2015年8月12日水曜日

メーカー訴訟の会及び事務局の今、やるべきことは何なのか

いよいよ8月28日にメーカー訴訟の第一回目の口頭弁論がはじまります。そのときにあたって、訴訟の会、及びその事務局がやるべきことはなんであるのか、考えてみたいと思います。一部の人はどのように法廷に人を動員するのか、盛り上げるためにハッピを準備すべきだとか主張しているようです。しかし被告弁護団からの答弁書がだされ、私たちの訴状は完膚無きまでに批判され尽くされており、このままでは審理に入れず、こちらの主張を述べ相手側の反論がなされると、メーカーの責任を問う実質的な審理なく結審を迎える事になると憂慮されます。

先の原告・被告弁護団による進展協議の席でGEたちが主張したことですが、早期打ち切りの主張に対して原告弁護団は原告の利益を代表して抗議することをせず、沈黙したという事実が象徴的であったわけです。しかし次回の進展協議の席には、委任契約を一方的に弁護団によって切られ本人訴訟の道を歩むことになった前・現訴訟の会の事務局長は、早期結審に断固反対し、メーカー責任の審理を粛々と進めることを主張します。

みなさん、被告弁護団の答弁書をしっかりと読んでください。そして逃げないで自分なりの意見を出してください。金信明さんにメールされると答弁書を読めるURLを送ってくださいます。sinmyon@ybb.ne.jp

被告弁護団は、原発が国策民営によって運営されおり、メーカーを含めた原発関係者に(仮に誤まりがあっても)その全責任は東電が負い、1200億円を超えた賠償金に関しては国が「支援機構」を通して全責任を負う体制を作り上げたと豪語しています。事実、これだけ反対があっても再可動がなされ、そして2030年の国家のエネルギー政策の20%は原発であると国は公表しています。

原発を作るべきではないというのは、原告の政治的見解にすぎず、国は原子力基本法にもとづき、着々と原発を運転していく、事故があった場合の責任はしっかりととるシステムは作った、同時に原発運営会社を破産させるわけにはいかない、だから原賠法の第1条の目的の「被害者の保護」と「原子力事業の健全な発達」の併記は正しい、「責任集中の原則」は世界で認知され、福島事故以降は日本は外国と事業者の「責任集中」を前提にした条約まで締結している、そのどこが憲法違反なのか、と完全に開き直っています。見事な論理構成です。付け入る隙はないと思われます。

それに対しわが弁護団の訴状はどうでしょうか。原発体制は国営民営化路線であることを踏まえ、一体化された原子力村と政府、官僚及び法体制・裁判制度に対抗するにはあまりに貧弱な論理構成であり、事実認識の誤りもあり、これではまるで大人と子供の喧嘩です。原発事業者が相互扶助の立場で政府と金を出し合い、東電を救い、返済は自分たちが担うというのでは、原賠法の「責任集中の原則」はとっくに破られているのです。「支援機構法」が「責任集中の原則」に反するという認識もありません。憲法違反は原発体制の全容を捉えておらず、「責任集中の原則」を謳う原賠法はいくつかの点で憲法違反だと理屈を述べているだけです。その論理も粉砕されていると私はみます。全体制がないからです。裁判所が原賠法の憲法違反をいうことはありえません。

それよりもひどいのは、仮に憲法違反でないならばということで展開されている論理の構築がまるでめちゃくちゃなのです。国が支援機構を通してこれまで10兆円をだしてきたしこれからもいくらでも(メーカーの責任があるんだったらあるで)金をだしますよ、それに決算上も東電は黒字ですよ、それがなんで40万円も払えない「無資力」会社だから金のあるメーカーから払ってもらうと主張するんですかと、彼らの笑い声が聞こえてきます。

これでは法律論で玄関払いされ、メーカー責任の審理をすることはできません。そのどこに原因があるのか、われらが弁護団がやらないのであれば、原告がなんとしても法廷でメーカー責任を問い、原発体制を問う裁判にするにはどうすればいいのか真剣に検討すべきです。このメーカー訴訟は負けてもいいのだ、国際連帯で運動が広がればいいと考える人がいるとすれば残念ですね。原告のみなさんは、メーカー責任の中味を審理できないような裁判でもいいのですか、それでも黙って島弁護団の機嫌を損なわないように支援するのですか?

私は、原告の利益を代表せず、原告の意見を聞かない弁護団は断固、解任すべきだと考えます。そして原告の思いを法廷で陳述するだけでなく、GE、日立、東芝を相手にしてメーカーの責任を問う審理に入るための準備をすべきです。それが訴訟の会及び事務局のレーゾンデートル(存在意義)です。


3 件のコメント:

