2016年8月13日土曜日

「歴史との戦い、銃声のない戦争の被害者のために」ー柳時京神父の講演録

日韓脱核平和巡礼の初日に通訳をされた柳時京神父が、去る6月7日に大阪南御堂で講演された原稿を読み、ご本人の承諾のもとで、私のブログで公開いたします。日韓両国をよく知る柳神父のご見解は大変有意義なものであり、日本軍慰安婦問題に対する日韓両国の合意に対して韓国の多くの人がなぜ反対するのか、日本社会への率直な意見が述べられています。
                                     崔勝久

    「歴史との戦い、銃声のない戦争の被害者のために」

2016年6月7日
真宗大谷派難波別院、大阪南御堂

柳時京(ユ・シギョン)
   大韓聖公会教務院長、日韓協同委員
   KNCC実行委員、宗教間対話委員長
   立教大学韓国事務所長


1.「おやしお」の南下
韓国社会が総選挙という政治日程のために奔走しだした4月の始めの頃は様々な重要なニュースとイシュー(issues)は後ろに押されてしまった。トップニュースを取り扱えないまま、ともすると正当な待遇を受けられない注目されないニュースの中から2つの記事を覚えたい。

ひとつは、日本の海上自衛隊に関することだ。海上自衛隊所属潜水艦「おやしお」が4月3日船上に旭日昇天旗を掲げたままフィリピンのスビック(Subic)港に停泊している姿が写真と共に報道された。自衛隊潜水艦のフィリピン寄港は15年ぶりに実現したことで、最近、南中国海(南シナ海)進出を強化している中国を牽制するための動向であると解析できる。「おやしお」艦は水中排水量4,000t級のディーゼル潜水艦で、世界最高規模と評価を受ける日本の主力潜水艦で、護衛艦「ありあけ」等全3隻の戦艦と一緒に寄港し、動員された自衛隊員は500名に上ることが分かった。(韓国日報4月4日字)

この潜水艦の名前は北極海に水源を持つ親潮海流から由来するようで、よく知っている別の言い方ではクリル海流だ。この海流はベーリング海を通って西側に流れた後カムチャッカ半島に沿って南西に流れ、北西太平洋を反時計方向(counter clock wise directions)に回転しながら日本の東海岸にぶつかり東太平洋海流を形成する。冷たい海水の温度と低い塩分、そして潮汐干満差が10mに達する特性のため世界で一番豊かなプランクトンと漁資源を所有していることを教えてくれる。

だからこの「親潮」は海洋学上の説明によると日本列島に深く入っては来ないばかりか日本列島の南端にもこない海流、来る理由もない海流なのである。むしろそれだからこそ、豊富な海洋栄養資源を所有することができるのだ。
では、この「親潮」の名前を持つ日本の海洋自衛隊の潜水艦は、日本列島と近隣沿海はもちろん、かなりの南側のフィリピンまで航路を延長している。
黒潮の領域を超え、はるか遠くまで来てしまった。この点で埋もれてしまったニュースではなく、とても重要な意味を持つニュースだと言わざるを得ない。

日本の自衛隊のこのような動向は、韓米日軍事同盟の継続的強化とG2に成長する中国の力を牽制するためのものだとはいえ、当然、日本の平和憲法に対する安倍政権の解釈、改憲の動きと関連づけて考えなければならないことだ。また、戦争(武力的戦闘行為)を平和のための手段として使用しないと掲げている日本憲法の平和宣言の精神に照らし合わせてみると、単純に安保協約に従って軍事作戦協約の一環とだけ見ることができない重要で深刻な動きではないとは言い切れない。「おやしお」の名前のようにその活動範囲を「自衛」として、日本「沿岸」運行とし制限しなければならない。「集団的自衛権」施行の拡大解釈と適用を許容している日本憲法の解釈問題は、まさにもう一度日本の軍隊がアジアを威嚇し、縦横無尽(play all ground the ground)に振舞う可能性をすでに十分にひろげた。この悪の手を払いのけねばならない。戦闘用潜水艦の遠距離寄港を可能にした軍事的動向の背景にはたとえ銃声はなくともあまりにも熾烈な「歴史との戦争」があるのである。

2.踏み石か障害物(足にひっかかる石ころ)か
総選挙のニュースのため短くされてしまったもう一つのニュースは「平和の踏み石」(Stepping Stone)に関するニュースだ。韓国言論だけでなく相当数が取り扱ったようだが日本の言論は沈黙した。(中央日報4月6日字)

