2016年4月17日日曜日

コスタリカから学ぶその(1)ー伊藤千尋

昨日、伊藤千尋さんと初めてお会いして4時間ばかり食事を挟んで話し合いました。メーカー訴訟の会・本人訴訟団の一人である土田久美子さんのご紹介です。私は東京地裁に証拠論文を書いてくださった澤野義一さんが、その論文の中のコスタリカでは原発が禁止されているという記述に関心をもち、その背景を知りたいと思い、日本でコスタリカ情勢に通じておられる伊藤千尋さんにお目にかかりたかったのです。

コスタリカ最高裁憲法法廷判決における原発違憲論
澤野義一著『脱原発と平和の憲法理論』30頁(法律文化社 2015)
コスタリカ政府がウラニウムやトリウムの析出、核燃料の製造および核反応機の製造を認める政令を制定したことに対して市民が提起した違憲訴訟において、同国の最高裁憲法法廷は2008年、当法法令を違憲無効とした。そこにみられる原発違憲論は、日本国憲法下での原発違憲論を考えるさいにも参考となる。
というのは、コスタリカ憲法には日本国憲法と同様に原発を禁止する明文規定はないが、当該法廷は、非武装平和憲法(12条)の解釈から、原発違憲論を導き出しているからである。

コスタリカは常備軍を持たず、戦争放棄を謳う憲法を持つ国であることはよく知られていますが、原発違憲を平和憲法の解釈から導き出していることは、コスタリカの弁護士も認めており、そのことを明文化した澤野さんの功績として過言ではないでしょう。この点は伊藤千尋さんも認識を新たにしたとおっしゃってました。しかし原子力の平和利用を謳った法律もあるらしく、今後、さらに現地と確認をとりあって行く必要があるように思います。

しかしコスタリカの政策から学ぶことは多いようです。日本の原発裁判が原発の危険を訴え原発の運転の中止・再稼働禁止の求めることに重点を置いて(当然のことですが)いるのですが、福井と滋賀では勝ったもののその他の地域では敗訴しています。またこれまでは敗訴の連続でした。伊方裁判では原発違憲論が出されたようですが、取り上げられなかったようです。今後は、戦争放棄を謳う平和憲法の観点から、原発違憲論を明確に主張して行く必要があるのではないでしょうか。

そのためにも、コスタリカという国の現状を正確に知る必要があると判断して、伊藤さんが送ってくださったコスタリカで経験された実際の姿をご紹介したいと思います(ご本人の承諾を得ました)。
コスタリカに関しては右からも左からもさまざまな批判があるそうですが、伊藤さん曰く、いずれもコスタリカの実際の姿を知らないで批判しているということでした。コスタリカの実際の姿を伊藤さんの報告から見てみましょう。

伊藤千尋さんの紹介(ウィキペディアから)
伊藤 千尋(いとう ちひろ、男性、1949年9月15日 - )は、日本ジャーナリスト
山口県下関市生まれ。山口県立下関西高等学校を経て、1973年東京大学法学部卒業。大学4年の夏休みに朝日新聞社から内定を得るが、産経新聞社が進めていた冒険企画に応募。スペイン語とルーマニア語の知識があったことから「東大ジプシー調査探検隊」(顧問・直野敦)を結成して東欧に飛ぶ。東欧では「日本のジプシー」を名乗り、現地のジプシーと交わって暮らし、日本初のジプシー語辞書を作り、帰国後は新聞にルポを連載した。
ジプシー調査でジャーナリズムの醍醐味を知り、1974年、再度入社試験を受けて朝日新聞社に入社。長崎支局、筑紫支局、西部本社社会部、東京本社外報部を経て1984年から1987年までサンパウロ支局長。日本に帰国してから社会部に入り、『AERA』編集部員の後、1991年から1993年までバルセロナ支局長。その後、川崎支局長、フォーラム事務局幹事。2001年ロサンゼルス支局長。『論座』編集部を経て『be』編集部員。2009年に定年を迎えるが再雇用で『be』編集部に勤務し続ける。「コスタリカ平和の会」共同代表。
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     コスタリカから学ぶ(その1)
                               伊藤千尋

