2016年9月9日金曜日

原発輸出とヘイトスピーチに対する私見、敢えて公開します

このところ気になることが二つあります。それはヘイトスピーチに対する、いわゆる「カウンター」をどのようにとらえるべきなのかということと、二つ目は武器輸出に反対する人たちが原発輸出に触れない点です。反対意見の方も多いようですが、敢えて私の意見をだしてみます。

(1)武器輸出と原発輸出について
武器輸出の件でいつも気になっている点があります。
それは、武器輸出と原発輸出の件です。原発は原子力基本法の改正により、「安全保障に資する」とされ、潜在的核兵器とされています。すくなくとも、政府は原発をそのように位置付けており、原発の稼働そのものが必然的にプルトニウムの生産と直結し、NPTは厳しく管理しています。

私見では原発の輸出は潜在的核兵器の輸出にあたり、「戦力」の輸出とみなすべきです。
現在、原発メーカー訴訟の控訴理由書を作成中ですが、私たち本人訴訟団は、原発の製造・稼働及び輸出そのものが違憲であると主張しています。「戦力」は英語ではwar potentialであり、潜在的核兵器である原発の保持、輸出は「戦力」とみなされるべきであり、違憲です。従って原発の輸出は武器輸出とみなされるべきではないでしょうか。

原発の製造・稼働及び輸出そのものが憲法9条の「戦力」に当てはまる、と私たちは主張しています。それに対して、「武器輸出反対の活動の一部に原発輸出反対が位置づけられた場合は、原発輸出反対運動としての存在感は減じてしまい、互いのアピール効果が相殺してしまうのではないかとも、考えられます。」という意見が寄せられました。この方は、武器輸出に反対する運動のスローガンに原発輸出を入れることに反対されています。ご自身は原発輸出に反対だが、多くの人は、原発が武器だということに違和感があるという判断のようです。しかし原発は「戦力」にあたるという主張をしていくこと自身が多くの人に理解してもらう運動につながると考えておられます。みなさんのご意見はいかがでしょうか?

KT: とりあえずですが、「安全保障に資する」とされた日本国内に存在している原発を、「武器」であると捉えるか否かに関わるように思います。これまで曖昧にごまかされてきましたが、「原発は原子力の平和利用」は、先の「安全保障に資する」という言葉で化けの皮が剥がれたと考えます。

SK: 原発=武器とは、想像しにくいですが、原発は、生命に危険をおよぼす存在であることは、間違いありません。攻撃に使用されないものではありますが、武器に等しいものであると考えます。

SW: コストで見合わず、廃炉の先送りで将来の国民に負担を押し付け、ひとたび事故が起きればどうにもならないことが解っていて強行する。それでもこだわるのはこの理由しか考えられないですね。核廃絶に対する政府の姿勢を見ても明らか。

(2)ヘイトスピーチとそれに対抗する「カウンター」について
全国的に在特会に象徴される排外主義的な主張をする人が多くなり、同調者も増えていると思われます(東京都知事選の結果から)。悪質なヘイトスピーチをまきちらす排外主義者に対してそれを市民の力で止めさせようする、「しばき隊」を中心にした「カウンター」の活動が注目されています。川崎ではヘイトデモを中止させることに成功しました。大阪や京都ではヘイトスピーチをやめさせようという条例もできています。民族差別などを街頭であおるヘイトスピーチの対策法(ヘイトスピーチ解消法)案が、5月24日の衆院本会議で可決されています。

しかし表現の自由との問題ということで、その内容は国際的な差別禁止法には及ばず、安倍政権の右翼的な質からして日本で差別禁止法が制定される見込みは、当分、ないと思われます。それは各地方自治体においても同じでしょう。今回の川崎でのヘイトデモ中止に協力したと思われている市長にしても、新たな条例は作らないと宣言しています。

ヘイトスピーチをまき散らすような悪質な排外主義が横行するのはなぜでしょうか。それは戦前の植民地支配の問題をあいまいにしてきたからです。戦後の「平和と民主主義」の質が不十分であったからです。私はあらためて植民地主義とはなんであったのか、それを戦後払拭できなかったのはなぜなのかということを深める思索が必要だと考えています。明治以来、国民国家として歩み始めた日本にとって、一般の国民にとっても民地支配は当然のことと受け止めてきました。その植民地支配を正当化する価値観、アジアへの差別感の根は深いのです。

