2013年9月15日日曜日

日本のキリスト教会にイエローカード

原発メーカーの社会的責任を問う「原発メーカー訴訟」は、世界の市民と共に国際連帯運動として反核(反核兵器、反核発電=原発)を求めます。裁判闘争は反核の国際連帯運動と対になったものです。即ち、裁判闘争を続けながら世界に支援・連帯を求め、世界各地の反核運動との連帯を作り上げることを目標としています。

そのためには核そのものの持つ問題点、原発の使用済み核燃料の処理の問題、NPT(核不拡散条約)体制の問題点、エネルギーシフトの実践との結びつき、各地の原発体制下の諸問題(汚染水、ごみの焼却灰など)など多岐にわたる地道な歩みが必要になります。

既に韓国では私たちの要望に応え、<福島事故原発製造者 世界1万人 訴訟に参加します- 私たちの食卓と生命を脅かす福島事故原発製造者の責任を問わなければなりません ->という宣言文が韓国の「核のない世のためのキリスト者連合」(核キ連)によって発表されています。キリスト新聞でも公表されているように、私たちは10月に開催される世界教会協議会(WCC)で170ヶ国、5000名の参加者にアピールします。

  2013年9月14日土曜日
  「原発メーカー訴訟」団結成の動きが韓国でも本格体に始まりました
  http://oklos-che.blogspot.jp/2013/09/blog-post_14.html

WCC総会では日本、韓国、台湾が協力し合って核の被害者の立場に立って、福島現地、台湾Lanyu島、韓国の被爆2世の証言などの企画が準備されています。台湾の台北近くに建設された第四原発は日立、東芝、三菱、GEが建設し「日の丸原発」と現地で言われているのですが、その原発の廃炉を巡って多くの市民が立ち上がり国民投票を目前に控えています。私たちはそれをアジア全体、世界全体の問題として捉え支持・連帯したいと考えています。

さてそのような海外の動きに比して、日本の教会の具体的な動きがあまりにもなさすぎることが目につきます。多くの教団が声明文を各自発表しているのですが、日本の明治以来の天皇制を旗印に海外侵略の延長線上で起こした第二次世界大戦に教会を挙げて協力してきたことを悔いることなく、日本社会、教会のあるべき姿を語ることはできず、原発体制の問題に警鐘を鳴らすことはできないはずです。

どうして各教派が一致して戦争責任を明確に告白したうえで再稼働反対、原発輸出反対の一致した声明文とともに具体的なアクションプランを提示することができないのでしょうか。

私たちは「原発メーカー訴訟」を全世界の市民と共に立ち上げる準備をしていますが、日本の各教派、教団がそれぞれの立場からこの訴訟の意味を深め、全教会的な運動にしていただきたいと願ってやみません。

  彼らは、我が民の破滅を手軽に治療して 
  平和がないのに、『平和、平和』と言う (エレミヤ書 6:14)

 







4 件のコメント:

  1. 日本のキリスト教界は、対外的には、米国ミッション系の支配下に、国内的には、保守政治勢力の支配下にあると思います。 福音派は前者、日本基督教団は、ミッション系の影響と共に、成り立ち上、権力の影響が強いのでしょう。 MT 日本のキリスト教会にレッドカード

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  2. 崔 勝久様
    仰ることはその通りです。不一致は近年特に酷いです。理由の一つは精神的退潮です。教派によって程度がマチマチです。最も衰退しているのは日本キリスト教団で、次に衰頽しているのは日基です。日基で意気軒昂なのは年寄の牧師だけです。
    福音派が元気です。先日、私が送ったメールに積極的に反応した人たちはみな福音派です。福音派はこれまで、こういうことをしないで、専ら伝道に力を入れていました。この人たちが社会と歴史の意識に目覚めています。私はこの人たちとの関係を深めようとしているのです。
    渡辺信夫

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  3. 皆さま、崔さま


    渡邊信夫さんが今、ご指摘されていますように、教会の第一義は御言葉を語ることだということで、福島に関心をもたない教会が多いと言われます。それで教会と言えるのだろうかという意味で、おっしゃっている言葉です。辻子さんもヤスクニツアーで似たようなことをおっしゃっていました。日本の教会は、どの教派も、戦責を明確に告白し、原発輸出に反対することで、一致して、スクラムを組んで動いていけるのではないでしょうか。が、それをしていないし、そこまで至っていません(崔さんのイエローカード!)。

    日本の教会という体質は、変わらざるを得ないし、変わっていく時代に突入しています。

    イザヤ書41章13節『わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う。恐れるな、わたしはあなたを助ける、と』これは、教会員に言われていると勘違いしてはならない。これは、貧しい神の民、社会の中の弱い立場に立たされている人々に対して言われている言葉です。原発故に避難生活を余儀なくされている人々、沖縄で戦争反対と平和確立にがんばってこられた人々等々、神は、そういう人々を助けると言っておられます。本土の私たち、被爆地域から遠くに住んでいる私たちは、その神の解放のみ業に少しでも参与させてもらいたいと願います。韓国の人たちの日本の原発視察旅行が、全て、神の導きの中で、祝福されますようお祈りしています。
                                                     

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  4. 「イエローカード」と、それに対する応答を読ませていただきました。これまで
    私たちは、徒労に終わる可能性が高い教派間の調整に費やす膨大な労力を思い腰
    が引けておりました。しかし、崔さんのご指摘の通り、教会の一致を目指す動き
    がないこと自体、アジアの諸教会に対する戦争責任を果たしていないことになる
    のだと思います。原発訴訟を戦い抜くことが、戦争責任を担う一端となることを
    願っています。

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