平和憲法を活かしている国コスタリカについて、10月に11回の連載をここに書きました。通して読みたいというメッセージをいくつもいただいたので、今日、何回かに分けて一挙に掲げます。そのまま再掲載するのでは能がないので、写真をつけましょう。
そもそもは、日本の憲法9条がノーベル平和賞を受賞するかもしれないということがきっかけで、書き出したのは平和賞発表の前日の10月8日でした。

1.私たちにノーベル平和賞!
  ノーベル賞ラッシュが続いていますが、明日の9日には私たちがノーベル賞の受賞者となるかもしれません。まさかと思われるでしょうが、15%くらい可能性があると僕は思っています。
  そう、ノーベル平和賞の発表が9日なのです。9といえば9条。憲法9条を保ってきた日本国民に平和賞を、という運動が起きたのは昨年でした。神奈川県の一人の主婦が言いだし、一時は受賞の有力候補にあげられました。
  運動は地球の反対側に広がりました。同じく平和憲法を持つコスタリカの国会が「日本とコスタリカ両国民に共同でノーベル平和賞を授与させよ」という満場一致の決議をあげ今年1月、ノーベル委員会に送ったのです。

  なぜ15%なのかは後で述べます。まずは12項目にのぼるコスタリカ国会の決議を見ましょう。

 第1に「平和は人類の共存と発展に特別の価値がある」とうたっています。第2から第4までは、軍事でなく開発や教育に尽くす国が世界のモデルになると説きます。第5にコスタリカ憲法の「軍隊は禁止する」という条文を示し、第6でコスタリカが国連平和大学や永世中立宣言など世界の平和に貢献した歴史を述べています。
  さて、日本が登場するのは第7です。憲法9条の全文を掲げました。第8では「この決定を保持することで日本国民もまた世界の社会にとって模範となったうえ、経済的、社会的、政治的に大きく飛躍した」と憲法の平和条項の意義を述べました。戦後日本の発展は、(政府でなく)私たち国民が平和を保つ努力をしてきたからだというのです。おお、よく言ってくれた。

第9では、両国がともに「再軍備を望む国内外の圧力をはねのけた。それは両国民の平和への使命感が重く深く根ざしていることを示す」と、平和憲法を保ってきた努力をたたえています。ちょっと面はゆいけれど、先日の国会前集会を見ると、国民のパワーを実感します。第10でノーベル平和賞の意義を確認し、第11ではコスタリカと日本という経済や歴史、文化などがまったく異なる国がしたことは「世界のどの国民も軍事力なしに生存し発展できることを示している」とうたいます。なるほど。
そのうえで最後の第12で、両国民にノーベル平和賞を与えれば、憲法の条文をいっそう維持しようと努めるし、世界の様々な国が軍隊をなくすことにつながる、と結んでいます。
よくぞ言ってくれた、と思います。

 では、なぜ15%なのでしょうか。
  今年は戦後70周年です。日本だけでなく世界が70周年を迎えました。今年最初の式が行われたのがポーランドのアウシュビッツです。1月27日、ユダヤ人が解放された日です。ニューヨークの国連でも記念式が行われました。国連事務総長が語ったのは、「不和のサイクルを断とう」という言葉です。
  何かといえば武力で解決しようとする米国、イラク戦争が生んだイスラム国など暴力を重ねる今こそ、国連の精神に立ち返ろうというのです。本来の精神を体現しているのが9条ではありませんか。9条にある「武力による威嚇または武力の行使は…これを放棄する」という文句は、国連憲章第2条第4項に共通します。
  このさい9条をたたえることで国連の精神を再認識し、かつ、現に二つの国民が長年にわたって保ってきたという事実を示すことで、世界に対して「武」から「文」への転換を迫ることができます。
  コスタリカでは1987年にアリアス大統領が周辺の三つの国の内戦を終わらせてノーベル平和賞をもらいました。平和を広める努力をしています。それに比べて日本が世界でどれほど努力をしているかと言われると頭を抱えます。しかし、日本政府は努力をしてこなくても広島、長崎はしてきました。被爆者たちの訴えもありました。
  こういったことを考えると、胸を張って「授与させよ」とは言い難いのですが、しかし、日本とコスタリカ国民が平和賞を授与されることで、世界に対し平和のインパクトを与えることはできます。このさい、恥ずかしがっている場合じゃない。憲法9条を「護る」というより「活かす」つもりで、世界の平和のために喜んで平和賞をいただこうではありませんか。
  あ、まだいただいてはいないのですが、すっかりその気になってしまいました。明日が楽しみです。15%ではありますが…。

