2018年10月22日月曜日

差別社会の中でいかに生きるかーー50年前の拙論

出版の準備をしているときに私の24、5歳の時の(50年近く前の!)、一番生意気盛りのときの文書が見つかりました。そうかこんな時もあったのかと思い起こしながら、なつかしくもあり、なにかその思いつめ方、批判の仕方に気恥ずかしい気もします。しかしそれもまた青年の特権でした。私自身がこの文書を書き、ここから生き続け今に至っているのは紛れもない事実なのです。なんか変わってないなという思いと、私自身が昔の私から批判されているようにも感じます。この文書を出版する本には入れないとおもいますので、私のブログで公開することにしました。
       差別社会の中でいかに生きるかーわれわれの教会の反省と展望
                              崔 勝久 
目次
1.はじめに
2.われわれの教会の反省と展望(その一)
3.<差別社会の中でいかに生きるか>ー(主題)の必然性
3-1.<民族意識>の多様性
3-2.<素朴な民族意識>
3-3.<国民意識としての民族意識>
3-4.<被害者意識としての民族意識>
3-5.自己規定について
3-6.在日朝鮮人という自己規定
3-7.<イエスの十字架>ということ
4.われわれの教会の反省
4-1.神学のない、われわれの教会
4-2.<理念>のない、<制度作り>
4-3.<キリストに従ってこの世へ>
4-4.われわれの教会の体質
4-5.「反省」すべきは何なのか
4-6.<物わかりのよさ>について
4-7.隠れみのとしての宗教性
4-8.教会に必要な自己規定
4-9.<民族意識>と信仰理解
4-10.二世にとっての信仰
4-12.差別社会の中の教会
5. 在日朝鮮人間題とは何か (全協研究論文集「キリスト者の社会責任」より)
6.在日朝鮮人の実情
7.イエスに従わんとする、在日朝鮮人として
7-1.<閉ざされた社会>の本質について
7-2.<在日朝鮮人>として生きるということ
8.結語

1.はじめに
 「キリスト教の」のキの字も知らないで、無理矢理に連れていかれたのが、四年前の伊勢の全国修養会である。ぼくは、そこで、初めて、<同胞>と<キリスト教>というものに、驚きをもって接した。日本社会で埋没していたぼくが、文字通りキリスト教教会を媒介にして、同胞を知るようになった。

 修養会の後、思い出したようにある韓国教会へ足を運んだが、朝鮮語の説教と、何か入り難い雰囲気の為、ぼくはもう教会へは行かなくなった。しかし、次の年の春になって、ある偶然のきっかけで、一度、川崎教会を訪ねることになった。同じ年頃の若い人が、休日である日曜日に集まり、しかも朝早くから、主日学校の教師をしているのを見て、不思議で仕方がなかった。なんと馬鹿な人達だ、他に楽しみがないのか、どうしてそんなことができるのだろう、という気持であった……。

 それから四年の間に、ぼくは多くの同胞の友人、先輩と知り合いになった。朝鮮人として生きるというのは、どういうことなのか、自分は何をして、どういうように生きれぱよいのか、この問いがぼくの頭から離れることはなかった。そして自問自答しながら今に至っている。

 研究論文集に出した『在日朝鮮人問題は何か』は、<全協>に関るようになった一年半前に書いたものである。これは、あの時点におけるぼくの総括である。<在日大韓基督教会に変革を>を叫んだ昨年の活動を批判的に乗り越える為にも、はも一度、みんなの前に若干の手直しをして自分の書いたものを明らかにしようと思う(在日朝鮮人をとりまく日本社会の情況と分析は省いてある)。そして、それと二回の「主題忙ついての見解」をふまえて<教会の反省を展望>を、あらたに展開してみようと思う。先の燈台において、ぼくは、在日朝鮮人の主体性について書いたが、そこから<我々の教会の反省と展望>について語る一つの視点ができたと自分では思っている。

 断るまでもないが、ぼくは、教会をいかに再建するか、キリスト教をいかに伝道するか、という牧会者的観点から話しを進めることはできない。ぼくは、まさに一人の人間として、一人の在日朝鮮人として、日本社会の中で生きる道を模索しているのである。その道は、わが同胞が共に向う道である。しかし、現時点においては、日本人は決して、(無条件にかつ)同時的に、われわれと共にその道に入るということは、許されない。われわれの教会の中では<和解>という言葉が間違って、伝えられていたのである。
 この拙い文章と、小さな雑誌が、全国に散在する、わが同胞に対して、少しでも勇気づけるものであればと願ってやまない。


2.われわれの教会の反省と展望
 先の二回の燈台においては、われわれは何者で、どういうように生きていけぱよいのか、ということを、考え、求めてきた。それは、在日同胞の生きる道についての、一つの、ぼくなりの摸索である。われわれ、在日朝鮮人を、そもそも、いかなるものとして捉えるのか、そして、それが自分の生きていくということと、いかなる関係があるのか、このことを抜きにして、<われわれの教会の反省と展望>は語れない。
 
 この十年、われわれの先輩は、まさに、われわれはいかに生きれぱよいのか、と問い続けてきた。いや、十年どころではない。韓日併合以後の日帝の下で、そして解放後の日本にあって、絶えず、在日朝鮮人はその問いを発し続けてきたのだ。

 ぼくは、再び同じ問いを発して、われわれの置かれているこの現実を切り開く為に、先輩を乗り越えていきたいと思う。当然のことだが、それは単に個人の生き方の問題にとどまらない。われわれの教会は、どうあらねはならないのかを問う、一つの重要な(決定的な)視点となるのである。ぼくはその視点を提示して、われわれの教会の反省ーー特に、解放后から現地点に至るまでーーを、試みたいと思う。読者の批判を迎ぎたい。


3.<差別社会の中でいかに生きるか>ー(主題)の必然性
3-1.<民族意識>の多様性
 われわれの同胞にこう尋ねてみょう。あなたは日本人ですか? 「いや、とんでもない。わたしは韓国人です。(或いは、朝鮮人です。)」そうすると、あなたは、大韓民国の国民なのですね?「えっ、大韓民国の国民?……」

 この会話はいろいろなことを語ってくれる。つまり、在日朝鮮人60万の中で、<民族意織>の内容が多様性を帯びている、ということなのである。最初の否定は、自分は日本人ではない、ということを強調している(この場合の<日本人>ということを、法律的に日本国籍を有している者、と狭く捉えてはいけない。何故なら、朝鮮人は、法律的には日本人であった過去の36年の間も、自分のことを強く朝鮮人であると意識していたからである。また、焼身自殺した早稲田の山村君も、法律的には帰化をして、<日本人>となっていたが、<被植民地支配下の異民族の末えいとして、この国の社会の最底辺で25年間うごめき続けてきた者-(即ち、朝鮮人)>として、生きようとしていた)。

 しかし、韓国国民か、と尋ねられた時の一瞬の動揺は何なのか? 日本人でない→在日朝鮮人→朝鮮民族→韓国国民、という図式は必ずしも個人の意識の内部においては自明でない、たとえ、法律的にはそうであっても、何かしっくりこない、ということはどういうことなのか? (そしてまた、しつくりとくる、という人もいる。)

 ぼくは、この事実、この現実にしっかり、目を向けなけれはならないと思う。それを建前でもって、朝鮮人であると意識していながら、どうして韓国国民であるといぅ自覚を持たないのか、或いは、どうしてもっと<民族の主体性>を持てないのか、と言ってみたところで仕方がない。実は、在日同胞の二世・三世は朝鮮人であるという意識を持ちながらも、では、この日本の地にあって、どう生きれはよいのかということで悩んでいるのである。

 ぼくは、<民族意識>ということを三つの観点から見ていこうとした。「素朴な民族意識、二、国民意識としての民族意識、三、被害者意識としての民族意織、これらの<民族意識>は、ある時期の、歴史・社会情況によって各々の特異性が強調きれてきている。

