2015年10月29日木曜日

「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」の準備書面を公開します

この準備書面は「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」のホームページからの引用です。
http://nonukes.eyedia.com/ (原発メーカーへの疑問点をあらいだした求釈明書、その他の資料も掲載されています)

原発メーカー訴訟は、「本人訴訟団」の準備書面の提出によって、新たな段階を迎えました。この「本人訴訟団」は弁護団から委任契約を解除され代理人を辞任された、世界39ヶ国・4000人の原告を集めた「原発メーカー訴訟の会」の前・現事務局長二人と、弁護団の主導に従わない原告は「切る」と公言する弁護団に反発した原告が一緒になって結成したものです。弁護団は内外4000人の原告を抱える「原発メーカー訴訟の会」との対話を今でも拒んでいます。

しかし私たちは、法廷の場において原発メーカーの責任を追求するために、弁護団との対立ではなく、「相補う」ものとして新たな主張を展開し、弁護団との必要な連帯を求めるものです。この準備書面はそのような原告(選定者)の共同作業によって、また内外の研究者のご協力によって書かれた、私たちの心を文字化したものです。私たちは、この社会から、いかなる差別も、核兵器も原発もない社会を求め第一歩を踏み出したのです。




2015年(ワ)第2146号 原発メーカー損害賠償請求事件
原告 朴 鐘碩、崔 勝久
被告 株式会社東芝 ほか 2015年(ワ)第5824号

原発メーカー損害賠償請求事件
原告 朴 鐘碩、崔 勝久
被告 株式会社東芝 ほか

             第 1 準 備 書 面 
2015年10月18日 東京地方裁判所民事第24部合議 D 係 御中

原告 朴 鐘碩 同 崔 勝久

 第1 訴えの変更の申立てについて (変更後の請求の趣旨)
1.被告らは、原告らに対し、それぞれ連帯して100万円及び 2014 年 2 月 1 日から支払い済まで年5パーセントの割合による金員を支払え。
2.訴訟費用は被告らの負担とする。 との判決並びに仮執行の宣言を求めます。


第2 請求の原因 
従前までの主張の中で、原子力損害賠償法(以下、「原賠法」とする)の違憲 性と、違憲でない場合において同法の文面の新たな解釈の提案をしている部分 についての主張は撤回し、精神的損害の内容の変更、及び損害賠償の依って立つ 法的根拠を提示します。 原告各自が受けた被告の行為と因果関係のある精神的損害については、いずれ も、それぞれ金300万円が相当であり、本件裁判においては、そのうち、被告 らに対し、連帯して金100万円と訴状送達の日の翌日である 2014 年 2 月 1 日 から支払い済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払 2 いを求めることに変更するものです。

 したがって、原告らの本件損害賠償請求は、いずれも一部請求です。被告らの 共同不法行為として、民法709条、710条、719条1項に基づき精神的損 害について損害賠償を請求するものです。


第3 本準備書面の提出にあたって
原告の朴鐘碩(パク・チョンソク)と崔勝久(チェ・スング)は、今回、世界 で初めて原発メーカーの責任を問う本件訴訟を提起し、全世界39ヶ国から約 4000人の原告を集めた「原発メーカー訴訟の会」の現及び前事務局長です。

 しかし、「原発メーカー訴訟の会」の弁護団は、私たちが自分たちの主導に従 わないという理由で私たち2名の原告との訴訟委任契約を解除するという、こ れまでの集団訴訟において類のない代理人辞任を通告してきたために、私たち 2名は、本人訴訟として、引き続きこの訴訟を続けることにいたしました。 私たちは、民訴法に基づく選定当事者制度を活用し、ほか5名の「選定当事者」 とともに、訴訟代理人として弁護士を選任せず、「原発メーカー訴訟の会」本人 訴訟団(以下「本人訴訟団」とする)を結成して裁判を進めていく予定です。

私たち本人訴訟団は、原発メーカーの責任を問うという、弁護団の書いた訴状 の基本的な趣旨には同意しその問題意識を共有するものの、弁護団は、原賠法は 原子力事業者の「責任集中の原則」を謳うことで原発メーカーを免責しており、 そこに原発事故を誘発した根本原因があると主張し、原賠法の違憲性や、違憲で ない場合においても原賠法の文面の新たな解釈の提案をするといった法律論を 展開しています。

これに対し私たちは、私たちの主張する「精神的損害」は原賠法に記された、 「放射線の作用若しくは毒性的作用・・・により生じた損害」と定義された「原 子力損害」(原賠法第2条2項)には当てはまらないと判断しました。 私たちの受けた精神的損害とは、被告原発メーカーの民法上の「過失」、「欠陥」 という不法行為や不作為によってひき起こされた具体的な出来事に対する「不 安」「恐怖」であり、それは同時に、国際法や世界人権宣言の保障する基本的人 権を侵害するものであると考え、私たち選定者と原告は被告メーカーの法的な 責任を追及します。

したがって、私たち2名は、選定者及び原告の精神的損害の重大さに鑑み、訴 状記載の請求の趣旨を変更して、賠償金の金額を増額するとともに、請求の原因 を変更した準備書面をここに提出いたします。


第4 私たちが原賠法に依拠した損害賠償請求をしない根拠について 
1 精神的損害は原賠法で定義された「原子力損害」に該当しません 
原賠法第2条2項には、「この法律において「原子力損害」とは、核燃料物質 の原子核分裂の過程の作用又は核燃料物質などの放射線の作用若しくは毒性的 作用(これらを摂取し、又は吸引することにより人体に中毒及びその続発症を及 ぼすものをいう。)により生じた損害をいう。」とあります。 私たち選定者及び原告が賠償を請求している「精神的損害」は「3.精神的損 害について」で詳細に述べるとおりの損害であって、原賠法が定義する「原子力 損害」にはあてはまりません。

従って被告原発メーカーの責任を明らかにするの に、原賠法の定義する「原子力損害」を前提にする第4条1項の「原子力事業者 以外の者」(原発メーカー等)の免責条項、及び3項の製造物責任法の不適応と いう条項に拘束されることなく、私たちは上記に示した法的根拠によって被告 原発メーカーの賠償責任を求めることができると判断します。

2 原賠法の「責任集中」と「無限責任」の原則は支援機構法によって実質破綻 
福島第一原発事故に伴う損害賠償については、東電が破産を避け「無限責任」 を放棄して政府への支援を要請した結果、支援機構法が制定され、政府と原子力 事業者12社が参加する原子力損害賠償・廃炉等支援機構(以下、「支援機構」 とする)が設置されました。 政府の10兆円に及ぶ東電支援はこの支援機構を介して行われたのですが、 同法では、「相互扶助の仕組み」の導入により、東京電力以外の原子力事業者も 政府から東電に渡った支援金の返済を担っています。これは明らかに原賠法で 謳われた、事故を起こした原子力事業者の「責任集中」と「無限責任」の原則と 矛盾しています。

すなわち、原賠法の「責任集中制度」は、支援機構法の「相互 扶助の仕組み」によって実質的に破綻させられているのです(戊第11号証・熊 本一規『電力改革と脱原発』(108~123頁、緑風出版 2014)。

3 日米原子力協定の88年度改定で、アメリカの「免責条項」は削除
2011 年 5 月 27 日、衆院経済産業委員会において、日本共産党の吉井英勝議 員が、福島第一原発事故に伴うゼネラル・エレクトリック(GE)社の製造物責 任を追及しました。日米原子力協定の88年度改定で、それまで明記されていた 「免責」条項が削除され、GE社に製造物責任があるという点について、政府参 考人である外務省の武藤義哉官房審議官は「現在の日米原子力協定では旧協定 の免責規定は継続されていない」との答弁を行いました。

