2021年7月9日金曜日

父がちょんまげを結っている力道山と写っています

「(力道山と)同時代に日本でスポーツマンとして活躍した朝鮮人」184頁 戦後日本で力道山のように(日本人のようにして)活躍したスポーツマン、芸能人(歌手、俳優)は確かに多くいました。私の父(通名 斎藤八郎、本名 崔仁煥)はフィリピン選手のベビーゴステロを抱えるオールボクシングクラブのオーナーとして心斎橋の一等地でレストランを経営する(経営の実務は母が取り切ったものでしたが)、難波ではよく知られた人物で、著名な在日の交わりの中心にいた人物だと言って過言ではないでしょう。 また実際、プロレスの切符は府立体育館の直ぐ傍にあったうちのビルの1階で販売されていました。 力道山の力士時代から彼をよく知り付き合いの深いその父のことに全く触れていない著者には、その点で大きな疑問が残ります。

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