2016年10月14日金曜日

アメリカの先住民の闘いから学ぶ、原子力植民地主義ということばから

アメリカの先住民の闘いから学ぶ、原子力植民地主義ということばをアメリカの先住民が使っていることを知りました。これは原発体制は植民地主義であるという私たちの主張と通底します。
Popular Resistanceより
https://www.popularresistance.org/indigenous-peoples-condemn-nuclear-colonialism-on-columbus-day


Indegenous Peoples Condemn Nuclear Coloniailism on
'Columbus' Day
先住民は「コロンブスの日」に原子力植民地主義を批判
“Colonization isn’t just the theft and assimilation of our lands and people, today we’re fighting against nuclear colonialism which is the theft of our future.” states Morgan.
植民地主義とは単に私たちの土地の収奪や人々の同化の問題ではなく、今日、私たちは私たちの未来を収奪する原子力植民地主義と闘っているのです、とモーガン氏は語っている。

Nuclear Colonialismについて
1492年10月12日はコロンブスがアメリカ大陸を「発見」した日として今でも祝されているそうですが、まさにこの日に、アメリカの先住民たちは、ウラニウムの残滓の汚染の問題を指摘し、これまでの土地の収奪や同化の問題ではなく、自分たちの未来を収奪するものとして、現在のこの事態を
Nuclear Colonialism 原子力植民地主義として批判しました。

ポストコロニアルな思想、実践として、これまでの歴史観を書き換え、過去の問題を現在の自分たちの闘いの中で位置づけ、その今の闘いを進めるために過去の問題を取り上げるというのは、植民地支配の清算がなされていない日本では必要だし、有効な闘い方であると思います。日本の右傾化が進む状況下で、もっと深くこの作業をしなければならないでしょう。

アメリカの先住民がどうして原子力植民地主義という言葉を使ったのか、これは、ウラニウムの残滓の問題が深刻であることから出てきたことばなのでしょうが、まことに適切な言葉であると思います。かれらは、アメリカ合衆国によるこれまでの土地の収奪や同化の問題でなく、戦後の原子力によって生起した諸問題を植民地主義によるものと定義しているのです。


彼らにとって植民地主義とは1950年代、60年代の過去のことではありません。植民地主義とは、国民国家の権力によって、他国(他民族)が自分たちの国(領土)で経済的、文化的、そして政治的に自分たちの権利を犯し、人間としての尊厳を傷つける統治政策だと、私は理解します(ユルゲン・ォースタハメル『植民地主義とは何か』参照)。今日ではその国家権力の統治政策は自国内でも見られます(国内植民地主義)。植民地主義は絶えず変容、変質します。戦後の原子力時代にあっては、国家の政策によって、原子力による放射能汚染の実害や、「恐怖」と「不安」を住民に与えるようになっているこの事態を、植民地主義と捉えるのは、まことに適切な理解、認識だと私は考えます。

日本においても韓国においても、この狭い国土の中で、世界のトップクラスの原発密度の高い体制を作るというのは狂気の沙汰としか言いようがありません。clean、safe、cheapと言ってきたのはすべて嘘であった、自分は騙されてきたと原発を推進してきた張本人の小泉元首相が明言しています。
参照:アメリカのロナルド・レーガン号の乗組員たちが福島での「ともだち作戦」で被災した人達との話し合いの後の記者会見
Pt. 1 - Mr. koizumi's Statement
https://www.youtube.com/watch?v=dtaOuV4B2qQ&feature=youtu.be
Pt.2 Q&A
https://www.youtube.com/embed/GG1o2mXb_Vw
Pt. 3. Sailors' Lawsuit Update
https://www.youtube.com/watch?v=3gjqlTVwW4o&feature=youtu.be

