2017年11月19日日曜日

吉見義明著『草の根のファシズムー日本民衆の戦争体験』を読んで

吉見義明著『草の根のファシズムー日本民衆の戦争体験』(東京大学出版会 1987)を読みました。

吉見さんはあとがきでワイツゼッカー演説「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」とヘルムート・シュミット「友人を持たない日本」取り上げています。

ヘルムート・シュミット「友人を持たない日本」
「日本はいかなる国とも、欧州共同体同士、または欧州諸侯区と米、カンダとの関係に比べられるような緊密な関係をもっていない。・・・ドイツ人は、その最近の過去と、また未来について、厳しく分析する必要があると痛感した。つっこんだ自己分析を行い、その結果、自己の非をきちんと認めるに至った。ヒトラーの支配に苦しめられた近隣諸国にも、そのことをだんだんとわかってもらえた。しかし、日本がこうした自己検証をしたとか、それ故、今日の平和日本を深く受け入れるとか、東南アジアではそんな話はまるできかない。」

吉見さんは、「これらの指摘は、残念ながら当たっているというほかないであろう」としながら、「これらの発言を、日本民衆への励ましとしてうけとめ、・・
自己の研究を進めていき、その過程で、日本民衆の戦争体験記類やジャーナリスト・研究者などの調査、研究の中にシュミット前首相のいう自己検証を行っているものが少なくないと気づいた。」と書いています。

著作の中ではじつに多くの手記が紹介されており、著者はそれらを丹念に拾い上げ、冷静に天皇制ファシズムがどのようして戦争に批判的になった民衆によってさえ支えられてきたのかを分析します。この著書の最大の長所は実に、この民衆の様々な意見を集め、読み解いたところにあると言えましょう。そして最終の章で自分の見解を明らかにします。少し長いですが、引用してみなさんに紹介します。

吉見さんの主張
「日本人は、敗戦の反省から、欧米のデモクラシー、アメリカの経済的繁栄をとりいれようとし、軽武装平和国家の下での経済発展という二十世紀の新しい実験を行ったのである。このような試みは、民衆的体験に根ざしていたために、社会のすみずみに浸透することができた。」

「しかし、以上のようなものを産み出した戦場や焼跡における日本民衆の原体験の持つ意味は、十分に吟味されないまま、次第に見失われつつあるようにも感じられる。このような事態は、戦後40余年という時間の経過とともに生じてきたが、その背景には、これまで検討してきたような、戦争反対・平和意識の定着の裏側での「聖戦」観の残存、戦争協力に対する反省の中断、主体的な戦争責任の点検・検証の欠如、アジアに対する「帝国」意識の持続の」といった、多くの日本人に共通する意識・態度があったのであり、この意識・態度と最近の事態とは深い関係があるように思われる。」

「さらに、戦後世界の中で、日本人は、国家レベルにおいては、周囲の諸国民との心からの和解、かつて支配・抑圧し、戦争のために動員した諸民族への償い、国内の少数民族・少数者の権利の確立、といった点に関しては、ほとんど達成することができなかった。このことも日本人の戦争責任観や「帝国」意識と無関係ではない。」

「しかし、民衆レベルで、戦争に対する真摯な点検・検証、反省を行った人々、あるいは行いつつある人々が少ないことは、このような問題を日本人自身が解きほぐす糸口をみいだし、この問題の解決に寄与しようとしている現われである。このような意味で、日本民衆が戦争の深淵の中の一瞬一瞬に気づいた貴重なひらめきや発見、そして戦後の点検・検証・反省の数多い事例が、拾い集められ、検討されていくことが、今こそ必要になっているのではないなかろうか。」

私の意見
この本が1987年、30年前に出版されたことを考えると、実に有意義な本だといえます。実際は著者の期待とは逆の方向に日本は進んできました。このことはその後の慰安婦問題での彼の活躍を考えると、この本の再販がなされるのであれば、著者はきっと厳しい内容の文書を書くのは間違いないと思われます。

既に著者は、日本は戦後日本の「平和と民主主義」を受け入れたように見えながら、民衆の貴重な意見が「十分に吟味されないまま、次第に見失われつつあるようにも感じられる」と記しており、「平和と民主主義」が空洞化されかかっている実態を見ており、その原因は、日本人の「戦争反対・平和意識の定着の裏側での「聖戦」観の残存、戦争協力に対する反省の中断、主体的な戦争責任の点検・検証の欠如、アジアに対する「帝国」意識」」にあると看破しています。然しそれでも期待をもって、戦争中の民衆の「貴重なひらめきや発見、そして戦後の点検・検証・反省の数多い事例が、拾い集められ、検討されていくこと」がなされればと願っているように思えます。

しかし30年経って、著書が願うようには戦後の民衆の次代に伝えるべき内容は伝わらず、戦争責任は曖昧にされ、「帝国」意識は新たな形で再生拡大されてきています。この現象をどように捉えるのかが実は、日本の現実・将来のあり方に決定的に重要になってきています。私は戦後の日本の状況を、戦前の植民地主義が清算されず、戦後は、新たな「植民地のない植民地主義」(西川長夫)になっていると考えています。原発体制こそ、まさに植民地主義であると捉えるならば、30年前にこの本が書かれた時にすでに、戦後の植民地主義は台頭していたと見るべきであったのです。

占領下でGHQが日本の非戦と民主化を図ったことは事実です。朝鮮戦争とともに日本は戦前の日本を踏襲するようになったと思います。そう考えると、戦後日本が「平和と民主主義」社会になったという「嘘」は、作為的なものであったのだと思います。どうして戦前の民衆の貴重な意見が次世代に伝わらなかったのか、この点を改めて吉井さんと話し合い徹底的に点検する必要があるのではないでしょうか。

アジアの人たちと日本人との真の対話は困難 戦後の日本は「平和と民主主義」国家と自負する日本の若い人の中で、中国や朝鮮を植民地支配した事実さえ知らない人が多くなっています。そして慰安婦問題を当事者の女性の嘘であったとか、世界どこでも慰安婦はいた、強制連行はなく、お金を目的に慰安婦になったのだという日本人が増えています。これではアジアの人たちと日本人との真の対話は困難だという思えます。

この数日の話では、20万人の女性が「強制的」に慰安婦にさせられたというサンフランシスコ(SF)市が採択を決定した少女像の碑文内容は歴史的事実ではない、SF市が撤去しないのであれば、大阪市はSF市との姉妹関係を解消すると大阪市長がクレームをつけています。私のFBに大阪市長に賛同する人がまた多くいます。いったい、この内向きの、歴史を直視せず、自分の思いが正しいと妄信する偏狭なナショナリストが増えてきていることをどう理解すればいいのでしょうか。しかし残念ながら、これは大阪市長だけの問題ではなく、東京都知事、名古屋市長も同じと考えてもいいでしょう。

どうしてそのような首長が選ばれるのでしょうか?戦争を体験したり、戦争の悲惨さを学んだはずの戦後生まれの日本人は、このようにして自ら世界から孤立をしていくのでしょうか。SF市民からのメールでは、大阪市とSF市の姉妹関係が解消されたら、市民同士の姉妹関係を結ぼうではないかと提案が来ています。

この大阪市長の動きをどう捉えるのか、私たち選挙権を持たないが市民として日本社会で生きている外国人としては、とても気になるところです。みなさんのご意見をお願いします。



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