2016年1月16日土曜日

法廷で陳述される内容を事前に公表しますー原発メーカーの責任について

原発メーカー訴訟は今年が正念場です。第3回口頭弁論が1月27日に東京地裁で行われます。
そのときに原告弁護団の島弁護士、メーカー訴訟の会事務局長の朴鐘碩氏と本人訴訟団事務局長の私がそれぞれ陳述を行います。

この陳述書はそのときに私が陳述する内容です。通例、弁護士たちはその日までその内容をネット上で公開することを控えさせますが、私たちは代理人を置かない本人訴訟団の集団ですから、法的に禁止されていることを除いては積極的に情報を公開します。すでにこの陳述書も裁判所に提出したものです。

同じ頃、原告弁護団、被告弁護団(GE 東芝ー日立は未着)から準備書面が送られてきました。もちろん私たちも提出しました。それぞれの主張の追加であったり、相手側の主張の全面的な反論であったり、激しい「攻防」がなされています。これらの資料、及び法廷での主張は追って公開します。

原告弁護団は、メーカーの免責を謳う原賠法は憲法違反、たとえ違反でない場合も原賠法にある「故意」と、原子炉の事故を理由にしてメーカー責任を東電は問える立場にありながらそれを請求しないのであれば、原告が代わってメーカーに賠償金を請求する資格があるという主張です。その前提は東電が「無資産」だからという理屈です。これらの点を被告弁護団は全面的に反論し、論評に値せず、すぐに却下すべきだと強く主張しています。

私たち集団本人訴訟団(選定者)の、原賠法で謳う原子力損害は放射能の実害に対する賠償であり、精神的損害はそれとは異なるという主張に対して、被告弁護団は詭弁を弄し、福島の限られた区域だけで実施されている例から原子力損害の定義の解釈に反すると主張するのです。それによってまるで白ネコを黒ネコと言いくるめようとしています。そして即時棄却を求めます。私たちは4000人の原告の6割が外国人であるこの世界初のメーカー訴訟を、一国平和主義でやってきたこれまでの裁判のやり方で葬り去ろうとする東京地裁に対して正面から否をつきつけます。みなさんのご理解、ご支援をお願いします。

以下は、原発事故におけるメーカーの責任をあきらかにして、その事故を起因とするさまざまな事柄に対して「不安」「恐怖」に怯えることは基本的人権の侵害であるという主張を展開しています。みなさんのご意見をお待ちしています。



2014年(ワ)第2146・5824号 原発メーカー損害賠償請求事件
 原告 朴 鐘碩、崔 勝久ほか
 被告 株式会社東芝 ほか

第 1 準 備 書 面 の 陳 述 書 

                      2016年 1月27日

東京地方裁判所民事第24部D係  御中

選定(当事)者  崔 勝久 印

はじめに
私は、今回、世界で初めて原発メーカーの責任を問う本件訴訟を提起し、全世界39ヶ国から約4000人の原告を集めた「原発メーカー訴訟の会」の前事務局長です。
しかし、「原発メーカー訴訟の会」の弁護団は、私と現事務局長の朴鐘碩氏が自分たちの主導に従わず信頼できないという理由で私たち2名との委任契約を解除しました。これまでの集団訴訟において例のない代理人辞任を通告してきたために、私たち2名は、原告を降りることなく本人訴訟として、引き続きこのメーカー訴訟を担うことにいたしました。

私たちはその後弁護団を解任した原告とともに、民訴法に基づく選定当事者制度を活用し、原告でなく新たに加わった者を含め35名の選定者(2015年末現在)と、選定者に選ばれた9名の選定当事者とともに、原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団(以下「本人訴訟団」とする)を結成して法廷闘争を進めていくことにいたしました。今後この本人訴訟団は最後の判決のときまで、国内、海外においてそのメンバーを増やしていきます。

私たち本人訴訟団は、原発メーカーの責任を問うということでは、弁護団の主張と変わりはありません。弁護団の書いた訴状の基本的な趣旨には同意しその問題意識を共有化します。しかし弁護団とは異なる視点からメーカーの責任を問うのです。そのことで弁護団とは対立するのでなく、被告弁護団に対して、相補い合う主張をして原告の立場を強化することになります。

私たちは「精神的損害」は原賠法に記された「原子力損害」の定義には当てはまらないと判断するに至りました。原賠法では「原子力損害」を「放射線の作用若しくは毒性的作用・・・により生じた損害」と定義しているからです。私たちはむしろ法廷において直接的に、世界中の原告・選定者がどのようにして精神的損害を被るようになったのかを問います。私たちは、原賠法を介さずとも、被告原発メーカーは民法709条の不法行為や製造物責任法の欠陥(危険)責任を問われるべきであると考え、世界中の選定者・原告及び憲法学者や原発による精神的損害を証明する各分野の研究者の証拠論文・証言によって原発メーカーの責任をあきらかにしていきます。

