホームレスというのは、家庭の崩壊、現代社会の問題だからホームレスの問題が実は現代社会の問題なんだというように、何というか、類型化するわけですよ。だから本当の資本主義社会の構造の問題で、ここがなくなっても他にどこか同じものを作らざるをえないというように見るのではなくて、ここにある問題が一般社会の問題に薄められて、どこででも起こっているのだからキリスト者としての役割がいっぱいなければいけないし、なおかつ自立できるような人を作っていくと。だから国のそういう機関の中に入り込んで家を失くしたひととの絆を作るという方向に彼は行っていると思います。
彼はNHKでも出ていますし、それで私の疑問というのは、なんでそこで原発の問題がひとつも出ないのと。原発難民というのはどうなってんのとうことですよ。十万人という人が戻れなくなっているわけでしょう。放射能汚染ということで住んでいたところを追い出され、またその放射能汚染が人を苦しめているわけではないですか。それに触れないでね、ホームレスの九州でやっている問題が全体の問題であり、東北で家を失ったひとにもいろいろとアドバイスできると言うのはですね、それはそうなんだけど、ものの見事に原発のことに関して、出版記念会に参席した人が誰も何も言わないというのはね。
私がそれで何を類推したかというと、私は二度ばかり仙台に行ってボランティアしているんですね。いわゆる福音派です。彼らはそこで大変見事な働きをしているんですよ。とにかく韓国からの支援の物量は半端な量ではないです。金額にして大変だし、服にしても新品のもので食べ物も大変な量ですよ。飲み物もそうですし、倉庫一杯に詰まっていました。どんどん送ってきていますよ。それに福音派の人たちがボランティアで全国から沢山集まっています。その人たちをリーダーが分けて各地域に送るわけですね。そいう被災者へのボランティア、いわば「善きサマリア人」の働きですね。隣人を愛するということでボランティア活動をやるわけですよ。
私は別に違和感は何もなかったのです。むしろ彼らの規律ある活動に敬意を表していました。それに徹するというのは必要な、求められていることですから。だけど彼らと話しをしていて、原発の問題になってくると彼らは完全に口を閉ざすんですね。それは自分たちの信者の中にも東電の人がいてですね、意見が分かれる、政治的な問題になってくる、だからそこは触れないというのですね。(それは福音的じゃないですねー本田)。福音主義派の被災地に対する力の入れ方は日本キリスト教団なんかよりはるかに上だと思いますね。組織だっていますよ。しかしそこで政治的だということと、奥田さんたちが原発問題に触れないということは何か関係しているのではないか、通底しているのではないかと思ったんですよ。関係というのは組織的なものではなく、考え方ということですね。
私はその記念会を紹介してくれた牧師に訊いたんですね。全然原発に言及がないというのはおかしくないですかと。そうすると彼は、その集会にNHKがはいっている、茂木なんとかいう有名な脳学者が入って話をするんで、そこは敢えて大人の対応としてやらなかったと言うんですよ。
(本田)そうですか、そうなっちゃいますよね。社会的認知を得ようとするとそういう方向に行くんですね。言うべきことは言わずじまいになり、そうならざるをえないというかね。イエスの姿勢とは違うのではないですかね。というように言いたくなりますね。
ー(崔)奥田さんとは私はちゃんと話したことがないので、話をすればね、私たちが「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」によって戦後社会が経済を最優先してきたけれども、原発がまさにその象徴であって、戦後の日本のあり方は原発をつくることと一体化していたと言うことは理解されていると思うんですね。
(本田)原発になんで固執するのかというと内藤さんが書かれていたように、原発によってプルトニュームを絶えず手元に置いて置き、いつでも小型核兵器を作るという体制づくりなんだということですね。まさにそうなってくると、本当にこれまでのね、日本の平和の顔というのは、平和志向の顔というのは、どれほどまやかしかということが見えてきますね。
ー(崔)本田さんは最初私が電話で原発に関するインビューをしたいと申し入れた時、すこし躊躇なさいましたよね。
(本田)うむ、あんまり福島行ってないしね。行ってもないのに原発の問題についてどうのこうの言えないなというか。
ー(崔)私はそういう意味だと理解をしました。だけどもしつこくお願いをしたのは、原発もプルトニュームもしっかりと本を読んだりしないとわからないじゃないですか。専門家の話も聞かないと背景がよくわからないですね。漠然と問題だとわかっていても、それが日本の戦後の体制とどういう関係があるんだというと、なかなかわからないと思うんですね。私なんかもそうですよ。3・11以降、集中して本を読んだりしてだんだん見えてきたんですね。そこで本田さんは躊躇されていると思ったもんですから、ちょっと強引でもお会いしてお送りした資料を読んでいただいて話をすれば、いろんなことがお互い了解しあえると思ったんですよ。
(本田)故郷の家でもしょっちゅう原発、脱原発の話がでますよ。スタッフたちはね。とんでもないって言ってね。問題はそこにあるんだとかね、そういうことで普段、原発については話しているんですよね。
ー(崔)ということはここで地道なことをやりながらも、反原発のことを視野にいれながらやっているということですよね。(もちろんですー本田)。関連していると思っていらっしゃるんですね。(根本的にねー本田)。それを聞いて安心しました(笑)。
私は奥田さんがどうのこうのという気はまったくないんですよ。福音主義派の敢えて、そこには踏み込まないと言うことと、奥田さんの沈黙はどこかで関連していると私は見たんですね。そこと袂を分けてやっている釜ヶ崎(の「反失連」ー崔)が反原発を全面的にやっているというのはある意味、何かシンボルカルですよね。
(本田)釜ヶ崎の釜日労も含めてね、反原発のデモとかアピールとかというのは絶えず行動してるんですよね。
ー(崔)それはよくわかりました。
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