2013年8月22日木曜日

原発をなくすための市民の国際連帯、日韓の交流の例ー韓国の全ての原発立地地域を巡って

韓国のすべての原発立地地域を巡るツアーを計画して
                    (インパクション 191 2913 に掲載)

No Nukes Asia Actions-Japan(NNAA-J) 事務局長   崔 勝久

はじめに

 3・11の地震、津波、原発事故による大災害を知った私は、災害によって地域に住む人たちは国籍や民族にかかわらずみんな一緒に死ぬという「真実」を知りました。それ以来、私は国籍・民族を超え協働して社会を変革することを唱えるようになりました。そして反原発の市民運動に関わりはじめ、私の生活は一変しました。

 6月19日から24日まで、韓国にあるすべての原発を巡る新たに11月11日を迎えてアジアにおける実際の反原発(ウラン開発を含めて)運動をはじめようという提案がなされました。
 それから韓国、台湾にも飛び、その運動体をNo Nukes Asia Actions(NNAA)と名づけ、11月11日に東京で設立総会をもちました。韓国、台湾、アメリカからも参加しました。それがNNAAのはじまりです。今年の秋には渡辺信夫牧師を理事長とするNPO法人にする予定で、今年の11月11日には、福島事故を起こした日立・東芝・GEを相手に提訴します。原告には原発事故を見て精神的なショックを受けた人は誰でもなれ、世界中から1万人の原告を募っています。今回の「市民ツアー」はこのようないきさつからNNAAが参加者を募ることになりました。

大型バスでソウル郊外の水原から出発して最後は東海(日本海)側の38度線近くにある展望台まで足を延ばしソウルに戻る、文字通り韓国を1周する強行軍の「韓国ツアー」でした。日本から参加した21名、みなさん各地でなんらかの脱原発に関する活動に関わっておられる方々です。アメリカの市民権をもつ在日も参加しました。韓国側はバスへの同乗者を含め、各地の交流会に参加された方は100名を超えます。

 日韓の関係がよくないということで訪韓を断念された人もいましたが、今回のツアーを通して感動したことや、お互いの人情の機微に触れることも多く、今後の市民の反核・国際連帯運動を拡げていく大きな第一歩となったと思います。「市民ツアー」の中で考え見えてきたことを記したいと思います。

「脱核、アジア平和日韓市民ツアー」実施の前史ーNNAAとは

 日本側で訪問者を募ったのはNo Nukes Asia Actioins(NNAA)です。昨年の11月11日に旗揚げをしました。私は「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)の設立を3.11直後から提唱してきたのですが、当初から日本一国だけでなく、原発の問題に取り組むには市民の国際連帯が不可欠という意識を強く持っていました。

 たまたまNCC(日本キリスト教協議会)が震災後世界からの経済的な支援の受け皿としてJEDROを作ったのですが、そこから震災地への支援だけでなく、原発の問題そのものを日本から世界に情報発信する必要があるので手伝ってほしいという依頼を受けました。私はCNFEの代表として(当時、規約も代表者も何もないメールによるネットワークだけでした)NCCと契約をしてアジアの国々を中心にしたネットワークづくりに着手することを提案しました。そして最初に選んだのがモンゴルです。

 モンゴルはアメリカと日本との間で、世界有数のウラン埋蔵量を持つ国としてウランの採掘、輸出、使用済核燃料の受け入れ、埋蔵という一貫したCFS構想を秘密裏に進行させていたことが毎日新聞で暴露されました(201159)。関係国はそれを否定し、モンゴル大統領は国連の場で海外から使用済核燃料を受け入れることはないと宣言したものですから、運動側の人もマスコミもそれで問題は解決したと思っている人が多いようです。しかしそのことに疑いをもっていた私は、まず韓国を経由してモンゴルに行くことを決断し、NCCの支援を受けて出発しました。

 韓国滞在中に民主化闘争の中心人物であった朴元淳(パク・ウォンスン)弁護士がソウル市長に当選し、脱原発運動も再び熱気を持ち始めていました。私は教会を中心に脱原発運動に関わる人たちに会いました。