去る4月6日(水)韓国ソウル市内中学洞駐韓日本大使館前、またの名を「平和路」に設置されている「平和の少女像」(Peace Monument)前に全部で5つの銅板が新しく設置された。名前は平和の踏み石(Peace Stepping Stone)だ。日本政府の強制性認定と国家賠償を要求し毎週水曜日ごとに開かれる水曜集会がこの日、1225回を迎えた。平和の少女像を制作した韓国の彫刻家キム・ウンギョン(Kim Woon-Kyung)、キム・ソギョン(Kim Seo-Kyung)夫妻が3つを、残り2つをドイツ人グンター・デニー(Gunter Demnig)氏が作成した。韓国の作家の銅板には最初に慰安婦被害の事実を証言したキム・ハクスン(Kim Hak-Soon)氏とキム・スンドク(Kim Soon-Duk)、カン・ドッキョン(Kang Duk-Kyung)氏の名前と出生地、被害地域が彫られていて、ドイツ人彫刻家は韓国語とドイツ語で「名もない日本軍慰安婦犠牲者を覚えて…」という文句を彫った。

銅板設置を手がけたのは韓国と日本の市民であり韓国の市民団体「平和の踏み石」と日本の市民団体「東アジア市民ネットワーク」が中心となった。すでに昨年二つの団体は「70年ぶりの帰郷」という名で日帝時代、強制連行され戦争中に犠牲になった遺骨115柱を韓国に奉還したことがある。4月5日、この時奉還した115名の名前を書いた銅板を犠牲者たちの故郷の村へ設置し、翌日平和の少女像の前にも設置したのである。
注目する点は東アジア市民ネットワークの場合、去る1997年から強制連行者の遺骨発掘と保存作業を根気強く続け、その中心は日本の市民、日本の宗教人という点だ。付け加えて今回の追慕銅板設置には戦争の犠牲を持つ韓国と日本、ドイツの市民と芸術家が共に力を合わせたという点だ。

ドイツの彫刻家グンター・デニー氏は25年前から、1900年からナチによって殺された犠牲者の名前を真鍮製で制作し、これらの人が暮らしていた居住区の歩道ブロックに歩行者の障害物として設置し始めた。現在までヨーロッパ地域に5万6千個設置したと知られている。
日本人彫刻家の金城実氏も一緒に参加した平和の踏み石設置は、「歴史との戦争」には決して引き下がってはならないという韓日両国市民と、戦争の経験を日本とまったく違う態度で記憶してきたドイツの市民が共に参加してきた点で大きな意味がある。
問題は平和の踏み石が本当に踏み石となるか、障害物となるかである。もちろんつまづいて転ぶのは明白であるが、転んで血がにじむ傷ついた膝で未来の平和の方向へと前進しなければならない。

3.「国際」はなく「民際」で
韓日両国政府が昨年12月28日外相合意という形態で発表した内容に対して韓国教会と市民社会はそろって、すぐさま強い反対声明を発表し、緊急座談会と水曜集会主催参加、並びに正義の記憶財団基金作業参与、祈祷会など運動を続けている。
すでに内容はよく知られているが、12.28発表の問題点を指摘するならば次のとおりだ。
1) 合意文書さえない変則的合意
2) 国会批准と同意手順をふまないまま成された重大な外交行為(民意離反)
3) 被害当事者の参与なく成された手続き上の欠点
4) 「最終的、不可逆的」という歴史に対する傲慢な態度で人権蹂躙を結果づける反人道的行為に対する人類社会の経験と教訓を完全に無視している。
5) 結局この発表は責任認定と国家賠償という「最終的、不可逆的」解決方案を、徹底的に目をそらさせるための韓日政府の野合的妥協であった。

韓日両国政府は全て目の前の政治外交的利益、政権的利益に目がくらみ「歴史」を無視し、「歴史」から逃げている。事実、今、慰安婦問題がニュースの中心であるが、もっと根本的に日本の植民地帝国主義戦争に対する根源的省察がますます光を忘れているという所に問題がある。一方では韓国社会の歴史教科書国定化の事態が見せるようにニューライト(New Right)系列の歴史歪曲と責任逃れの親日的な歩みが相槌を打ち、もっと深刻な状況へとなっている。

国家追悼施設ではない、民間施設である靖国神社を国家要人がこれみよがしに挑発的に参拝する問題、アジア太平洋戦争韓国人戦没者たちの合祀解除問題、強制連行犠牲者賠償問題、韓国人原爆被害者保証問題、原爆記念公園内でさえ遠く疎外された場所に別に設置された韓国人犠牲者追悼碑問題、関東大震災朝鮮人虐殺にたいする真相糾明と賠償問題、近年日本における朝鮮学校に対する差別的補助金廃止問題、日本の「同化」主義政策を基盤とする国籍管理法による外国人公職進出差別などなど。日本が犯した過去の歴史とその結果に対する非常識的、非合理的、時代逆行的政策と態度はこれからも、今まで以上に難しい「歴史との戦争「が続くと見ている。
ドイツの敗戦以後、哲学者ヤスポスは1946年に発表した「罪の問題」でドイツの罪に対する「法的な罪、政治的な罪、道徳的な罪、形而上学な罪」に言及しながら直接的戦争犯罪者だけでなく、歴史的犯罪に対する歴史的覚醒と実践、処罰がなければ悪い歴史は繰り返されると指摘し、予言したことがある。ヤスポスの言葉は今日、現実となっている。

