昨日、近藤さんをお呼びして日本基督教団川崎教会で学習会をもちました。1時半からの集会は、1部は外国人参政権について、2部は公務員就任権と「多文化共生と統合」についての講演と質疑応答で、6時半まで続き、続きは2次会で11時くらいまでの長丁場になりました。近藤さん、長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。
講演と質疑応答の内容は事務局で整理して改めてお知らせします。
以下は私の個人的な感想です。
1.永住外国人の地方参政権を賛成する立場から書かれたものは、反対論者のものに比べて基本的にむつかしいというのが私の印象です。先方は単純にまた大量にその情報をばらまいているので、ここは近藤さんにがんばっていただいて、敵の論調はかなりはっきりとしてきたのでそれに論破するかたちで、思い切ってやさしく、書き下ろしでQ&A方式での出版をお願いします。ブックレットで、詳しい込み入った説明は注にいれ、本文はアグレシブにできないものでしょうか。
2.講演は「固有の権利」に関してはこの間書かれていることの説明でしたが、最近、右翼はネットで、日本人の「専有」でなく「譲り渡すことのできない」権利であっても、それははやり日本人に限ると反論し始めています。ただし私の見る限り、内閣法制局長官発言に関しては無視しようとしていますので、この歴史的経過と内容の説明をさらにブラッシュアップす必要があるように思います。
3.憲法論で、日本の国会が外国人の人権意識が希薄であったのか、そうだとしたらそれはどうしてかについての突っ込んだ説明が必要です。また官僚が意図的に外国人(特に台湾・朝鮮人)についての人権を剥奪しようとしたのか、このあたりはCitizentの複数形としてPeopleとNationalの関係、および昨日講演の中で強調されたEveryone-とPeopleを国民にした経緯を明確にする必要があるように思います。
4.国民主権を民主主義とナショナリズムのどちら側で捉えるのかという点は著書でも言及がありましたが、天皇制との関係で国民主権が後者に流れている現実、およびその原因と問題点は整理する必要があるように感じました。
5.地方自治体と国家との関係は実際的には上下関係で、理論的には各地方自治体が独自に外国人の地方参政権の付与を決定してもいいと、近藤さんはできないことを前提にしつつも学者としての可能性の見解を披露されたのですが、その議論はまったく現実的ではなく、むしろ名古屋の河村市長が小学校区での住民自治に国籍条項を明記させたことを市長の個性の問題と軽く受け止めていらっしゃいましたが、私はその先例は
大変重要なことで、地元の名古屋でもっと論議を起こしてほしい、問題提起をしてほしいと思いました。
6.公務員就任権のところでは、鄭香均の最高裁判決の説明がはやり複雑です。一点突破するには何が必要か、何がネックなのか、日本全体の状況を踏まえつつ、もっと突っ込んだ議論を展開してほしいと思います。最高裁のひねくれた結論を解釈しただけでは普通の人はわかりませんし、あれを地方自治体の突破の論理に
転化できるとは思っていない人が官僚を含め大部分です。政令都市間ではお互いに顔色を伺い、先頭にたつことを躊躇し、牽制しあっているように感じます。
7.「多文化共生と統合」に関するお話から、この間、近藤さんの著者の中で「統合政策」を何の躊躇もなく使われていたことの意味がわかりました。近藤さんは、山脇さんたちと同じく、外国人問題の政策をどうするのかという立場から言及されており、そこで「統合」よりは「多文化共生」のほうが誤解が少なくてよろしかろという観点から論じているということがはっきりしました。
それはそれで政策立案者の立場からは必要な「配慮」でしょう。しかしいくら文面で文化の尊重、平等、協同を謳ってもそれは上から目線の話であって、私たちの反発は、その視点はパターナリズムにつながる、私たちは「当事者」として参加して自分の問題に関しては一緒に論議し決定過程に参加したいと下から目線で考え発言しているので、両者のベクトルの違いがはっきりとしたように思います。
私たちの目指すのは、マジョリティそのものの変革であって、その問題を直視しないで、議論をマイノリティ問題の対処法に歪曲化すると差別の構造や、代議員民主主義の形骸化、住民の政治参加の実体化、地域そのもの衰退化の問題は解決に向かいません。これまでの、特に川崎での外国人代表者会議を作ったときのマイノリテイ論は破綻しているという認識が肝要です。
8.いずれにしても研究者と運動を志す者との対話は大切で、今回も近藤さんから多くを学ぶことができたことを感謝します。近藤さんはいかがだったでしょうか、10時間も「拘束」されたことに懲りないで、また川崎においでください。いつでも大歓迎します。
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崔 勝久
SK Choi
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