 
モンゴルでは緑の党の元党首のセレンゲ女史一人しかアポがとれなかったのですが、彼女との話し合いから多くの知己を得るようになり、FBに投稿する多くの若者との接触の中で現地での記者会見が実現し、ウランバートル・ソウル・東京の3都市でインターネットによる共同記者会見を11月11日にすることを約束しました。ソウルに再び戻り、モンゴル側の意向を伝えました。そして東京早稲田の日本キリスト教会館で記者会見を行い、東京・ウランバートル・ソウルをインターネット回線でつなげた記者会見が実現しました。

 翌年1月に横浜での脱原発世界会議に出席したCNFEはモンゴルから緑の党のセレンゲ女史、韓国から脱原発を謳う学者グループを組織していた李元榮(イ・ウォニョン)教授を招き、国際連帯の可能性と原発立地地域の問題点を論議するシンポジュームをもちました。それがきっかけになり、6月に「下北半島地域スタディ・ツアー」を計画し、日本国内と韓国・スイスから50名を超える人が参加し、最終日は函館で200名のデモをしました。

 昨年の7月に私はモンゴルの国会で、小型原子炉の建設と4ヶ所の使用済核燃料の埋立施設のプロジェクト予算が通過したという消息を大阪大学の今岡准教授からお聞きしてすぐにモンゴルに飛びました(現在、施設の目的を変えたということまではわかっているのですが、その後の詳細は不明です)。昨年出会った人たちが私を迎えてくれ、新たに11月11日を迎えてアジアにおける実際の反原発(ウラン開発を含めて)運動をはじめようという提案がなされました。

 それから韓国、台湾にも飛び、その運動体をNo Nukes Asia Actions(NNAA)と名づけ、11月11日に東京で設立総会をもちました。韓国、台湾、アメリカからも参加しました。それがNNAAのはじまりです。今年の秋には渡辺信夫牧師を理事長とするNPO法人にする予定で、今年の11月11日には、福島事故を起こした日立・東芝・GEを相手に提訴します。原告には原発事故を見て精神的なショックを受けた人は誰でもなれ、世界中から1万人の原告を募っています。今回の「市民ツアー」はこのようないきさつからNNAAが参加者を募ることになりました。

李大洙(イ・デス)牧師との出会い

 イ・デスさんは日韓市民交流では幅広い人脈をもち、教会関係の牧師としての仕事から、実際の市民運動に特化した活動を始めた方です。学生時代には民主化闘争で3年の投獄経験をもつ猛者ですが、柔和な表情でいつも笑みを湛える活動家です。アジアでの人脈を拡げながら、同時に各地を繋げる手段として脱核新聞に注目して編集に関わり、韓国内のネットワークづくりに専念しています。8月には私と台湾に行き、9月にはインドを訪問します。インドでは原発の稼働に反対する闘いが始まっているので、彼のやるべきことも多くなると思います。

 彼とはモンゴルとの交流が深まる中で出会いました。地域社会での活動の重要性を強調する彼とはよく気が合い、Act and think, globally and locallyという私が従来胸に秘めていたスローガンと全く同じことを彼が口にしたときには驚きました。日本には脱原発横浜世界会議や、川崎での3・11地域集会にも参加してくれました。そこで具体化したのが、(昨年は下北半島だったので)今年は、韓国への日本からの訪問、それも23基の原発すべてを巡り現地の住民との対話をする「脱核、アジア平和日韓市民ツアー」を実現させようという話しでした。

 私は日本では「市民ツアー」参加者を集める役割を担いましたが、韓国での実際の訪問地の設定、集会参加者、宿泊所の確保はすべてイ・デスさんが交渉し決定してくれました。

韓国の原発事情の概略
今回のツアーに参加したフリ-ジャーナリストの川瀬俊治さんのリポートを紹介します。「福島を教訓に脱原発の道を」「脱核をめざし日韓市民ツアー」という見出しの記事(社会新報 7月17日号)と未発表の論文からの引用です。
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 「韓国は世界で5番目の原発大国:韓国の原発の歴史は、日本の原発導入決定時期と大差はない。米ソ冷戦下の1953年12月、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連で「平和のための核」(アトムズ・フォー・ピース)宣言を行い、原子力の国際協力と民間企業への門戸解放の働きがなされ、アメリカは自国の陣営国に原発導入を進める。」
 「韓国では日本の予算通過の3ヵ月後の54年7月、アメリカが「原子力の非軍事的利用に関する韓米協力のための協定」を韓国に提案したことに始まる。自国の研究者を育成することから始め、アメリカの原子炉輸入によって1978年の古里(コリ)原発1号基(釜山市機張郡)が初めて稼働し、以降、現在は4地域古里、月城(ウォルソン、慶尚北道慶州市)、蔚珍(ウルジン、慶尚北道蔚珍郡)、霊光(ヨングァン、全羅南道霊光郡)で計23基の原発を数える(現在9基休止)。4地域はすべて軍事政権時代に決まったものであり、ほかの地域で新規の原発建設が進まないため、既存地に隣接して増設されてきた。古里原発に隣接して新古里が、月城原発にも隣接して新月城原発が稼動している。」