2.「平和ブランド」の構築-コスタリカから

 同じ平和憲法を持っていても、コスタリカと日本はずいぶん違います。本当に軍隊をなくしたばかりか、平和を輸出しています。本当の積極的平和主義を展開して憲法を活かしているコスタリカの現状をお伝えしましょう。

 コスタリカの首都サンホセの目抜き通りを歩いていたら女性の警官が二人、街角に立っていました。「こんにちは」とあいさつしたあと、いきなり質問しました。「平和憲法を持っていても侵略されたらどうするんですか?」
 彼女は言いました。「軍隊を持ってしまうと、どうしても武力を使いたがります。それを避けるためにも軍隊を持たないことは素晴らしい事です。もし侵略されたらまず私たち警察隊が対応しますが、政治家が平和的に解決してくれると信じています」
            ※
 コスタリカは日本に次いで世界で2番目に平和憲法を持ちました。日本と違うのは、完全に自主的に制定したこと、条文どおり軍隊を廃止したこと、平和を広めていることの3点です。侵略されたら大統領が国民に呼びかけて志願兵を募ることにしていますが66年間、必要ありませんでした。他国が侵略できない国造りをしたからです。それは「平和ブランド」の構築です。

 なぜ、自主的に軍隊をなくしたのでしょうか。
  憲法制定の前の年に、選挙の不正をめぐって内戦が起きました。殺しあいはもう嫌だと考えました。もう一つは国家予算に占める軍事費の多さです。当時は予算の3割が軍事費でした。貧しい途上国なので国費を社会の発展に役立つ事に使おうと考えました。
  では、何にカネを使えば社会は発展するのでしょうか。国会で話し合った結論が教育です。「自分で考え自分で行動する自立した国民」を育んでこそ社会は発展すると考え、軍事費をそっくりそのまま教育費にしました。「兵士の数だけ教師をつくろう」というスローガンを掲げて。

 では、軍隊なくしてどうやって平和を保ったのでしょうか。
  それは本当の「積極的平和主義」を外交政策としたからです。

 1980年、カラソ大統領は人類に「理解と寛容、平和共存」の精神を広めようと国連平和大学の創立を国連に提案しました。首都郊外の大学で今、日本を含む世界の学生が「平和になるにはどうしたらいいか」を学んでいます。
  1980年代、コスタリカの隣のニカラグアなど三つの国が内戦をしていました。米国はコスタリカに圧力をかけて米国が支援するニカラグアの右派ゲリラに協力させようとしました。しかし、コスタリカのモンヘ大統領はきっぱりと断り「永世、積極的、非武装、中立」を宣言しました。超大国から自立した外交を進めることを明確にしたのです。超大国にすり寄る日本と正反対です。

  次のアリアス大統領はこの3国に対話を説き、内戦を終わらせました。その功績で1987年、ノーベル平和賞を受賞しました。彼が進めたのは「平和の輸出」です。平和憲法を持つ国は自分の国だけでなく、世界を平和にする責任があるという考えからです。うちの首相に聞かせてやりたい。
  アリアス氏は国連総会で演説しました。「私は武器を持たない国から来ました。私たちの国の子どもたちは戦車を見たことがありません。武装したヘリコプターや軍艦どころか銃でさえ見たことがありません」「私は、小国ながら民主主義の歴史を誇る国から来ました。私たちの国では男の子も女の子も、弾圧というものを知りません」。
  僕は彼を日本に呼んだことがあります。朝日新聞の中で左遷されたときです。1995年、彼に朝日新聞が主催したシンポジウムのパネリストになってもらいました。彼が壇上で語ったのは「私たちにとって最も良い防衛手段は、防衛手段を持たないことだ」という言葉です。名言ではありませんか。
  その後もコスタリカは1997年にはNGOと連携して国連に核兵器禁止モデル条約案を提出しました。2003年には世界で初めて「地雷ゼロの国」を宣言しました。世界に平和を広め、今や国際社会でコスタリカといえば「平和の国」「平和を広める国」という評価を確立しています。