また。「こういう事故が起こった後のいわゆる責任といいますか、今原因究明 をいろいろやっていただいておりますけれども、どこにその原因があるかとい うことは事態の解明を待つ必要があろうかと思いますけれども、ここで言うと ころの損害というものにつきましては、御承知のとおり、原賠法の適用外でございます。したがって、これにつきましては、東京電力とメーカーの間において、 一般的な法律、この場合は民法であったり製造物責任法であったり、あるいは個 別の契約にのっとって、それぞれの損害賠償の論拠があれば、それに従って請求 されるものと理解をしております。」と協定上は米 GE 社の責任を問うことが可 能であるという大変重要な見解を示しています(戊第11号証・吉井英勝『国会 の警告無視で福島原発事故』74~79頁 東洋書店 2015)。

 4 原賠法制定時の事故試算の隠蔽・改竄 
原賠法は制定時、原子力基本法第一条の民主・自主・公開の原則にもかかわら ず、原発事故の被害想定(大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関 する試算)の数字が当時の国家予算の 2 倍以上と巨額であったため、政府は試 算の全容を隠ぺいして、改竄を加えた前書き部分のみ国会資料として提供しそ れを基に審議制定されたもので、その正当性に疑問があります(戊第13号証・ NNN ドキュメント 2015 年 8 月 23 日 「2 つの“マル秘”と再稼働 国はなぜ原 発事故試算隠したか」)。


 第5 シビア・アクシデント(過酷事故)と原発の通常運転の危険性について
シビア・アクシデントについては米国ゼネラル・エレクトリック社(米 GE 社) が原子力潜水艦から地上の軽水炉原子炉を開発した歴史的経過と、「「軽水炉」と いう原子炉の本質、技術的な特徴」(戊第1号証・舘野淳『シビアアクシデント の脅威』3-8頁、15~64頁 東洋書店、2012)を十二分に知ることなく、 この問題を語ることはできません。火力、水力発電に価格的に対抗するために設 計された限られたスペースの中で、とてつもないエネルギーを生み出す原子炉 の熱の管理のために、とてつもなく長く延長された配管と大量の水を使わなけ ればならないところに軽水炉の原理的な欠陥があるのです。

原爆と同じく原子力発電も人為的に起こした核分裂による熱を利用して湯を 沸かしタービンを回して電気を起こすのですが、その熱は原子炉の中の核分裂 を止める制御棒が挿入されて原子炉が止まる構造になっています。しかし炉内 で発生した放射線が熱エネルギーに変わっていつまでも崩壊熱が発生します。 従って原子炉は①核反応の停止、➁熱の除去の二段階で初めて安全に停止する のです。 しかし「軽水炉の最大の弱点は熱のコントロール機能が極めて脆弱な点」にあ ります。この熱除去の失敗の行き着く先が、原子炉の安全装置では収束のするこ とのできないシビア・アクシデントなのです。

シビア・アクシデントとは「設計基準事象を大幅に超える事象であって、安全 設計の評価上想定された手段では、適切な炉心の冷却又は反応度の制御ができ  ない状態」(「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する 日本国政府の報告 書」)であり、そのような事故が発生した場合は幾重に安全装置が施されていて も最終的には現場の技術者が対応するしかないという、致命的な欠陥を軽水炉 原発は抱えています。 原発は安全と経済合理性追求のバランスの上で設計・製造されており、事故を おこさせないようにするための先行投資より経済性が優先させられる現状にお いて、決して過酷事故を起こすことのない完成された原子力技術は存在しない ということを被告は十分に認識しているはずです。

今回の福島第一原発事故においては、シビア・アクシデントに至った決定的な 要因はアーニー・ガンダーセン氏によれば二つで、ひとつは、冷却用海水ポンプ が破壊されて UHS(最終的な冷却機能:Ultimate Heat Sink)を喪失したことで す。「海水ポンプが流されたり、取水口が砂で埋まったりして海水取水系の設備 は破壊しており、仮に電気が通じたとしても全く使えない状況」であったために 過酷事故になりました。 一方、福島第二は冷却用海水ポンプを建屋で守る設計に変えられていたため に過酷事故は免れました。このことからわかるように、たとえ東電の経営判断が あったとしても、過酷事故を起こさないように最善を尽くすべきであったのに そうはしなかった被告の責任は逃れられません。

もうひとつは非常用ディーゼル発電機の位置(安全であるためには少なくと も1台は陸側の高台に置かれるべきでした)と空冷式の発電機への転換の問題 です。ガンダーセン氏はいずれも「新たな技術上の発見があったのに、なぜ旧型 には適用されなかったのか?答えは“採算”」であると喝破します(戊第2号証・ アーニー・ガンダーセン『福島第一原発――真相と展望』21~33頁、集英社 新書、2012)。

 これも福島第二では変更されていることから判断して被告の設計上の欠陥で ある可能性が高いのです。少なくとも、このまま放置してもいいとの判断に誤り があったことには疑いの余地がありません。

一方、過酷事故がおこらなくとも、原発の運転そのものから核の分裂によって 放射性物質が大気、海水中に放出され、日本全体では58基作られた原発からウ ランを燃やしたことで危険な核分裂生成物が結果として生み出されます。セシ ウム137という放射性物質は30年で半分に減るとしても今なお、広島原発 の90万発あるのです。 原子力発電というものは、1トンのウランの核分裂で1トンの核分裂生成物 を発生させ、1基が1年ごとに広島原発の1000発以上の核分裂生成物を発 生させるしくみになっています。 原発の作り出すエネルギーの三分の一は海中に捨てられています。また原子 6 炉の煙突からは大気中に巻き散らかされた放射性物質は原発立地地域住民の健 康を害し、自然を汚染しています。それは魚類や農産物を汚染していきます。政 府が設定した基準以下の濃度であっても、低線量被曝の問題の深刻さが明らか にされてきているのはこのためなのです。福島において特に子供たちの甲状腺 がんの発症率の異常な高さが問題になっています(参照:第7.精神的損害につ いて、3 低線量放射線による内部被曝の問題、12~13ページ)。

韓国では釜山近くの古里原発が原発5キロ圏内においては甲状腺がんの発症 率が他の地区の2・5倍で、釜山地裁において古里原発が甲状腺がんの発症の原 因であるという判決がだされました。 原発は発生する熱の処理を完璧にできずシビア・アクシデントにいたる危険 性があり、その運転の過程で人体に有害な核分裂生成物を発生させ撒き散らす 問題を技術的に克服できないでいます。 


第6.精神的損害について
精神的損害の内容を地域毎の特徴的なものとして抽出することは、一定の漠 然とした傾向としては捉えても、そのことをもって原告個人が精神的損害とし て被告に賠償請求をすることができるのかという点では問題が残ります。

精神的損害の内容と賠償金額について私たちは訴状の主張の変更をいたしま す。実際的な精神的損害による賠償金額を「損害の一部として100万円」に増 額します。 原発事故による精神的損害の内容は一人ひとりの環境、精神状態、価値観によ って異なり、本来なら選定者及び原告全員が自らの精神的損害の実態を陳述し それに相応しい請求額を請求するべきであると考えます。しかしそれは現実的 には不可能であるためできるだけ多くの内外の選定者及び原告の陳述を裁判所 に申請して精神的損害の実態を明らかにします。 私たちは精神的損害に関して被告3社のうち特に東芝の答弁書において「単 なる不安感」(13頁)、「漠然とした恐怖感」(19頁)と記述している点に強い 疑念をもちます。

被告原発メーカーは、原告の事故に起因する精神的損害の中身としての「不安」 「恐怖」がいかなるものか、それがいかに人間にとって耐え難いものであるか、 そして、世界の歴史の中で基本的人権として国民権に収斂させるのではなく本 来の人権として、「恐怖からの自由」(2005年国連事務総長報告より)として 実現されるべき人類の課題であるという認識に欠けていると指摘せざるをえま せん。 また、被告のそのような認識は、原発稼働の経済活動の自由権より生命・身体・ 精神・生活権等の「総体」としての「人格権」が優位し、危険が「抽象的」でも 7 事故の可能性のある原発は人格権侵害だと断じた、2014年5月21日の大 飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨に反していると言わざるをえません。