3-2.<素朴な民族意識>
 つまり、韓日併合から1945年の解放までの間は、民族の受難という言葉で表わされるように、日帝の植民地政策の下で、われわれの民族は日本人にさせられた。土地・文化・名前、そして生命までも奪いさられた。そして、われわれの父や母は、客観的には、まさに、日帝の下の<奴隷>として日本に渡って来た(このことをはっきりと肝に命じょう。われわれの父や母は、楽しげに旅行をしに日本に来たのではない。低賃金で働く労働者として生きてきたのだ。われわれの父や母は、われわれの同胞は、<奴隷>であった!)。彼らは、多くの場合、祖国の言葉を胸に抱く、(法律には日本人であっても)朝鮮人以外の何者でもなかった。即ち、彼らは<素朴な民族意識>を持ち、日帝からの解放、祖国の独立を願った。

3-3.<国民意識としての民族意識>
 日本の敗戦の後、200万人を越えるわれわれの同胞は、先を急いで祖国に帰った。そして残ったのが、在日同胞60万人であった。待ちに待った、民族の独立も、二つの国家の対立という、新たな民族の受難の始まりとなった。解放後の在日朝鮮人は、朝鮮戦争を契機に、海を隔てた祖国の戦争にまきこまれていった。
 
<素朴な民族意識>を持つ多くの一世は、心情的にも(そして思想的にも)、どちらかの国家を自分の国家として選んでいった。それが<国民意識としての民族意識>である。従って、その<民族意識>を強く持つ同胞は、自らを、大韓民国、或いは朝鮮民主主義人民共和国の国民として規定していった(しかし、日本での生活の確保に力を注ぎ、<素朴な民族意識>を持ち続けながらも、どちらかの国の国民として自己規定をするということを、しなかった、する余裕のなかった同胞の存在をも忘れてはならない)。
 
 朝鮮戦争を直接経験した人の、その<国民意識としての民族意識>の強さは言うまでもない。この<民族意識>は政治的であり、いわゆるイデオロギーの上に成力立っているということもできる。

3-4.<被害者意識としての民族意識>
 しかし時代は変わり、祖国の土を知らないで育った二世・三世が、今や在日朝鮮人の七割を越えるに至った。民族教育を受ける機会もなく、祖国の文化、言葉もほとんど知らない同胞が、自分のことを朝鮮人であると、強く意識しているのは何故であろうか? それは日本社会にあって、朝鮮人であるが故に、受け入れられないからである。一体、在日朝鮮人は、あるがままの本名で、日本社会の中で商売をやっていけるのか、喰っていけるのか、生きていけるのか?

 はっきり言おう。われわれ在日朝鮮人二世で、朝鮮人であることを、何かよくないものとして、できるならはそうでないことを望みながら、育ってきていない者がいるだろうか? 被害者意識を持たないで、生きてきた人間がいるだろうか? われわれは、民族意識を<素朴な民族意識>でなく<被害者意識としての民族意識>として、持ち始めるのである。それは、いい、悪いの価値判断は別にして、客観的な事実である。

 われわれの抱く(抱いた)被害者意識というのは、実に日本社会の差別的・閉鎖的・排外主義的実相を、反映したものである。われわれは、この自らの被害者意識と闘わずにはいられない。日本の現実の社会が、歴史的に、人間を搾取、抑圧、差別するという構造になっている以上、そして朝鮮人は、全体的に、その抑圧されるものとして存在している以上、今後も、われわれは自分の後輩や、子供が、われわれと同じように被害者意識と闘わざるをえないであろうということを覚悟しなけれはならない。

 ある者は、差別、偏見は、もはや、ない、自分達きえしっかりしていたら、そんなものはない、と言い張る。ある者は、祖国が統一したら、そんなものはなくなる、だからその為の活動を、と主張する。ある者は、被害者意識から<自分自身の存在基盤>を見つけようと努め、<人間性を回復する>為に、祖国の政治情勢に主体をかけようとする。また、ある者は、自分は民族意識を持っているが、今後日本で住み続けるであろうことと、子供の将来のことを考えたら、日本人になろうと訴える。そして、また、ある者は、民族意識を持って生きるとは、どういうことなのかわからない、と悩んでいる…。

3-5.自己規定について
 われわれは、われわれにとっての<民族>の定義を新たに、しなけれはならない。民族的に生きる、或いは民族の主体性を持つということを、民族的要素の獲得(言語の収得)や、どれだれ祖国の同胞に近づくか、というように矮小化してはならない(もっとも、われわれにとっては、失なわれたものを回復するという意味において歴史と言語の勉強は、不可欠なものであるが)。民族の新たな定義とは、われわれ在日朝鮮人は、現在の自己をいかに規定するのか、ということである。それには、自分を規定することはしない、と嘘吹く規定も入っている(日本人も朝鮮人もない。自分は、今、生きているただの人間だと開き直る人もいる。それは単純でほほえましい素朴さで語られる場合もあるし、既成の<民族>概念に対するアンチテーゼとしての、深い実存から生まれた、絶望の一種としての意見である場合もある)。

3-6.在日朝鮮人という自己規定
 ぼくは、自分のことを、在日朝鮮人である、と規定する。ぼくは、韓国籍で永住権も穫った。しかし、ぼくは在日朝鮮人である。われわれの同胞は<奴隷>として日本にあった(すべてはここから始まる)。その事実と、現在、在日同胞が日本社会の底辺を担っているということ、差別と抑圧の真只中にわれわれが生きているということ、そして日本人の圧倒的な無知、無関心、無責任は絶えず、差別と抑圧を再生産しているということ、そして、この社会は抑圧される者、虐げられる者を、原理的に必要としているということ、これらの事実は、いくら自分のことを、立派に、新たに規定し直しても、この現実そのものに、ぶつかっていかない限り、どうにもならない。在日朝鮮人は、いくら自分のことを大韓民国国民であると言っても、チョーセン人でなく、チョソンサラムであると規定しても、自分の置かれている現実そのものは、変わりはしない。

 ぼくが自分のことを在日朝鮮人であるというのは、この日本社会にあって抑圧され、搾取され、差別され、虐げられている民の一人であるということであり、そこから必然的に、人間性の回復と社会正義を求めて生きる、ということを言っているのである。そして、在日朝鮮人こそ、まさに日本社会に向かって、このことを言い続けなけれはならない歴史と現実をかかえている。

 このように見てくると、<差別社会の中でいかに生きるか>と問うた今年の主題は、歴史的に必然的なものであった。<いかに生きるか>というのは、すべての生き方を、相対化し、肯定するということではない。まさに、差別社会を決して肯定しない、差別を決して赦しはしない、そして、自ら虐げられた者として、現実としてある、日本の抑圧・侵略・差別・排外思想を告発していく、ということである。

 しかしそれならは、お前の言っていることは、日本人に対する<逆差別>ではないか、被害者の繰言ではないか、と憂える人がいるかも知れない。しかし、そうなる危険性と闘いながらも、われわれは実際ある差別を、差別を産み出す社会を、そしてその社会を支える人間を、告発しなくてはいけないのだ。

 また、お前は、人間の罪ということを知らない、キリストの血によって、そして教会における交わりによって贖われる<人間の罪>のことをどう思うのだ? ぼくは何度か、教会の教職者に問いつめられ、罵倒され、教会は何も知らないでただ祈ることによって生きてきた多くの老婆によって支えられているのであるから、お前のような社会主義者は教会から出て行け、と言われた。彼に対する反論は後で展開するが、その若い教職員の教会観、キリスト教観は、彼個人の捉え方というより、われわれの教会の体質とでも言うべきものであり、それは長い歴史の中で常に、支配者の支配に奉仕するものであったし、今もまた、そうである。