  1. 原告のYさんへ
    Yさんは被告弁護団の答弁書をお読みになり、私の訴状批判(再検証の必要あり)という主張に反発されているようです。以下、そのYさんにお送りした内容です。
    じっくりと何度も答弁書をお読みください。そうでないと彼らの主張の根幹が見えてきません。私は法律の素養のないものですが、何度も何度も反発しながら、彼らの主張をまず理解しようとしました。
    裁判所は法理論を根拠にした主張(訴状)を根拠にして原告・被告がやりとりするとことです。社会科学の知識で相手側を批判してもそれはひとつの「政治的な立場」として排斥されるところなのです。こちら側の見解は裁判で通用する形式に一旦「翻訳」されないといけません。国策民営とはよく言ったもので、政府、利益共同体(原子力村)、官僚が一体となって法律を作り、自分たちに責任が来ない体制を作っています。だからこそそれを相手にするには、相手の土俵で相撲をとっても勝てない、裁判の審理の土俵に上れないのです。
    島弁護士はその城壁をこじ開けようとして苦労して多くの若い弁護士と協力し合って訴状を書いたのですが、素人の私が読んでも、彼らの堅固な城壁の前にして不十分な立論で終わっています。とても穴をあけることさえできません。その城壁の前で言いたいことだけ言って野垂れ死にです。しかし私たちは裁判を始めた以上、その城壁の前でここまでやったからいいではないかと言えません。だからみんなで英知をだしあって、これまでの戦い方を再検証し、いかにその城壁が堅固であっても、それに穴をあけ、敵を私たちの土俵に引きずり出し戦う論理をだすしかありません。お分かりいただけるでしょうか。
    カナダの小出裕章さんのような立場の反核の研究者である、Gordon Edwards氏のメッセージをよくお読みください。
    山口さんの怒りは当然で、私も同じ怒りを共有します。だからこそ、私たちは「法律論や裁判に通用する法理論」を再検証し、メーカーの責任を明らかにさせる戦いを具体化させないといけないのです。ご理解ください。
    拝啓
    崔さん、私はあなたが原発メーカー訴訟に対し心に抱いている深い洞察力に強い感銘を受けています。実のところ、これはまさに原発メーカーが最も懸念しているところであり、だからこそ彼らは、責任逃れをするために、原子力損害賠償責任を明記(「原子力賠償責任の法制化」)した法律(翻訳者注:原子力損害賠償法を指すと思われる)を制定するよう主張したのです。ですから、原発メーカーが法律制定化を要求して自分たちを法の網の外に置いたという意味においては、その不正行為および原発体制の根本にある無法状態(無法ぶり)をあぶりだすのは、名案です。
    私はこれから、あなたのメッセージを直ちに快く受け入れてくれるような在カナダ団体のリストを作成し、あなたにお送りいたしましょう。
    では、ご成功を祈ります。良いご旅行を。そしてお気をつけて。蔦村的子訳
    Che, I am very impressed with the strong vision you have of a lawsuit against the makers of nuclear reactors. In fact this is the very thing they are most worried about and why they insist that the laws be written ("Nuclear Liability" legislation") to protect them from liability. So it is a good idea to highlight the injustice and fundamental lawlessness of the nuclear regime, in the sense that they demand a law that puts them outside of the law.
    I will work on a list of organizations in Canada that may be open to your message(s) and send that list to you.
    Best wishes., and bon voyage, safe travels..

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  2. メーカー訴訟に参加される方へ

     私もそうなのですが、原子力ムラの人間の心を変えることは不可能だから、訴訟という選択肢しかないと考えておられるのだとしたら、以下のような映画は一つの希望ではないでしょうか。
    製作から20年以上を経て、今、日本で人気が広がっているそうです。私も鑑賞後、”切断”されたと感じました。世界の放射脳の方々にこそ、観てもらいたい映画です。

    映画『美しき緑の星(La Belle Verte)』(1996年フランス)
    【作品紹介】誰もが協調のうちに暮らし、みんなが幸福で互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と共に暮らす世界があったとしたら…そんなの、ありえない?「美しき緑の星」は他に類を見ないフランス映画。メディア経営者らの手によってEU内では事実上の発禁状態にされています。

    【あらすじ】この美しき緑の星では貨幣制度がなく、自分の得意で好きなことをそれぞれがして共存共生し、みんなが平和に豊かに暮らしている。彼らの惑星では、地球は本当に危険で野蛮な原始的な星なので誰も行きたがらない。そんななか、主人公の女性宇宙人が名乗りあげます。「わたし行ってもいいわよ!」

    マイナーなチャンネルで深夜に放送されたことが2回ほどあるのを除けば、1996年以来テレビで放映されたことはありません。ヴァンサン・ランドンやコリーヌ・セローなど有名な俳優が出演しているにもかかわらず、探しても、なかなか見つからないのは、そのためでした。

    これは世界中の人々に大きな目覚めを呼び起こす映画です。昔から本当のことを隠しておくのは難しいものですが、ちょうどそんなふうに、みなさんも本当のことを知るに至ったというわけです。どなたにも楽しんでいただける作品です。※ある方のブログの紹介より
    https://www.youtube.com/watch?v=ZuCHl-owNhk

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  3. Ai Shibahashiさんへ

    映画のご紹介、ありがとうごじざいます。
    youtubeで見れるので助かります。見た感想を多くの世界の人に知らせますね。

    https://www.youtube.com/watch?v=ZuCHl-owNhk

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