2021年8月6日金曜日

8月5日の集会での私の挨拶の内容

8月5日(木)午後1時から6時まで東京の泉岳寺にある青年の家で、「米国の原爆投下の責任を問う会」と「日韓反核平和連帯」の共催による集会がもたれました。村松高夫氏(米国の原爆投下の責任を問う会共同代表)による講演の題目は「被爆朝鮮人の歴史と現在」でした。氏の講演は、広島・長崎での原爆投下による多くの犠牲者を出した責任は戦後の世界覇権を求めるアメリカとアジアの植民地支配を進めた日本帝国にあるというものであり、私たちの集会の基調報告とされるべき内容であったと思います。私は日韓反核平和連帯の事務局長としての挨拶で以下のことを述べました。

日韓反核平和連帯の事務局長の崔勝久です。 私は日本で生まれ大学まで教育を受け75年のほとんどを日本で生きてきた在日韓国人二世です。私は韓国籍ですが、私の父は北朝鮮の出身で11歳の時に一人で日本に渡ってきました。学歴もなく、何のバックもない中で父は生き抜いてきました。そんな父を私は心から尊敬しています。香港に住む私の長男は、自分の部屋にその祖父の写真を飾っていました。

私は一昨年、朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮の首都の平壌を朝鮮総連の祖国訪問団の一員として訪れました。総連の川崎支部では反核運動をする私を「危険人物」とみなし祖国訪問を許可しなかったのですが、本部では逆に私のような活動をする人に行ってもらいたいということで受け入れてくれたので、私は父の遺骨を持って父の故郷を訪れそこで埋葬したいと申し出ました。黄海道の信川(シンチョン)です。平壌から車で向かった父の故郷は昔の父の写真で見た風景とは異なり、家一軒ない、一面畑でした。小高い丘に登り私は父の遺骨を埋葬し、父はここから11歳の時に一人で渡って来たのか、と思いをめぐらしました。

そこから私は車で38度線に向かいました。38度線から南を見渡した時、韓国が見え、その向こうにある日本の存在を実感しました。日本では北朝鮮は危険な存在とみなされていますが、私が38度線に立ち感じたのは、その日本にアメリカの軍事基地がありいつでも北朝鮮を攻撃する体制ができているということでした。

皆さんの中には韓国には行ったことがある人は多くいらっしゃるでしょうが、北朝鮮に行かれた方はほとんでいらっしゃらないと思います。残念ながら多くの日本の人は拉致問題や核実験によって北朝鮮のことをよく思わず、日朝両国の国交樹立を歓迎する雰囲気ではないようです。しかしながら日本にとって、朝鮮半島の南半分である韓国だけではなく北朝鮮に対し、植民地支配をしてきたことを謝罪し賠償金を支払い国交樹立をすることは避けられない歴史的な課題なのではないでしょうか。私は在日韓国人の一人として、多くの日本国民がその歴史的な課題を深く理解されることを祈念します。

遠くない将来、みなさん、北朝鮮旅行をご一緒しませんか。私の健康が許せば、是非、ご案内させていただきます。

                                2021年8月5日                                 崔 勝久

0 件のコメント:

コメントを投稿