 しかしながら、われわれは聖書を読む時、イエスが、当時の諸民族を支配していたローマ帝国の存在と現実を知りながら、その中で<奴隷>となれと語っているのを知って驚く(10:42~45白本語訳の聖書は原文とは違う)。そのイエスの言葉は、われわれに在日朝鮮人として生きろ、生き抜け、と語っているように、ぼくには読める。また、「出エジプト記」のエジプトにおける、イスラエルの民の、生活の為に沈黙を余儀なくきれている描写は、在日朝鮮人の実情とオーバーラップして、ぼくの目に入ってくる(この「出エジプト記」が今年の修養会のテキストである)。

 在日朝鮮人に未来はあるのか、展望はあるのか? 長い歴史の中で差別構造を作り上げてきた日本社会の中にあって、一朝一夕に、バラ色の未来が開かれる筈はない。祖国に帰るのだ、「出日本」をして、カナンの地としての統一朝鮮に行くのだ、という同胞もいる(それはそれでよい)。しかし、われわれは、この日本の地にあって、<奴隷>として、被抑圧者として、被差別者として、生き抜こうと思う。それが、在日朝鮮人として生きるということの内実であ少、<民族意識>というものが具体的現実の場で、われわれの生き方と関ってくるものなのである。

3-7.<イエスの十字架>ということ
 先に触れた、<人間の弱さ>、<人間の罪>といぅのは、牧師のみが知っていることではない。それは、観念や神学ではないのだ。<展望のない闘い>にいどむといいながら、実際は、義理や人情・そして自分自身の、<差別>というものを見て見ぬふりをして自分だけがいい子になろうとする欲望、逃げ出してしまいたい、何もかも捨てて(在日朝鮮人などということを問題にしないで)生きていきたいという気持、目に見えて動かない現実から来る焦り、いくら必死になっても、なればなるだけ、誤解を受け・お互いが傷つくというむつかしい人間関係、これらの人間の弱き・罪を前にして、われわれは茫然と立止まる。待て!これらのことが、どうして、<教会>の中でのみ癒されると言うのか? どうして牧師にのみ、この痛みがわかるのか? そんなきれいごとじゃないんだ!そんな建前じゃないんだ!

 しかしながら、いくら哲学的に神学的に反論されようが、イエスの十字架は、ぼくを奮い立たせてくれる。傷ついた心をなぐさめ、「きあ、お前も行け」と言ってくれる。これは「永遠の生命」でも、「天国」でも、「魂の救い」ということでもない。彼岸における、あの世の幸福ということとは、一切、関係がない。それは、今、ぼくがどう生きれはよいのか、ということなのである。徹底して在日朝鮮人として生きろ、というイエスと共に、この現代日本社会の中の被害者として、そういうものを産み出す人間社会をしっかり見つめながら生き抜く、ということなのである。

 ぼくは、教会に来る者のみが、そしてイエスを知っていると語る者のみがそのような生き方ができるなどとは、露程も、思わない。それに、ぼくは必死になって、教会やキリスト教を弁護することに、いささかの価値も認めていない。ぼくには、そんなことは、関心事ではない。ぼくにとっては、在日朝群人としてあるぼくの、そしてわれわれの、人間としての生きる道こそが、最大の関心事なのである。

 さて、次に、そのような生きる道を模索しつつ、われわれの教会はどうあるべきなのか、を見ていきたいと思う。


4.われわれの教会の反省
 有効な神学は、被抑圧者の苦悩と無条件的に一体化する時にのみ起こりうるのである。黒人神学は、黒人の存在を宙に浮いたものにさせ、黒人性をはぎとっている白人の権力構造を除去することに努めることによって、黒人に対して語り、黒人のために語られなけれはならない。 J・H・コーン

4-1.神学のない、われわれの教会
 先の燈台において、「福音と世界」に寄稿した金桂昊牧師に対する金哲顕君の批判が載った。まずぼくは、在日韓国教会において、あのような神学的論争というべきものが出てきたことを嬉しく思う。この点に関しては、違う意見もあると思うが、ぼくは、在日韓国教会には、神学らしい神学がなかったと考えている。全く異なる神学を持ちながら、今まで徹底した相互批判と論争もなく、ただ、在日韓国人ということのみにおいて一致して、(一致しているように見せて)、宣教というものがなされてきた。ぼくは、神学、或いは思想が異なること自体が悪い、と言っているのではない。

 神学、信仰理解においてさえ、人間が歴史、社会的情況に規定されているというのは、いわは、当り前のことである。従って、一世の信仰理解が間違っている、などということは誰も言えない。彼らには、彼らなりの必然性があった。(しかし、だからといって、彼らの考える<信仰>のあり方が、普遍的、唯一絶対であるとされると、そういうものをわれわれは、受けいれることはできない。しかし、そういう<信仰>理解が、現実には教会を支配し、動かしている。)

4-2.<理念>のない、<制度作り>
 先に、「神学論争はなかった」と書いたが、必ずしも、それは事実ではない。今の教会(総会)の実質的な担い手である、中年の牧師は、彼らが青年の時、その前の世代の教職者と論争をしあったらしい。しかしながら、この十年間の教会の歩みの実質的な理念(?)作りをしてきた(と見られる)李仁夏牧師は、第一回の指導者研修会において、このように言っている。

 「(われわれの教会は)宣教する事のみを奉じ、将来の展望を考える事なしに進み、内部的には運動を若い者達(注-李牧師をも含めた現在の中堅の牧師及び信徒達)のものにする為に、既成世代に対してプロテストする姿勢を持ち続けてきました。これは歴史の必然ですが、その危機は、プロテストする相手を失った時にきます。すなわち、我々の運動が軌道に乗るやいなや沈滞してしまったと いえます。」(燈台18号P27)

 また、第14回修養会のハンドブックには、「在日韓国教会史の中で青年が果して来た役割」という論文があり、李牧師の世代がプロテストした<既成世代>は、解放後、百万人以上の同胞が帰国する中で<教会作り>を進めていったのであるが、彼らには、「日本に永住する韓国人への宣教」という姿勢がなく、結局、「理念のない制度作りが進行していった」と書いてある。

 また、長い間、われわれの教会の総会長であった呉允台牧師は、1961年(今からちょうど10年前)の修養会の席上でこのように言っている。

 「今後の在日韓国基督教総会の方針は、二世を中心に宣教、牧会をすすめようという事になりました。具体案は今作成中で、追って発表する事だと思います。」(燈台10号)

 (しかし、ぼくはその後発表されたものを、知らない。)結局、こういうことなのだ。つまり、われわれの教会は、解放後、一度たりとも、このように生きるという現実に則した、現実を切り開く<理念>を持つことなく、<宣教>を行ってきたのである。

4-3.<キリストに従ってこの世へ>
 いや、あることはある。<宣教70周年を目指して>という数ペ-ジの、うすいパンフレットには、宣教三大目標がある。一、教会に革新を‥内に新しくなり、仕える僕の姿勢を取るようにする。二、同胞社会に変革を‥この世にあって、和解の働きをなし、健全な社会建設に貢献することによって民族の光となる。三、世界に希望を‥万人に、キリストの主権を証することによって、真の隣人となる。
 
 そして、何と、宣教70周年の標語は、いかにもわざとらしい、<キリストに従ってこの世へ>というものである。また、宣教実践目標が11個・羅列きれてあるが、それらは実存の深みにおいて出されてきているというより、商売人のようなハッタリであり、思いつきであり、アドバルーンのようなものでしかない。そこでは、再び、あの<理念のない制度作り>-それは結局、教会の自己保存である-がなされようとされている。

4-4.われわれの教会の体質
 では、われわれの教会には、独自の体質はないのであろうか? いや、明確にある。それは、(実情を知る読者は驚くかもしれないが)物わかりのよさ、という体質である。ちなみに、ここに総会において出された三つの声明文をとり出してみよう。一つは、1959年の北朝鮮帰還反対であり、一つは、二年前の出入国管理法案反対声明書であり、もう一つは、「在日大韓基督教会の社会的責任に関する態度表明」である。
 