準備書面で明らかにする「不安」と「恐怖」による精神的損害は、3・11福 島事故によって可視化された具体的な出来事によって引き起こされたものです。 被告原発メーカーは経済的合理性を優先した結果、たとえ東電側の経営判断が あったとしても、現状でも過酷事故に対応できるという誤った判断によって、最 初に設計した施設の変更・改良をしなかったために過酷事故を防ぎきれなかっ たという責任から逃れることはできないのです。以下、具体的な例がどのような ものかを明らかにいたします。

1 原発メーカーの不良品(原子炉)事故によるいわれなき精神的苦痛と失っ たものに対する受忍しがたい喪失感
選定当事者の○○○○・○○○○夫妻が福岡へ避難したのは、福島第一原発の 爆発から約2週間後の3月29日でした。夫妻にとって福岡には地縁も頼るあ てもなく、知らない土地で一から生活することは、とても不安なものでした。慣 れない環境での生活がストレスになったのか、夫は以前患っていた鬱病を再発 してしまいました。 事故の前は、夫人は自宅のある東京・葛飾で、教師をしていた時の教え子たち を集めて、グループホームを作ることを退職後の人生の目標としていました。今 回の事故で夫妻が失ったもの、諦めた夢は、決して金銭で償えるものではありま せん。これまで築いてきた生活の基盤を葛飾に残してきてしまったことに対す る喪失感はとても大きく、非常に心細く辛い日々を過ごしてきました。せめて原 発メーカーには、この事故により大切な生活基盤を失った人々が多くいるとい うことを正面から認め、謝罪して欲しいというのが、夫妻が訴訟に参加した理由 のひとつでもあります。

彼らは福岡に移住したため東京の自宅を売却することを決断したのですが、 購入時に比して安く売却せざるをえず、大きな金銭的な損害を受けています。精 神的損害には実際は、肉体的な疾患を含め様々な要素がからみます。

その事情は選定者の□□□□・□□□□夫妻も同様です。彼らは、日本政府に よる放射能汚染基準値の引上げに対する人々の不安と恐れを代弁しています。 原発という発電機は、結局、法を改定して放射能汚染基準値の引上げなどにより、 事実として人々の視界から被害者を見えなくすることで、はじめて稼動できる ことを日本政府が立証しているといえないでしょうか。この結果生じる不安と 恐れは、莫大な労力、費用、時間をかけて□□□□・□□□□夫妻が東京から福 岡に転居する大きな理由のひとつとなりました。

2 安全神話が嘘であったことが判明したことに対する「不安」と「恐怖」 
本来は核兵器と原発は表裏一体の関係にあったものが、「原子力の平和利用」 という美名と経済発展の希求のもと、官民一体となりマスコミと学校教育を通 して、原発は安全、クリーン、廉価であるという神話がまかり通りました。私た ちは政府と「原子力ムラ」が中心となって作り上げたその神話、嘘に騙されてき たのです。

被告3社も「原子力ムラ」の一員としてその神話づくりに貢献してき たことはいうまでもありません。 被告東芝の場合、つい最近まで、よりによってサン=テグジュペリの「星の王 子さま」を原発がクリーンであるというイメージキャラクターとして HP 上で使 用していました(戊第3号証・「星の王子さま原発広報マン? 東芝サイトに批 判の声」東京新聞 2014 年 5 月 19 日)。

被告3社は、事故は起こりえないということを前提にして、シビア・アクシデ ントの危険性について言及することはなく、過酷事故発生後の対策・地域住民の 避難計画を提案することはありませんでした。原子力事業者である東電との間 で、避けることのできない過酷事故についてどのような契約をしていたのか、そ れは公序良俗に関わり、また同時に民法の不法行為にも関連してきます。

日本は地球上で最も地震活動度が高いところであり、「地球の表面積のわずか 0.3%領域に、全地球の地震活動の約1割が集中して」いるのです(戊第4号 証・石橋克彦「地球列島の原発の必然的帰結としての“福島原発震災”」『福島原 発で何が起きたの─安全神話の崩壊』19~32頁、岩波書店、2012)。

福島の原発事故によって世界中の原告は、原発の安全神話は全く信頼のおけ ないものであったことを誰もが知ることとなりました。しかし原発は世界中に 現存し、さらなる建設、さらなる輸出が進められており、その中核企業がまさに 被告3社なのです。 その中でも特に当初から問題が多いとされていた米 GE 社の設計したマーク ワン型が福島第一原発においてシビア・アクシデントを起こしたことに対する 被告3社の責任は重いと言わざるをえません。マークワン型を設計した技術者 当人がその危険性を米議会で説いているのに、結局、被告3社は新型に関する改 良をしたものの、マークワン型に関してはこのままでもいいという誤った判断 をしたのです。

米 GE 社から技術を学びライセンス料を支払いながら独自で原発を建設する ようになった被告東芝、被告日立、及び原発本家そのものの米 GE 社の日本の 子会社である被告 GE ジャパンは、福島事故以前の安全神話の布教者から一夜 にして世界の人々に「不安」「恐怖」を与える存在になったのです。その精神的 損害に対する賠償金を支払うべきは当然であります。

3 汚染水の流出が止まらず太平洋に流れ出ている現実に対する「不安」と「恐 怖」
これまで行われてきた原水爆の核実験と、世界中にある2014年現在の4 26基の原発が2030年には800基に達するといわれ、放射性物質は、原子 力発電所の日常的な運転でも煙突と排水口から放出され、年々大量に、地球上の 空気と水を汚染しています。

さらにスリーマイル島とチェルノブイリ、福島事故の事故によって大量の放 射性物質がばらまかれました。福島第一の1~3号機の爆発によって撒き散ら されたセシウム137は広島原発の168倍に及んでおり、それが偏西風に乗 り太平洋に向かって流れ、北アメリカ、あるいはカムチャッカを汚染しているの です。 福島事故によって可視化されてきたことは数限りなくあります。その一つひ とつに人々は「不安」と「恐怖」を抱くに至りました。それは「単なる不安感」 や「漠然とした恐怖感」では決してありません。

その中でも3・11福島事故後、破壊した4基の原子炉から未だに大量の放射 性物質が地下水と一緒になって太平洋に垂れ流されているという事実ほど、 人々を「不安」と「恐怖」に苛ませているものはありません。


10 WHITEFOOD 作成 http://news.whitefood.co.jp/radioactivitymap/forign-government

何よりも3月11日の福島事故以来、4年半経って現在に至るも4基の原子 炉からの放射性物質の流失は止まらず、地下水に混じり太平洋に流されている という事実を直視すべきです。そのために一定の基準をクリアした農水産物は 安全な食品として販売されるものの、購買者の安心・信頼の回復にまったく至っ ていません。 これは日本だけでなく日本の食品を輸入してきた世界中の人々にとっても同 じであり、更なる汚染の広がりに対する「不安」と「恐怖」の問題を解決するま では「汚染水を漏らさない。二度と原発事故を起こさない」(朝日新聞社説 2 015年9月6日)という努力を被告メーカーは続ける責務があるのです。

安倍首相は東京オリンピックの誘致のために IOC 総会において、世界に対し 11 て“The situation is under control .”(状況はコントロールされている)と の虚偽の言葉によって東京オリンピックの開催に同意を取り付けました。

世の 中は「オールジャパンでの復興」が、「オールジャパンでの開催」に代えられてし まいました。大量の汚染物が流れ込んできた河川の「終点」のひとつが、東京オ リンピックでトライアスロンを予定している東京湾です。マスコミ報道の影響 もあってか、人々の関心は、オリンピックの方に徐々に移り、勇気を出して「福 島を忘れてはいけない」と釘をささなければいけないのです。けれども、「フク シマ」を口にすると場がしらけるのも事実です。