 いざというときの備えもしています。冒頭の警察官の言葉にもあるように、侵略されればまず警察そして国境警備隊で対応します。コスタリカの治安を守るのは警察が6500人、国境警備隊が3300人で合計9800人います。コスタリカにも現実には軍隊があると誤解している人がいますが、それは国境警備隊を軍隊と誤認しているのです。
  たった9800人で国を守れるかという人もいるでしょう。しかし、コスタリカはいざとなったら全員が自国のために立ち上がります。守ろうと思うような国を創ってきたからです。
          ※
 地方の町を歩いていたら、向こうから制服を着た女の子が歩いてきました。女子高校生です。突然、質問してみました。「あなたの国に平和憲法があるのを知ってる?」
  「もちろんです」というので、重ねて聞きました。「侵略されたら、あなたは殺されるかもしれないよ。それでもいいの?」
  彼女は言いました。「平和のために尽くしてきたコスタリカを攻めるような国があれば、世界が放っておきません。私はこの国の歴代の政府が世界の平和に貢献してきたことを誇りに思っています。私は自分がコスタリカ人であることを誇りに思っています」

3.小学生も違憲訴訟、憲法を活用するコスタリカの市民

 コスタリカでは市民も憲法を生活に活かしています。ここが日本と違います。憲法と違う現実があれば、市民は黙っていません。
  首都の中心部の最高裁判所。入ってすぐ右は違憲訴訟を受け付ける窓口です。憲法に書かれた権利を侵されたと思った国民は、ここに訴えます。窓口は1日24時間、1年365日、休みなく開いています。
  弁護士も、訴訟費用もいりません。訴えの内容を紙に書けばいいのです。決まった書き方などなく、新聞紙の端切れでもいいのです。パンを包んだ紙に書いた人もいました。ビール瓶のラベルの裏に書いた人もいました。窓口に来なくてもファクスで送ってもいい。携帯のメールでも受け付けています。外国人でもいい。

  小学生も憲法違反で訴えます。
  小学校の隣の空き地にゴミが投棄され、臭いがひどく落ち着いて勉強もできない。生徒が「学ぶ権利が侵された」と違憲訴訟に訴えました。最高裁は訴えを認め、投棄したゴミを回収し不法投棄をやめさせる判決を下しました。
  おじいさんが薬を買いに行ったら置いてなかったので、薬屋さんを訴えました。僕は「薬がないくらいで憲法違反になるのか?」と疑問に思いましたが、最高裁の係官は「だって、おじいさんにとって、薬がなければ健康で文化的な生活がおくれません」と言いました。判決は、生存権を根拠におじいさんの主張を認めました。おじいさんの薬がいつも置かれるよう薬屋さんに命じただけではありません。おじいさんはどこに旅行するかしれません。全国のすべての薬屋さんにこの薬がいつも置かれているよう行政に命じました。
  私たちの目から見ればささいなことでも、権利の侵害はいささかでも放置しないという意識が根底にあるのです。

  もちろん重大な違憲判断も行います。国会で審議中の税制改革の法案が取り上げられ、正当な審議プロセスを経ていなかったとして違憲判断が下ったこともあります。
  2003年に米国がイラク戦争を始めたとき、コスタリカの大統領は米国の戦争を支持すると発言しました。大統領を憲法違反で訴えたのは大学3年生でした。「平和憲法を持つ国の大統領が他国の戦争を支持するのは憲法違反だ」と訴え全面勝訴しました。
  一見、訴訟社会のように見えますが、訴訟社会は個人の利益のためにするから嫌われるのです。違憲訴訟は社会のおかしな点に気づいた者がそのつど指摘し、みんなの手でより良い社会を創ろうという発想に立っているのです。みんなの利益のための訴訟ですから、訴訟費用は税金でまかなうのです

