2013年10月12日土曜日

日本のキリスト者へ、市民の国際連帯運動への呼びかけー「原発メーカー訴訟」を始めるに際して

日本のキリスト者へ、市民の国際連帯運動への呼びかけー「原発メーカー訴訟」を始めるに際して
崔 勝久(チェ・スング)

はじめに
3・11の地震、津波、原発事故による大災害を知った私は、災害によって地域に住む人たちは国籍や民族にかかわらずみんな一緒に死ぬという「真実」を知り、これまで40年間、在日の差別問題に取り組んできた私の生活は一変しました。私は核のない社会をめざす市民の国際連帯運動に取りつかれたように取り組むことになりました。
具体的なアクションとして、世界で初めて原発メーカーの社会的責任を問う「原発メーカー訴訟」を11月11日にはじめますが、どのような経過をたどってそのようなことになったのかを証言します。これは仲間とともに主に導かれて歩きはじめて見えた地平です。



 原発体制について
私は「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)の設立を3.11直後から考えてきたのですが、当初から日本一国だけでなく、原発の問題に取り組むには世界中の市民の国際連帯運動が不可欠だという意識を強く持っていました。

日本で起こるはずはないと思い込んでいた原発事故を目の当たりにして、どうして日本に54基も原発があるのか、原発の問題点は何かを遅まきながら夢中になって本を読みインターネットで調べ、改めて放射能汚染の恐ろしさを知るようなりました。原発は被曝労働者と中央の大都市から搾取されてきた貧しい地方の犠牲の上になりたっている、戦後の日本社会が生みだした必然的な産物だということがわかってきました。原発体制とは在日の受けてきた差別・抑圧を根元のところで取り込みながらもっと根本的に人間のあり方を規定する社会構造であり、それは大国の核による世界支配という仕組みの中で作られてきたものであるということが見えてきました。

戦前の植民地支配の清算をしないまま今に至る日本は、アメリカの核の傘の下で平和を享受し経済的な発展を遂げてきたのですが、広島・長崎の経験にもかかわらず、アメリカの提唱する「原子力の平和利用」という名目の原発を受け入れたことは周知の事実です。日本に住む圧倒的に多くの者は、私たち在日を含め、最先端の科学的技術を敬い、豊かさを支える産業育成のために必要不可欠な電力を生みだすものとして原発を歓迎してきたのです。

しかしその対価は、アメリカからの、日本初のGE社の原発を輸入する際に求められた、事故が起こっても原発メーカーは責任を取らなくてよいという原子力損害賠償法(原賠法)の成立でした。

原子力メーカーの責任が問われない構造
「けがをさせればその責任を取る、賠償するというのは基本です。自動車でけがをさせた場合、故意であろうとも、過失であっても、注意義務を怠ったということで賠償責任があることは当たり前です。しかし原賠法によって、原発事故に関しては製造者の責任を問うPL法(製造物責任法)が免責されました」(島弁護団長)。

その結果、東電の責任は追及されても原発メーカーはいかなる責任も問われることなく、3・11以降も一切の事故に対する謝罪がないどころか、経済成長の要の一つとして「原発の活用」を提唱する自民党政権の下で再稼働と原発輸出を画策し、ヴェトナム、トルコ、ヨルダン、台湾(今現在、台湾では日本が作った原発を廃炉にする運動が展開され、台湾長老教会もその一翼を担っています)等に原発輸出をしようとしています。欧米の原発企業を買収し現地で原発の建設・運営を具体化しているばかりか、国民投票で否定されたにもかかわらずリトアニアへの進出をあきらめずまた、インド・ブラジルにも触手を伸ばしています。日本はアメリカから強いられた原賠法を今度は原発輸出先の相手国に作らせ、事故の場合でも日本のメーカーの責任は問われないようにしているのです。

NPT(核不拡散条約)体制について
原発メーカーの責任を問わないようにしたのは原発メーカーを育成するという、核兵器を保有する大国間でのコンセンサスがあるからです。それはNPT体制によって核保有国が核を独占し他国に核を持たせない代わりにウラン燃料を買わせ原子力発電所を作らせて徹底した管理下に置くという、まさに新たな戦後の植民地主義に他なりません。経済合理性の観点からは割に合わない原発であることがわかっていてもあえて原発を続けようとするのは、核による世界の支配構造を継続しようという意図があるからなのです。