国家と政府、政治勢力に対する制度的、法的対応と政策的、政治的対応を継続しなければならないが、同時に共同体の一員として、歴史の一員として、言語共同体、運命共同体の一員として私たち自身市民には歴史に対する連帯責任があることを自覚する民衆たちの連帯、つまり「民際」が「国際」と並行しなければならない。
平和の踏み石事業はこの点を明らかに見せてくれた。特に、宗教者の集まる私たちは「声なき声」に耳を傾け答えなければならない。これが「銃声のない戦争」である歴史との戦争での、また別の戦争犠牲者を生まない最善の努力となることだ。

4.歴史に対しての礼儀、悲劇に対しての礼儀
平和の踏み石が設置された4月6日の夜、萩生田光一官房副長官はBSフジテレビジョンのプライムニュースに出演し「慰安婦財団に対する10億円援助と少女像移転はパッケージだと考えている」と政府高位管理者としての考えを明らかにした。韓日市民社会はこれと正反対の形態としてパッケージを出さねばならない。お金ではなく、歴史と犠牲者に対する心と態度が重要なのだ。日本に存在していた強制連行記念碑が撤去されたことがあった。日本の市民は再び建てねばならない。大きな戦いが予想される。そしてもう一歩進んで「平和の少女像」を日本に建てられるようにせねばならない。

日本政府はアメリカなど他の国に建てられた少女像をどうしたら撤去できるかを置いて外交的に奮闘しているが、日本市民たちが立ち上がらなければならない。全世界的に有名な戦争遺跡を持つ平和公園などを訪れると日本が作ったいわゆる平和造形物を見ることができる。ひとつの例として第2次世界大戦時、ドイツの空襲で廃墟となったイギリス、コベントリー(Coventry)の聖公会大聖堂は崩れた遺跡地をそのまま保存している。その目の前にはドイツ市民たちが募金して建てた美しい現代式大聖堂が謝罪と和解の象徴として建築された。保存されている廃墟地の中に日本が寄贈した「和解の抱擁」という題目の彫刻像が置かれている。韓国でも中国でも東南アジアでもないイギリスに置かれている。ちぐはぐで突拍子もないことだ(wholly alien)。西洋社会に日本が訴えたかったその心、これからは和解と抱擁の時代を作っていく、というその心と切実な願いとしてほかのどこでもない、日本の地に「平和の少女像」を置くことができたならば、「歴史との戦争」の第2ラウンドが始まるのだ。

隠し、覆うことがなすべきことではない。第2次世界大戦の戦犯たちが収監された巣鴨刑務所跡地の上に60階建ての現代式ビルディング、サンシャインシティを建て、それをもって過去を覆うというならば、本当に誤算である。石が叫ぶはずだ。
歴史に対する礼儀、悲劇に対する礼儀が必要なのだ。歴史の前に襟を正さなければならない理由だ。これはすなわち人間に対する礼儀なのだ。世界列強が方を並べて行った過去の栄光に対する享受と礼儀より重要なことは、歴史の陰で犠牲になった「声なき声」に対する礼儀を尽くすことだ。過去の栄光よりその歴史のために痛みと涙があった歴史の過ちに対する記憶と反省から新しい歴史、未来の平和を作り出すためだ。親日勢力を清算できないまま歪曲した歴史の傷を陣痛している韓国社会歴史もやはり同じようにもつ課題だ。

同じように、日本社会が持つオリエンタリズム的思考が修正されねばならない。
アフリカを見つめるヨーロッパ的視覚の変化を要求するドイツ歴史家ルッツ・バン・デイク(Lutz van Dijk)の指摘は重要である。「アフリカはヨーロッパの文明よりもっとずっと前より存在していた自分たちの文明の起源を、自信を持って見る理由が十分である。ヨーロッパは人類の文化発展がエジプト以後ギリシャやローマ人になってようやく始まることのように考えてはならない。それは、今日、こちらでなければあちら、あちらがより良いからでなく、あまりにも長いあいだ留保されてきた真実のためだ。可能な限り過去を完全に認識し、認定することは、もっと良い未来のための対話にも良いことなのだ。」

「歴史との戦い」は、今現在はもちろんのこと、未来のための戦いだ。過去の過ちに対する是々非々ではなく、未来の平和のための戦いだ。宗教者の徳目の一つである「自己客観化」の原理がこの戦いに重要な基準として作用されることだ。平和憲法9条を巡る「平和」の方向へ世界宗教者の新しい誓いと連帯を期待する。

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