2014年2月28日金曜日

投稿:民主主義的集会へ妨害と規制にをはね返そうー福井の場合

何の解説も不要だと思います。福井の盟友Xさんより送られてきた原稿と新聞記事を掲載します。

現在の安倍政権のことをファシズムと捉える人もいます。戦前の足音を聞くようだと心配される方も多くいらっしゃいます。その通りでしょう。しかし私はここでもう一度、現在起こっていることの本質を考えてみたいと思うのです。それは結局のところ、核で世界を支配する列強と、その核の傘下でより弱小の発展途上国の植民地支配をしようとする準列強(これは日本や韓国のことを意味します)が、グローバリズムと原発体制という戦後の植民地主義の強化をはかっているということです。
その根のところにあるのが、国民国家という無意識の領域にまで一人ひとりの人間を虜にする制度であり、権力に抗する闘いでさえその国民国家という制度に収斂されていく危険性が大です。

福島事故を起こした原発メーカーはGE、日立、東芝です。かれらは原子力損害賠償法(原賠法)
によって原発事故の責任を免れ、全世界に原発輸出を試みています。台湾の第四原発こそ、その第一号であり、福島事故を起こした原発そのものなのです。それを廃炉にしようという台湾の市民の熾烈な運動をどうして日本の脱原発運動も支持、連帯をしてこなかったのでしょうか。私はここに一国平和主義という、日本の国の枠(国民国家)内で発想、行動する日本の運動の大きな弱点を見る思いがします。こここそ、試金石です。私たちは自らこの国籍の呪縛を破り、何々人でなく、一人の人間として、台湾の原発を許さないという運動に参加しようではありませんか。

ここに至りまだ、あれは海の向こうの台湾の国内のことだと思うような運動は所詮、日本国家の手の中の運動に終わります。盟友の福井のXさんが指摘する問題は、福井だけのことでなく、私たちの反核、反差別、反植民地主義を求める運動を快く思わず潰しにくるのは誰なのか、それはその勢力に結果としてすり寄ることになる自分達自身の運動になることを歴史は教えています。崔勝久


民主主義的集会へ妨害と規制にをはね返そう

以下の文章は、福井県で原発に反対する者として、看過できないと思い、福井で起こっている民主主義活動へ規制事件を周知し、福井県内、日本国内で、民主主義的な活動をする全ての人に、警告を発するものです。

3月9日に、福井で、福島原発事故の3周年集会がもたれます。
http://311memorial.web.fc2.com/pdf/3.11tirasi1.pdf

しかし、この集会を巡って、福井では異様な事態になっています。この集会は、自然農法の会や一般主婦など、一般市民が賛同・参加する平和的で温和な集会です。

山本太郎参議院議員が参加することを理由に右翼・ゴロツキが妨害行為と、テロを実行する危険があるとのことで、なんと、妨害の被害者である平和的な集会を企画している実行委員会や山本議員の事務所に、「自粛」を求めているのです。
(実行委員会事務局によると、「今の右翼は一人一殺だ」などという恫喝ともとれる言葉もつかって、警察は自粛を要請してきている。)

さらに、集会場で、金属探知機を設置することを求めるなど、平和な集会が、あたかも危険な集会と印象づけられるような「警備」をすると通告してきています。
(実行委員会は拒否したが、警察はあくまでも設置するとしている)

右翼やゴロツキの、妨害、集会施設関係者・周辺の住民などへの威嚇、テロの可能性等を理由に、民主主義的な集会を「自粛」するなら、日本では民主主義の基本として憲法でも認められた、集会・結社の自由や思想・良心の自由、表現の自由がなくなっていきます。

公安当局や自治体のやるべきことは、集会関係者や施設担当者、周辺住民等への威嚇行為をしている右翼団体や個人を規制し取り締まるべきであるのに、被害者である集会が迷惑行為であるかのイメージを作りだそうとしています。その上、自粛をせまり規制し、「警備」を理由に集会会場に入り「捜査」や「情報収集」を行おうとしています。

秘密保護法を通し、集団的自衛権を閣議だけの解釈改憲で容認するとする独裁者安倍晋三を送りだした軍事国家主義勢力は、日本社会を大きく変えつつあります。
民主主義的な要求を弾圧し、あるいは脅すことで自粛させ、思いのままの社会に変えようとしています。

既に、60年安保や70年安保は過去のものとなり、反対勢力は、弾圧・分断・弱体化させられています。それでも、311後、声をあげた温和な反対運動も、規制、弾圧と脅しの対象となってきているということだと思います。

福井でも今回の集会だけではありません。
県内のある九条の会創立り選挙に立候補された方が右翼の脅しで九条の会の関わりを妨害されたり、憲法の条文をかいた書道の作品を展示会から撤去させられようとなったり、多くの規制、妨害が起こっています。

以下のようなニュースも日々、目にすることが多くなってきています。
(今のところ、報道があるだけでもましなのかもしれません。)

はだしのゲン 都内で撤去請願 教委・議会に14件
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014022102000111.html

東京都美術館、安倍政権を批判した中垣克久氏の作品の撤去求める
http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/18/nakagaki-katsuhisa_n_4812562.html?utm_hp_ref=japan