原発はこうして世界の人々の思 いを分断するシステムにもなっています。こうして原発は私たちの精神的健康 を損ねる状況をつくっています。 以下、安部首相のスピーチの内容です。

「まず、結論から申し上げますと、まったく問題ありません。新聞のヘッドラ インではなくて、事実を見ていただきたいと思います。汚染水による影響は、福 島第一原発の港湾内の、0.3 平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされて います。福島の近海で、私たちはモニタリングを行っています。その結果、数値 は最大でも WHO の飲料水質ガイドラインの 500 分の 1 であります。これが事実 です。

そして、わが国の食品や水の安全基準は、世界でも最も厳しい基準であり ます。食品や水からの被曝量は、日本どの地域においても、100 分の 1 でありま す。つまり、健康問題については、今までも、現在も、そして将来も、まったく 問題ないということをお約束いたします。
さらに、完全に問題のないものにする ために、抜本解決に向けたプログラムを、私が責任をもって決定し、すでに着手 をしております。実行していく、それをお約束いたします。」

この安倍発言は一国の責任者として福島の実態を述べたものなのでしょうか。 この発言の検証は福島住民のみならず全世界の市民の関心事ですので、改めて 専門家の証言を通して最新の知見で安倍発言の問題点と被告の責任を明らかに したいと思います。


農林水産省も HP において福島の漁業が3・11以前の状態に完全に戻ったと いう安全宣言はできないでおり、世界ではいまだに福島の魚類に関して輸入規 制がある国が存在することを認めています(農林水産省「水産物についてのご質 問 と 回 答 ( 放 射 性 物 質 調 査 ) ~ 平 成 26 年 9 月 9 日 更 新 ~ 」 http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/)。

漁業においても事故以前の状態には戻っていません。例えば、新潮社 Foresight は「東日本大震災が起きてから 4 年となる 3 月 11 日を、福島県相馬 市の漁業者たちは収まらぬ憤りとともに迎えた。本来ならこの週、コウナゴ(小 12 女子)の漁が相馬沖で始まる予定だったが、突然の事態で先送りになった。・・・・ 相馬双葉漁協が「コウナゴ漁を当面先送りする」と決めたのは、福島第 1 原発か らの新たな汚染水の外洋流出が発覚したためだ」と伝えています(新潮社 foresight「原発事故から 4 年:地元漁協「汚染水流出」への怒り」2015 年 3 月 17 日 http://www.fsight.jp/33673)。

 北米西海岸に東日本大震災による大量のガレキが流れて問題になりましたが、 原発事故によって今も原子炉から漏れている放射性物質は、太平洋に面した各 国と北米西海岸にたどり着いている可能性が高いのです。そのために早晩、現地 の漁業関係者の権利問題に発展するでしょう。ツナの缶詰などの食品や自然の 汚染に対する訴訟問題が提起されることが予想されます(カレイドスコープ「福 島 第 一 原 発 か ら の 放 射 能 が 北 米 の 西 海 岸 に 打 ち 寄 せ る 」 http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2316.html)。

 このように日本の住民だけでなく、福島事故以来今日に続く汚染水の垂れ流 しに対する「原発メーカー訴訟」の原告の不安と恐怖はぬぐい難いものになって おり、それは全世界の市民の不安と恐怖にまで至っております。さらに、それは 直接に金銭問題に関係しない人々にも精神的損害として大きな影響を与えてい ます。本訴訟の選定者・原告はそれら精神的損害を受けた世界の市民を象徴して いるのです。その原告の精神的損害に対して、被告メーカーは事故を防止できず、 汚染水問題の原因をつくりだし未だに解決できていない責任の一端を担うべき でありましょう。

 3 低線量放射線による内部被曝の問題 
3・11以降、世界の市民が食べ物の放射能汚染に「不安」と「恐怖」を感じ るようになりました。それはこの間、放射能は低線量であっても体内に吸収され た場合、内部被曝によってガンなどの疾病や倦怠感などの症状が発生すること が明らかになったからです。「低線量の放射線でも細胞に長期間当てると、大き な障害が起こる」というペトカウ効果は広く知られるようになりました(電力中 央 研 究 所 「 低 線 量 放 射 線 生 物 影 響 の 解 明 を 目 指 し て 」 http://criepi.denken.or.jp/jp/rsc/index.html)。

さらに(戊第 17 号証・『死にいたる虚構 ― 国家による低線量放射線の隠蔽』 1~9頁(ジェイ・グールド、ベンジャミン・ゴルドマン共著/肥田舜太郎・斎 藤紀 共訳)は「原爆症認定集団訴訟」の中で、大阪高等裁判所が「低線量放射 線内部被曝」を認める根拠とした科学文献です。

 チェルノブイリ事故をさらに上回る福島事故によって、福島において子供の ガン患者の発生率が極めて高くなっていることもこの内部被曝の問題として捉 えるべきであることは言うまでもありません。

放射能による内部被曝の問題を核兵器による疾病と同質の問題として捉えた 場合、上記、第4 私たちの主張の2 私たちの主張の法的根拠で記したよう に、原子力の脅威から免れて生きる権利としての「No Nukes 権」はここで、核 兵器の影響下で苦しむ人にまで適用されることになります。原爆被爆者2世、3 世の問題も「No Nukes 権」の問題として捉えられることになるのです。

韓国の被爆者2,3世が日本の被爆者2、3世への連帯を呼びかけ、自分たち の経験した同じ苦しみを福島の人、全世界の人たちに味あわせたくないとして 原発建設・輸出に反対の声を上げながら、原爆を投下した国、原発の運営会社及 びメーカーの責任を問うているのはまことに放射能被害の本質を正確に捉えて います。日本と韓国において被爆者2,3世の法的保護の法律が未だに制定され ていないことは、まだまだ放射能問題の本質が広く世の中の理解を得られてい ないからだと思われます(戊第5号証・崔「韓国の被爆2世からの心打つ、未来 に向けたメッセージ」)。

ここにおいて私たちの主張は、原発問題はシビア・アクシデントによって可視 化されてきた事象による「不安」と「恐怖」にとどまらず、原発が存在している こと自体によって引き起こされた「不安」「恐怖」及び、原発と核兵器はコイン の表と裏の関係であると指摘した通り、核兵器による被害者の問題をも含めて、 原発と核兵器をなくしていくことなくしては私たちの「不安」と「恐怖」はなく ならないという理解にまで達します。

福島事故において私たちは、私たちを「不安」と「恐怖」に落とし込んだ過酷 事故を防ぎきれなかった被告原発メーカーの責任を問うことは、この世から科 学技術が作り出す「不安」と「恐怖」をなくしていく、人類の課題達成の第一歩 なのです。

 4 使用済み核燃料など放射性廃棄物の問題
原発で使われた核燃料は高レベル放射性廃棄物として処理されなければなら ず、この処理の技術・方法は世界的に確立されていません。地下深く直接埋蔵す るのか、日本政府の方針のように再処理をしてプルサーマル燃料として再利用 しそこから出た高レベルの放射性廃棄物をガラス固化したものを埋蔵するのか に分かれますが、両者とも安定した安全な物質になるには十万年単位の長い時 間がかかり、現地点で安全性が保障されるわけではありません。

原発はトイレのないマンションと言われる所以です。それにそれだけ長時間 使用に耐える容器があるのか、証明されたわけではありません。約 10 万年前に 現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て世界各地に拡がったといわれてい ますが、これから10万年もの間、いかなる状況においても放射性核廃棄物の長 期間埋蔵が自然を汚染しないという保障がそもそも現代科学技術で可能なので しょうか。