アメリカは既に自らは原発製造を止め基本的な技術を保有したまま日本と韓国に原発製造を押し付け、日本と韓国は原発建設(輸出)による経済的利益を追求し、同時に潜在的核兵器保有という安全保障上の強化に固執しているのです。そのことは日本が原子力基本法を「安全保障に資する」と改定したことからも窺えます。

このような原発体制の全体像がわかるにつれ、私は、未曽有の被害を受けながら事故の解明もないまま原発輸出に精を出す日本と共に、日本の植民地支配の被害者であり未だに清算されていない問題(従軍慰安婦、在韓被爆者、強制労働の賃金未払い問題など)を抱える韓国が、世界最高の原発密度の国になりながらさらにそれを倍増させ原発輸出を進めることによって加害者の立場にたつ植民地主義を自ら行う国になってきたことに大いなる危機感を持ち始めました。日本で「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)を立ち上げ、それを基盤にして日本の現状を世界に知らしめると共に、韓国の現状を憂うキリスト者と連帯していかなければならないと考え始めました。

そのようなときにNCC(日本キリスト教協議会)が震災後世界から経済的な支援の受け皿としてJEDROを作ったのですが、そこから震災地への支援だけでなく、原発の問題そのものを日本から世界に情報発信する必要があるので手伝ってほしいという依頼を受け、私はCNFEの代表として(当時、規約も代表者も何もないメールによるネットワークだけでしたが)NCCと契約をしてアジアの国々を中心にしたネットワークづくりに着手することを提案しました。そして最初に選んだのがモンゴルです。

 No Nukes Asia Actions (NNAA) の出発―すべてはモンゴル訪問から
モンゴルはアメリカと日本との間で(後に韓国が初めて原発を輸出する相手国であるUAE(アラブ首長国連合)も参加)、世界有数のウラン埋蔵量を持つ国としてウランの採掘・輸出・使用済核燃料の受け入れ・埋蔵という一貫したCFS(包括的燃料サービス)構想を秘密裏に進行させていたことが毎日新聞で暴露されました(201159)。関係国はそれを否定し、モンゴル大統領は国連の場で海外から使用済核燃料を受け入れることはないと宣言したものですから、多くの人はそれで問題は解決したと思ったようでした。しかしそのことに疑いをもっていた私は、まず韓国を経由してモンゴルに行くことを決断し、NCCの支援を受けて出発しました

 モンゴルでは緑の党の元党首のセレンゲ女史一人しかアポがとれなかったのですが、彼女との話し合いから多くの知己を得るようになり、フェイスブックに投稿する多くの若者との接触の中で現地での記者会見が実現し、ウランバートル・ソウル・東京の3都市でインターネットによる共同記者会見を11月11日に実行する話が沸き起こりました。案の定、モンゴルでは運動圏の人は、自国から持ち出したウランの「ゴミ」を海外からの使用済み核燃料として受け入れて埋立てることと原発の建設は国の既定路線として批判的にみていました。私はソウルに再び戻り、モンゴルの人たちの意向を伝えて韓国側の賛同も得て、ついに早稲田の日本キリスト教会館で3者共同記者会見を行うことになり、三つの都市をインターネット回線でつなげた記者会見を具体化しました。

 翌年1月に横浜での脱原発世界会議に出席したCNFEはピースボートに依頼してモンゴルから緑の党のセレンゲ女史、韓国からアジア最大の環境団体である環境運動聯合の金恵貞(キム・へジョン)代表と脱原発を謳う学者グループを組織していた李元榮(イ・ウォニョン)教授を招き、国際連帯の可能性と原発立地地域の問題点を論議するシンポジュームをもちました。それがきっかけになり、6月に「下北半島地域スタディ・ツアーを計画したところ、日本国内と韓国・スイスから50名を超える人が参加してアサコハウスをはじめ原発立地地域の実情を見て回り、最終日は函館で200名のデモを行うことになりました。