植民地支配の清算がなされなかったということは、戦後、差別は制度化され、構造化されてきたということを意味します。もちろん、多くの人の努力で制度としての差別は撤廃されてきました。その事実は認めるべきでしょう。私はその制度化された差別の典型的な例として、サンフランシスコ条約締結の前に政府が、当時「日本人」であった台湾人と朝鮮人公務員に対して、その排除のために「当然の法理」という見解をだした影響が現在に至るも連綿と続いているという事実を指摘したいと思います。

朝鮮人は戦後、就職差別を受けることは当たり前でした。ましてや、地方自治体の公務員になるということはありえないことだったのです。それが1970年に、在日の朴鐘碩の「日立就職差別裁判」における法廷内外の運動による勝利から、弁護士や地方公務員になる道が徐々に開けてきました。しかし政令都市においては川崎市が全国で初めて外国人への門戸を開放しました。それは川崎に住む在日と差別撤廃を求める日本人市民との連帯による運動で可能になったのです。
 
その門戸の開放の為に集められた英知で作られたのが「川崎方式」で、それは「当然の法理」の撤廃でなく、基本的には「当然の法理」の正統性を認め、それに矛盾しないかたちで、「公権力の行使」と「公の意思形成」を遵守する制度を作ることで門戸の開放を実現させたのです。それは多文化共生のスローガンによって全国に広がり、今日、すべての地方自治体で「川崎方式」が実質的に採用されるようになりました。

詳しくは、以下の拙論を参照ください。
「「当然の法理」、「川崎方式」は植民地支配の残滓です」
「「川崎方式」の本質について ―日本社会の右傾化と在日の主体性―」 



「川崎方式」は多文化共生をスローガンにする昨今の日本社会の象徴です。私は多文化共生とは満州における五族協和と同じ、異民族統治のイデオロギーと捉えています。従って、外国人の門戸開放を図った「川崎方式」に限界があり、「当然の法理」を制度化したものであり、それが全国の地方自治体のモデルケースとなったということになります。しかしその限界は、「川崎方式」に関わった当事者の限界ではなく、日本での差別と闘う私たち自身の思想と運動の限界です。

ヘイトスピーチに対抗するカウンターをいくら強化しても、それでは制度化・構造化された差別は残され、植民地主義を支える価値観はそのままであり、ヘイトスピーチは続くと思います。国民国家は植民地支配を再生産する装置、と故西川長夫さんはおっしゃっていましたが、植民地支配を徹底的に見直す動きがない日本社会においては、世界水準の差別をなくす差別禁止条約は望めません。「川崎方式」をどう乗り越えていくのか、それは大きな課題です。

ヘイトスピーチという現象に対応し、力で粉砕しようというカウンター思想に私は賛成できません。制度化され、構造化された差別に鈍感な者に差別がなにか、わかるのでしょうか。国民国家は植民地主義を再生産する装置であると看破した、故西川長男は自分自身を蝕む植民地主義を見つめてました。そこからしか植民地主義との闘いははじまらない、と私は考えています。ヘイトスピーチを許すな、その通りです。朝鮮人を殺せと公道でわめく人たちを許してはいけないと思います。しかしその温床は深く、大きいのです。時間がかかってもヘイトスピーチが生み出される根を断つしかありません。

T: 仰るとおりです。暴力には暴力で対抗しちゃいけません。やられたらやり返せというのでは問題は解決しません。核抑止力と同じ構造です。力対力で行くと、相互理解など進みません。国と国の関係も、市民と市民の関係も同じことです。
もっというと、カウンターが力で押しつぶそうとすればするほど市民は分断されます。市民が自分から分断されるのです。それは権力の思う壺じゃありませんか。ヘイトだけじゃなく、反原発運動も同じことです。沖縄でどれほど警察が暴力をふるおうが、沖縄の人々は決して拳をあげはしません。それが一番強い抵抗だと知っているからです。カウンターの人たちの汚い言葉を聞くたび、あーあ、と思っています。

M:しばき隊に見られるように、秘めたる暴力欲求をカウンターという行動で吐き出したいのが第一にしている輩を排除出来なかったし、そうしようともしないのが問題でしょう。

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