2013年11月15日金曜日

来年の3・11「原発ゼロ」地域集会をどのようにすべきかの私案

来年の3・11「原発ゼロ」地域集会を計画中のみなさんへ

各地の選挙の結果は脱原発を願う市民の願いと逆方向に進んでいる
来年の3・11集会をもつべきか、持つとしたらどのようにするのか検討中と聞きました。私はやるべきだと考えています。問題はまさにその中身です。10日の九州の1万人集会にも行きましたが、そこで感じたことは川崎での集会の問題と通底しています。川崎における3・11集会は2度、1500名規模で行われてきたのですが、私見では、国民の6割近くが脱原発を指示するという世論を背景に、東京における大規模なデモと各地でのデモによって脱原発が実現されるのではないかという気持ちを私たち自身がもっていたように思えます。

しかし実際は大都市の首長、原発立地地域の選挙、国政選挙で再稼働を求める保守派がいずれも勝利してきました。即ち、脱原発をすぐに実行していこうという方向には進んでこなかったのです。これは選挙制度の所為だということで片づけるわけにはいきません。原発体制を許してきた自分自身の考え方、地域社会のあり方を捉え直すことが必要なのではないでしょうか。

九州の私立大学での経験
9日の大阪集会と福岡の西南学院大学での2回の講義で以下のタイトルで話しをしました。「世界から見た日本の原発問題――加害者としての日本」。100名の学生は福島事故を起こした原発メーカーはどこか誰一人、知りませんでした。しかしNPT体制、原賠法、PL法の免責、日本の原発輸出の実態、自らの被害を徹底して追及してこなかった戦後日本の無責任体制が加害を忘却し無視しているという話に学生は、全員、長文の感想文を書き、知らなかった、周辺にもことを伝え自分ももっと勉強したい、メーカーの責任が問われないのはおかしい、原発輸出に際して日本がアメリカからされたことを海外にしていることは許されることではない、などとしっかりと反応していました。私は驚きとと共に、若い人から勇気を与えられました。

原発ゼロに向けて考え、運動する方向について
「原発ゼロ」の実現が私たちの目標です。しかしそれは日本一国でできるのでしょうか。また3・11以降、海外に日本が直接原発建設をした事実を真剣に受けとめられなかったのは何故なのか、この点はしっかりと自己点検する必要があると思います。川崎の地からどのようなメッセージを発すべきなのかを検討するに際して、この海外への加害者になることを無視、黙認してきた事実を踏まえることを来年の集会開催にあたってしっかりと議論すべきことだと考えます。

まず、現在台湾では第四原発の10年前に建設された原子炉の廃炉を求める運動が持ち上がり、台北では25万人デモが実現しました。国民投票で廃炉を求める動きが具体化しています。その原発は「日の丸原発」と呼ばれており、日立・東芝・GEという福島事故を起こしたメーカーに三菱が加わって建設したものです。どうして日本で、台湾の運動を支援し、連帯しようという声が沸き起こらないのでしょうか?これは日本の原発輸出の第一号です。事実として連帯を求める台湾の民衆の声、願いを日本の市民運動はこの20年、一部のグループを除いて応えて来れませんでした。

日本はGEから原発を輸入した際、アメリカから原子力損害賠償法(原賠法)を作ることを求められました。その目的は、「原子力事業の健全な発達」であり、その為に事故があってもメーカーは責任を負わない、PL法を適用せず「免責」すると明記されています。この法律は原発製造を許された国では全て存在します。再稼働を諮り、原発の輸出を進めるのはこの法律があるからです。私たちはこの事実を真剣に受け止めてきませんでした。


私たちは今一度、原発問題をエネルギー問題に矮小化せず、原発とは何なのか、どうして日本は再稼働を試み、輸出を続けるのかその学習から始め、現在、台湾に福島と同じ事故を起こす可能性がある原発を日本の政策として、日本のメーカーが建設したという事実とまたそのことの延長線上で、ベトナム、ヨルダン、トルコへの輸出を決定しさらにその他のリトアニアなどの国々への輸出を日本の新たな経済政策として進めていることをしっかりと受けとめる必要があると考えます。