 最初の声明書にはこのようにある。
 「在日韓国基督教会の信仰的立場より吾人が強く主張せんとする処は、その世界観的問題であり、これに関連する北韓の現実を知る者として愛する僑胞を霊的且つ生存的死地に追いやる事の堪え難き事である。」まことに、厳しい情況にある韓国より以上に韓国的である。
 
 入管法反対声明書の方は、「在日外国人としてのみならず、キリスト者としても、多大の憂慮を覚え」、「キリスト教精神の立場からも黙していることはできず」「絶対反対する」と、述べられている。
 
 最後の態度表明は、昨年の十月、第26回総会の席上、総会議員一同ということでなされ、華々しく、日本の主要なキリスト教系出版物に発表された。
 まず、大上段に、「われわれ-注、総会議員一同であるから、教会の牧師と長老、ということになる-は、主イエス・キリストの召しをうけ、日本社会で福音の証しをしている」と構え、民族が、「将来の方向を模索しているこの時にあたり」、「最近おこりつつある事態に深い関心を寄せ」(注-<永住権>・<入管法>・<国籍変更>運動のこと)て、社会的責任に関する態度を表明したものらしい。
 
 そこでは、例の「キリストに従ってこの世へ」という標語の志向するのは、教会の歩みを導く神の摂理のみ業を感謝しつつ、「われわれの宣教の基本的姿勢が福音信仰の帰結として、キリスト者は、その生きている社会に変革をもたらすべき責任ある役割を担っていることを確認したことに」あった、ということが述べられ、「われわれは、今日まで歩んできた過去を反省する時に、社会においてキリストを信ずる者として、ふさわしい証しの生活をなしえなかった怠慢を卒直に告白する」と書かれてある。

 そして、「永住権」というものを、「在日同胞の要求する内容に合致するものになるよう積極的に努力し、推進する」そうである。また、その永住権が「政治的事情その他の理由のために」与えられずにいる(北朝鮮系)同胞が極端な差別を受けるような「事態を憂慮し」、「このようなことが起らぬようキリスト教的正義と愛の立場から発言すべきであることを表明」したということである。あと、入管法に.関して、「われわれはこの法案に全面的に反対すると共に、政治的、社会的ないかなる差別体制をも変革していくことこそ、キリスト者の使命であると再確認する」と、随分、勇ましい。そして、総会は、「地域センター」(KCC)建設の決議をして、「地域社会に対し責任ある参与をしようと」してしるそうである。更に、最後は、もっと勇ましく、ラッパが響き渡る。「在日61万同胞とともに未来に向ってさらに創造的な歴史形成をなきんことを表明する。」

4-5.「反省」すべきは何なのか
 読者は、以上を読んで、どのように感じたであろうか?そう、まことに、物わかりがいい。しかし、ちょつと待ってほしい。発表された言葉だけを信じてはいけない。その言葉を発する側に、どのように首尾一貫した、生きる姿勢があるのかないのか、そのことをわれわれは見なけれはならない。そうすると、あのように、すべての在日同胞の現在と将来を憂う、われわれの教会が、日本にありながら、どうして、韓国以上に韓国的な声明を出したのか、さらに、入管法と「永住権」の根本にある、韓日条約の時に何故、沈黙を守ったのか、訳がわからなくなる。不充分な「永住権]-それは、いかなる意味においても、「永住権」という名に値しない-の内容と、その資格者を決めたのは、あの韓日条約の時ではなかったのか? 韓国のキリスト者は、韓日条約反対に立ち上がった。しかしわれわれの教会は沈黙を守った。
 
 また、教会のあり方として<地域社会>に仕えるといぅことが問題になっている。成程、地域に保育園等を建てることは、悪いことではない。しかし、われわれの教会が反省すべきことは、抑圧され、差別され、虐げられているわれわれの同胞の現実の中で、徹底して生きてこなかった、ということなのである。それは、政治的に無関心であったというような単純なことではない。イエスの十字架を担い、「福音宣教」をやってきたとする、われわれの教会が語ってきた<言葉>が、本当であったのか、そして、そもそも<理念>なしになされてきた<教会作り>と、<宣教>とは、何ものなのか、そこでいわれる<信仰>とは何なのか、ということが問われているのである。
 
 「反省して」キリスト者として<社会に出ましょう>というような、生やさしいことでは問題は片付かない。そもそも、いかなるものとして、いかなる生きる姿勢をもって生きてきたのか、という最も根本的なところが、われわれの教会の中で問題にならなけれはならない。

4-6.<物わかりのよさ>について
 「物わかりのよさ」とは、実は、主体性のないことなのではないか。異なる神学が、同民族の名の下で、一つになっているということは、十字架を負うイエスに従うという、生きる厳しさにおいて一致していたのでなく、キリストをカンバンに同族であるという、血縁関係において共棲していたのではないか?
 
 「物わかりのよさ」は、人を殺す。われわれの教会は、わざとらしく、日本社会に、こんなに社会責任を担い、社会に出ようとしています、などと言う必要はなかった。そんなポーズをとるのでなく、もっと自分の生き方をかけた討論をし、そのことを、具体的な個教会の中に、具体的な日常性の中に持ちこむべきであった。あのような、物わかりのよい声明文を出した総会の、その翌日、現にぼくは、青年局会の席上で、教会は祈る所であり、実践をいう、お前のような奴は、教会から出て行け、と言われた。ぼくはこのことによって、われわれの教会の体質は旧態依然としてあり、そのまま今に至っていると言いたいのである。
 
 しかもなお悪いことに、勇ましい<社会参与>の態度表明をした声明文の内容が、必ずしも、参加者全員(牧師、長老)の実存的な深みから、生き方の一つの帰結として出たものではないのに(もし、そうであれは、翌日の事件は起こらなかった)、総会の席上では、少しの討論の後シャンシャンシャンで終った、ということである。また、「総会議員一同」とあるにも拘らずぼくはその後、あのような声明文には問題があるということを、参加した何人かの教職者から聞いた。(これが<物わかりのよさ>の実体である)。
 
 あの態度表明を具体的な個教会の場でどのように取り扱おうとするのか、また、永住権を「在日同胞の要求する内容に合致するものになるよう」どのように「積極的に努力する」のか、その後、ぼくは、誰からも一度も聞いたことはない。
 
 しかし、にも拘らず、われわれの教会では、相変らず、<福音>が説かれ、<宣教>がなされているのである。そして、出来上がりつつある唯一のものは、商人以上にハッタリをきかせ、アドバルーンを上げ、全国の信徒から集めるだけの金を集めて(それでもまだ足らず、カナダと日本-これはまあ、いいとしても-それによりによって、あの貧困の中にあるわれわれの祖国からも、金を貰おうとしているのだ!)やろうとしている、あの鳴物入りのKCCだけである。しかも、そのKCCにおいて、未だ、何を、どのようにやっていくのかという、明確な案は無いと開いている。

4-7.隠れみのとしての宗教性
 このようなわれわれの教会を観てくると、一体、<宣教>とは何か、ということが当然、問題になってくる。イエスの十字架、福音が語られなかった教会はあるまい。教会としてある限り、教職者は、そのことを常に口にしてきた。そして、主にある平安と、罪の赦しを説いてきた。しかし、ぼくは、われわれの教会には、<魂の救い>だとか<永遠の生命>を宗教の最大の関心事とすることはあっても、どのように生きるのか、どのような者として、どのように、この現実に関るのか、という生きる姿勢、生き方の中で信仰が問われているという厳しさが、全く欠如しているように思える。われわれの教会は、本質的には現実から遊離したところで成り立っているのである。しかも、そうであっても誰からも文句を言わせないものとして、宗教の神秘性、神聖き、即ち、宗教性という隠れみのがあった。教職者は、その宗教性の上にあぐらをかいていたのである。
 
