2016年1月20日水曜日

「川崎南部、在日コリアンの生活史を市民の宝物に!」を論ず


「川崎南部、在日コリアンの生活史を市民の宝物に!」
これは50年ほど前に在日韓国教会が作った社会福祉法人 青丘社の長い歴史の中で初めて使われた表現だと思います。このチラシはそこに関わる日本人スタッフかボランテイアによって作成されたものでしょう。当事者の在日が自分の「生活史を市民の宝物に」とは言わないでしょうから。
在日の生活史から学ぼう、それはそれで日本の朝鮮支配の歴史、渡来史、敗戦後の日本政府の対応、特に日本の独立以来の在日への差別・抑圧政策、そして今日のヘイトスピーチや北朝鮮系の民族学校への露骨な差別、またまともになされていない戦争責任の問題を知りながら彼らの話を聞けば、在日の多くが生活の為に何をしてきたのかをうかがい知ることができ、そこに尊敬の念を抱くというのは理解できますし、そのことをとやかく言う気はまったくありません。北朝鮮帰国運動が川崎からはじまったことの真の意味もおわかりになるでしょう。

しかし私は在日であってもなくても、自分の生活史がどっかの市民の宝とされるのは嫌ですね。ブログでも父親や自分の生活史を書き綴りましたが、残したいという思いと破り捨ててしまいたいという思いが交錯します。残したのは、子供たちから「ああ、そうだったの、知らなかった、自分たちの子供にも伝えたいと」という言葉を聞いたからです。川崎市民の宝にしてほしくありません。
しかし「川崎南部、在日コリアンの生活史を市民の宝物に!」を見て、青丘社及び青丘社が川崎市と協力して作った「ふれあい館」における在日の主体が見えて来ません。あれ、何か、いつのまにか客体になり、在日は神輿に乗せられたような印象をもちました。そんなはずじゃなかったのに。

私は20代初めから(現在、古稀を迎えました)韓国教会を中心に在日としての地域活動を提案し、青丘社が法人化される前から地域活動の実践に取り組んできた者です。私たちは保育園をつくり、障害を持つ子どもの問題に取り組み、学童保育を作りと教育を中心にした地域実践に関わってきました。本名問題はそのときに出てきたことです。オモニの会や青年会の活発な活動があった時期です。
私たちの活動は日本人ボランテイアと一緒になってなされていたのですが、その地域活動は何かの思想とか博愛主義というより、在日に対する差別との闘いの一環であったと言って過言ではないでしょう。今になってみれば、そのことの功罪がよくわかります。
しかしそのとき、例えば、地域の日本人のお母さんたちは、保育園の中であまりに在日の歴史と差別の実態を訴えられ、では自分たちはなんなのかと反発をした事件がありました。その日本のお母さんとオモニたちの問題提起に青丘社はまっぷたつに割れました。彼女たちの問題提起から私は青丘社は民族主義から脱却しなければと思いはじめたのです。私たちはまだ民族主義から抜け出せていなかったのです。

朴鐘碩、崔勝久、上野千鶴子等共著の『日本における多文化共生とは何か』(新曜社)に当時の保育園の葛藤が記されています。ふれあい館の歴史はその総括のないところで「多文化共生」をスローガンにして行政と組むことで大きく発展をしていきます。そのときからの長い、着実な実践の積み重ねで地域で在特会の「襲撃」に備える体制ができてきたのでしょう。

在日のハルモニの生活史から学ぶ、何事も学ぶことはいいことでしょう。45年前の日立闘争から今でも学ぶことは多くあります。私はそのスライドを見ると涙するのです。みなさんはふれあい館でごらんになったのでしょうか。それはハッピーエンドでなく、今のようなヘイトスピーチの投書で終わります。そのときのマンモス企業から日本名と日本の住所を書いて入社試験をパスしたものの「嘘つき」だと解雇され、そして定年まで勤めた日立闘争当該の朴君は今でも日立に勤めながら、日立の原発製造・輸出反対の声をあげています。「第二の日立闘争」です。まさに日立闘争から学んできたのです。

在日の受ける差別と抑圧、その中での生活史、しかしそればかり聞かされるそこに住む日本人住民の気持ちはどうなのでしょうか。ワタシタチハ ドウシテクレルノヨ。今一度、川崎での運動が陳腐な多文化共生という言葉に踊らされないで、また在特会の「襲撃」に備えるところからの一体感に留まらず(野合になる危険性があります)、じっくりと地域の問題、差別とは何かについて取り組むことを考えてはどうかと思うのです。

津波が来ればどうしようもなくなる臨海部の問題(桜本は水浸しになります)、老人問題は、また原発を作り世界に輸出をしていく拠点に川崎がなることはどうでしょう。民族と国籍を問わず、協同して地域社会を変革していけるのではないでしょうか。住民が一緒になって、行政に対して公務員の国籍差別の問題を問うこともできます。
在日にも公務員の門戸が開放されて久しいですが、いまだに「当然の法理」によって、地方公務員になった在日は管理職にはなれず、職務にも制限があるのです。国籍による差別です。そのことを知った地域のオモニたちは、川崎は後ろ手でドアを閉めたと言い放ちました。誰が今まではだめであったが門戸が開放されと言って、管理職にもなれず、就きたい職務にも就けない職場に子供を送るのか、という強い現状批判の言葉です。

パターナリズムの問題は本人が真剣で善意であるが故にその自覚はとてもむつかしいようですが、在日の当事者性とはなにか、今一度そこから議論を深めていく必要があるように思います。当事者は自分が目覚めるしかありません。誰かの代弁は意味がないのです。それは必ずや、民族の枠を越え、地域そのものの変革に向かうでしょう。行政と対立するかもしれません、それでもやりますか?3・11の福島事故に在日は関係がないのですか?自分の問題ではないのですか?

私たちは、原発体制は差別の上でなりたっていると考え、世界で初めて、日立・東芝・GEという原発メーカーを相手に裁判を始めました。差別と闘うということは世界に通じます。桜本の闘いに限りない可能性を見ます。みなさんに心からの連帯の挨拶をおくります。

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