あげれば、このような「事件」は、際限なく発生しています。
みなさんの身の回りでも、似たような話がいくつもあるのではないでしょうか?
自分達ささやかな大衆運動や市民運動に関する「事件」は、報道さえされません。

これらは、とても偶然とか単に世の中の右傾化だけの現象とは思えません。
最近多発するこれらの「事件」は、それぞれ、多少違いがあるとは思いますが、
以下のような特徴があるのではと考えています。

・右翼が様々なところで、組織的に妨害活動を行い
・それに呼応して、行政、治安当局が妨害された側への締め付けと
 一般社会からの分断を計るような対策をとる。
 場合によっては、これらの「犯罪」と犯罪からの警備を理由に
 妨害された側の情報収集を行う。
・妨害、弾圧の対象が、従来から右翼や権力者がつけ狙う運動だけでなく
 穏健な集会や団体、個人に広がっている
・全国的に様々な分野(政治運動だけでなく、文化活動など)で妨害がおきている

組織的且つ計画的な動きだと思います。
右翼や行政・公安の背後に、全体をまとめている何かがいるような気がします。
けっして、ただの脅しと侮ってはいけない。

全ての、抵抗運動や活動(文化的な活動も)を行っている方々に福井から警告を発します。ここで、自粛したり彼らのいう警備を許して、彼らの作戦に屈しては、彼らの思うつぼであり彼らは手をゆるめるどころか、さらにつぎの妨害、規制、弾圧に進むでしょう。悲しみも心の叫びも、怒りも表現できず、正義、真実、良心を主張できなくなるということだと思います。
暴力に怯えて、集会を自粛・誰も参加しない運動になっていっては、返って右翼テロリストのおもうがまま、テロリストは図に乗ってさらに凶暴な行動にでるでしょう。

民主主主義への抑圧を防ぐことはできるでしょうか?
恐ろしく強大な力に対抗することができるでしょうか?

それは、警戒心を高め、ゆるぎなく毅然とかれらと対決していくことではないでしょうか?力もなく、財力もなく、地位も名誉もない自分達ですが、多くの仲間と連帯し団結することでかれらの動きをけん制し、止めていくことができるのではないでしょうか?

自分達は右翼や権力者に比べたら本当に小さい。弱い。武力もない。
しかし、小さく弱い大勢の仲間がいるのではないでしょうか?
小さくて弱くて社会の底辺で生きているという共通の仲間がいます。
繋がれる仲間が大勢いるということは、武器だと思います。

そして、言論や平和的なアクション、憲法で保護された集会やデモを行使する権利があります。
労働者なら、団体で行動する権利やストライキといった方法もあります。これらは、武力はないですが、大勢の仲間と繋がり合える武器なんだと思います。これらの武器をできる範囲で行使しましょう。ひとつひとつは、弱い武器かもしれませんが、大勢が知恵を出し合い、団結・連帯することで巨大な武器になるのではないでしょうか?

極右の「テロ」までもちらつかせた行動を利用しての威圧と圧力に抗する心構えと運動の強化を作りあげようではありませんか。暴力=テロを行わせないためには、どんな暴力行為でも平和的な運動を潰すことができないという意志表示をしていきましょう。
権力の威圧や、テロに屈しない、断固とした連帯と団結を呼びかけます。
日本の全ての民衆に、力と暴力に対して戦う心を築こうと呼びかけます。
民主主義の危機だからこそ、勇気をもって立ち上がろうと呼びかけていきましょう。

彼らの動きを止めていく為にも、十分警戒をしながら、毅然した姿勢で、断固として運動を進めることと、全国的な情報交換や、団結・連帯した動きが必要だと思います。

ニーメラーの詩をキモに命じたい。すでに我々は、彼の詩の後半の状態にいる。
(以下、ウィキペディア「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」より)

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

 そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

私たちの盟友、福井のXさんより

1 件のコメント:

  1. 脱原発集会への妨害・・福井の盟友Xさんを読んで

    右翼団体の街宣活動は何を目的にしているのでしょうか?
    彼らの目的は街宣活動を通じて活動資金を得るのだと思います。
    誰が彼らに賛同するのでしょうか?
    誰が彼らを使っていやがらせをするのでしょうか?
    資金を提供する人はだれか?
    彼らの行動により、利益を得る人はだれか?
    そこを絞っていくと、諸々の物が見えてくると思います。

    純粋に100%と国民のことを思い、地元の人を思って、街宣活動するにはあまりに幼稚な行動と思います。
    彼らは、昔も今も、このような手段で弱い者いじめをしているわけです。これは世界共通・悪の方程式です。
    しかし、もうその手段では、民衆は引き下がらなくなりました・・・。
    なぜなら、彼らの化けの皮がはげる時間は刻々と迫ってきています。
    悪の手下となっている彼らもそれをひしひしと感じてきています・・。

    私はかつてイメージに関しての論文を書いたことがあります。
    『善のイメージは平和に繋がり、悪のイメージは戦争に繋がる』
    最近では『悪のイメージはテロリストにつながる』。
    そのことを踏まえ、私たちはどこまでも賢明に『善のイメージを作りましょう』