使用済み核燃料に関しては、現在日本政府はこれまでの地方自治体の自発性 を待つ方針から、政府自身が科学的な調査をしていくつかの候補地を選びその 地方自治体と交渉をして最終決定するという、政府主導型の政策に変更する方 針を打ちだしました。しかしいくら金を積まれて安全だと言われても最終的に 地元住民が賛成するのか疑問であり、最後は民主的方法と称して多数決原理で 決定されるのでしょうか。仮に住民の賛成を得られず国内で処理場が確保され ない場合はどうするのでしょうか(戊第6号証・崔「日本政府は使用済み核燃料 の最終処分地をどうするつもりか─モンゴルでの埋蔵計画は破棄したのかを質 問」)。

日本政府の方針転換に先駆けて日米モンゴル3ヶ国による CFS(包括的燃料サ ービス)構想が秘密裏に契約されていることが毎日新聞のスクープで明らかに されました(2011年5月9日)。モンゴルのウランを採掘・精錬・輸出して 核廃棄物をモンゴルに持ち帰り砂漠に埋蔵するというプランです。このプロジ ェクトプランはモンゴルの国会で通過しました。日本政府はこの CFS 構想プラ ンを放棄していませんし、またこのプランが公になることもありません。すべて 秘密裏に進められています。 東芝広報部は、東芝社長が米高官に手紙を送り、「使用済み核燃料などの国際 的な貯蔵・処分場をモンゴルに建設する計画を盛り込んだ新構想を推進するよ うに要請」したことを認めました(共同通信 2011 年 7 月 1 日)。

東芝広報部 はまた、「モンゴルの CFS 構想は、国際的な核不拡散体制の構築、および同国の 経済発展に寄与できるという点で意味がある」と発表し、CFS 構想に国際原子力 機関(IAEA)が技術協力をする可能性にも触れています(共同通信 2011 年 7 月 18 日)。

このことはかつて日本で禁止された公害物質を東南アジアに輸出して問題に なったことを思い出させます。一体、自国で処理できない危険物をどうして海外 に押し付けるという発想になるのでしょうか。そこに NPT 体制のもとで国際的 に放射性物質がテロから奪われないためであるという口実がつきます。 しかしこれは安全保障のための潜在的核保有を謳う日本の国策を反映させた ものであると同時に、企業の道徳的退廃以外の何ものでもないのではないでし ょうか。被告企業に社会的責任をはたす倫理(Corporate Social Responsibility、 CSR)はないのでしょうか。

選定者・原告は国籍にかかわらず、自分たちの子孫に解決できない問題を残す ことになるこの使用済み核燃料の処理の問題の存在を知って驚き、「不安」「恐怖」 を覚え、精神的損害を受けました。そもそも政府と原子力事業者と共同して使用 済み核燃料の処理方法のないところで過酷事故を防止できない不完全な原発を 15 建設した被告原発メーカーには、その対価として原告に対して賠償金を支払う 責務があると私たちは考えます。

5 原発の再度の過酷事故による被曝に対する不安と恐れ
「地震大国」日本に 54 基もの原発があることと、地震が原因ともいわれる福 島原発の事故を合わせて考えると、原発の過酷事故による被曝は多くの人に不 安と恐怖をかきたてます。このような不安と恐怖をもって日々の社会生活を営 み続けることはできないので、人は自分自身を騙して生活することになります。 それは心理学でいう「正常性バイヤス」という騙しです。つまり危機が迫ってい ても「原発事故はそんな簡単に起こるものではないと日立・東芝・GE は言って いるのだから、原発事故は起こらないだろう」と過酷事故の可能性を打ち消す 「適応機能」のことです。福島原発事故以前は、99%の日本人はこの「適応機能」 を誤用して54基の原発と同居してきたのでした。適応機能は人間が社会生活 をするうえでとても大切な能力ですが、間違った目的で使う「適応機能」は、も はや「正常性バイヤス」という自己暗示でしかないことは福島原発事故の教訓で はないでしょうか。

さらに九州・大牟田市の選定者のひとり山下俊雄氏は、原発の過酷事故による 日本の政治・経済の全滅の不安と恐れを次の言葉で述べています。「九州の原発 で過酷事故があった場合、放射能は偏西風や対馬海流、日本海流(黒潮)にのっ て、日本全土、日本海、太平洋岸を汚染し、農産物、海産物など食料がなくなる とともに避難する場所もなくなってしまいます。日本は全滅してしまうのでは ないかと不安です。さらに、九州にある原発でなくとも、日本の原発が福島原発 のような過酷事故を起こしてしまえば、福島原発の事故処理と合わせると、技術 的にも人的にも事故処理に対応することができるとは考えられず、不安でたま りません」。これは多くの日本人の本音ではないでしょうか。原発メーカーはこ のような不安を人々に押し売りすることは許されません。

6 原発の存在そのものが人類、自然にとって害悪であるということについて 
人々の「不安」と「恐怖」は原発の過酷事故によるものだけではありません。 原発の存在そのものが、ひとつは地域住民の健康への悪影響、もうひとつは自然 への汚染につながるという「不安」「恐怖」の原因であり、そのことも原告とし て精神的損害による賠償金を請求する理由です。後者の問題は原発立地地域に 限定されず、日本全国、海を超えた海外の市民にも「不安」と「恐怖」を増大さ せています。

原発立地地域の住民への原発の影響がどのようなものであるのか、白血病、ガ ンその他の疾病はどの原発立地地域においても噂になっていて公正な疫学調査 16 がなされるべきだという声があがっています。原発の存在がそのような「不慰安」 「恐怖」を地域住民にもたらしていることについて被告原告メーカーの責任が 問われるべきでありましょう。

3・11の原発事故で関東全域に降り注いだ放射性物質及び放射能汚染され た震災がれきは、がれき広域処理により全国にばらまかれました。神奈川県川崎 市を例にとると、放射能に汚染されたゴミは焼却され灰として飛び散ったり、臨 海部の埋立地に使われたり、セメントに混ぜられたり、高濃度のゴミは未処理の まま臨海部に放置されています。

川崎市は高レベルの放射能汚染物質を臨海部に放置したまま、それを東電に 返すこともなく、万が一津波がくれば臨海部の放射能汚染ゴミは東京湾に流さ れることを承知しながらも、津波・地震対策とゴミ対策を一体化した方針を出せ ないでいるのです。

韓国においては、2014年10月に住民の甲状腺ガン発症の原因は古里原 発であるという、原発事業者の責任を明確にした判決がおりました。原発事業者 に対する勝利判決は世界初のものであり注目されています。現在その裁判は控 訴審で審理されていますが、平行してその勝利判決の影響を受けて592名の 集団訴訟がはじまっています。判決の根拠になったのは政府の依頼でソウル大 学によって実施された全国的な疫学調査の報告書であり、それにより原発立地 地域の住民の甲状腺ガンの罹患率は他の地域より高いということが示され、政 府の委託を受けた調査チームはその結論を支持しました(戊第7号証・崔「韓国 の原発裁判で勝利したイ・ジンソプさんの資料」)。

 軽水炉原子炉の構造上、原子炉で発生した熱を冷ますために大量の海水が使 用され、7度も高くなった水は1秒間で70トンほどの温排水になって海にも どされます。これで自然生態系がおかしくならないわけがありません。漁獲高に も影響し漁業が成り立つのかという問題になってきます。福島の原発立地地域 から太平洋に流されている放射能汚染水や川崎市などからの焼却灰を埋立地に 流し込んでも数値上人体に影響がないという論理は、広大な海の中でそれらの 放射性物質は拡散・希釈されるからというものです。 しかし微量の放射性物質がどのようにプランクトンに影響を与えているのか の福島や川崎での実態調査はなく、今後放射能汚染水が垂れ流される限り総体 としてますます放射性物質は海中で増加していきます。それらを食する魚が 次々と大型魚に食され高濃度になっていく食物連鎖の過程は解明されていませ ん。このような現実を知って内外の市民が「不安」と「恐怖」に怯え精神的損害 を訴えるのは当然のことであると言わざるをえません。