私の提案ー脱核宣言を求める
私は過去の2度にわたる大規模な集会実績を踏まえながら、原発をゼロにするには地域から原発体制を許さない、住民主権の上で民主主義の内実をもつ地域社会にしていくことを集会の目標にすることを提案します。国の制度を変えるだけでなく、自分の住む地域社会を変革していこうということです。ドイツの脱原発宣言の例から学ぶべきことは、住民一人ひとりの意識変革、それを支える企業を含めた地域社会のあり方の変革(住民主権の確立)、そしてそれを具体化する国のあり方の変革があって初めて可能であったということです。
  2013年7月8日月曜日
  日曜日夜に多くの人が参加した、いい集会になりました
  http://oklos-che.blogspot.jp/2013/07/blog-post_8.html
   

このことの実現には多くのいろんな運動体との連携が必要です。しかし目標としては、非核宣言をした川崎市が新たな市長の下、脱核宣言ができるようにすることです。各政党への働きかけも必要です。しかしなによりも川崎市民(外国人を含む)の一人ひとりの意識の変革が不可欠です。脱核宣言の中で、世界の核兵器・核発電(原発)の廃止を求め、市民は核問題の災害から逃れ人間らしく生きる権利があることが高らかに宣言されるべきでしょう。

そして原発問題に抗するにはこの地における住民主権、民主主義の確立が不可避だということを宣言するのです。そのうえで災害時における避難の問題、福祉、教育そして何よりも地域住民が自ら発言していける制度上の変革を求めていくことになるでしょう。

私の提案ー世界の市民の国際連帯の運動の拡がりを求める
次の私の提案は、来年の集会は、原発ゼロを目指して世界の市民と国際連帯運動を拡げていこうということです。福島事故を経験した日本に住む者(日本国籍者に限らないことに注意)が世界に訴えるべきメッセージはこのことではないでしょうか。福島の事故を経験し、その「人災事故」の責任を徹底しながら、同時に同じような事故を海外で起こさせない、自らが加害者にならないようにしようとするメッセージは日本に住む者として最も重要なものであるはずです。



なお。12月4日、タンポポ舎で私は「世界から見た日本の原発問題――加害者としての日本」」というタイトルで話をいたします。

参考資料:


基調講演
「世界から見た日本の原発問題――加害者としての日本」
講師崔勝久(CHOI Seungkoo)

テーマ別報告(各15分)
1) 「福島原発事故の現状」小山英之(美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)
2) 「原発被害者はなぜ集団訴訟にふみきったか」佐藤勝十志(原発賠償関西訴訟原告団副代表)
3) 「キリスト者として原発をどう考えるのか」内藤新吾(CNFE 共同代表,日本福音ルーテル稔台教会牧師)
4) 「仏教者・宗教者として、原子力問題を問う」長田浩昭(原子力行政を問い直す宗教者の会)
5) 「自然と共存する脱原発エネルギーの町へ」池島芙紀子(ストップ・ザ・もんじゅ代表)

映像:http://iwj.co.jp/wj/open/archives/110789


「世界から見た日本の原発問題――加害者としての日本」のレジュメ
                  原発メーカー訴訟の会事務局長
                  NoNukesAsiaActionsJapan(NNAA-J) 事務局長
                  原発体制を問うキリスト者ネットワーク(CNFE)共同代表
                  崔 勝久(CHOI Seungkoo)

1.Peace for Life とWCC(世界教会協議会)総会に参加して 
A. これまでの歩み
・3.11を経験して
・CNFE(原発体制を問うキリスト者ネットワーク)、
・NNAA (No Nukes Asia Actions)の結成
B. 原発メーカー訴訟の会の結成
市民の国際連帯運動→一国平和主義の克服

2.3つの仮説と1つの具体的な提案 
(1) 被害の曖昧な追及、無責任体制
・戦争責任(日本キリスト教団の場合)→天皇の責任は?
・広島、長崎の被曝→対アメリカ、被爆者2世
・公害(水俣、薬害)
・福島の場合
(2) 加害者性の忘却、無関心
・被害の責任追及の不徹底さと表裏一体
・歴史認識(対韓国)
・公害の輸出
・原発輸出
(3) NPT体制、原子力損害賠償法律、在日への差別、植民地主義
・植民地主義として捉えることで社会構造の矛盾があきらかに
・歴史性、国際関係、個別課題の総合的な把握
・多文化共生は植民地主義のイデオロギー(国民国家の克服)、アイデンテイテイとナショナルアイデンテイテイ
・グローバリズム、新自由主義、原発体制は植民地主義
(4 )原発メーカー訴訟
・再稼働反対の一本化問題→原発輸出への無関心
・原発メーカー訴訟の意義
・世界の市民との国際連帯運動の拡がり
・反原発、反差別、反植民地主義の視点


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