 もしも、本気で、虐げられた民と共に、虐げられた民の為にわれわれの教会があり、そのように生きてこようとしてきたのであれば、入管法と永住権についてあのよぅな態度表明をした教会が、韓日条約の時に、沈黙をするということは、起こる筈もなかった。教会には、現実把握がそれ程充分でなくても、現実への関りが不充分であっても別によい、という甘さ、逃げが、あの、宗教性によって許されているのである。われわれの教会の反省は、まず、その点に対する徹底的な悔い改め、自己批判からなされなけれはならない。

4-8.教会に必要な自己規定
 それには、先において見てきた通り、このわれわれの現実を生き抜くには個人の現実社会における自己規定が必要であったように、われわれの教会もまた、自己規定しなけれはならない。そのことを金哲顕君は、先の燈台において次のように書いている。

 「教会は自分を社会的地平に設定し、みずからを社会的に規定することによって始めてその社会責任、あるいは歴史的使命を誠実に負いうるのである。」 (燈台19号 p26)

 それはいかなる規定か? それは、在日朝鮮人の中にある教会という規定である。それでは今までと変わらないではないか、という疑問が出るかも知れない。しかし、思慮深い読者には、その違いがわかる筈である。以前のわれわれの教会にとっては、在日同胞というのは、血縁的な民族(その意味において、自然の交わりといえる)ということであった。
 
 しかし、われわれのいう在日朝鮮人は、そのような素朴な、牧歌的な民族ということでなく、朝鮮人としてこの日本の地で虐げられ、抑圧され、差別されている、そういう社会的存在としての在日朝鮮人なのである。そして、われわれの教会は、まさに、この日本の地で虐げられた者と共に、虐げられた者の為に存在するのでなけれは、そこで説かれる宗教は阿片であり、決して、虐げられたわれわれの民を生かすことはない。
 
 しかしながら、客観的に観て、抑圧、細分化され続けてきた、われわれの同胞が、共に集い、慰め合うということ自体、その事実の重さを、われわれは無視してはならない。しかし、われわれは、そこで立止まることはできない。われわれは、今、生きているところから、真実と正義を求めなけれはならない。現実を直視し、声を上げねはならない。
 
 そして、もし、われわれの教会が、本気で自己の生活をかけて、以上書いてきたように生きようとするならは、中途半端な現実への関り方は決してなされてはならない。そして、生活と法的地位の為、沈黙を余儀なくされている、多くの同胞に代って、過去、現代に至るも、歴史的に朝鮮人を踏みにじってきた日本社会を告発しなけれはならない。それは民族的利益の穫得というようなものではない。徹底的に社会不正義と闘うというわれわれの生きる姿勢の問題である。

4-9.<民族意識>と信仰理解
 しかしながら、ぼくの言う、在日朝鮮人という自己規定が容易なものでないことは、ぼくも知っている。(一)で見てきたように、生まれ、育った歴史情況の相違によって、<民族意級>そのものが多様性を持ってきているというのは指摘した通りである。われわれ二世には、<被害者意識としての民族意識>がよく理解できても、それは<素朴な>或いは<国民意識としての民族意識>を強く持っている一世には、なかなか理解できることではないであろう。そして、その民族意識の相違は、信仰理解にも現われてくる。
 
 解放前の日帝の露骨な支配の下では、彼らの民族意識の上に成り立つ信仰理解は、それなりに、最も鋭く社会不正義に対立していた。当時、教会を作っていった、一世の人達のその背景には、日帝から支配されているという共通の利害状況があり、教会作りそのものが、非常な緊張と喜こびに満ちていたであろうことは想像するに難くない。

4-10.二世にとっての信仰
 この数十年、われわれの先輩は、鋭い問題意識をもって二世としての生きる道を摸索してきた。しかし、問いの発し方そのものの中に限界があった。詳しくは次の、われわれの教会の歩みの批判的検討、において展開するが、彼らは時代を切り開く為に、社会的情況を問題にしながらも信仰と信仰的な生きる姿勢に終始してしまったのである。つまり、自らの置かれている社会そのものを問題にしなかったのである。われわれの一世が、緊張感をもって教会生活をしていたのは、純粋な信仰だとか「仕える」姿勢というものがあったからではなく、信仰生活というものが(礼拝でさえ、国語を用い、散らされた民が集まった、という点において)あの情況の中では最も、鋭く、社会不正義と対立していたからである。彼らは、この最も重要な点を見ることができなかった。
 
 従って、われわれ二世は、いくらキリスト者にとっては<社会責任>や<政治参与>が大切で本質的なものなのだと、口で言ってきても、そこからは、溢れるような緊張感が、出る筈もなかった。解放前には、<社会参与>という立派な名前を知らなくても、一世の人達は、生活の苦しさが、抑圧が、日帝の政策によるのだと知っていたに違いない。そして民族の悲願であった<解放>と<独立>がもたらされた。しかし、祖国の解放によって、われわれ在日朝鮮人の生活が変わった訳でもない(現に、われわれは解放以後、昭和27年に至るまで日本国籍を持たされていた)。
 
 さて、ぼくは、当初の青年会の鋭い問題意識を最大限評価し、それを引き受け、更に乗り越えようと思う。彼らは、一応、生きる姿勢として<政治参与>ということを口にはしていた。しかし、社会に出ようと口にするということは、未だそのように生きていなかったということを意味している。十年前に、教会の政治参与の必要性をあれだけ説いた李仁夏牧師も、われわれの全協組織の出先の誓いの中で、「私共は韓国人基督者青年として…重きくびきを負う流浪の民としての政治的・経済的・文化的重荷をともに担いつつ歩むものである」と語った。
 
 初代代表委員の李泰雨講道師も、結局、在日同胞にとっての最大の試練であった韓日条約の時に、在日朝鮮人の立場からものを言うことをしなかった。われわれの教会は、そして青年会は、沈黙を守った。結局、われわれの場合は、解放前の一世のように眼前の敵と目標が明らかでないので、<社会貴任>というような<言葉>を新たに創っていくしかなかったのかもしれない。しかし、そういうことは不要であった。もっと素直に、日常生活における差別情況から出発して、そのことのおかしさを追求すればよかったのだ。
 
 七割を越える二世の中で、教会が、生気に満ちたものになるにはーこの場合の<教会>は、イエスの名の下に集まる教会員であると共に、イエスに従わんとする者は、その人間一人が教会であるという意味において、われわれ一人一人を指すー自分自身の生活の中の<おかしさ>を見つめる主体に、各自がなるしかない。即ち、それは、各人が在日朝鮮人として徹底的に生き抜くことである。
 
 生気の失なわれた教会、若者を殺してしまう教会というものを、崔恩敦君は燈台の<私の倫理>で見事に指摘した。しかし、あれは所詮、<私の倫理>でしかない。あそこには、人間性の回復の叫びが限定されている(しかし、<抑圧>そのものに対しては、セックスというものが、一つのアンチ・テ-ゼになり、それ故、鋭い社会批判、教会批判となりうることは認める)。われわれが求めるのは、われわれが共に、この人間を抑圧する社会の中で、人間性回復を目指して歩む道である。それは、われわれの場合、徹底して、在日朝鮮人として生きる、ということ以外にはない。

4-11.<和解>の真の意味
 このように考えてくると、われわれの教会は<和解>ということの意味を捉え違えてきた、としかいいようがない。日本人と日本社会とうまくやっていくところに<和解>はない。日本のキリスト者を含め、圧倒的多数の日本人の目は、在日朝鮮人の生活、環境の上には注がれない。<和解>というのは、具体的には、日本人と慣れ合い、何事もないかのごとく振る舞うことではない。われわれの生活の不安定さ、法的地位の不安定さをしっかりみつめ、在日朝鮮人の人間性を蝕むものと、本気になって対決し、闘うことである。もし、われわれが、社会の中の虐げられた者として生きょうとするならば、そのような対決の中の、ぎりぎりの接点においてのみ、日本人との<共同>なる言葉が使えるということがわかるであろう。(詳しくは、次の「われわれの教会の歩みの批判的検討」参照)

