2013年12月11日水曜日

この1週間を振り返りますー特定秘密保護法案と原発メーカー訴訟をめぐる動き

みなさん、一週間ぶりです。海外にいるわけでもないのに、ブログの更新ができないほど忙しくしておりました。写真を公開しながらこの1週間を振り返ります。

何といっても特定秘密保護法案です。この1週間、国会参議員会館での集会、デモ参加の写真をお見せします。闘いはこの法案が通った日から始まるんだという海渡弁護士の法案成立後の戦いについて語っているのを皆さんにご紹介いたしました。
  秘密法案「官権政治」強める=成立後に廃止も-田中秀征氏に聞く
  http://www.jiji.com/jc/zc?k=201312%2F2013120400767&g=pol


12月4日には、衆議院第一議員会館で「原発はいまでも秘密だらけ ストップ!ヒミツ保護法全国の声を国会に!12・4緊急全国集会」
美浜の会、FoE Japan、フクロウの会が中心となって開かれる集会はいつも資料が充実しており感心します。多くの参加者はそのまま参議員議員の戸別訪問をし、私は
議員会館を後にして参議員銀会館前で持たれた集会に参加しました。

そして原発メーカー訴訟と特定秘密保護法案との関係を話しました。これまで原発は安全神話と情報の秘匿で守られてきたのです。日米モンゴル間で提携された、毎日新聞がスクープしたCFS(核燃料一括サービス)構想に関しても一切日本政府は認めていません。使用済み核燃料のモンゴルにおける埋蔵(NPT体制の維持のために核の国際管理下に置くという名目で)、原発の建設、ウランの限りのない発掘などはこれまでも完全に秘密にされました。日本とモンゴルとの共同声明では核はおろか、ウランという単語も出されなくなりました。

翌日の6日。私はインドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)の佐伯さんと午前中にお会いして、1月5日から台湾、フィリピン、インドネシア、ドイツと訪問をして原発メーカー訴訟の世界的な展開のための話し合いの段取りをお願いしていたのですが、それが
1泊2日の各地の活動家に集まってもらい集会を開くということになり、彼女が通訳で同行してくれるというではありませんか。うれしい話しです。7日の事務局会議では勿論、彼女の提案を全面的に受け入れることになりました。
佐伯さんと別れた足で国会前に行きました。


7日は代々木公園で三宅洋平が呼びかけた集会、デモがあり、私たちは10時に集まり参加者に原発メーカー訴訟の委任状を配りました。島弁護士がステージ上から原発メーカー訴訟の話をし、私たちがその間、チラシを撒きました。若い人たちの反応がとてもよく、原告になるという人が段々多くなってきたという印象を持ちます。三宅洋平本人も私も原告になりしっかりとPRしますよ、と言ってくれました。12月現在、原告は388名です。

その日の夜は韓国の崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士と彼の友人で広島の弁護士の足立さん、東京新聞の土田さん、NPO法人希望フォーラム共同代表の世古と島さんの高円寺のお店で一杯やりました。崔弁護士は韓国政府の「慰安婦」・被爆者問題などの不作為を憲法違反とする判決を出させた弁護士で

12月8日(日)は明治大学で「原爆裁判・下田判決50周年記念シンポジウム 原爆投下は、国際法に違反する 主催 核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会」があり、崔弁護士も参加されるというので私も出かけました。

松井芳郎教授の基調講演(「原発判決」の歴史的意義ー国際法上の発展をふまえて)の後、午後から上記の写真のようなパネルディスカションがありました。それぞれの専門分野の立場から外務省の課長を迎えての議論でした。研究者だけではなく、被爆経験をもつ「日本被団協」の経験談、ピースボート事務局長の川崎さんの海外でのNGOの動きなどの紹介もありました。

しかし午後5時まで続いたシンポでしたが、隔靴掻痒の感を私は拭いきれませんでした。国際社会ではNPT体制下でそれなりの核廃絶に向けた動きがありながら、その動きが脱原発を実現させるべき3・11以降の事態とそぐわないという印象をぬぐいきれなかったのです。核兵器と核発電(原発)は表裏一体で、放射能による危険性という点ではそのいずれもなくしていくべきだという議論は残念ながら聞けませんでした。国際会議での議論はどのように市民運動とつながるのか、その接点が見えませんでした。

しかし最後になってフロアーから、議論には失望した、どうして具体的な話ができないのかという意見がだされ、それに賛同しながら原発メーカー訴訟のアピールをした私のコメントに継ぎ、元双葉町長の井戸川さんから、みなさんは放射線を浴びるような経験をしたのかという問いかけがありました。それは核廃絶への取組が反核運動として原発をなくしていく運動になっていないという指摘であるように私には聞こえました。

司会者から発言を求められた崔鳳泰弁護士は、原発投下のアメリカの責任を日韓で問うということを具体的に訴訟として実現すべきではないか、原発メーカー訴訟への関わりを深めるべきではないかという問題提起されました。勇気ある発言でしたが、パネリストは十分に受けとめらきれなかったようです。

集会終了後、崔弁護士は日本被団協事務局長の田中さんを紹介してくださいました。そして日韓の被爆者でこの訴訟の原告になって一緒に闘いませんかという話をしてくださったのです。この動きが具体化することを願います。



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