2015年7月2日木曜日

原発メーカー訴訟の歴史的、思想的な意義についてー西川長夫の「新植民地主義」論との関わりから

西川長夫を知る一般の人は少ないでしょう。彼の死後、西川長夫から多くを学びそこから新たな地平をめざそうとする研究者とともに新しい本づくり(『戦後史再考』)が企画され、そこに「日立闘争」当該の朴鐘碩と、彼と一緒に原発メーカーの責任を追求すべく訴訟に踏み込んだ私が加わりました。

研究者ではない私たち二人の在日がどうしてその本の出版に関わったのか?私は西川長夫の歴研研究者の中に実践を求める在日をいれようとしたところに、彼の深い意図があったように思います。朴は最後の「戦後の終わり」というカテゴリーの中で「日立就職差別闘争後の歩み」を、私は「原発体制と多文化共生」を書きあげました。

西川の自分の中にある植民地の残滓を削ろうとするかのような「新植民地主義」論に私は、在日としての生き方を模索してきた歩みの中から一条の光を感じました。国民国家を乗り越える、私はこれまでの悩みのなかからその方向を明確に自分のものとしました。多文化共生批判に関する私の実践の上で唱える論説に西川は関心をもってくださったようです。私の稚拙なブログをいつもコピーして読んだくださったと彼の死後、知りました。

『戦後史再考』はそれでも出版後はあまり注目されなかったようです。しかし横浜国大の加藤ゼミに参加した私と朴は、その本を読み、私たちの拙論をまとめて発表し、私たちの思いを聞いて議論した学部学生が最後に、自分の生き方に引き寄せた感想に感動しました。この本をだしてよかった、と私は思いました。

先ほど『思想』7月号が届きました。「「戦後」の超克ー西川長夫への応答ー」という主題が書かれています。今から詳しく読みますが、冒頭の、磯前順一・酒井直樹両氏による「思想の言葉」を読み、そこでまとめられた西川長夫への評価に私は大きくうなずきました。「戦後日本社会と国民国家としての植民地体制」というタイトルです。

39ヶ国から2500名、日本国内から1500名の原告を集めて始まった原発メーカー訴訟の歴史的、思想的な意義がここに書かれていると思います。この訴訟をめぐる「混乱」は真実が明らかになるためであると語る本田哲郎神父の言葉に励まされてきましたが、その「混乱」は戦後の日本の植民地体制を乗り越えるためのものであったのか、私はあらためて自分の立ち位置を確認できました。
私は拙論の冒頭に西川長夫の遺作ともいうべき『植民地主義の時代を生きて』からの一節を引用しました。

原爆/原発体制は、資本と国家の結合が推し進めてしまった末期的な危機であり、植民地主義の末期的な形態であることを詳しく論じる余力が私には残されていないが、私たちはいま、人類が生き延びるための最後のチャンスに懸けているのではないだろうか。(西川長夫『植民地主義の時代を生きて』平凡社、2013、6頁)

1 件のコメント:

  1. 土田久美子2015年7月2日 21:15

    FBへの投稿から

    Kumiko Tsuchıda
    私は、2003年から2007年にかけて、トルコイスタンブル大学・法学部・私法学科において、比較法にかんする博士論文を書いている時、、担当教授 Prof.Dr.Şener Akyolから植民地主義について調べるよう言われたことがあります。トルコは植民地体制を取らなかったと。その教授も2011年に亡くなられ、いつも、私の中に、いつか研究したいと思っていたテーマでした。崔さんを知ったことにより、この本を知るチャンスが訪れました。是非、読ませて戴き、研究参考資料にさせて戴きたいです。現在アフリカの植民地体制について、アフリカ人の友人から時々教えて戴いているところです。西川長夫についても全く知りませんでした・・・。

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