 7 原発の存在が潜在的核兵器保有として国家の安全保障政策に組み込まれていることについて 
原子力の憲法ともいうべき「原子力基本法第2条」に「わが国の安全保障に資 する」という文言が加えられました(2012 年 6 月)。戦後の日本はアメリカの核 の傘の下で「平和と民主主義」を掲げ、経済的な復興・発展を享受してきました。 その間アジアでは米ソの二大陣営の下、冷戦時代に突入し朝鮮戦争とベトナム 戦争が起こり多くの犠牲者が出る事態になりましたが、日本はアメリカ軍の基 地として、また物資の補給の役割を担う形でそれらの戦争によって莫大な利益 を上げてきました。日本の戦後の平和と豊かさは、沖縄とアジアの犠牲の上で成 り立ったという一面は否定できないのです。

 日本は非核三原則を掲げる国でしたが、アジアにおける戦争の当事者であっ たアメリカはヨーロッパと同様、いつでも核兵器を使用する体制を維持しよう とし、核兵器を在日米軍基地に常時置くことは断念したものの、沖縄返還と引き 換えに有事のときに核兵器を装備した船や飛行機の自由な寄港を日本政府に認 めさせ、それを歴代の日本政府は密約という形でアメリカに確約し、国民には一 貫して真実を明かすことはなかったのです(戊第8号証・太田昌克『日米「核密 約」の全貌』(17~35頁 筑摩書房、2011)。日本の戦後の経済的繁栄と「平 和と民主主義」の内実が改めて問われています。

日本政府は原発の導入時から核兵器の製造を宣言しなかったものの、ロケッ トの自国開発とともに、原発を建設することによって、今や44トンを超える プルトニウムを所有し、潜在的核保有国として、いつでも核兵器を作れる状態を 維持することで、米国の核の傘下において国家の安全保障政策としてきました。 原子力基本法の「安全保障に資する」という一言の追加は、そのことを内外とも に明らかにしたものです。

プルトニウム44トンとは、長崎原爆が5000個作れるくらいのものなの です。 日本政府は原発を潜在的核保有の担保とすることで、植民地支配の歴史的清 算をしなかった唯一の国である北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と、原発を開 発し経済・軍事大国になった中国(中華人民共和国)を敵対視し、新たな冷戦時 代を唱えるようになりました。しかし原発による潜在的な核兵器をもつという ことは、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永久にこれを放棄する」と謳った憲法9条に反するのではないでしょうか。

このことは3・11以降、脱原発を宣言した民主党に代わり新たに政権の座に ついた自民党が原発の再稼働を目指し原発の輸出にさらに拍車をかけることに つながり、やがて多くの国民の声に反して「戦争法案」とされる安全保障関連法 案を可決する道に至ります。当然のようにアジアにおける緊張が高まります。時 の政権の解釈で憲法の精神に反して集団自衛権を行使する、これはアメリカに追従する新たな戦争への道であるということで多くの若者もたちあがる事態に なってきました。

3・11福島事故以降、プルトニウムを大量に持ちいつでも核兵器を開発でき る国になったことが広く知られるようになり、内外の平和を希求する市民はこ の事実に強く「不安」と「恐怖」を覚えるようになりました。 しかも日本は地震大国です。これまで経済復興・発展を目指し新たなエネルギ ー源の確保として、安全神話の下、ついに日本は狭く地震の多いこの国土に54 基もの原発を建設するに至ったのです。日常生活でたえず地震を経験する日本 の居住者はいつも54基の原子炉に蓄えられた高レベルの核廃棄物の爆発に 「不安」と「恐怖」を覚えるのは当然のことです。

戦争とテロによる原発関連施設の破壊という「不安」と「恐怖」が原発の「不 安」と「恐怖」に重なる時代になってきました。そして2030年には東アジア に世界の原発の半分が集中すると言われています。このような事態を招いた根 底に、いかなる理由があろうとも、原発を作り続けてきた被告原発メーカーに責 任の一端があることは誰も否定できないでしょう(民法90条「公序良俗」違 反)。

8 原発から排出される放射能に対する不安と恐れ
原発事故直後、関東でも、西日本や海外に避難した人が大勢いました。その後ニ ュースで東京・神奈川地方が一時真っ赤になっていた SPEEDI の画像を見た時 多くの人は恐怖を感じました。今も原子炉から海洋と大気中に排出されている 大量の放射能に不安と恐れを感じています。

 福島原発事故以降、原発事故の被害は報道制限されて、この国では、「癒し」 が文化的テーマの中心に据えられ、加害の事実に偽装・隠蔽が施されました。こ のことは私たちの「不安」と「恐怖」をよりいっそう強めています。

2009(平成21)年9月,佐賀県唐津市の市議会において,玄海原発周辺 住民の白血病死亡率が異常に高いことについての一般質問が行われました。 この時,唐津市議会で答弁に立った唐津市保健福祉部長は,佐賀県保健統計年報 を引用し,人口10万人あたりの白血病死亡率は,全国平均が6.0人,佐賀県 全体で9.2人,唐津保健福祉事務所管内では16.3人となると答えました。 さらに唐津保健福祉事務所管内の内,玄海町に限ると,白血病死亡率は10万人 あたり61.1人となります。つまり,玄海原発周辺である唐津保健福祉事務所 管内の地域での白血病死亡率は,全国平均の約2.7倍も高く,玄海町での白血 病死亡率は,全国平均の約10倍も高いのです(九州玄海訴訟の第 3 回口頭弁 論「原告準備書面 6」より 2012 年 11 月 30 日)。

 こうした統計を提示すると原発関係者は「それではその病気と原発の因果関 19 係を証明してください。」と反論しますが、逆に過剰死亡や過剰疾患原発の因果 関係の嫌疑を晴らすには、原発メーカーが両者の間に因果関係がないことを証 明して、はじめて製品として電力会社に購入を働きかけることができるのです。 これこそが市場経済における製造者責任というべきものではないでしょうか。


第7 私たちの主張の根底にある考え 
(1)原発は人類と共存できないものであり、原発事故は人類の歴史の中で決 して繰り返されてはならないものです 
被告3社はそろって原子力事業者の責任集中制度が原賠法第一条に示された 二つの目的(「被害者の保護」と「原子力産業の健全な発達」)を「調和させ、と もに実現しうる」ものであることを強調します(たとえば東芝の答弁書7頁)。

 しかし、原発は命を削る被曝労働を不可避とし、原発は大気中と海に放射性物 質を放出し続け、地上の全生命体に被曝を強要します。当初目的とされた「原子 力産業の健全な発達」は、1945 年の広島・長崎への原爆投下による悲惨な現実、 1979 年のスリーマイル島原発事故、1986 年のチェルノブイリ原発事故、そして 今回 2011 年の福島第一原発事故の過酷事故を経験して以後、立法事実そのもの の変更がなされたことは明らかです。二つの目的は相容れなくなってきている のです。

原発の歴史を鑑みれば、核兵器と原発は表裏一体であり、「原子力の平和利用」 そのものが当初から超大国の核兵器の脅威を前提にした「安全保障政策」を補完 するものであり、人間・民族・国家間を差別する構造の上に成り立つ、きわめて 非人間的なものです。すなわち、原発は、そもそも超大国の核兵器競争を背景と して開発されたものであり、現在においてもなお、核兵器の開発・保有と密接に 関係する政治的なものなのです。

私たちはそもそも核兵器と原発は人類と共存できないものであると考えます。 結論として、原発事故はいかなる賠償方法をもってしても償いきれない災害 をもたらすものであり、人類の歴史の中で決して繰り返されてはならないとい うのが私たちの根底にある主張です。