 「韓国政府は韓国製原発開発が「悲願」であり、1995年の霊光原発3号機から自国製原発(韓国標準型原子炉)を稼動させた。2010年には韓国初の原子炉輸出契約をアラブ首長国連邦と結んだ。この時の韓国世論は「快挙」との賛辞が渦巻いた。貿易立国である韓国は原発輸出を外貨獲得の大きな柱にしたい考えで、李明博前大統領は原発大国として2030年までに計80基の輸出を目指すとした。新政権の朴槿惠(パックネ)大統領は今後の原子力政策を明言していないものの、福島第1原発事故以後も変わらぬ原発推進策を進めた前政権の方針を受け継ぐことは確実だ(原発が占める発電量の割合は12年の34・8%から24年には48・5%を見込む)。原発の密集率は世界1。韓国の23基原発は世界5番目の原発大国である。」

エピソード(その1)ー三陟(サムチョク)での感謝の言葉に思わず涙
 東海(日本海)に面する江原道の三陟(サムチョク)は四つの原発立地地域を全て巡り、最後に訪れた原発の候補地になっている人口9万人ばかりの小さな都市でした。「無煙炭,石灰,亜鉛などの産地として知られ,三陟火力発電所を中心にこれらの地下資源を利用したセメント,化学肥料,カーボンなどの工場があり」(世界大百科事典、第二版より)、小高い丘にはカトリックの教会があり、街中はビルが立ち並び、人口9万人の都市とは思えませんでした。

 
後で知ったのですが、私たち一行を街中の川辺の公園に案内してくれたのは三陟の市議でした。そこでは高さ5メートルほどもある、まるで高句麗の好太王碑を思わせる巨大な石碑があり、それは1990年代に原発建設を阻止し、次に低レベルの放射性物質の貯蔵場建設を拒んだ、世界で唯一の原発に関する「勝利の塔」でした。しかし今の市長は再度、原発誘致を宣言したのでリコール運動をしたのですが様々な妨害でリコールに必要な有権者数に満たず反原発の運動は敗北したそうです。

 4度目の正直。来年の地方選で原発推進者の知事が続投するというので、それに対抗する候補者を市民側は準備中ということでしたが、この選挙で知事が勝つと原発誘致に舵を切り、市民が勝つと原発建設は許さないという市民の思いが最終的に実現することになります。文字通り三陟における最終決戦です。

 「勝利の塔」の周りには木が植えられ、そこに黄色いリボンがつけられていました。その地を訪問した人が自分の名前とメッセージをリボンに書いて木に括り付けるのです。私たちは喜んで自分の名前を書いた黄色いリボンを木の枝に結び付けてきました。

 
市民の事務所は広くて市民の闘いの拠点になっているようでした。私たちと三陟の住民との対話の集会がそこでもたれました。活力あふれる市議はダントツの第一位当選をし、2位と3位を合わせたより多くの票をとり市民の信頼はとても篤いようでした。事務所の正面には旧約聖書のアモス5:21-27『正義を洪水のように流れさせ』という言葉が大書されていました。

 最初に挨拶をされたのは三陟の闘いの共同代表をされているカトリックの神父でした。温厚な話し方の中に強い意志を感じさせ神父は、「正義の闘い」に参加しているという確信を漂わせていました。次に年配の女性が話されたのですが、彼女は三陟にある女学校の同窓会の会長だそうで、裁判沙汰にまでなったが、同窓会で原発に反対することを決議したそうです。物静かな語り口から想像できない、断固とした行動をとられる方でした。