4-12.差別社会の中の教会
 日本社会の差別構造から派生してきているわれわれの受ける差別は、たとえ、こちらがもはや抑圧はないと言おうが、平然と、ないかのごとく生きようと、厳然と存在する。そのような社会の中で、われわれの教会は、宗教性によって、差別を隠蔽し、超越しようとするならば、もはや、生きた屍になるしかない(いや、既になりつつある)。

 われわれは、現実としてある抑圧をしっかり見定め、そこから目をそらすのでなく、まさにそれを絶えず告発しなければならない。そして教会は、教会に集う一人一人を勇気づけ、励まし、正義を求めて生きる一人の戦士になるようにしなければならない。ぼくは、イエスに従うというのは、われわれにとってこのようなことであると確信する。


5. 在日朝鮮人間題とは何か (全協研究論文集「キリスト者の社会責任」より)
 在日朝鮮人間勉とは何か、それはどうして生じてきたのか、またどのように解決していけばよいのか? それを消滅させるのになにか素晴しい主張とか、いくらかの立派な言葉だとか、わずかな筆先ぐらいで、充分だなどと考えてはとんでもない(サルトル『ユダヤ人』)

 この間題は、外面的には、東西両陣営の緊張、南北朝鮮の分断、対立、そしてアジアにおける反共国の中での日本の役割りといった、政治、経済、外交上のことである。在日朝鮮人問題は明治以降の、日本国家の発展、近代化の過程の中で捉えられなければならないということは、まさに正しい。しかし、(われわれの)この問題はもっと根が深い。それは人間の<差別>ということである。<差別>とは人間を人間として、あるがままを見、受け入れることのできない人間の<罪>の問題として把握されなければならない。

 <差別>とは、頭の良い者は悪い者を、金持ちは貧乏人を、社会的に上の者は下の者を、美しい者は醜い者を、男は女を、白人は黒人を、日本人はチョーセン人を、というように、他者の人格ではなく、属性で相手を判断し、人間そのものの優劣の関係を作ってしまうことである(そして多くの場合、そのような差別は、社会的には<神話>として固定化されるのである)。
 
 そして、国家の発展とは、他民族の圧迫の上に、即ち、自己の利益の為なら他者の人格をも踏みにじる、他者の苦しみを無視する、或いは喜こぶといった人間の<罪>の上に、成り立つものなのである。<注、これを書いた時点においては、ぼくは、国家と人間というものを、同一レベルで取り扱うという間違いを犯していた。そのよぅな考え方を、ここではっきり改めたいと思う。即ち、国家というものはー人間の問題は問題として徹底的に見つめなければならないがーその仕組み、構造という観点から、問題にされなければならない。

 過去のヨーロッパの繁栄はアジア、アフリカの植民地を土台にしていたこと、日本の発展は朝鮮の犠牲の上に成る立っていたこと、第二次世界大戦のドイツは、ユダヤ人の虐殺を必要としたこと、大国アメリカの中には、黒人問題があること等々を思い浮かべるがよい”!!>
 
 このように、在日朝鮮人問題をつきつめていけば、一体人間にとって、生きるとはどういうことなのか、個人にとって他者、共同体としての国家、民族とは何なのか、という根本的な問いに至らざるを得ない。逆に、歴史を担う主体としての自覚を持ち、真に生きょうとして過去、現在の社会を、いや自己そのものを否定的に捉えていこうとするならば、われわれ在日朝鮮人は、この(われわれの)問題を見過としたり、疎かにすることはできない。(われわれは、まさに、朝鮮人として、ここ、日本において自分自身の手で現実を切り開こうとしているのである。)
 
 このような問題意識を持つ、一在日朝鮮人キリスト者として、日頃考えていることを書き連ねてみたい。未だ自分の考えを整理しえない状態なので、後で、批判や助言をしていただければ、これほど嬉しいことはない。<注、最初に書いた時点においては、自分のことを韓国人キリスト者である、と自己規定しているが、それはすべて<朝鮮人>にすべきであると考えるので、そのように訂正した。しかし、念の為に付け加えれば、ぼくの国籍は韓国である。また、自分で自分のことを<キリスト者である>と言うということはどういうことか、わからないので、今後そのような自己規定はしないようにする。ーこの点については、読者は3の項において充分理解しておられると思う。>


6.在日朝鮮人の実情
 在日朝鮮人は、閉ざされた日本社会では受け入れられていないということを、先に触れたが(この原稿ではカットしてある)、次にそのことを具体的な事実でもって明らかにしていきたいと思う。

6-1.職業について
 1967年11月現在、在日朝鮮人総数は59万656人(71年、現在では約61万と云われている)で、「法務省の入国管理局の外国人登録者に記載してある職一業と、治安当局および国税庁の『概念的』な推定を加味して分類した表によると、第一次産業約二万人(農業、牧畜、林業)、第二次産業約七万人(土木建築、紡績、機械、ゴム、ビニール、皮革、靴等)、第三次産業約八万五千人(遊戯、屑鉄、運輸、料飲食、知的労働、古物商等で)」で、在日朝鮮人60万の中、三割の人間しか職業をもっていないことになる。
 
 また、「生活扶助をうけている者は昭和42年現在、45,427人で、登録総人口の約八パーセントに当た了ー<注、日本人の比率は1.6パーセント> (呉允台『日韓キリスト教交流史』)。そして現行「入管令」によると、生活保護をうけている外国人は、退去強制該当者になるということである!
 また、大学卒業生であっても日本の会社は、在日朝鮮人を採用しない。従って、ある者は卒業後、親の後を継ぎ、喫茶店とかパチンコ等を経営する。それのできない者はトラックの運転手をしたり、(中・小) 零細企業の一労働者として働く。

 社会の実情をよく知る親は、息子には就職の苦労をさせまいとして技師ー特に多いのは医師ーにさせようとする。<失業>というのは、働く意志と能力を持ちながら、しかも自分の技能や職務担当能力に適合した雇用の機会が客観的に与えられない場合、だそうだが、その意味では、在日朝鮮人は<日本社会>ではほとんどが<失業者>ということになる。<日本社会>と断ったのは、民族学枚を卒業した者は、民族資本家による商工会、銀行、信用組合や教育事業に携わることができ、<朝鮮の社会>の中では、働き口には困らないからである。しかし、その数は非常に限られている。

 このように在日朝鮮人が自分達の集団、社会を作っているというのは、逆に、日本が<閉ざされた社会>であって、朝鮮人を(あるがままの朝鮮人として、ということは、日本名を用い、日本人のようにすれば、若干認めてはくれる)受けいれないからであるということは言うまでもない。

6-2.民族教育について
 それでは民族教育を受けている者はどれほどいるのであろうか? 「一般に在日同胞の子弟で就学学生数は約14万である。その77%が日本人学校に、そして約21.5%が総連系の学故に通学しており、民団系の学校には、1.5%しか通学していなと(『統一朝鮮年鑑67~68)。即ち、在日朝鮮人子弟の大部分が日本の教育を受け、残りの二割が朝鮮学校で、数千人が韓国系の学校で教育を受けているという現実である。
 
 在日朝鮮人は、日本の中の<朝鮮の社会>で働く者を除いては、ほとんどが日本名を使うー否、商売や住居の関係で使わざるをえないような状況に置かれているといった方が正確であろう。従って、その子弟は、日本の学校で日本人のように勉強をする。日本の学校で習うのであるから、朝鮮が日本の植民地下にあって、徹底的に支配されたという事実(の重さ)を知らないで過ごすーこのような教育体制を否定的に捉えることなしに、<これからの日本>などといった甘いことを言うことは、誰にとっても許されないはずである! 