 (2)原発事故をなくすには、既存の原発の廃絶、新たな建設の中止、原発の輸 出を禁止するしかありません。 
原発事故を「人類の歴史の中で繰り返さない」ためには、既存の原発の廃絶、 新たな原発の建設の中止、輸出の禁止をするしかありません。シビア・アクシデ ントを絶対に起こさないと保証できる技術は存在しないからです。原発メーカ ーが原発再稼動に協力しまた新たな原発を建設すること、及び原発を輸出する ことは原発メーカーと原発事業者間での契約そのものが民法 90条の「公序良俗」に反すると私たちが主張する所以です。

既にドイツやイタリアなどのユーロッパの国々においては、実際に原発を廃 絶する宣言をした国が出現しました。1979 年のミクロネシア連邦憲法、1981 年 のパラオ憲法、1999 年のオーストリア憲法は原発と核兵器の禁止を決めていま す。また、コスタリカの憲法法定は 2006 年、「ウランなどの析出、核燃料およ び核反応機の製造を可能とする政令に対し、同国憲 法の平和の価値や健全な環 境を求める権利を侵害し、違憲無効と」し、オーストリアは憲法で原発建設を禁 止しました。「オーストリアの非核憲法は、世界でいち早く制定した同国の一九 七八年「原発禁止法」 を踏まえたものです(戊第9号証・澤野義一「原発と憲 法」)。

広島と長崎で被爆の体験をし、2011 年に福島の原発事故を経験して放射能の 恐ろしさを実際に経験しその影響があまりに大きいこと、また低被爆の問題や 世界中に流れる放射性物質が食品をはじめ次の世代まで影響を与え続けること を知った日本社会こそ、核兵器と原発の廃絶を実現する努力を真っ先にしなけ ればならないでしょう。

実際に核兵器を持たなくとも、いつでも核兵器を作り出せるように潜在的核 保有国として原発を稼働し続けることで大量のプラトニウムを所有することに なる「安全保障政策」は、いつ原発による過酷事故が起こるかも知れないという リスクの上で成り立つのです。それは、国籍や民族にかかわらず日本に住む全住 民、そして近隣のアジア諸国、大気や海水を通して全世界の人々にあまりに大き な負担をかけることになります。

(3)原発体制は全世界的な差別構造の上に成り立っています 
原発は差別構造の上に成り立っているということについて私たちの考えを明 らかにしておきます。

 原発体制は基本的に全世界的な差別構造の上に成り立っています。その差別 は、ウランを採掘する被曝労働から始まり、原子炉の中で働き被曝せざるをえな い原発労働者(そのほとんどが下請け・孫請け・ひ孫請け労働者)の存在、都会 に電力を供給するために原発立地地域になった地方と都会の搾取・差別の構造、 核を持つ国と持たざる国との差別のうえに成り立つ NPT(核不拡散条約)体制 の存在に示されています。

さらに、NPT 体制は核兵器の縮小を議論しながら原発を輸出し拡散すること を認めており、その中にあって日本は潜在的核保有国としてアメリカの核の傘 下にありながら原発輸出を推進する世界の最先端にいます。これが原発体制の 実態であると私たちは考えます。

核兵器と結びつく原発輸出の最先端に位置し、原発体制の更なる発展の使命 21 を担い尖兵の役割を果たすのが被告たち原発メーカーであるように思えます。 被告原発メーカーは世界資本と結びつきながら、日本の政府の方針の下で多大 な支援を受け、国内で54基の原発の多くを建設し、海外に輸出してきました。

 しかし私たちは、高い技術をもつ被告メーカーが利益だけでなく、差別と抑圧 のない開かれた社会をめざし、原発体制に依存しない社会を作るのに大きな役 割を果たして欲しいと願うのです。

(4)「被害をもたらした者」の責任を追及していく中で「加害者性」を自覚し ます
戦後日本は、広島・長崎に投下された原爆により70万人もの人々が殺傷さ れたことをもって、被害者であることを強調します。しかし植民地下で来日して 広島・長崎において同じように被爆をした 7 万人もの朝鮮人の存在について語 られることは多くありません。広島平和記念公園の韓国人慰霊碑は公園の中に 建てることができず、公園外にあったが、1999 年になってようやく公園の中に 移設されました。

7万人の朝鮮人被爆者のうち 4 万人の朝鮮人は、路上で倒れていても朝鮮語 で「水」や「助けて」「痛い」という言葉を発したため、水も食べ物も与えられ ず、病院にも運ばれずに死亡したという悲しい歴史があったことは知られてい ません。朝鮮人の「見殺し殺人」という悲しい出来事があったことは日本社会で 語られることはありません。それは6000人を超す朝鮮人が虐殺された関東 大震災(1923 年)から23年後の出来事です。

しかし混乱の極地において何故そのような加害行為がなされたのかというこ とを直視し深く考察していくことは、「朝鮮人を殺せ」というヘイトスピーチが 都心で叫ばれ、嫌韓の書物が氾濫する現在、これからの日本のあり方を考えるに あたって必要不可欠な作業ではないでしょうか。

被害と加害の両面を直視せずして歴史の進展はありません。日本は敗戦後、植 民地支配した歴史の清算を十分に果たしてこなかったために、歴史における被 害者であるとともに加害者の立場に立つという両面性を持ち続けてきました。

広島の平和団体からオバマ米大統領へ送られた手紙の中に、日本の歴史にお ける「被害者性」と「加害者性」の両面をどのように克服するかということが記 されています。それは「被害者」である事実を徹底的に問い詰めることなく、「被 害をもたらした者の責任」を問わずに曖昧にしてきたことが、同時に「加害者意 識」を曖昧にすることになったということを記した内容です(戊第10号証・ Peace Philosophy Center「原爆投下は米国の戦争犯罪および日本の戦争責任の 隠蔽に使われた-広島の8つの平和団体からのオバマ大統領への手紙」)。

 私たちは苦しみの中から見出されたその逆説的な見解の中に大いなる真実を見ました。

福島第一原発事故もまた同じではないでしょうか。「被害をもたらした者の責 任」はどこにあるのかを徹底的に追い求め、その責任を明らかにするとともに、 日本の原発輸出先である台湾やその他の地で住民の反対運動が起きている現実 から原発輸出国である日本の「加害者性」を自覚することが必要です。

その意味で、これまで福島事故を起こした原発メーカーの責任問題は日本社 会で取り上げられることは少なかったのですが、過酷事故を防げなかった被告 原発メーカーの責任を徹底して明らかにし、原発の再稼働・新規建設及び輸出に 歯止めをかけることは差別の上で成り立つ原発体制をなくしていくことにつな がり、それは同時に日本社会の歴史的な課題の解決、及び国際連帯運動につなが るものであると私たちは考えます。


 第8 私たちの主張
 被告原発メーカー3社は福島原発の計画・設計・建設及びメンテナンスに関わ っていながら、各会社の HP においても、答弁書においても、原発のシビア・ア クシデント(過酷事故)の可能性、危険性を人々に知らせず安全・廉価・クリー ンであるという安全神話を宣伝し続けてきました。何重にも作られた防御施設 によって事故はおこらないと言い続けてきたのです。私たちは被告原子力メー カーの企業としての社会的責任に対する姿勢を強く疑問に思う所以です。

私たちは少なくとも被告自らが密接に関わってきた原発が事故を起こし、ま た事故を起こさなくとも、原子炉の運転から必然的に大気と海中へと放射性物 質が放出されて地域住民の健康を害し自然を汚染してきたのですから、そのこ とと被告原発メーカーの犯した不法行為がどのような関係にあり、それがいか にして選定者・原告の精神的障害をひき起こしたのかを明らかにして、被告の法 的責任を追及します。