交流の場の最後に大学の教授が挨拶をされました。深々と頭を下げ、遠路日本から来てくださり、素晴らしいお話を伺い心から感謝するというのです。私は別れ際、握手をしたのですが、彼は私の手を強く握りしめ、本当にありがとうという言葉を繰り返されました。私は思わず落涙しそうになり、何も言葉を発することができず、ただ手を握り返しただけでその場を去りました。

 その夜、カトリックの宿泊所で全員楽しい時間を過ごした私たちは、翌朝出発するまでのあいだ、市議や女学校の同窓会の会長さんと食事を共にし、最後の交流の場をもちました。市議は、今度は韓国から西日本の原発立地地域を巡る「市民ツアー」に参加すると表明されていました。私は昨日の大学教授の深々と頭を下げ感謝の言葉を述べられた場面を思いだし、スピーチの途中で言葉を詰まらせてしまいました。それは三陟で闘う市民の不屈の意志と行動に対する敬意であり、「闘いに命をかける」ほどの闘いをいまだなし得ていない自分自身への叱責であったのでしょうか。ここでまた韓国で闘う市民との深いきずなができたと私は思いました。

エピソード(その2)ー農民の闘いの伝統もつ霊光(ヨングァン)での交流
 
ソウルの郊外の水原を出発して最初に訪れた原発立地地域が全羅南道の霊光(ヨングァン)でした。途中、世界最大級のセマングムという防潮堤プロジェクトの現場を見て、中国の対面に位置する工業地帯、農業地帯、観光地帯、住宅地帯等に区分けした広大な土地を造りだす計画に、これでいいのだろうか、科学技術によって自然に手を加えていく発想に原発と似たものを感じながら私は冷ややかな目で見ていました。

 長時間バスに揺られて着いたところが、霊光の原発の広報館でした。そこでは地元の人が大きな横断幕を拡げて私たちを待ってくれていました。広報館の内容はいずこも同じで、韓国の原発は福島とは違う、安全だ、飛行機が突撃してきてもびくともしないとか、「神話」を正当化する宣伝をしていました。

 その夜は、円仏教という新興宗教の本拠地で交流会を持ちました。車座になって話し合ったのですが、参加者の中では農民だと言う人が多く、彼らは「闘いに命をかける」と平然と言い放つのです。聞いてみると、霊光農民会はTPPにも反対し、6基作られた原発の追加は許さないという闘いを進め、原発の温排水被害を漁民が告発するのに共闘し、原発内部調査を昨年11月に民間監視センター(放射能のデーターなど監視する組織で4原発地域に開設。所長は郡長が務める)と合同で実施しているようでした。

彼らの発言は、19世紀の東学農民運動を彷彿させるものでした。霊光の闘いは韓国最大で、もっとも激しく闘う住民集団が作られてきているという印象をもちました。しかしそこには傲慢な感じはまったく見られません。闘うことに命を賭け、それが自分の生きる道だと信じているのでしょう。200名のコアーメンバーを抱える霊光農民会の動向はこれからも注目されます。

 霊光の反原発組織の共同代表が黄大権(ファン・テゴン)という人物でした。広報館で私たちを迎えてくれた一行の中にいらしたのですが、白髪のあごひげを蓄え、頭髪が薄くなっている彼は私より10歳くらい年上に見えました。山間部で電気のない共同生活をして根本的に現代文明を批判するライフスタイルを提示する彼は、ベストセラー作家であり、日本でも翻訳されているとのことでした。

 大学時代に農業を専攻した彼は、民主化闘争を経験し30歳にして政治学を学ぶことを決めアメリカに留学をしたのですが、休みを利用して一時帰国した際に北朝鮮のスパイとして投獄され、出てきたときは44歳であったというのです(無罪判決を受けています)。私は彼を通しても、霊光の闘いに韓国の歴史、伝統を感じました。土着の臭いがするのです。


写真は、食事の際に挨拶をされた円仏教の本山の責任者




エピソード(その3)ー密陽(ミリャン)の送電塔、古里・月城・蔚珍の原発を訪れて
韓国の原発は、霊光・古里・月城・蔚珍の4か所に限定されています。それは民主化闘争の時代を経て、他の地域では原発建設を阻止したということであり、結局、霊光を除いて古里・月城・蔚珍の3ヶ所に集中しているということです。全く日本と同じ状況ですね。開沼博が指摘したのと同じ状況がここでも展開されています。地方の発展という名目で補助金が政府からだされ、それが何十年も立つともう日常生活の一部になり、当たり前のこととして原発は受け入れられているという印象を持ちます。