 日本とはだいぶ違いますね。でも、コスタリカでも以前は、憲法は図書館に飾ってあるようなものとしか思われていませんでした。市民が憲法を自分たちのものとして使わなければならないという考えが高まり、1989年にドイツ型の憲法裁判所の制度が採用されてから変わったのです。日本はこれと違ってアメリカ型なのです。ああ、ここでもアメリカべったりだ。
  こうしてコスタリカでは憲法の平和条項だけでなく、憲法のすべての条項を市民が活用するようになりました。憲法は絵に描いた餅ではなく、実際に国民の生活に適用されるべきであり、憲法に書かれた理想は社会に実現されなければならないという国民の合意があります。みんなで憲法を活かして社会の不備を正していこうという発想です。
  日本もコスタリカのように憲法裁判所の制度を採用すれば、基本的人権の考えが広がり、国民が憲法を活用する方向に向かうのではないでしょうか。実は隣の韓国も以前はアメリカ型でしが、1988年に軍事政権から民主化したさいに憲法裁判所の制度を採用してドイツ型に変えました。
  コスタリカの最高裁を出るときに窓口を見ると、来た時にいた男性の一人がなお粘り強く主張していた。ほかに3人が訴えに来てました。
  政府に憲法を守れというだけでなく、私たち国民も憲法を活かすことが大事だと、僕は思うのです。

4.平和とは戦争がない状態ではない-コスタリカの教科書から

 コスタリカの教育で、平和や人権はどう扱われているのでしょうか?

 小学校に入学した子どもたちは最初に「だれもが愛される権利を持っている。この国に生まれた以上、あなたは社会から愛される」と教えられます。基本的人権を小学1年生でもわかる「愛される」という言葉で習うのです。
 「もし愛されてないと思ったら憲法違反に訴えて、社会を変えることができる」とも習います。コスタリカでなぜ小学生も憲法違反の訴訟を起こすかというと、6歳で教えられるからです。憲法の中でも人権という最も大切な一点を、最初にしっかりと頭に入れるのです。政府や社会は一人一人の人権を守るべき存在であることも、子どもの心に根づきます。

 日本の文部科学省に当たる公教育省を訪れました。学生生活課のグロリアさんは教育の目標を「市民の権利意識をきちんと持ってもらうこと。だれもが一人の市民として国や社会の発展に寄与でき、一人の人間として意識でき、何よりも本人が幸せであること」といいます。
  そのうえで「わが国は人権の国です。他人の権利を認めることが平和につながる。自分と同じく他人の人生を人間として尊重することから民主主義が生まれる。コスタリカは平和の文化を創ろうとしています」と話しました。

 教科書を見ました。日本の公民にあたる「市民教育」の中学2年の教科書。第2章「コスタリカ 自由の祖国」には「『平和とは戦争がない状態ではない』といわれるのは、なぜでしょうか?」と書いてあります。日本では、平和とは戦争がない状態だと思われていますが、コスタリカでは違うのです。
  そのあとに「平和とは理想、希求する心からなるものであり、それを実現するためには個人がそれぞれの平和を確立することが必要です」と書いてあります。平和といえば、日本人はまず国家の平和を考えますが、コスタリカでは個々の人が平穏に暮らせることが出発点なのです。平和とは「すでにある」状態ではなく「これから創る」ものという発想が基本にあります。

 これは国際的な平和学に沿った考え方です。北欧で発展した平和学では、ただ戦争がないだけの状態は「消極的平和」と呼ばれます。しかし、一見平和に見えても飢餓や貧困、虐めや差別、社会格差など構造的な暴力はあります。それをなくす過程を「積極的平和」と呼ぶのです。安倍首相の言う積極的平和主義は、言葉を逆用して平和の名で暴力を広めるものです。あたかも戦争法案を安全保障法案というようなものです。あ、そう言ってますね。
  教科書の続きにこう書いてありました。「国家を統治している多くの人々は、ある一つの似通った、嫌な考えを持っています。権力を失うことを恐れています。裏切り、不誠実なスピーチを聞く機会がたくさんあります」。こんなことを堂々と載せる教科書って…いいなあ。

 隣の国ニカラグアとの国境地帯の小学校に行きました。ニカラグアは内戦が終わったあとも社会が荒れ、ニカラグア人が100万人近くも難民となってコスタリカに入っています。コスタリカはすべて受け入れ、3年にわたって滞在した人には国籍を与えています。コスタリカの人口はそれまで約400万人でした。それが100万人を引き受けたのです。今、ヨーロッパの難民が問題になっていますが、引き受ける規模が違います。もっと少ない難民さえ拒否する日本とは大違いではありませんか。
  この国の憲法では、政治亡命であれ経済難民であれ、庇護を求める人はだれでも受け入れることを明記しています。そう、あなたも、いざとなれば引き受けてもらえます。