 昨年の7月に私は、モンゴルの国会で小型原子炉の建設と4ヶ所の使用済核燃料の埋立施設のプロジェクト予算が通過したという消息を大阪大学の今岡准教授から教わりすぐにモンゴルに飛びました(現在、施設の目的を変えたということまではわかっているのですが、その後の詳細は不明です。しかしオリンピックを誘致し、原発を作ることは既に公表されています)。昨年出会った人たちが私を迎えてくれ、新たに11月11日を迎えてアジアにおける実際の反原発(ウラン開発を含めて)運動をはじめようという提案がなされました。

 
それから韓国、台湾にも飛び、その新たに立ち上げる運動体をNo Nukes Asia Actions (NNAA) と名づけ、11月11日に信濃町教会で設立総会をもち、韓国、台湾、アメリカからも参加者を迎えました。それがNNAAのはじまりです。今年の秋にはNNAAを渡辺信夫牧師を理事長とするNPO法人にする予定です。

私は「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)の共同代表ですが、CNFEは会員間の親睦をネットと会報ではかることを主眼とするようになり、NNAAがキリスト教の枠を越えた実際的な活動に注力することになりました。7月に韓国のすべての原発地域を訪問する「韓国ツアー」はこのようないきさつからNNAAが参加者を募ることになりました。

 「脱核、アジア平和を求める日韓市民の韓国ツアー」について
 被曝労働者と貧しい地方に犠牲を強いて原発を建設し、その過程で多くの問題を引き起こしている韓国と、3・11の事故の原因究明もないまま原発の再稼働と輸出を進める日本は、原発立地地域住民の安全を蔑ろにしているという点ではまったく同じです。この両国はアジアにおける唯一の原発輸出国で、事故時の責任を取らないことを法制化させることで輸出先の国民への加害者の立場に立つことになります。

 
韓国は古里(コリ)、月城(ウォルソン)、蔚珍(ウルジン)、霊光(ヨングァン)の4地域で23基の原発を持ち、そのうち様々な不祥事で現在9基は操業中止に追い込まれています。4地域はすべて軍事政権時代に決まったもので、ほかの地域で新規の原発建設が進まないため、既存地に隣接して増設されてきました。

 私たちは韓国の四つの原発立地地域と建設予定地すべてを訪問し、現地の住民との交流をはかる「脱核、アジアの平和を求める日韓市民の韓国ツアー」を計画し、6月19日~25日にかけて実施しました。日本からの参加者は各地で様々な活動をする人が20名(そのうち20代の青年6名)、アメリカから1名、韓国は各地の集会の参加者は延べで地域住民や活動家を合わせて100名を超えました。私は「韓国の反原発市民団体との交流報告」でこのように記しています。

  韓国の原発(核発電所)23基と建設中のもの5基、計画の俎上にあがっている2地域(8基)、また原発から都市に電気を送る為に作られた送電塔にまつわる健康被害問題が発生しているふたつの地域すべてを見てそこに住み反対運動を続ける住民との対話をしたこと、またツアーに参加された在韓被曝二世からのお話を伺うことで韓国の原発事情と課題が何か、その一端を知ることになりました。訪問先の住民との対話から、今後、継続して市民による国際連帯運動に取り組んでいくことが確認されました。

文字通りバスで韓半島を一周した、全ての原発立地地域を訪問するツアーはこれまで韓国でもなかったと聞いています。私たちは各地で熱烈な歓迎を受けマスコミの取材を受けました。わたしたちは率直な意見の交換をして韓国の原発立地地域の住民がどのような闘いをし、どのような課題をもっているのかを肌で感じることができました。やはり人は直接会って話し合わなければならないということを痛感しました。このツアーに参加した人たちはみんな今回の出会いを喜び大きな感動と今後の運動のヴィジョンを与えられたと思います。

ツアーを終え各地で大きく報道されたこともあり、今後日韓でやるべきことを総括する話し合いがもたれました。「核のない世のためのキリスト者連合」(核キ連)は韓国NCC(キリスト教協議会)やYMCAYWCAなどが参加する組織ですが、その代表の楊在成(ヤン・ジェソン)牧師は「原発メーカー訴訟」を支援・協力することを約束してくれました。