植民地主義とは絶えず変容、変質するものなのです。ユルゲンは著書の中で、「植民地主義の概念を広く解釈しすぎていないかどうか議論の余地があるだろう」と書いていますが、植民地主義はこのようなものだとアプリオルに捉えた概念には原子力時代に引き起こされる事態は念頭になかったのでしょうが、しかし実際に生起しているこの事態をどのようなものとして説明するのか、日本の社会科学者が(私の知る範囲では)植民地主義として位置づけようとしている研究者を私は西川長夫以外、知りません。
   いま、どうして植民地主義を論じるのか(3)ー西川長夫の<新>植民地主義論について 
   http://oklos-che.blogspot.jp/2016/10/blog-post_66.html
   
   いま、どうして植民地主義を論じるのか(2)ー西川長夫の「植民地主義の再発見」
   http://oklos-che.blogspot.com/2016/10/blog-post_54.html
   
   いま、どうして植民地主義を論じるのか(1)―私の問題意識
   http://oklos-che.blogspot.com/2016/10/blog-post_6.html 

原発体制は差別の上で成り立っている  
原発体制を植民地主義と位置付けることによって、原発体制が差別の上で成り立っているという小出裕章さんの発言や私が書いたものでさまざまな実態が説明されています。国家権力によって原爆や原発が作られ、それによって多くの人が殺傷されたり、地域社会での癌や白血病の疾患の発生、地域住民の「不安」と「恐怖」による精神的損害、地域共同体の崩壊、地方(周辺)に対する都市(中核)による搾取、被曝労働者の犠牲がなくては成り立たない原発運営、原発が潜在的兵器として「戦力」とみなされる事態、核兵器の独占によって安全保障の観点から他国を支配する世界的な構造によって平和が脅かされていること等々が明らかにされてきています。

西川長夫は「原爆/原発体制は、資本と国家の結合が推し進めてしまった末期的な危機」と記しています。小出さんや私が言う「差別」は、国家の統治政策によって引き起こされた、人間としての尊厳を傷つけ、人間性を破壊するものと捉えればいいのではないでしょうか。これこそ、まさに私の定義する現在の変容・変質してきた植民地主義なのです。
   

小出裕章氏「原子力平和利用は差別の上に成り立った」――シンポジウム「原発と差別、戦後日本を再考する」  http://iwj.co.jp/wj/open/archives/234879 

小出裕章氏と白井聡氏を迎えてのシンポジウムを持つにあたって
http://oklos-che.blogspot.jp/2015/01/222sengoshigmail.html


1 件のコメント:

  1. トルコの久美子からの手紙2016年10月14日 16:41

    西川長夫がいう、「原爆/原発体制は、資本と国家の結合が推し進めてしまった末期的な危機」と・・。(西川長夫の「植民地主義の再発見」から)
    今年、2016年10月12日、アメリカの先住民たちは、ウラニウムの残滓の汚染の問題を指摘し、これまでの土地の収奪や同化の問題ではなく、自分たちの未来を収奪するものとして、現在のこの事態をNuclear Colonialism 原子力植民地主義として批判した。1945年8月15日日本とアメリカの戦争が終わったその日、アメリカの日本に対する植民地主義が始まり、日本の同時に原爆・原発体制が日本ばかりでなく世界に始まったのではないかと私は思う。更にアメリカ一国の行動と言うよりは、植民地思想、差別思想がしっかり始まったのだと私は思う。が始崔さん、小出裕章氏がいう、『差別」は、国家の統治政策によって引き起こされた、人間としての尊厳を傷つけ、人間性を破壊するものと捉えればいいのではないか・・?と。まさに人間の尊厳を失わせる思想である。崔さんが定義する現在の変容・変質してきた植民地主義・・・と。私は、崔さんのこの推察に全面的に賛同し、私自身、「植民地主義」が何であるのかまとめる大きな手掛かりになりました。ありがとうございました。世界の有識者のこの差別に対する植民地主義に対する意見が同じものであることが見えてきました。この人々と手を繋ぎ、ここを核にして、国際連帯運動を更なる大きなウエーブ・パワーを起こしていきたいです。
       

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