2016年1月28日木曜日

東京地裁で実際に陳述した内容を公開しますー報告会でなんの意見も質問もなかったとは驚き!

1月27日の東京地裁で私が陳述した最終稿です。幸いにして15分の「訴訟の会」事務局長の朴鐘碩の熱のこもった陳述と合わせ、私の陳述も原告席から拍手がでる反応がありました。私の陳述内容を読んでみたいという要望もありましたので、公開いたします。なお。ここ一両日中に、二人の陳述の内容は日比谷公園で撮影されましたので、ユーチューブでご覧になれます。

陳述は原告弁護団からもプロジェクターを使いなされましたが。それに対しては被告弁護団からは「責任集中」制度は世界で公認されている制度であり、それが憲法違反というのは認められないという意見が述べられましたが、正面からメーカーの責任を問う私たち二人の陳述に関しては沈黙しかできなかったようでした。


なお、口頭弁論後の報告集会の録画をみましたが、私たちの陳述に対する何のコメントも質問も述べられていないことに驚きました。原告は自分で考えることを放棄しているようですね。訴状によると、原告は5分類化されており、第一分類の福島を含めた海外までの原告の精神的苦痛による100円賠償金請求の主張・論理はどうなっているのでしょう。

福島の一部を除いた地域は相当因果関係によって賠償の対象外になり、その区域内は今度は賠償法の対象でメーカーの免責を前提にすることになります。被告弁護団は明確にそのような主張を私たち本人訴訟段に向けてきました。原告弁護団の精神的苦痛のたいする100円の請求への批判をしていないのは(最初の答弁書弁ではしていますが)、それ以前の法理論の問題でかたがつくと甘く見ているからでしょう。世話人会の原告のみなさん、しっかりと資料を自分の目で見て考えてください。全体の資料は、私たちのHPでしか見れないようですね。 
http://www.nonukes-maker.com/




なお陳述は読みやすいように小見出しをつけました。


最初に
私は、今回、世界で初めて原発メーカーの責任を問う本件訴訟を提起し、全世界39ヶ国から約4000人の原告を集めた「原発メーカー訴訟の会」の前事務局長です。この度の裁判は世界の人々が注目しております。朝倉佳秀裁判長の勇気ある判決をお願い致します。

原告弁護団との関係
私たち本人訴訟団は、原発メーカーの責任を問うということでは原告弁護団と同じで、訴状の基本的な趣旨には賛同します。しかし私たちは弁護団とは異なる、新たな視点からメーカーの責任を問います。そのことで弁護団と対立することはありません。互いに共通するのは、世界中に広がる4000人の原告の精神的苦痛(損害)の訴えにどう応えるのかということです。被告メーカーに対してそれぞれ賠償金を請求していますが、被告はそのことを強く否認し私たちの要求の棄却を求めています。

私たちの主張―精神的損害は原賠法の原子力損害にあてはまらない
私たちは「精神的損害」は原賠法に記された「原子力損害」の定義に当てはまらないと主張します。原賠法では「原子力損害」を「放射線の作用若しくは毒性的作用・・・により生じた損害」と定義しているからです。ですから私たちは、原賠法を介さず、民法709条の「不法行為」と製造物責任法の「欠陥」により、被告原発メーカーは原発の過酷事故を契機とする市民の「不安」と「恐怖」という精神的苦痛(損害)に対応する責任があると考えます。

相当因果関係について
しかし被告弁護団は、原発事故との「相当因果関係がある損害」に限定し、その範囲内においての賠償は、民法とPL法は原賠法と実質同一であるとして、原賠法に基づき被告の免責を主張するのです。しかしそもそも、相当因果関係概念は多義的かつ不明確であり、学会においても相当因果関係論の問題点が指摘され混迷の度を深めています。

恣意的に変えられてきた放射能基準値
日本の放射能基準値はIAEAを基準にしながらも恣意的に変えられてきました。しかしその恣意的な基準によって政策が決定され制度化されている現実の中で私たち一般市民がやれることは限られています。私たち自身が実際の「不安」と「恐怖」による精神的損害を訴える声を上げるしかありません。

被告が原賠法を持ち出す真の理由
私たちの提起した精神的損害と被告メーカーの責任の問題は深く検討されなければなりません。繰り返しますが、原賠法で原子力損害は放射能の実害に関するものであると明記されています。放射能の実害によるものではない精神的損害を、相当因果関係を盾に法解釈によって原子力損害とすることにこだわるのはなぜでしょうか。原賠法の「責任集中」と「無限責任」の原則は実態としては既に崩壊しているにもかかわらず原賠法を表にだすのは、相当因果関係を持ち出すことで原子力事業者の補償負担を軽減し、被告原発メーカーを免責するためでありましょう。

次回準備書面で反論
疎外された福島の人たちや世界の市民の訴えを切り捨てるべきではありません。私たちは当事者の意向にかかわりなく恣意的に設定された放射能の基準を根拠にする相当因果関係の正当性を問うことになるでしょう。製造物責任法の時効の問題とあわせ、被告弁護団への反論を次の準備書面で展開します。

