コラム3 「当然の法理」について
崔 勝久
「当然の法理」は法律でもなんでもありません。1953年に内閣法制局が出した政府見解です。「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家の意思形成への参画にたずさわる公務員になるためには、日本国籍を必要とする」というもので、サンフランシスコ講和条約発効後の朝鮮人、台湾人公務員の地位をめぐって出された方針です。外国人を公務員にさせないとするこの「当然の法理」は、その後の政府の方針になり、現在でも全国の地方自治体においてまもられなければならない約束事になっています。
神奈川県川崎市は全国の政令指定都市の中でも外国人施策に関して積極的で、「多文化共生の街」として有名です。外国人への門戸の開放のために、川崎市は市の職員と組合、そして市民運動体と協力しあい、市職員一般職の国籍条項を撤廃する方針を検討しました。その結果、川崎市は「市民の意思にかかわらず権利・自由を制限する職務」を「公権力の行使」の判断基準にして「外国籍職員の任用に関する運用規定」を作り、182の職務を除いて、1996年5月、外国籍者に門戸を開放しました。それが「川崎方式」です。
しかしそれは同時に、政府見解の「当然の法理」を根拠とし、外国籍公務員には市民に命令する職務に就かせず、課長職以上の管理職への昇進を禁じるという差別を制度化することにもなりました。地域の在日のお母さんたちが、「川崎市は門戸を開放したが後ろ手で閉めた」と言っていたのはまさにその通りでしょう。
1994年に東京都の課長職の試験を受けようとした鄭香均(チョン・ヒャンギュン)は、「当然の法理」を理由に彼女の受験を拒んだ鈴木俊一郎知事を提訴し、97年の東京高裁では違憲判決を勝ち取りましたが、2005年の最高裁で敗訴しました。しかし、最高裁は、どのような職務が「公権力の行使」にあたるのかを明確にせず、その判断を各地方自治体に委ねました。そのため、政令指定都市として初めて国籍条項を撤廃して門戸を開いた「川崎方式」は、外国籍公務員の処遇をめぐって全国の注目を集めるようになったのです。
その「川崎方式」によって、川崎市は、市職員採用の門戸を外国籍者に開き、「多文化共生」を主張していますが、その職務や職位を制限しているため、結局は外国籍者を日本人とは異なる「二級市民」としています。
この差別の論理は、つまるところ、フランスの人権宣言にも見られるような外国人と女性を排除する国民国家の成り立ちそのものに起源がありそうです。日本国=日本社会とは日本人のものであるということが、疑う余地がないほど当たり前のこととされています。そこに住む外国人はどのような存在なのか、これは近代国家において解決されていない問題です。
国民国家を絶対的な基準にしている限り、この問題は残りそうです。地域に住む人同士が、国籍や性の違いや障がいの有無などにかかわらず、同じ住民としてあるがままを認めあう時代がくるのでしょうか。
西川長男・大野光明・番匠健一編著『戦後史再考ー「歴史の裂け目」をとらえる』(平凡社 2014年)163-164ページ
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