「コスメティック・マルチカルチャラリズム」と「多文化共生」批判は同じですか?
「コスメティック・マルチカルチャラリズム」は「うわっつらだけの多文化主義」と訳すことを友人からアドバイスされました。ウム、言い得て妙ですね。これはテッサ・モーリス・スズキが言い出した言説です(『批判的想像力のためにーグローバル化時代の日本』(平凡社、2002)。私は不覚にしてモリス・スズキのこの概念と本のことを最近知りました。川崎市民フォーラムで外国人地方参政権のことが話し合われたとき、発題者の、そのときはまだ市の職員だった、山田氏の話で知りました。
「コスメティック・マルチカルチャラリズム」とは何なのか、早速彼女の本を買い内容を確認しました。まさに「うわっつらだけの多文化主義」ということで、日本の外国人政策を批判しています。明治以来、外国人を「出入国管理」の対象にして、日本の政治・経済の骨格(構造)に影響を与えない範囲で、(沖縄を含めた)外国の文化を受け入れるが、生活者としての外国人が日本社会の課題を担うことは受け入れていないという批判です。これと、私たちが80年代の半ばから展開してきた「共生」「多文化共生」批判とは同じなのでしょうか、どこかがちがうのでしょうか。皆さんのご意見はいかがですか。
山田氏はモーリス・スズキに共鳴したと言ってましたから、「当然の法理」を前提にしながら「門戸の開放」を実現し外国人市民会議などを具体化した「川崎方式」という、「多文化共生」施策を「妥協」と自覚しつつ、川崎にも問題はそのまま残っていると知りつつ、「多文化共生」を全国各地で講演してしてきたのでしょう。彼は恐らく地方公務員の中では外国人問題にもっとも精通した人物だと思われます。彼は私たちと学生のころから一緒に日立闘争を担い、川崎での地域活動を提唱した私たち「在日」の運動に共鳴して市の職員になった人物なのです。
日本の「コスメティック・マルチカルチャラリズム」は問題だが、川崎の「多文化共生」は正しいということだったのでしょうか、それとも両者は同じく問題だが、日本政府の姿勢が変わらない以上、「妥協」しながらも「川崎方式」の水準まで到達することの重要性を各運動体や地方自治体に情宣してきたのでしょうか?
私たちは、「門戸の開放」を実現しつつ、中に入った外国籍公務員の職務を限定し、昇進を認めない川崎市のあり方を批判し続け、「当然の法理」のもつ問題は何か、この15年間考え続けてきました。そのことで私たちの考えそのものが深まり変わってきたと自覚しています。民族的主体性なるものを提唱していたが、その内実は、実は民族的主体性なる概念を超えなければならないということであったと理解するにいたっています。
「多文化共生」を謳う川崎市や桜本などの地域では、アジア祭りや地域の祭りで朝鮮の踊り(農楽)が普及し、祭りのフィナーレを飾るまでになっています。しかし一方、外国籍公務員の昇進・職務は市長判断ですべて解決可能な問題なのに、そのことは市長選でも一切問題にされず、また参政権や民族学校排除の問題が地域や市議会でも乗り越えるべき問題としては取り上げられませんでした。むしろそれらのことは寝た子を起こすなとばかり、市議会では継続審議になり、地域社会ではまったく触れられずに来ています。
これはまさに、「コスメティック・マルチカルチャラリズム」でなく何なのでしょうか。私たちは、地域の問題を正面から直視し変革する当事者として生きていきたいと考えています。「在日」は参政権で何をしたいのか、民族主体や「多文化共生」の内容は何のか、外国籍住民・市民の概念の中身は何なのか、このことを明確にすべき時期になったのではないでしょうか。
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崔 勝久
SK Choi
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