安全神話の崩壊
本来、原発の当初の目的はエネルギー政策として日本国内でも広く受け入れられていました。しかし世界的には30年で3回もの過酷事故があり、特に今回の福島事故の悲惨さをリアルタイムに目撃した全世界の人たちは、原発そのものの危険性を痛感するようになりました。一度事故が起これば長期にわたって取り返しのつかない規模で悲惨な災害になることを経験し、これまで信じ込まされていた原発の安全神話が嘘であったことを知りました。

原発製造・輸出のビジネス契約は民法90条の「公序良俗」違反で無効
地域社会の住民に過酷事故の可能性とその悲惨さを伝えることなく原発を計画・製造することは今日では反社会的であり、原発事業者と被告原発メーカーの間で締結された原発製造のビジネス契約そのものが民法90条公序良俗に反します。海外に原発を輸出するビジネス契約もまた同時に、反社会的であり公序良俗に反します。公序良俗に反するビジネス契約は無効です。この点も私たちは準備書面で明確に主張しました。

精神的損害は賠償の対象、原発メーカーの責任
私たちの受けた精神的損害とは、被告弁護団が言うような「単なる不安感」として軽視して済むような問題では決してありません。「不安」と「恐怖」は単なる主観的危惧や懸念にとどまりません。近い将来、現実に生命、身体及び健康が害される蓋然性が高く、その危険が客観的に予測されることにより健康などに対する不安に脅かされるという気持ちは、もはや社会通念上甘受すべき限度を超えており、損害賠償の対象となるべきものなのです。

精神的損害は被告原発メーカーの民法上の「過失」、製造物責任法の「欠陥」という不法行為と不作為による過酷事故によって引き起こされたものです。精神的損害として私たちが訴える「不安」「恐怖」、それは日本国憲法と国際法や世界人権宣言で謳われた基本的人権を侵害するものであり、「恐怖」「不安」からの自由の実現は、人類の歴史的な課題なのです。日本国憲法の前文は高らかに謳います。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

精神的損害は精神だけにとどまらず、肉体をも蝕み、その「不安」と「恐怖」を免れるために多くの人は放射能の危険性のより少ない地域への移住を試み、住宅や就職、そして子供たちの教育の問題にまで影響をあたえます。その精神的損害の影響は一世代にとどまらず、数世代にまで及ぶのです。また、その放射能汚染についての「不安」と「恐怖」は地域を越え、国境を越え全世界に広がります。
私たちは第一準備書面において、精神的損害をもたらす放射能の「不安」「恐怖」は被告弁護団が言うような単なる「不安感」ではなく、さまざまな具体的、客観的な理由によって生じたことを詳しく説明しています。それらの精神的損害は2011年3月11日の福島の原発過酷事故を起因とするものであり、そこに原発の計画、設計、製造、メンテナンスに関わってきた被告原発メーカーに責任があることは明らかです。

過酷事故を起こさせないために
原発事故を「人類の歴史の中で繰り返さない」ためには、既存の原発の廃絶、新たな原発の建設の中止、輸出の禁止をするしかありません。過酷事故を絶対に起こさないと保証できる技術は確立されていないからです。

潜在的核兵器保有は憲法違反
日本が実際に核兵器を持たなくとも、いつでも核兵器を作り出せるように潜在的核保有国として原発を稼働し続けることは、原発による潜在的な核兵器をもつことです。「原発が安全保障に資する」ことは2012年に原子力基本法に明記されました。しかし日本国憲法9条は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っています。

メーカーの企業としての社会的責任について
被告原発メーカー3社は福島原発の建設に関わっていながら、各会社の広告やHPにおいても、原発の過酷事故の可能性、危険性を人々に知らせず安全・廉価・クリーンであるという安全神話を宣伝し続けてきました。何重にも作られた防御施設によって事故はおこらないと言い続けてきたのです。私たちが被告原子力メーカーの企業としての社会的責任に対する姿勢を強く疑問に思う所以です。

被告の法的責任を追及
被告は自らが密接に関わってきた原発が過酷事故を起こし大気と海中へと放射性物質を放出して地域住民の健康を害し自然を汚染してきました。私たちは、その過酷事故は被告原発メーカーの犯した不法行為によるものであり、そのことによっていかに全世界の原告の精神的障害をひき起こしたのかを法廷内で明らかにして、被告の法的責任を追及します。

裁判所の歴史に残る勇気ある判決を
私たちは3・11の原発事故の事故原因、その責任を徹底的に追及し二度とこの世界で原発事故を起こさせてはならないと考えます。原発の過酷事故と通常運転から不可避的に発生する放射能の影響は長期間、全世界的な規模で多くの人々に「不安」と「恐怖」を植え続けます。メーカー訴訟において裁判所が具体的に被告原発メーカーの責任を明らかにし、被告メーカーに社会的、法的責任があるという歴史に残る勇気ある判決を下してくださることを願ってやみません。ここから新たな歴史が始まります。

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