原発ビジネス契約の「公序良俗」違反性
本来、原発の当初の目的はエネルギー政策として日本国内でも広く受け入れられていました。しかし世界的には1979年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイリ、そして今回2011年の福島第一原発事故を含めて、30年で3回もの過酷事故がありました。特に今回の福島事故の悲惨さをリアルタイムに目撃した全世界の人たちは、原発そのものの危険性を痛感するようになりました。一度事故が起これば長期にわたって取り返しのつかない規模で悲惨な災害になることを経験し、これまで信じ込まされていた原発の安全神話が嘘であったことを知りました。

地域社会の住民に過酷事故の可能性とその悲惨さを伝えることなく原発を計画・製造することは今日では反社会的であり、原発事業者(東電)と原発メーカー(東芝・日立・GE)間の原発製造のビジネス契約そのものが公序良俗に反すると言わざるをえません。立法目的を支える正当な合理性のある立法事実があきらかに失われているのです。

海外に原発を輸出するビジネス契約もまた同時に、反社会的であり公序良俗に反します。一度原発事故がおこれば誰も責任のとりようがないのです。私たちは放射能の恐怖から免れて生きる権利をNo Nukes権と呼びますが、放射能の持つ危険性を考えると、原発と核兵器はこの世界からなくしていくことこそが人類に対する、そして子孫に対する私たちの責務であるというべきでしょう。

原発のシビア・アクシデント(過酷事故)について
原発の開発の歴史、軽水炉原発の発電の構造からして、過酷事故(シビア・アクシデント)を完全に回避する技術の確立は不可能です。軽水炉原発は火力、水力発電に価格的に対抗するために設計された限られたスペースの中で、想像を絶するエネルギーを生み出す原子炉の熱の冷却のために、とてつもなく長く設置された配管と大量の水を使わなければならず、そこにシビア・アクシデントを完全に回避することのできない軽水炉原発の原理的な欠陥(要因)があるのです。

それにもかかわらず世界的には原発建設が進められ、日本でも再稼働がはじまり、2030年までにアジアは全世界の原発の半分を占めるようになるとされています。中国、インド、日本、韓国だけでなく、発展途上国にまで原発建設が進められるでしょう。その原発の製造及び輸出の世界の最先端の働きをしているのが、被告原発メーカーです。

精神的損害について
 私たちの受けた精神的損害とは、被告弁護団が言うような「単なる不安感」として軽視して済むような問題では決してありません。「不安」と「恐怖」は単なる主観的危惧や懸念にとどまりません。近い将来、現実に生命、身体及び健康が害される蓋然性が高く、その危険が客観的に予測されることにより健康などに対する不安に脅かされるという気持ちは、もはや社会通念上甘受すべき限度を超えており、損害賠償の対象となるべきものなのです。

精神的損害は被告原発メーカーの民法上の「過失」、製造物責任法の「欠陥」という不法行為や不作為による過酷事故及び通常運転によって引き起こされたものです。精神的損害として私たちが訴える「不安」「恐怖」、それは日本国憲法と国際法や世界人権宣言の保障する基本的人権を侵害するものであり、「恐怖」「不安」からの自由の実現は、人類の歴史的な課題なのです。日本国憲法の前文は高らかに謳います。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

 精神的損害は精神だけにとどまらず、肉体をも蝕み、その「不安」と「恐怖」を免れるために多くの人は放射能の危険性のより少ない地域への移住を試み、住宅や就職、そして子供たちの教育の問題にまで影響をあたえます。その精神的損害の影響は一世代にとどまらず、数世代にまで及ぶのです。また、その放射能汚染についての「不安」と「恐怖」は地域を越え、国境を越え全世界に広がります。

原発運転から不可避的に発生する放射性廃棄物は、何万年にもわたって、後世の環境と生物と我々の子孫に影響を与え続け、放射性廃棄物の処理と安全な管理もまた、人間の保障できるものではありません。ウラン原料採掘地でのウラン残土も含めると、膨大な放射性残土と放射性廃物が生み出されることになります。原発による精神的損害は私たちの想像を絶する期間、規模にまで及ぶことになり、それはもはや人類に対する罪悪であると言わざるをえないのです。

精神的損害をもたらす客観的に事実について
 私たちは第一準備書面において、精神的損害をもたらす放射能の「不安」「恐怖」は単なる「不安感」ではなく、さまざまな具体的、客観的な理由によって生じたことを詳しく説明しています。それらの精神的損害は原発が作られ運転されたことによって発生した問題であり、被告原発メーカーの責任であることは明らかです。
 精神的損害に結びつく要因をまとめてみましょう。

・安全神話が嘘であったことが判明したことに対する「不安」と「恐怖」
・汚染水の流出が太平洋に流れ出ている現実に対する「不安」と「恐怖」
・原発の再度の過酷事故による被曝に対する「不安」と「恐怖」
原発から排出される放射能に対する「不安」と「恐怖」
・低線量放射線による内部被曝の問題
・使用済み核燃料など放射性廃棄物の保管の問題
・原発の存在そのものが人類、自然とは両立しないということについて
原発が潜在的核兵器保有として安全保障政策に組み込まれたことについて