 難民の半分は子どもです。コスタリカに入った以上、すべて無償教育をうけます。ニカラグアでは学校に行けなかった子どもも多く、最初は教室で席に着くことさえできませんでした。どう教育するかで先生と国連平和大学が共同で平和教育プログラムを開発しました。小学校では学年ごとに7つのテーマを設け、6学年で42の指針を作ったのです。
  指針の第1は人類の歴史を教えることでした。地球の誕生から恐竜、哺乳類を経てようやく人類がこの世に出てきたことを教えると、「それまで教室を走っていた生徒がピタリと止まるんです。自分がかけがえのない存在だと理解し始めるのです」と先生は語ります。
  先生に「あなたの教育の目標はなんですか」と聞くと、「私の教え子が卒業する時に自分の頭で考え行動できるようにすることです」と答えました。自立した人間を育てるという目的意識が明確です。また子どもの人権という場合、「温かい家庭で生活する権利があることも教えます」と言います。

 コスタリカでは平和憲法をつくって軍事費を教育費に回そうと決めた1949年から、国家予算の20~30%が教育費に充てられてきました。2014年度は29.1%です。実際に支出された数字をみると、発表された最新の統計の2009年で35.63%です。憲法では「国の教育費は国内総生産(GDP)の6%を下回らないこと」と定め、その後は8%に増やしました。

 創立から106年になる首都の小学校を訪れました。子どもたちが野菜作りをしている広い庭園に大きなテーブルと椅子を置き、青空教室として使っています。図書室の入り口には「幸せへの道」という札がかかっていました。この国の子どもたちは「おはよう」「さようなら」などのあいさつに「プーラ・ビーダ」と言います。「純粋な人生」あるいは「清らかな生き方」という意味です。

5.子どもも模擬投票で学ぶ民主主義-コスタリカ

 コスタリカの国会は、日本と比べると格段に人間的です。
  日本の国会では議員が半円形になって議長を向いていますが、コスタリカは長方形で全ての議員が向き合っています。いかにも討論しようという配置です。日本では議員が簡単に欠席しますが、コスタリカでは欠席した分は給料から差し引かれます。
  議員の席からほんの2メートルのガラスの向こう側が市民の傍聴席です。プラカードでも横断幕でも持ち込み自由です。議場の討論はマイクで傍聴席に聞こえ、ガラスを通して議員の様子を間近に見ます。議員の発言に怒った市民がガラスを強くたたいたため、ガラスにはあちこちにひびが入っています。

 国会は一院制で定数は57です。うち女性議員は19人。3人に一人は女性です。それでも「残念ながら目標値には達していません」と国会の担当者が言います。「選挙で選出されるポストの40%は女性でなくてはならない」という法律があるのです。女性の社会進出を進めるためクオータ制を採用しています。そう、理想を実現するためには、そのための法整備が必要です。日本でも男女平等を実現するには、掛け声だけでなく実現につながる仕組みを作ればいいのです。
  完全比例代表制です。小選挙区なんて、ありません。選挙は4年に一度で連続再選はできません。いったん議員になれば、次の4年は立候補できません。「連続8年議員をすれば、権力にしがみつきたくなるものです。その可能性を摘もうと考えました」
  大統領の場合、以前は完全に再選禁止でした。独裁者をつくらないという発想からです。これは若手の政治家に対する人権侵害だという違憲訴訟が出た結果、今は2度までは選ばれます。ただし間に8年を置かなければなりません。
  選挙権は18歳で手にします。でも若者の政治への関心度が日本と違います。コスタリカでは大統領選挙のたびに子どもの模擬投票が行われ幼稚園児も参加します。小さいころから政治への参加を体験するのです。

  2002年の大統領選挙のとき、模擬投票の投票所となった首都の高校に行きました。選挙管理委員会の役をするのは高校生でした。生徒の話し合いで責任者、会計や立会人などの担当を決め、国の選挙管理委員会にかけあって特別に投票用紙を発行してもらい、地域の子どもたちに呼びかけて選挙登録をしてもらったと言います。生徒自身が民主主義を学ぶとともに、小さな子どもたちに民主主義を教える良い機会となります。
  子どもたちは投票の形だけをまねるのではありません。実際の候補者の公約を知り、どの候補者がいいかを友だちと話し合います。家庭で親と子が政府の政策について意見を闘わすのはごく普通に見られる光景です。
  模擬投票だけでなく、子どもたちは実際の選挙運動にも参加します。大統領選挙の当日、投票所に行くと政党ごとにテントが張られ、子どもたちがたくさん座っていました。自分が支持する政党の選挙の手伝いをしていたのです。小学生くらいの女の子が私に近づいて「だれに投票するか、もう決めましたか?まだなら、ぜひ、〇〇党に入れてください」と話しかけてきました。