 同じ地域に集中しているという印象を薄めるためか、古里でも月城でも7号機以降は、新古里、新月城と呼ばれています。しかし実態は同一地域での集中ということです。福井の海岸80キロに13基の原発が立ち並んでいるのと同じです。そのように一地域に原発が集中的に建設される条件は日韓とも同じなのでしょう。それは貧しい地域に対する東京、ソウルを中心とした大都市の搾取、差別であり、原発を建設する国は例外がないと思います。まさに国民国家による国内植民地主義(西川長夫)というべきなのでしょう。

 韓国の原発は23基のうち9基は操業中止になっています。それは古い部品を偽って新品として納品したり、1万9千点を超える部品の品質合格証書が偽造されたり、制御棒などにひび割れが発見されるなどの不祥事・事故が発覚したからです。また原発現場の労働者が麻薬に手を出していたり、賄賂があったりということが続き、事故の発覚を隠していたということも問題にされていました。私は金鐘哲氏のいう、「原子力事故、次は韓国の番だ」という論文を思い出さずにはいられませんでした。

 
今、韓国でもっとも注目されているのが、密陽(ミリャン)の送電塔の問題です。どんどん新たに原発を建設するものですから、その電気を都市に送る送電塔の建設も必要になります。しかし高圧線の電磁波の問題があることは日本でもよく聞いていましたが、それが原発と関連して問題にされたことは聞いたことがなく、最初私はその話に違和感がありました。しかし現地に行ってみると、住民にとっては死活問題だということがよくわかりました。現地の人の中で自殺者がでました。必死になって抵抗する住民たちを警備員たちが暴力で追い払う写真、彼らを支援するために祈りを捧げるキリスト者の姿などがネット上で公開されています。

 7年前からこの闘いを続けてきた住民たちは山腹で横断幕を掲げ、仮設住宅で寝泊まりをしていました。その時は政府と40日間の「休戦」をしている最中だったのですが、住民は交代で拠点を守っているところでした。そんな緊張した状態の中でもアジュモ二(おばさん)たちは陽気で、ユーモアをわすれません。別れ際、私たち一行の中で「ふくよかな女性」(表現がむつかしい)に一人のアジュモ二が走りより抱擁したので別れの挨拶かと思っていたのですが、なんと走り寄った(多少、太り気味の)アジュモ二は、あんた太り過ぎだね何キロあるのと訊ね、お互い抱擁しながら相手の背中の肉をまさぐり合ったというので、後でその話を聞いて大笑いでした。日本のその女性は韓国人のそのような「人情」が大好きで、韓国で長年暮らし今は翻訳の仕事をされているとのことでした。

 
密陽の住民の要求は、送電線を山中に埋めるか、迂回させるかということですが、迂回させても同じ問題が発生するでしょうし、山中に埋めるのはお金がかかるというので会社側は(今のところ)、一切妥協しようとはしていません。40日の「休戦」が終わったのですが、事態の進展はないと聞いています。闘争するメンバーの代表は元教師で、原発を作るから送電塔が必要になるのであってそれを廃炉にすると送電塔も要らなくなると話していました。
 
 輸出立国で石油も石炭も100%輸入に頼る韓国は、原発1基を輸出すると車何十万台に匹敵すると宣伝し、UAE(アラブ首長国連邦)に輸出が決定したときには大統領自らが赴き、国内でTV中継があったというのですから、韓国民はその日を大いに喜んだに違いありません。ですからアジアで日本と韓国が原発輸出国であり、韓国は輸出先に対する加害者の立場に立つことになる、原発輸出は反対すべきという議論はこれからになるでしょう。

また北朝鮮でアメリカが軽水炉の原発建設を始めたことがあり(今はなくなりましたが)、彼らが核兵器を保有しながら原発建設する可能性が高い以上、安全保障の観点からも原発が必要と断言する人が多いのも事実です。日本においても原発は安全保障に質するということで、最近、原発基本法を改定したということを思い出します。このように韓国には原発を必要とするという意見が広く定着しています。