 事実、ぼく自身、大阪府立のある高枚を出て、大学に入るまで、三・一独立連動等ということは知らなかった。ぼくの勉強不足ということはあっただろうが、他の多くの者も似たりよったりだということは経験的に知っている。では、そのような環境に置かれた朝鮮人子弟がどのような意識を持つのかということを見ていくのに、作文をとりあげたい。
 
 「……社会の時間、歴史を習っていた。その時先生が<朝鮮征伐>という言葉を口にした。とたんみんなは、朝鮮、朝鮮とワァ  ーワァー騒ぎました。女の子もみんな大きな口をあけてゲラゲラ笑い出したが、先生はとめようともしないで一諸に笑っていた。  その時、私は、みんなが私を見てやしないかと、周囲をキョロキョロ見回しながらも、みんなと一諸に笑っていた」(来栖良夫『異国の中の民族教育ーー朝鮮人学校』より)。
 
 ここにあっては、幸か不幸か(?)外見上、日本人と区別のつかない自分自身を日本人に似せ、それでいて、日本人でない自分をはっきり意識しているといった、在日朝鮮人子弟の屈折した人格が見られる。この作文を書いた少年が異常なのではなく、これは<日本人社会>に住む、在日朝鮮人の、ある意味で、典型的な意識である<注、ぼくは、それを「被害者意識としての民族意識」として、燈台19号において展開した>。
 
 映画「絞死刑」で再びクローズアップされた小松川事件の犯人、李珍宇もまた、両親が朝鮮人であるということを除けば他の日本人生徒と何ら変らない(?)金子という名の高校生であった。いや、何ち変らないというより、<生きる>ということを哲学的とさえいえるような深みにおいて捉えようとした、成熱した精神の持主ということでは、(その点でも)随分と違っていると言った方が当っている。その李珍宇の弁護人に対する手紙の中で、旗田巍はこのように述べている。「李君は日本で生まれ、日本で育ち、日本語しか話せぬ少年でしたが、朝鮮人ということは否定しょうもありません。しかし本人は、自ら朝鮮人であることを嫌ったようです。これは実に不孝なことです。朝鮮人としての自覚、自信を持ちえないものが、朝鮮人に対する差別的空気のなかにおかれた場合、正常な成長は著しく困難であり、ゆがんだ人間になる恐れが多分にあります」。

 李珍宇の書簡を本にした「罪と死と愛」を読めば、氏の弁護が必ずしも当っているとは言い難いが、一般的に妥当するものとして引用した。李珍宇は朝鮮人部落の中で育った。父親は日雇いで、母親は唖であったという。在日朝鮮人であるが故に貧しく、蔑視される日本社会にあって、その社会を客観的に歴史的に捉えることができない両親の下で、しかも朝鮮の土そのものを知らない朝鮮人子弟(われわれ在日朝鮮人二世)が、どのようにして朝鮮人としての自覚と自信を持つことがでさるのだろう?
 
 民族学校での作文集に目を通すと、そこに民族教育の成果のある一面が見られる。「昨日、日本の学校で民族的な虚無主義に陥って惨めになり『朝鮮人』だとさげすまれて、自分の母親と一諸に歩けなかった子が、民族教育を受けることにより、垂れた頭をまっすぐにあげ、前面に向ってまっしぐらに進んでいく、きのうまで恥ずかしくて朝鮮のチマ・チョゴリを着ても顔を赤くした子が、今日は堂々とあのチマ・チョゴリを着て歩けるようになる。昨日、日本語が母国語だと思っていたものが、今日は朝鮮語を国語として、再出発するその悲愴で、勇敢で、自信に充ちたかれらを讃えねばならない」(「遠い国でないことを」の後書きより)。

 しかしながら、日本の文部次官通達によれば、「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養する朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学枚の地位を与える積極舶意義を有するものとは認められないので、許可しないようにと伝達し、外国人学校法案では、民族学校が「国際親善を阻害」し、「国の利益に反する」と日本政府に判断された場合、閉鎖命令を含む行政措置をとろうとしている。

6-3.在日朝鮮人の帰属性について
朝鮮人ということは、たままたま日本にいる、大韓民国あるいは朝鮮民主主義人民共和国の国民である、ということなのであろうか? 日本で民族教育を受ける在日朝鮮人は、実は、民族教育という名で国民意識を基調にした国民教育を受けている。従って、そのような民族教育を受けた者にとっては、自分の<帰属する場>は、国家としての<韓国><朝鮮>となってくる<注、一つ、大阪に、日本の文部省の認可を受けた民族学校がある>。
 
 また、ある人は、自分の<帰属する場>を統一朝鮮に求める。しかしながら、その人にとっても、自分を朝鮮人とさせるものは、海を隔てた本国の存在、動向であることには変りはない。彼等は、本国の統一をもって、<在日朝鮮人問題>の解決とみる。そして、朝鮮人であることの意識の希薄な二世・三世に対して、祖国の統一問題を持ち出し、眠っていた民族意識を奮い立たせる。彼等の鮮やかな論理は、かなりの説得性を持つようにみえる。また、彼等は、現在の在日朝鮮人としての自己の存在を、歴史的、社会的に捉えている、という点においては正しい。

 しかしながら、彼等は、本質的には、夢想的(ロマンティック)な民族主義者である-話してみると、危機意識の裏に非常に人間に対する楽観的な見方が支配しているのに驚く。彼等は、在日朝鮮人のカナンの地を、実際に、海を隔てた所に、求めようとしている。そこでは、朝鮮の土地に、朝鮮人が住み、朝鮮民族が朝鮮国を建てるという、既成の、近代における国民国家の概念を一歩も出ていない。<注、しかしながら、現情況にあっては、そのような論理でも、有効性をもつことは、ぼくも卒直に認める>。

 日本の地に、朝鮮人が朝鮮人として生き、その中で受ける差別を受けとめ、逆にそれを相手の問題として告発し、またそのような民族の閉鎖性に基いを置いて、ゴクゴク太っていく<日本>という国民国家そのものを否定していく、といった位置付けがなされていない。
 
 朝鮮人であることから逃げようとして、日本人になる、という意識の正反対が、日本にあって、(国民意識としての)民族意識をもって、直接的に(中世の十字軍よろしく)本国の政治に関っていこうとする意識である。
 
 朝総連系の某氏は、朝鮮人であることに劣等感を持っている在日朝鮮人子弟に、堂々と胸を張って朝鮮人として生きなさい、何故ならば、祖国は独立し、社会主義国家として発展しているから、と言う。統一運動をなす者は、違った角度から、祖国の動向を、同じように問題にして、朝鮮人としての自覚の無い者を、朝鮮人たらしめようとする。しかしながら、誤解を恐れずに言うならば、祖国が独立していようが、植民地下にあろうが(二度と植民地にしてはならない!)、発展していようが、貧しかろうが、朝鮮人は朝鮮人として、今、ここ、日本の地において受け入れられなければならない。

 また、受け入れられるのが非常に困難であっても、われわれは朝鮮人として生きていかなければならない。ここにおいて初めて、民族そのものを問題にしているようにみえながら、実は、<民族主義>を乗り越えることが可能になる。何故なら、在日朝鮮人問題を通して、抑圧する側、そしてその中で生きている側の人間そのものの問題が浮き彫りにされるからである。光から離れ、暗を好む人間そのものと、露呈化した社会の不正義そのものが問題にされているからである。

6-4.<市民権>、<帰化>について
 次に、最近よく言われる<市民権>、<帰化>の問題に触れたい。在日同胞60万といっても、割合いから見ると、日本社会に埋没してしまっている人の方が多いように思われる。そしてその同胞は、前に見てきたように、複雑に屈折した人格というか、心理を持たされる。そして、できるならば完全な日本人に成りたいと思っているようである(歪な、歴史を詐称したところで成り立つ<同化>が、どんどん進んでいるのだ!!)。

