2013年5月5日日曜日

「安倍首相の歴史(戦争)認識と韓国の反応をめぐって」ー姜海守さんの投稿記事

FBで興味深い記事を目にしました。国際基督教大学アジア文化研究所・近代日韓比較思想史専攻される姜海守さんの書かれたものです。FBでの自己紹介では、日本および韓国の近現代史(主に思想史)、日韓比較思想史分野を開拓している、主に近現代日韓にまたがる自他認識、帝国主義と植民地主義、ナショナルな言説空間を研究している、とあります。

私はこれもまたFBを通して知るようになった、鄭玹汀さんの新書『天皇制国家と女性ー日本キリスト教史における木下尚江』を通して日本の戦争責任告白の不十分さ(第二次世界大戦における責任だけでなく、明治の中期から天皇制国家主権への迎合が強く見られたところまでを視野にいれるべきではなかったか)を痛感するようになったのですが、姜さんのご意見とも通底するように思えます。姜さんの承諾を得てFBに書かれた文書を紹介させていただきます。崔 勝久

参照:偏見に満ちた群衆の横暴さを批判し、朝鮮人を守った日本人を“記憶”するー鄭玹汀 http://www.oklos-che.com/2013/04/blog-post_29.htm

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「安倍首相の歴史(戦争)認識と韓国の反応をめぐって」ー姜海守さんの投稿記事

日本 "政府インターネットテレビ"で4月28日のいわゆる "主権回復、国際社会復帰" 61周年を記念する式典を見た(この日の沖縄住民には "屈辱の日"として記念された)。 '平和'への誓いをまた新たにするという安倍首相の祝辞が流れた。

韓半島が盛んに '内部'戦争中だった1952年のこの日からわずか12年後の東京オリンピックが開催されるようになったことも思い出された。しかし、日本がこのように '戦後'の悲観的な状況から脱却することができた決定的なきっかけにはふたつの戦争が存在するということに彼は言及していない。。 "神様のギフト"の朝鮮戦争とベトナム戦争がまさにそれだ。アメリカは、戦争物資の生産をほぼ日本の工場を立て直すことで充当した。

韓国は白人と紅人種間*の新たな(人種)の戦争では、黄色人種の傭兵として参戦して血を流した見返りに、経常収支および非経常収支で10億ドルを得た。台湾は、ヘリコプター数機を送って経常収支で10億ドルを稼いだ。日本は一滴の血を流すことなく、戦争物資の生産と輸送基地として100億ドルを稼いだ。当時としては実に巨大なお金だった。

日本は”戦後 ”に入って(当時は"敗戦 "という用語が主に使用された)から原爆の経験を持つ国の新ブランドとして、"文化国家・平和国家 "を提唱した。しかし、日本が "戦後の戦争に参加していない平和国家を目指してきたということは、前述したように自己欺瞞だ。これに比べて日本帝国の侵略を受けた領域に属していたアジア諸国は、中国や東南アジアの場合で見たように、このように長い内戦の時期に入る。日本の戦争の '内部'的な反省は、このような事実の認識にまで達していない。広島と長崎の経験をめぐる戦後日本の "平和教育"は、南京大虐殺と平頂山**の悲劇と苦痛受けた植民地朝鮮などのアジア諸国の "現場"からのものではなく、日本の "内部"に向けた平和教育であった。

安倍首相の "侵略"の定義について、日本の識者と特に韓国からの反発がとても強い。日本が侵略戦争の歴史の主体であった明らかな事実を彼が否定した点に対してである。しかし、彼を含め、日本社会がこれまでのように戦争(を通じた侵略)の歴史を正面から受け入れて反省することとは別に、韓国の立場では考えるべき別の側面が存在する。

日本で "戦争への反省"を語るとき、その戦争とは、主に日中戦争(とその後)を念頭に置いたものだ(日中戦争は当時 '支那事変"として、日本帝国内でも長期的な'事変 'と認識された奇妙な戦争であった)。戦争と侵略の歴史に対する反省で一貫した日本の戦後史観 "の語りは、韓国のような植民地支配に対する認識は考慮されていないレトリックだ。

長く見ると、朝鮮半島をめぐる日本の "侵略戦争"の歴史は、日清戦争と日露戦争にまでさかのぼることができる。しかし、日本の戦争への反省には、これに対する配慮までは達していないのが事実だ。つまり、日本における"帝国責任"とは、戦争責任と植民地責任を同時に意味するものである。安倍首相の "侵略(戦争)"の正しい歴史認識を促し、批判する韓国政府と韓国の識者たちは、これらの点を十分に認識する必要があることを、韓国の学者招請の日本のある講演会で切実に感じたことがある。

*韓国では東南アジアの人々をそう呼ぶ
**平頂山事件(へいちょうざんじけん)とは、1932年9月16日、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊(井上小隊)がゲリラ掃討作戦をおこなった際に、楊柏堡村付近の平頂山集落の住民が多く殺傷された事件。犠牲者数については、400 - 800人(田辺敏雄による説)や3,000人(中国説)など諸説があるが、掃討作戦およびそれに伴う民間人犠牲者の存在自体に異議を唱える論者は存在しない。(ウィキペディアより)

2 件のコメント:

  1. 結局、安部は死の商人が喜びそうな事にだけ血道を上げてますね。

    返信削除
  2. 翻訳ありがとうございます。日本の平和運動の限界と問題を明確に指摘する文章に感謝します。

    返信削除