 アメリカは原子力の平和利用宣言以来、核による世界支配戦略の下、NPT(核不拡散条約)によって核保有国の独占的な権益を守り、核を持たせない代わりに原子力発電の技術供与をしてきました。その体制に入らず自ら核保有国になることをめざしたのが、朝鮮戦争後の休戦状態から平和条約締結を求める北朝鮮です。アメリカは同じ条件下のインドに対してはビジネスの観点からなのでしょう、核保有を認め、北朝鮮には核兵器を持たせないという方針を貫いています。


 NPT体制が存続する以上、潜在的核保有国としてアメリカの「核の傘」の下にある日本、韓国が原発をなくすと宣言することは容易なことではないと思われます。原発は原爆と直結しているからです。日本の民主党が政権をとって原発をなくすことを決定したときにいち早くアメリカからクレームがついたのは周知の事実です。だからこそ、市民による国際連帯の運動を進め、反核(核兵器、核発電をなくすこと)を唱えることが世界の核政策に影響を与えると私たちは確信するのです。

 しかし福島事故で原発事故の恐ろしさを知ったとは言え、人口の三分の一近くになるソウル圏は原発立地地域から遠く離れており、日本と同じように、人々の恐怖感は日々薄れているように感じます。韓国第二の都市釜山は古里原発から30キロしか離れておらず、観光都市で貿易・漁業の中心でもあるので、放射能の問題を正面から取り上げ反原発運動を展開することに多くの市民は無関心を装い、反対するのでしょう。

 古里、月城を発ち四つ目の原発立地の蔚珍に行きました。その途中、密陽と同じく送電塔に囲まれた40世帯ばかりの小さな村で電磁波の影響で体調を壊す人が多く、そこから全世帯の移住を求めているという話を公民館で聞きました。

しかし圧倒的な中央集権・独裁の朴政権時代から始められた原発建設はその後の、金大中大統領からいた民主政権の時代においても進められ、その政策の下で苦しむ民衆の意向を汲み現実的な対応が今の保守政権でできるのか、8月に発表されるエネルギー政策が注目されるところです。

 新大統領はその朴大統領の娘であり、韓国の原発建設の半分ほどに関わってきた李明博前大統領が発表した、2030年までに今の原発を倍にし世界の原発の新規建設の15%をとるとした国家戦略を同じ保守派の現大統領が引き継ぐのか、また日本と同じく核兵器をもたない国として使用済核燃料の再処理に意欲を持つ韓国が一旦はオバマ米大統領に拒まれた後、どのような政策を打ちだすのか、予断は許せません。

 私たちはこれまでの原発政策の下で苦しみ、原発建設反対を唱える人とたちと出会い交流を深めてきました。蔚珍では原発のすぐ傍にある保育園、老人ホームを目にあたりにしました。原発から5キロ圏内は人が住めないことになっているのですが、飲食店や飲み屋が店を連ねている実態を私たちは見て来ました。韓国も台湾もそして日本もまったく同じです。事故がおこったら地域住民をどのように安全に避難させるのか、それができないのであれば原発は運転させてはならないという、アメリカでは実際に実行された原則などまるでないかのようです。地域住民の安全の確保は日本においても再稼働の条件になっていないのです。これは日本、韓国、台湾においては中央集権的で住民主権が弱く、民主主義が脆弱であるということを意味するのはないかと私は考えています。

 
福島から学びたいと言いながら、韓国ではいざ事故が起こった場合のヨード剤の準備はおろか、その必要性を住民に伝えていません。福島で保育園の園長をする明石牧師は、3・11当日、何の情報もなかったために水を求めて並んだおかあさんや子どもたちがどれほど被曝をしたのか一生悩まなければならない、仮に発病しても放射能の影響を証明するのは至難のわざだという経験談を話され、現地の人は頷いていました。彼らには放射能の恐ろしさを直接聞く機会がこれまでなかったようです。日本から来る有名な学者や評論家はソウルや他の都市に来るのであって、彼らを呼ぶお金がない、それらの話を本来一番必要としている原発立地地域の人たちには伝わっていないのです。

 これまでの日韓の交流はイベント的、一次的な行事(会議)の開催に終わっていたと反省します。生活の基盤のある地域同士の交流をするには、当然のことながら、日本においても韓国においても地域での地道な活動がなされていなければならないはずです。まさに原発体制という植民地主義に抗するには、地域社会での闘いの基盤をつくることが必要なのだと痛感します。

