2014年3月12日水曜日

日立資本の城下町・茨城県日立市で反原発をアピ-ルするー朴鐘碩


東京から150Km離れた日立市。日立駅に近い公園で原発メ-カ日立製作所に反原発、原発輸出に抗議する集会が開かれた(「戦時下の現在を考える講座」主催)。参加者25名。
カメラ担当Yさんが線量計の数値を見せてくれた。数値は爆発時より下がったが、依然として髙いという。


日立市は、日立製作所発祥の地。上野から常磐線、特急「ひたち」で90分。茨城県の太平洋沿岸は、日立製作所の事業所、工場、営業所および関連会社が集中している。平日の特急「ひたち」の乗客の殆どは、打合会議、出張の日立関連のス-ツ姿のビジネスパ-ソンと思われる。


駅前のメイン通りは、殆ど人影がなく、閑散としている。日立の工場の中に多くの人たちがいる。駅の看板は「HITACHI」、バスは日立電鉄、駅前ビルの屋上には「Inspire the Next」が赤く点灯されている。どこを見ても「日立」の看板。


デモは、公園を出て駅前の中心街を片側道路に拡がって歩く。交通整理の警官が交差点に立っているだけで、全く規制されずに自由に行進する。日立労組、連合、大畠章宏民主党議員事務所があるビルの前で私がマイクを握る。


「日立市民、日立製作所で働く皆さん、私たちと一緒にデモの参加してください。原発をなくしましょう。沈黙せず声を出しましょう!」最初は丁寧だったが、次第に口調は厳しくなる。
「連合は何故沈黙しているのか?」「日立で働く労働者は、沈黙せず声をだせ!」と繰り返す。
日立事業所正門で「日立の会長・社長はじめ経営陣は、福島被曝避難住民に謝罪しろ!」「企業として責任を取れ!」「リトアニア、海外への原発輸出を阻止するぞ!」「日立は原発事業から撤退せよ」と繰り返し叫び続けた。


デモ行進は、日立資本の日立市の中心街を約1時間半近く続き、手を振てくれる市民もいた。罵声を浴びることはなかった。日立にものを言いたいが、我慢している人は少なくないと思う。3.11で犠牲となった人たちへの追悼として、日立青年商工会議所主催なのか、商店街に小学生たちがロウソクを並べていた。事故起こした原発メ-カ・日立製作所、被曝避難している福島住民に何を感じているのか。


人数は少なかったが、原発メ-カ・日立資本の膝下である日立市中心街で、「反原発・海外輸出阻止」と声を大にしてアピ-ルした。次回は「千名規模のデモをめざそう!」と言って主催者と別れた。




「戦時下の現在を考える」茨城県日立市
   常磐線日立駅近くの公園
朴 鐘碩 2014年3月11日

こんにちは。横浜・戸塚にある日立製作所に勤務する朴鐘碩(パク・チョンソク)です。
2011年3月11日の原発事故から3年経過した今日、ここにお招き戴いた皆さんに感謝します。
ご存知のように日立製作所は東芝、三菱に並ぶ原発メ-カです。日立発祥の城下町で反原発、原発輸出の抗議集会をする意義は深く、私自身アピ-ルできることに光栄に思います。



私は、40年以上前、19歳の時ですが、国籍を理由に日立製作所から採用を取り消され、4年近い裁判で差別の不当性を訴えて勝訴し、日立に入社しました。


原発事故から8ヶ月後の2011年11月末、定年退職しましたが、現在、嘱託として働いています。
日立は、国内の約60基のうち半数近い原発を電力会社に納入していますが、その一つが事故を起こした福島原発です。


事故の責任を取るべきなのは、政府、東京電力だけではありません。国策に便乗し、安全神話で住民を騙して、人類・自然と相入れない原子炉を製造したメ-カの社会的・道義的責任が問われなければなりません。


私たち「原発メ-カ-訴訟の会」は、日本はじめ全世界から約4,300名以上の原告を集め、事故を起こした日立・東芝・GEを被告として1月30日、東京地裁に提訴しました。
日立製作所は、日立鉱山を発端にして、朝鮮半島が日本の植民地となった1910年に創業しています。資源のない戦前の日本のエネルギ-確保は、炭鉱、ダム建設、送電網、資材輸送の鉄道敷設などインフラ整備のために、最も危険な土木工事現場に「枕木一本に朝鮮人一人」)に匹敵する、強制連行した朝鮮人、中国人の労働力が必要でした。


日立の労働者は、資本の論理に従い、上司から課せられたノルマを遂行するだけです。職場で「原発事故」について語ることはタブ-となって、誰もが口を閉ざしています。労使一体で労働者にものを言わせない日立の閉鎖的な経営体質と原発事故は、深くつながっています。職場でおかしいことはおかしいと言い続けてきた私は、川村隆会長、中西宏明社長に原発メ-カとしての倫理・社会的責任を求め、抗議文と要望書を提出しました。


原発事故収束の目途はなく、これから何十年・何百年も世界中に放射能を拡散し続ける日立の経営者、経営者に従う組合幹部は、土地・財産を失い、犠牲を強要された避難住民のことを考えないのでしょうか、原発事故について何故沈黙しているのでしょうか。日立および関連企業のある日立の城下町で働く、労働者・エンジニアの皆さん、目を覚まして共に声を挙げてください。


日立の労働者は、致命的な事故を起こした原発製造・輸出に疑問を感じても、自分の将来を考えて沈黙します。1970年、就職差別事件が起こったとき、労働者の権利を擁護する日立労組幹部はじめ多く労働者は見て見ぬふりをしました。この沈黙こそ、多くの犠牲者を出した原発事故に対する沈黙と通じています。労働者に沈黙を強いる経営は、「企業内植民地」です。国策による原発輸出と資本のグロ-バル化は、「植民地を拡大」します。


私は、日立で働いて、解ったことの一つは、「労働者にものを言わせない労働環境、組合運動、平和・人権運動は、差別を助長し排外主義を強化する。おかしいことはおかしいとものを言う労働者、外国籍住民を抑圧・排除することは自らを抑圧する」という社会構造です。事故の反省もなく平気で原発を輸出する日立の経営者、抗議の声も出せない労働者、排外主義などの問題は全て根が深く繋がっています。


日立製作所は、人間性・安全性よりも生産効率と利潤追求を優先させる植民地的経営で戦後の原発体制を確立しました。また事故原因を明らかにせず、被曝避難者への謝罪もなく、原発をリトアニアはじめ海外に輸出しようとしています。


台湾、インドなどの状況を見ればわかりますが、原発輸出は相手国の住民を弾圧し、犠牲を強いることです。日本が加害者になることです。戦後の原発体制が戦前の植民地主義を変質させて、植民地なき「新植民地主義」に繋がっていることは明らかです。原発輸出は、一国主義で終わるのではなく、世界的な日立製品不買運動に繋がった日立闘争のように国際連帯で阻止しましょう。
私は日立製作所会長・社長はじめ経営陣に、声を大にして改めて以下のことを要求します。

1.福島の住民・被曝避難者に謝罪すること。
2.原発メ-カとしての道徳的・社会的責任を取ること
3.原発輸出を中止すること。
4.原発事業から撤退すること。
5.原発廃炉技術、自然エネルギ-開発に予算をシフトすること

私は、開かれた、世界から愛される企業を求めて、日立製作所を批判し抗議を続けていきます。共に闘いましょう!

東京新聞・茨城
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20140312/CK2014031202000150.html

youtubu
https://www.youtube.com/watch?v=cGQ4ATf15cs

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