  以前、日本の選挙で「コスタリカ方式」という言葉がありました。自民党の選挙戦術で、候補者が競わないように小選挙区と比例区から別々に立候補させ、選挙ごとに入れ替えるやり方です。当時、コスタリカで2大政党が選挙ごとに政権を交代していたことから考え付いたということです。でも、こんな言葉はコスタリカにはありません。そもそも小選挙区がないもんね。

  だれがコスタリカの名をかたって、こんな姑息なことを考えたのでしょうか。失言を繰り返すのに反省もなく、今もオリンピックをめぐって批判されながらまったく気にせず偉そうにしている元首相です。コスタリカの国会の広報担当者にこの言葉について聞くと、「ええ、知っています。ちょっと首をひねりますが」と苦笑してました。
                             (続く)


1 件のコメント:

  1. トルコからの久美子の手紙2016年4月17日 7:14

    コスタリカから学ぶその(1)ー伊藤千尋氏のお話しを、いつもFacebookで読ませていただいてきました。此の度、OCHLOSで伊藤千尋氏からコスタリカについて学べることは感動です。ありがとうございます。コスタリカの人びとは憲法が身近にあり、私たち日本人と大きな違いがあるとは聞いていました。そして、それは小学生にまでにも当てはまり、小学生が訴訟を起こしていることに私は驚かされた一人です。          今回のコスタリカに学ぶテーマ、どれも魅力のあるテーマ;            1.私たちにノーベル平和賞!                          2.「平和ブランド」の構築-コスタリカから
    3.小学生も違憲訴訟、憲法を活用するコスタリカの市民
    4.平和とは戦争がない状態ではない-コスタリカの教科書から 5.子どもも模擬投票で学ぶ民主主義-コスタリカ                                                         どれも、貴重なお話です。私達は、原発メーカー(GE,日立、東芝)に対し、東京地方裁判所において、裁判訴訟を起こしました。7月には判決が言い渡されます。コスタリカ最高裁憲法法廷判決における原発違憲論について、澤野義一さんが『脱原発と平和の憲法理論』30頁(法律文化社 2015)、コスタリカ政府がウラニウムやトリウムの析出、核燃料の製造および核反応機の製造を認める政令を制定したことに対して市民が提起した違憲訴訟において、同国の最高裁憲法法廷は2008年、当法法令を違憲無効とした。そこにみられる原発違憲論は、日本国憲法下での原発違憲論を考えるさいにも参考となると、澤野さんはおっしゃっておられます。残念ながら、先月3月23日に行われた、東京地方裁判所の裁判官の姿勢を見るに、あまりにコスタリカの司法と日本の司法の大きな違いがあると思うのは、私一人ではないと思います。なぜなら、裁判官は、参考人のお話しを聞く耳を持たないからです。まだ、審議もしないうちに7月に判決を言い渡すと小さな声で言われました。今回、伊藤千尋氏が具体的にコスタリカの市民が憲法をどのように使っているか書いてくださったことは、コスタリカから私たちが学ぶことがたくさんあると思います。残念ながら、裁判方式について、コスタリカはドイツ式、日本はアメリカ式の為、コスタリカのようにはいきませんが、私たちは、日本国憲法を使って、更なる原発反対の声を上げていきます。そして、原発は違憲であると!!!市民運動家のみなさん!各地域の憲法九条の会の人びと繋がり、更に、今後どんどんあらゆる市民運動グループと繋がり、伊藤さんが言う15%を目指しましょう。阿部政権打倒の為に・・!!!

    平和学の父・積極的的平和主義を提唱された・ヨハンガルテイングが昨年来日しました。そして、彼は高校生に期待する発言をされました・・。私たちは、多くの市民に働きかけて、原発は、違憲であることを訴えていきましょう。そして、伊藤さんが教えてくれた15%の力を目指して・・・。

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