2013年5月13日月曜日

スピルバーグはどうして、今、この時期にリンカーンを撮ったのか?


映画はこれまでのスピルバーグの作品とは違って、エンターテイメント的要素の少ない、いわば言葉の多い映画でした。俳優の演技は今回のリンカーン役を含めてアカデミィー男優賞を3回受賞しているダニエル・デイ=ルイスをはじめ、トミー・リー・ジョンズの演技など素晴らしいものでした。登場人物の深みとその人物の複雑で微妙な心理を表現する演技力は大したものだと思いました。

特に私にとって印象的なシーンは、憲法修正案成立後、戦場で多くの死体を見た後にリンカーンはグランド将軍と会見するのですが、そのとき、彼から1年で10年老け込んだようだと指摘された場面です。字幕では、「憂いが骨身に染みついた」とリンカーンはぼそっと語るだけなのですが、その表情、そしてかさついた肌がアップされ、リンカーンの内面はかくあったのだろうと思わせる押さえた、しかし的確にリンカーンそのものの人間性を出したと思いました。

トミー・リー・ジョンズの議会での大物ぶり、しかし奴隷解放論者であることの言質を取らせずあくまでも法の前の平等と言い続ける頑なさ、しかし憲法修正原本を自宅に持ち帰り、黒人で「召使」の愛人からベッドでその修正案を読んでもらうのを聴きながら涙する場面も、正義感と政治家としての力量と、黒人の愛人を持つ人間の微妙な心理を演じています。コマーシャルやハリウッドの娯楽物で収まっている演技者ではないですね。

議会での議論の豊富で絶妙な言い回し(これは当時、実際そうだったのでしょうね)、カラーだけれども、何か時代を感じさせるトーン、そして多くの登場人物の性格設定はさすがと思います。

リンカーンのあの有名な演説なくだりはさらりと触れるだけです。暗殺の場面もなく、愛する末っ子が演劇を見ているときにリンカーンが撃たれたと聞き泣き崩れるところしか写しません。後は、臨終の場面で、リンカーンには何も語らせません。ところどころリンカーンがたわいもない話をするのですが、これは映画の中で彼の人柄を表すのに効いていました。語りがうまい。

リンカーン、この映画は南北戦争がはじまり、暗殺されるまでの数か月間、憲法の修正案をめぐる攻防、それを指揮するリンカーンの夫人、戦争に送りたくない子どもとの緊張した秘められた関係をテーマに絞り込みます。

スピルバーグはリンカーンを撮るのに10年準備したそうです。はやりシナリオライターの力量が映画の質を決定するようです。リンカーンの生涯をこの数か月に集約して、今、リンカーンを世に送り出すスピルバーグの意図は何であったのか、私の関心はそこにありました。

リンカーンは1861年に大統領に選ばれその年に南北戦争がはじまるのですが、63年に奴隷解放宣言をして、その年にゲティスバーグで「人民の、人民による、人民とための政治」演説をします。しかし実際に奴隷制廃止が憲法修正によって実現されるのは、この翌年のことなのです。

歴史的には、その100年後の1964年人種差別撤廃をうたった公民権法が成立します。そして黒人大統領のオバマが誕生するのに50年かかっているのです。

今日(5月13日)の朝日新聞はリンカーンを取り上げ、「奴隷解放の闘い/南部制圧が主目的」「人種差別主義者だった?リンカーン」として、「私は現在もこれまでも、白人と黒人の社会的・政治的平等をもたらすことを好んだことはない」「私は、白人に与えられている優等な地位を、保持することを願っている。だが、白人の優等な地位は「黒人たちの全てが、否定されて良い」ということにはならない」という発言を紹介し、かれの黒人の人権に対する曖昧さ、「優柔不断さ」を表しています。これは映画においてもそのような人物像をスピールバーグは持っていたと思われます。

憲法修正案をめぐる駆け引き、スピルバーグは大胆な手口をつかうリンカーンを清廉潔白な人物としてより、目的を遂行するために内面の葛藤をもちながらもあるときは平気で嘘をつく、勇敢に行動する人物として描くのですが、その表面的なところに感動しているのは安倍首相のようです。

日経の12日の記事です。「首相は奴隷制廃止に関する憲法改正をテーマとした映画「リンカーン」を鑑賞。19世紀19世紀の米国でリンカーン大統領が改憲に向けた多数派形成に向け苦闘する様子を描く。鑑賞後、首相は記者団に「常に指導者は難しい判断をしなければいけない」と語った。」バカ言ううんじゃないよ、あんたの顔にリンカーンのあの
「憂いが骨身に染みついた」表情が出てきたのを見たこともない・・・のに。しかし私の予想通りの感想を述べてくれましたね(笑)。

結論:スピールバーグは何を表現したかったのか?
私は結局、黒人大統領オバマが尊敬するアメリカ大統領リンカーンの、アメリカの価値の体現、その「正義の実現」であればどのような個人的な苦しみを内に秘めていようが命をかけて闘い獲る(実際、リンカーンは暗殺された)姿を描き出し、アメリカ人として9・11以降アメリカの価値観の揺らぎの中で、もう一度、原点に戻ることを訴えたかったのではないか・・・と見ました。

しかしこれは危険です。どんなに人間的に魅力あるリンカーンを描いても、アメリカの民主主義や自由という価値観を絶対視することには、私は賛成できません。アメリカで黒人大統領オバマが誕生し、韓国で史上初の女性大統領が生まれても、国民国家の正当性のために核を武器にして過去の歴史を美化する動きには警戒が必要です。

3 件のコメント:

  1. 日本では同じ役割をNHKの大河ドラマが担ってきた。(自)国民国家の正当性をアピールして「国民意思の統合を目指す」という。

    返信削除
  2. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

    返信削除
  3. 5月13日の朝日新聞でリンカーン米大統領は人種差別主義者だったという特集記事があった。その記事によれば、リンカーンにとって、南北戦争の本来の目的は奴隷制廃止ではなく、南部諸州(南部連合)を合衆国へ再統合することだったという。天木直人

    返信削除