    世界では『お金がないのは悪』、『お金があるのは善』という定義で差別、悪のイメージを作りだしています。
    これは、子供たちの世界にも広まっています。恐ろしいことです。
    お金を得るのに、何をしてもいい、何を犠牲にしても、戦争をしてでもいいという風潮を叩き潰していかなければなりません。言葉巧みに『国民の為』という言葉を借りながら、忍び寄る権力の呪いを民衆は見破り世界の民衆運動のうねりを一層強くしていきましょう。

    国連も驚く世界の民衆パワーは勢いを増しています。どこからこのパワーが出ているのでしょうか。
    世界の民衆の善なる心が更なる善なる心につながり地球の生命のソフトパワーが始まっているからです。
    昨年、アイルランドで出会った台湾、香港の女性たちはもうすぐ日本を訪れます。

    更に、昨晩トルコの人々と語り合いました。 『私の心の声があなたに聞こえますか』と。
    日本人の中でも、『広島・長崎原爆投下』、『福島の原発の大事故』、『東北大地震の大被害』『シリアで民衆が逃げ迷う』姿に何の痛みを感じない人がいるのです。
    3月11日がもうすぐ訪れます。

    トルコの一人の女性から『福島の人々は今、どうされていますか?』と尋ねてくださいました。
    彼らは、3・11のこの日をどのように迎えるか、彼らは何ができるかと対話集会を開こうとしてくれているのです。
    私は、彼らに日本人としてまず心からお礼を言いました。
    トルコではパイラシマック(分け合う)という言葉があります。
    日本では半座を分かつ。(一つの座布団に譲り合って座る)
    東京に住む日本人に福島についてメールしても即座に返事がありません。
    何かに汚染されているのでしょう!

    言葉が通じなくても、お金がなくても、私たちの心が通じ合える人が世界中にいるのです。
    世界にはもっともっと素晴らしい人がたくさんいることを知ってください。
    世界には、あなたの運動を支えようと同じ思いの人がいるのです。
    確信してください。

    最後に友人Mさんから届いたメッセージと『民衆』の詩一部お送りします。

    久美子さんへ、民衆の時代は、既に来ていますね・・・。
    私の好きな『民衆』の詩を貴女にお贈りします。

    『民衆』
    水平線の彼方.
    大いなる海原のうねりにも似た民衆.
    よろこびも 悲しみも.
    轟々と雪崩をつつみながら今日も何かに戯れながら.
    共々に生きゆく民衆.
    本来.
    民衆の叫びと強さを超えたものはない.
    本来.
    民衆の英知の歩調を凌いだものはない.
    本来.
    民衆の正義の旗に勝れるものはない.

    ある詩人は謳った━━
    地上に無知と悲惨とがある限り.
    われらの戦いは
    己(や)むことがない.と.
    黒き権力者よ.
    汝には敏感にして.病める民衆の孤独の嘆息が聞こえないのか.
    世の識者よ.
    汝には一原子の中に全宇宙の法則が充満していることを見抜けないのか.
    汝には遥か遠く彷徨(さすら)い歩む大衆が.
    無気力な忍従の道具としか見えないのか.

    「民衆」━━
    それは私の好きな言葉.

    民衆よ!
    君はなにゆえに
    心の嵐をおさえて.
    圧制の巌の下のみが己れの運命と思っているのか!
    なにゆえに
    古い鎖を切り落とさないのか!

    君には
    死者の歴史より
    生者の歴史の
    主人公としての権利が あるではないか.
    流された血は償うべくもない.
    溢れた涙は返すべくもない.

    ああ. しかし
    君よ. 黙するな.
    君よ. 諦観してはならない.
    君よ. 倦怠してはならない.
    ひとにぎりの権力者が支配する.
    愚劣な歴史の反復(リフレイン)に終止符を打つために.
    その哀しい啜り泣きに止(とど)めを刺すために.
    民衆の群舞の波で.
    未来の民衆(とも)のために勝利を飾らなければならない.

    今こそ━━
    権謀をめぐらす元老や
    佩剣(はいけん)を鳴らす将軍や
    きらびやかな貴顕富豪のみが往来する虹の劇の幕を下ろすのだ.
    そして.
    天を仰ぎ.
    地に転びながら.
    君たちが舞台の主役となる.もう一つの歴史の劇を作業しゆくのだ.

    民衆よ━━
    君こそ 現実だ.
    君をはなれて
    現実の世界はない.
    時代は真(まこと)の民衆運動を祈り待っていることを忘れまい.

    君こそ━━
    すべての者が流れ入る大海であり.
    すべての者が 混沌のなかから
    新しき生成のために鍛練される溶鉱炉であり
    坩堝(るつぼ)であることを忘れまい.

    僕も戦う.
    君も戦う.

    君の武骨な手がふるえ.
    素朴な顔に輝きわたる生の歓喜を.
    この地上に獲得するまで戦う.

    僕も戦う!
    君も戦え!

    君たちのいる涯(はて)の涯まで.
    確かなる速度をもって今日も戦う!( 1971・09・28)

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