その後、イ・デス牧師は韓国最大の反核全国組織である「共同行動」にもはたらきかけ、9月11日に「福島事故原発製造者 世界1万人 訴訟に参加します」という宣言文を福島事故原発製造者 世界1万人 韓国訴訟団推進委員会(事務局:核キ連 )の名前で発表しました

韓国で「原発メーカー訴訟」に参加する意義が以下のように記されています。
私たちが共に参加しようとする今回の訴訟は、
1.現行日本の原子力損害賠償法が不適切であり、その違憲性に関する問題提起であり
2.製造と輸出を進めている原発企業の責任性を明確にすることであり
3.原発産業の緑色産業・平和産業への転換を促そうとすることであり
4.韓国の原損法改正と、原発の危険性に対して生命と平和を守ろうとするものです。

また「韓国ツアー」の成果を踏まえ、9月29日~10月6日にかけて今度は日本の原発立地(及び予定地とされている)地域を訪問し現地の住民と交流会をもつ「脱核、アジアの平和を求める日韓市民の西日本ツアー」が実施されます。韓国からは原発立地地域の4か所から、また先に記した楊在成牧師やイ・デス牧師を含めた10名が参加し、台湾から3名、日本では現地の人の他にツアー参加の希望者が同行します。
 九州(福岡、玄海)、四国(松山、伊方)、祝島、広島、福井、神戸、仙台、福島、東京とバスで駆け巡る強行軍ですが、今回も各地での交流を通してお互いの友情を深め、多くのことを学び合うことができるものと期待します

 

「原発メーカー訴訟」について
 NNAAが中心となって「原発メーカー訴訟」の会を発足させ、その会長に渡辺信夫牧師が就任してくださいました。戦争体験から深く戦争責任を考え信仰に基づく様々な行動をされてきた渡辺牧師は90歳になられ、これが最後の奉仕とおっしゃりながら、記者会見の席でも、原発体制の中核にいる世界最大級の企業を相手する闘いがドン・キホーテのようだと言われても私はそれを死ぬまで担い切りたいと話されていました。

 日本においては10月19日に信濃町教会において「原発輸出問題を考える」集会がもたれ、それが実質的な「訴訟の会」のお披露目になります。そこでは渡辺牧師の基調講演や、原発事故以降もっとも広範囲に政府との交渉を含め活躍されている国際環境NGO FoE 理事の満田カリンさんとグリーン・アクション代表のアイリーン・美緒子さんの発題(未定)、島弁護団長の訴訟に関する説明等などが予定されています。

 また関西においては原発問題を考える関西キリスト者集会実行委員会によって、11月9日、聖公会の川口基督教会で原発問題関西集会が開催されます。その基調講演として「世界から見た日本の原発問題加害者としての日本」というタイトルで私が話すことになりました。私は釜山での170ヶ国から5000名が参加する10日間のWCC総会に出席して、「原発メーカー訴訟」のアピールをして9日の朝、大阪に駆けつけます。
 そしていよいよ11月11日に「原発メーカー訴訟」の訴状が東京地裁に提出されるのです。

 最後に
 被曝労働者と貧しい地方に犠牲を強いて原発を建設し、その過程で多くの問題を引き起こしている韓国と、3・11の事故の原因究明もないまま原発の再稼働と輸出を進める日本はアジアにおける唯一の原発輸出国で、輸出先の国民への加害者の立場に立つことになります。

 そのような歴史状況の中で教会が「魂の救いと教会の拡大(伝道)」を求めることに熱中することが歴史の主の呼びかけに応えることであるのか私には疑問です。3・11以降、在日の運動から核のない社会を求める市民の国際連帯運動への転換、CNFEの立ち上げ、モンゴルの訪問をきっかけにして作られたNNAA、そして「原発メーカー訴訟」に至るこれまでの歩みを振り返り私はただただ主の導きの中で歩んで来たという思いを強く持ちます。自分たちで画策してできたことなど何もないのです。

 核社会の巨大さを前にしてたじろぐことがありますが、私は主の導きの中でイエスに従いすべてを委ね歩んでいけるようにと祈るのみです。日本のキリスト者のみなさんとも共に歩めることを願い、祈ります。
No Nukes Asia Actions (NNAA) 、「原発メーカー」訴訟の会 事務局長)

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