過酷事故がおこらなくとも、原発の運転そのものから核の分裂によって放射性物質が大気、海水中に放出され、日本全体では58基作られた原発からウランを燃やしたことで危険な核分裂生成物が結果として生み出されてきました。その量は、セシウム137という放射性物質だけをみても、30年で半分に減るとして今なお、広島原発の90万発あるのです。

原子力発電というものは、1トンのウランの核分裂で1トンの核分裂生成物を発生させます。1基が1年ごとに広島原発の1000発以上の核分裂生成物を発生させるしくみになっています。これらの事実がひろくしられるようになり、一般の人が放射能の現実の影響と未来に対して「恐怖」と「不安」を感じ精神的損害を訴えるのは当然のことなのです。そしてそのことに対する責任が原発を作り輸出し続ける被告メーカーにあることは繰り返すまでもないでしょう。

原発事故を「人類の歴史の中で繰り返さない」ために
 原発事故を「人類の歴史の中で繰り返さない」ためには、既存の原発の廃絶、新たな原発の建設の中止、輸出の禁止をするしかありません。シビア・アクシデントを絶対に起こさないと保証できる技術は確率されていないからです。原発メーカーが原発再稼動に協力しまた新たな原発を建設すること、及び原発を輸出することを約束した原発メーカーと原発事業者間でのビジネス契約そのものが、民法90条の「公序良俗」に反すると私たちが主張する所以です。

実際に核兵器を持たなくとも、いつでも核兵器を作り出せるように潜在的核保有国として原発を稼働し続けることは、原発による潜在的な核兵器をもつことです。「原発が安全保障に質する」ことは2012年に原子力基本法に明記されました。しかし日本国憲法9条は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っています。

事実、日本は地震国であるにもかかわらず、すでに58基の原発を建設してきました。そこで発生したプルトニウムは長崎原発5000個を作れるだけの量になっています。そのような大量のプラトニウムを所有することは、国家の潜在的核兵器を持つという「安全保障政策」であり、日本に住む全住民、そして近隣のアジア諸国、世界の人々の安全保障に寄与するものではりません。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」(憲法前文)を侵害することになるのです。

原発体制は全世界的な差別構造の上に成り立っています
原発体制は基本的に全世界的な差別構造の上に成り立っています。その差別は、ウランを採掘する被曝労働から始まり、原子炉の中で働き被曝せざるをえない原発労働者(そのほとんどが下請け・孫請け・ひ孫請け労働者)の存在、都会に電力を供給するために原発立地地域になった地方と都会における搾取と差別の構造、核を持つ国と持たざる国との差別のうえに成り立つNPT(核不拡散条約)体制の存在に示されています。

さらに、NPT体制は核兵器の縮小を議論しながら原発を輸出し拡散することを認めており、その中にあって日本は潜在的核保有国としてアメリカの核の傘下にありながら原発を製造・輸出する世界最大の供給国になっています。被告3社は原発を世界に広めようとする世界最大級の原発メーカーです。まさにこの3社の動向が今後の原発体制の行方を決定すると言っても過言ではありません。

被告原子力メーカーの企業としての社会的責任を問う
被告原発メーカー3社は福島原発の計画・設計・建設及びメンテナンスに関わっていながら、各会社の広告やHPにおいても、原発のシビア・アクシデント(過酷事故)の可能性、危険性を人々に知らせず安全・廉価・クリーンであるという安全神話を宣伝し続けてきました。何重にも作られた防御施設によって事故はおこらないと言い続けてきたのです。私たちが被告原子力メーカーの企業としての社会的責任に対する姿勢を強く疑問に思う所以です。

被告は自らが密接に関わってきた原発が事故を起こし、また事故を起こさなくとも、原子炉の運転から必然的に大気と海中へと放射性物質を放出して地域住民の健康を害し自然を汚染してきました。私たちは、その事実と被告原発メーカーの犯した不法行為がどのような関係にあり、それがいかにして全世界の選定者・原告の精神的障害をひき起こしたのかを明らかにして、被告の法的責任を追及します。

最後に

私たちは3・11の原発事故の事故原因、その責任を徹底的に追及し、二度とこの世界で原発事故を起こさせてはならないと考えます。原発の過酷事故と通常運転から不可避的に発生する放射能の現在と未来に対する影響は長期間、全世界的な規模で多くの人々に「不安」と「恐怖」を植え付けます。メーカー訴訟において裁判所が具体的に被告原発メーカーの責任を明らかにし、被告メーカーに社会的、法的責任があるという歴史に残る勇気ある判決を下してくださることを願ってやみません。ここから新たな歴史が始まるのです。

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