今後の活動予定
 私は「市民ツアー」に参加した仲間を見送り、2日間ソウル滞在を延期し、イ・デスさんと今回のツアーを経験して今後の韓国の教会及び全国的な反核組織との関係をどのようにするのか話し合いました。最終的に決定したことは以下の点です。

1.929日ー10月5日、韓国において反核の地域活動をしている人たちを中心にして、活動家、宗教家(新旧キリスト教会、仏教界)のメンバーに「脱核、アジア平和日韓市民ツアー」に参加してもらうべく、西日本を中心に原発立地地域を訪問し地元の人たち、活動家と交流する計画をたてました。訪問先は、九州(福岡、玄海)、四国(松山、伊方)、祝島、広島、福井さらにオプションとして仙台、福島、東京と回ることになりました。
 大型バスを借りるつもりですので、どなたでもどこからでも参加可能です。できれば、宿泊もご一緒にどうぞ。また日本語と韓国語のできる方は通訳として歓迎します。

2.11月11日に福島原発事故を起こした日立・東芝・GEを相手に「原発モンスター訴訟」を起こし、彼らの社会的、道義的責任を問います。現在、弁護団は島昭宏弁護士を中心にまもなく15名になり、原発裁判では最も有名な河合弘之弁護士も参加されます。
 私たちは韓国の「核のない世の為のキリスト者連合」(「核キ連」、ACAN)の代表のヤン・ジェソン牧師とも協議し、「核と信仰は両立しない」という信仰をもち積極的に反核運動を進めようとする教会やYWCAYMCAのようなキリスト系組織とも一緒になり「原発モンスター訴訟」を支援、協力するということが執行委員会で決定されました。
 また「核のない世のための共同行動」という全国組織も「核キ連」を支援、協力するとの組織決定をしたとの報告をイ・デスさんから受けました。

3.10月末から韓国釜山で開催されるWCC(世界教会協議会)総会には全世界から170ヶ国、5000名が参加するそうです。「核キ連」は総会で議論すべき議題を検討しているのですが、「原発モンスター訴訟」を議題としてだすということを執行委員会で決定しました。私たちも日本から参加してアピールする計画です。

 台湾では、台北の30キロ圏内にある、日立・東芝・三菱重工・GEが造った第四原発(現地では「日の丸原発と呼ばれている)の廃炉を巡って現在、熾烈な戦いが起こっており、住民投票がだめな場合、国民投票によって廃炉にするかどうかが決定されます。原発をなくそうとする台湾の市民の支援、連帯の行動を提起しています。

4.福島の実態を世界の人に知らせること、在韓被曝者2世の問題など、核の被害者の立場に立ち彼らに沈黙を強いる社会への働きかけを進めることも、今後の大きな課題になるでしょう。在韓被爆者2世の患友会の会長の韓正淳(ハン・ジョンスン)さんにはバスの中でこれまでの歩みとご自身の思いを語っていただきました。彼女は7月20、21日の民衆法廷と川崎での集会に参加されたのですが、彼女たちの筆舌に尽くしがたい経験、心身の痛みのなかでどうしてあのような高邁な理想を語ることができるのか、私たちはただただ驚き敬意を表さざるをえませんでした。彼女たちと一緒に行動していきたいと思います。
 

最後に

 被曝労働者と貧しい地方に犠牲を強いて原発を建設し、その過程で多くの問題を引き起こしている韓国と、3・11の事故の原因究明もないまま原発の再稼働と輸出を進める日本は、地域住民の安全を保障しないという点では同じです。この両国はアジアにおける唯一の原発輸出国で、輸出先の国民への加害者の立場に立つことになります。

 

原発体制を戦後の植民地主義と捉える私は、エネルギー政策、安全保障など多岐にわたる問題を抱える核問題に対して、反差別の立場から反核(核兵器・核発電)を訴えます。植民地主義に抗する運動は自分の住む地域社会の変革に関わりながら、自立した市民の国際連帯運動を進めるしかないということを、あらためて今回の「韓国ツアー」で痛感しました。この運動をみなさんと共に進めたいと願います。

(ブログで使われている写真はインパクション誌での写真と異なっています)




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