 第9 私たちの主張の法的根拠 
(1) 原発メーカー責任を問う「公序良俗違反」(民法90条)
1.これまでの原発関連裁判では原発事業者だけの責任・不法行為が問題とされ てきましたが、原発メーカーの設計、製造、補修があって初めて原子力事業者は 原発の運転をすることができ、原発メーカーの製造物の責任の下で、通常安全と 考えられる状態で内外の原子力事業者に手渡されるのです。その際、軽水炉原子 炉においては絶対的な安全はありえないので、必ず、両者間での設計、製造・販 売、補修に関する契約が存在するはずです。

2.日本では原子力基本法をはじめエネルギー政策の面から原子力発電には大 きな期待がかけられていたのは事実です。原子力発電は国策民営化として始め られた所以です。しかしスリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、福島第一 事故によって、その事故の規模の大きさから、原発事故は取り返しのつかない 惨事が予想され、世界では憲法で原発と核兵器の禁止を決めている国が現れて います(参照:第7 私たちの主張の根底にある考え(2)原発事故をなくす には、既存の原発の廃絶、新たな建設の中止、原発の輸出を禁止するしかあり ません 19頁)。

また福島事故以降、ドイツやイタリアなどにおいても原発 の廃止や停止が決定されました。このようなことから、原子力基本法が制定さ れた当時の立法目的(人類の福祉や平和目的)が一般的には違憲視されていなか ったとしても、それに反する諸事実が明らかになっている現在、立法目的を支 える正当な合理性のある立法事実が失われており(違憲立法審査制論における この種の「立法事実変遷論」は、近年の最高裁においても、2005 年 9 月 14 日 在外邦人選挙権判決、2008 年 6 月 4 日非嫡出子国籍確認判決等において採用さ れています)、原子力推進関連諸法は違憲・無効と解せざるをえず、原発の建 設等は許されません(戊第15号証・澤野義一『脱原発と平和の憲法理論』法 律文化社、2015 年、23~24 頁以下、および戊第16号証・原発を問う民衆法 廷実行委員会編『原発民衆法廷②』三一書房、2012 年、24~25 頁参照)。

3.過酷事故の発生や原発の運転による地域住民の健康被害を予想するとき、 たとえ原子炉から放出される放射性物質が政府が定めた基準値以下であって も、それは住民の安全を保証することにはならず、低線量被爆によるガンなど の疾病は抑えることはできません。私たちの主張する精神的損害は今や原子炉 の運転、過酷事故の危険性による「不安」「恐怖」が起因となる人権侵害であ り、従って、原発の建設契約自体が法的には公序良俗に反する反社会的な行為 であり、無効であることを私たちは時代に先駆けて主張します。

4.公序良俗違反とは、憲法の基本原理や人権の侵害に当たる行為のことであり、 その危険性や可能性を知りながら原発メーカーと原子力事業者が地域住民に伝 えず、原発製造の契約を締結する行為は公序良俗に違反する不法で無効な行為 です。また被告メーカーが海外への輸出を進めることも海外との原子力事業者 との契約に基づくものであり、それらは国際信義に反するものである(憲法前 文)、と主張します。なお、原発を運転することは自動的に核兵器に利用できる プルトニウムが蓄えていくことであり、政府が原子力発電を「安全保障に資する」 (原子力基本法)と位置付けることは潜在的核保有を容認することでもあるの で、それは憲法の基本原理である平和主義、すなわち潜在的戦力保有を禁ずる憲 法 9 条 2 項に違反します。

(2) 「No Nukes 権」の拠って立つ法的根拠
1.「原子力の恐怖から免れて生きる権利」(No Nukes 権)は人類の基本的人権 として国際的に認められている、「『不安』と『恐怖』からの自由」として理解さ れるべきものです(参照:憲法との関係は訴状81~84頁)。 それは憲法の前文「平和的生存権」、11条「基本的人権」、13条「幸福追求 権」、25条「生存権」、世界人権宣言第3条「すべての人は、生命、自由及び身 体の安全に対する権利を有する。」、及び「市民的及び政治的権利に関する国際規 約(自由権規約)」6条1項「1.すべての人間は、生命に対する固有の権利を有 する」を根拠にします。

2.「No Nukes 権」は原発による被害にとどまらず、「原子力の恐怖から免れて 生きる権利」ということから、核兵器の影響下で苦しむ人にまで適用されること になります。原爆被爆者2世、3世の問題も「No Nukes 権」の問題として捉え られることになるのです(3 低線量放射線による内部被曝の問題、12~13 頁)。

即ち、核兵器と原発は表裏一体の問題として指摘してきましたが、ここに至っ て、両方の被害者の立場に立ち両方の廃絶をなくすことが、放射能に対する「不 安」と「恐怖」をなくしていくことになるのです。

(3)製造物責任法の「欠陥」
1.製造物責任法(以下、PL 法とする)に基づき、被告3社は、製造物(原発) の「欠陥」によって「通常有すべき安全性」を欠いており、結果として原発事故 を防ぎきることができず、そのために多くの災害を生み出し、原告の「不安」と 「恐怖」からの自由という基本的人権を侵害し精神的損害を与えために、損害賠 償責任を負います。

 2.被告3社の製造した原発は、「想定し得た地震及び津波」、「耐震チェックの 不備」、「老朽化の問題」、「マークワン型固有の問題」等によっておこされる災害 に事前に備えるメーカーとしての責任があったにもかかわらず、製造物(原発) の「欠陥」の根本的改良を怠りました。被告3社は原発事故を起こしたことの責 任から逃れることはできません(訴状8章「製造物責任法に基づく損害賠償請求」 参照)。

(4) 民法709条の「過失」
被告は原発事故を防止する注意義務を負い、(3)の「想定し得た地震及び津波」、 25 「耐震チェックの不備」、「老朽化の問題」、「マークワン型固有の問題」等の事故 要因に備えることが不十分であったことはメーカーとしての「過失」であり、民 法709条によって、原発事故による精神的損害を被った原告の損害を賠償す る責任を負います(訴状第9章「民法709条に基づく損害賠償請求」を参照)。

(5) 「支援機構法」の「利害関係者」必要な措置」
原子力損害賠償・廃炉等支援機構法(以下、「支援機構法」とする)附則6条2 項には「利害関係者」(被告3社は当然、この中に含まれます)と東電との「負 担のあり方等」についての「必要な措置」が明記されており、支援機構法を被告 3社への賠償請求の法的根拠の一つにします。

 第10 結び 
ついに自民党政権は多くの内外の反対の声に逆らって原発再稼働を決行しま した。それに続く原発再稼働が決められ、被告メーカーをはじめ部品メーカーも 政府の支援を受けどんどんと輸出に向かうのでしょうか。古い原発に代わる、小 型で廉価でより安全であると言われている新型の原発の建設が進められること も憂慮されます。

 3・11の原発事故の事故原因、その責任を徹底的に追及し、二度とこの世界 で原発事故を起こさせてはならないのです。それは現在、この世で生きる私たち の責務です。原発は存在そのものが既に多くの人々に「不安」と「恐怖」を植え 付けています。

 私たちは平和を待つのでなく、自ら平和を作り上げていくのです。核兵器の廃 絶もNPT体制の現状を見る限り困難に見えます。しかし私たちは私たちの子供、 孫、子孫のために、人類の存続のために、今、立ち上がり原発を廃絶し原発輸出 をやめさせていく道を、核兵器をなくしていく道を歩まなければならないと主 張します。その第一歩は、3・11福島事故における被告原発メーカーの責任を 明らかにしていくことから始まります。

メーカー訴訟において裁判所が具体的に被告原発メーカーの何が問題であっ たのかを明らかにし、世界の英知を集めて審理を進めてくださり、歴史に残る判 決を下してくださることを願ってやみません。ここから新たな歴史が始まるの です。

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