 今、問われているのは、いかに<発言権>を形式として、持つのか、ということではなく、いかに、歴史と現実の渦中にある、あるがままの自分を見ていく主体になっていくのか、ということである。そのような主体のないところで、政治的発言権としての市民権を獲っても、或いは、日本の国籍をとっても、(多少の)生活上の便利さ、有利さということはあっても、人格から見た(人間性の回復を取り戻すような)<在日朝鮮人問題>の解決はありえない。個人の解決にはなっても、その解決は、市民社会に完全に埋没するということであり、逆の観点からすれば逃避である。

 そこには、歴史的、社会的視点が全く欠如している。自分の生活を重んずるあまり、自分の存在そのものをかけて、人間社会の醜さを告発していくという生き方が全く考慮されていない(事実、在日朝鮮人問題というのは、人間の、そして人間社会の歪さを示す以外の何ものでもない)。従って、今、市民権獲得運動ー教会のかなり多くの牧師が言い広めているのだがーを云々することは、以上述べてきた、在日朝鮮人の日常生活における逃避的な傾向(同化)に、油を注ぎ、人間を弱めるものである(彼は、自分自身の『主観的な』意図に反して、民族を売ろうとしているのである!)。


7.イエスに従わんとする、在日朝鮮人として
 われわれは、在日朝鮮人をとりまく社会の一般的状況、及び悩めるわれわれ在日朝鮮人の実情を見てきた。それは、この日本社会が<閉ざされた社会>であるが故、生じてきたものである。そこから、われわれは、<在日朝鮮人問題>とは、日本の社会の<解放>がない限り、解決はありえないのだという結論に至った。

7-1.<閉ざされた社会>の本質について
 しかしながら、<閉ざされた社会>の本質は何なのだろうか? それは、端的に言えば、他者のあるがままの人格を受け留めることのない、<差別>がある社会である。それは、日本が<閉ざされた社会>であるというよりは、<差別>をしなければ自分自身を支えることのできない人間の社会が既に、閉ざされていると見るべきである。従って、歴史上、<開かれた社会>は存在しなかったし、これからからも存在しない。カナンの地はわれわれが創り出すものではない。そういう意味では、われわれ自身が日本社会を解放することはありえない。

 カナンの地とは、神の約束の成就なのである。革命を興せば、或いは<統一>をなせば、<在日朝鮮人問題>は解決されると見るのは人間そのものの弱さ、罪の深さを知らぬ、楽観主義的、理想主義的な人間のものである<注、先に書いたように、<人間>と<社会>ということは、同一レベルで論じられるべきではない。ここでは、<差別の本質>ということが<人間>という観点から書かれてある。しかし、そのような<人間>の問題は、ぼく自身が、自分の問題として、自分で取り組めばいいのであって、<差別社会>を把握するときには、やはり、<差別>を生み出さずにはおれない<社会体制>の問題として捉えられるべきである。ここに、ぼくの論文を書いた当初の問題意識の限界がある>。
 
 結論を言ってしまおう。(ぼくの頭の中では)<在日朝鮮人問題>の解決はない。所謂、現在言われでいるところの<在日朝鮮人問題>が解決されたとしても、人間は新たな、違った<在日朝鮮人問題>ーそれがどんなものかは、想像もつかないがーを作り出さずにはおられない。<在日朝鮮人>や<日本人>だけの解放はありえない。あるとすれば、<人間の解放>だけである。従って、<在日朝鮮人問題>とはあくまでも、人間そのものの問題であると捉えられなけれはならない。しかし、そのことは、いかなる意味においても、現在のわれわれの問題を曖昧にしてもよいということにはならない。

 逆に、徹底的に<在日朝鮮人問題>に取り組まなければならない、という限定された生き方が求められる。それは、われわれの生き方が限定されているのではなく、われわれ自身が<在日朝鮮人>人として限定されているからである。即ち、われわれは<在日朝鮮人>以外の何者でもないからである!! われわれは<在日朝鮮人>として人間なのである!!そして、真に人間としてあろうとする限り、われわれには、明らかにある限定された生き方が求められるのである(即ち、<在日朝鮮人>として生きるということである)。

7-2.<在日朝鮮人>として生きるということ
 では、いかにすれば<在日朝鮮人>として生きる、ということが可能なのだろうか。われわれは先に、朝鮮人であることの自覚、自信の持てない多くの二世、三世の屈折した人格(それは、われわれ自身だ!)を見てきた。民族主義者は、本国の存在と動向を強調することによって、朝鮮人であることを嫌う朝鮮人を朝鮮人たらしめようとする。(確かに、そこには一面の真理はある)。

 しかし、そこからは、朝鮮人であることの自覚は持てても、朝鮮人であろう、朝鮮人として生きるという意志は、直接的に本国の政治に関与し、統一による実際のカナンの地を夢見ることによってしか生かされない。(しかしながら、北朝鮮帰還があり、韓国へも行ける現実の下では、朝鮮人として生きるということは、文字通り、本国の朝鮮人になって生きるということを、現実的に可能にする)。

 朝鮮人であることの自覚は、平凡な日常生活の中でいかに生きていけばよいのかを教えない(民族的自覚だけであれば、本国に帰らないで日本に住むという意志をもっている場合、なしくずし的に、同化してしまうに違いない。即ち、日本に住むのだから日本人に帰化してもいいじゃないかという考え方が、これから、だんだん多くなることは目に見えている。従って、われわれには、徹底して社会不正義と闘うという、生きる姿勢がなければやっていけない。そして、それは、われわれの場合、必ず民族的自覚というものが媒介とされるであろう。この日本の地にあっては、朝鮮人であるわれわれの立場を貫くことは、被抑圧者、虐げられた者として生き、社会不正義、不真実と闘う、というまさに、人間としての意志、決断が要求されることなのである)。
 
 朝鮮人であろうとする意志は、朝鮮人であるわれわれが神に応答して生きていかんとする姿勢であり、<朝鮮人として生かされている>という信仰の上に成り立つものである。この<朝鮮人として生かされている>は、<朝鮮人として>と<生かされている>というように分離されてはいけない。後者を強調するのは、観念的なキリスト者である。そこからは、歴史的、社会的存在としての自己認識は生せれてこない。

 そして前者においては、人間の深さは問題にならず、現象面としての社会現象(政治、経済、社会問題)のみが目に映る。また、この両方が問題にならない人も多くいる。その人達が享楽的な生活をしたり、人生はカネだというように自分なりの人生哲学でもって生きていかざるをえないのも、或いはマイホーム主義に陥るのも無理からぬことである。そうでもしない限り、自分の生さている意義がわからなくなって自殺をしかねない(しかしわれわれには、同胞をこのように第三者の立場で批判的に眺めることは許されない。われわれは、まさに共に歩む道を模索しなければならないのだ!!)。
 

 小松川事件の李珍宇は、死の直前に、朝鮮語を学びだした。まさに朝鮮人として生かされているという信仰-事実、彼は刑務所の中で、キリスト者として生きようとしたーなしには、考えられないことである。そして、彼の文字通り、死ぬまで朝鮮人として生きようとした姿勢は、われわれを励まし、勇気づけてくれる。ここにおいてはっきりした。<われわれには<在日韓国人キリスト者>であるということを除いては何一つ確かなものはない>。この確かさの前には、在日朝鮮人の無権利状態、帰属する場がない、将来の不安、といった諸々の泣きごとを語る人間も黙らざるをえない。

 <注、<在日韓国人>といっているとき、ぼくは、まだ<国家>というものを媒介にしてしか、自分自身を捉えていなかった。そして<キリスト者である>と自己規定したとき、自分を固定的に見ていて、虐げられた者として生さ抜くという方向性においてのみ、イエスに従うということが言えるのだ、ということがわかっていなかった。従って、この箇所は、このように書き改められるべきである。われわれには、在日朝鮮人として、イエスに従って生きる、つまり絶えず被抑圧者の立場から社会不正義と闘う、という生きる姿勢、弱者と常に共に生きていくという生き方、しかない、と。目次へ  TOPへ

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