2013年5月10日金曜日

在特会はなぜ、今、川崎に来るのか?

12日の日曜日、在特会は川崎に来て街頭演説をするそうです。ロックバンドもはいるそうですが、どうして彼らは新宿でやってきた「朝鮮人を殺せ!」と差別言辞をまき散らしてきたデモの延長戦上で、それを川崎でやろうというのでしょうか。

すこし長くなりますが、在特会のHPを見ると彼らの意図がよくわかります。

神奈川の現状をみるにつけて、いい加減何らかの行動を起こすべきと考えています。神奈川県(とくに川崎市) は在日韓国・朝鮮人の密集地であることがよく知られています。戦後、京浜工業地帯として重工業が発達するまで川崎市は砂利運搬船の行き交う港町として良く知られたところでした。当時、砂利採取業に従事する在日が多かったこともあり、川崎市に在日が密集して棲みつくようになったといわれています。

歴史的に在日と川崎市の関係はかなり深いものとなっていますが、それに起因してか在特会が極めて問題視している在日特権の多くが川崎市から始まっています。在日韓国・朝鮮人を主な対象者として年金保険料を一円も納めていない外国人への年金代わりの支給金制度である 「福祉給付金制度」 は平成6年に川崎市で初めて実施されました。さらに、外国籍の公務員を認めるという暴挙も平成8年から川崎市で始まっています。

国家公務員に関しては国籍条項によって外国人の登用は禁止されていますが、地方公務員にはこの国籍条項がないため、これを盾にとって反日極左が「外国人差別を許さない」 などと主張して無理やり外国人公務員(第一号は朝鮮人) を川崎市で誕生させ、以降なし崩し的にさまざまな職種に日本を罵り続ける敵性民族が川崎市で公務員として採用されているのです。

国民全体の奉仕者たる公務員を外国人に開放している国など世界でも稀であり、しかも何時戦争が始まってもおかしくない北朝鮮系の外国人を公務員として迎えるなど国家国民に対する反逆行為といっても過言ではない所業です。そもそも、在日の故郷である朝鮮半島の上下二か国はいずれも外国人公務員など認めておらず、自分たちの祖国で認められていないものを日本が認めないのは差別だと狂ったように喚き散らす精神異常者が在日であり、それを支援する反日極左なのです。

こうした異常事態が延々続いてきた川崎では、異常事態の常態化にともない市民各層でも徐々に「異常を異常と感じなくなってきている」 という報告を各所から受けています。在特会として神奈川県(とくに川崎市) において、運動の全面展開を図り異常な行政を正道にただす必要があると強く感じる次第です。

【集合日時】
平成25年5月12日 (日)
JR蒲田駅11:00~12:00
JR川崎駅12:30~13:30

【呼びかけ】
戦後、特に平成に入ってから、各自治体に朝鮮大好き、在日大好きの怪しき「韓流」が蔓延中。今日も日本国民そっちのけで、不当な優遇、日本人の名誉毀損とやりたい放題。首都圏でも特に汚染度の高い、東京都大田区、神奈川県川崎市両自治体で、東京支部、神奈川支部主催、埼玉支部、千葉両支部共催のリレー街宣を行います。拉致でも、朝鮮学校補助金でも、パチンコでも、福祉給付金でも、参政権要求でも、韓流ゴリ押しでも、日本人差別でも、その他何でも半島関連の問題に我慢できない皆さんの結集をお待ちしています。

(川崎で私たち在日が40年にわたりやってきたこと)
やれやれ、在特会は私たちが川崎で、日立就職差別裁判闘争での勝利以降、40年にわたり人間らしく生きようとしてやってきたことを全面的に、それは特権を求める行為だとしているということですね。

私たちは日立就職差別闘争の後、川崎南部の在日多住地域で地域活動を始めました。朝鮮人であることから逃げないで生きていこうということで、保育園をつくり、小学生、中高校生に学校の勉強を教えたりしながら、在日の権利を主張し、日々蒙る民族差別を一つ一つ取り上げ闘ってきました。そのひとつが年金であったり、児童手当という国の法律によって日本国籍者に限られている国籍条項の撤廃運動でした。そして地方公務員の門戸の開放を求めて実現させました。従って、在特会(「在日特権を許さない市民の会」)はそれらの私たちの40年にわたる行為を、「在日の特権」を享受してきたとみるわけです。

彼らによると、私たち在日は、差別だとわめいてきた、「狂ったように喚き散らす精神異常者」ということになりますね(笑)。しかし彼らはどうしてこのような差別言語をなんの躊躇もなく使うんでしょうね。私は彼らの朝鮮人差別、差別用語への無自覚の使用の背景には、何か病理学的な背景があり、そこには「日本人社会の本質的な「病」」があると見ています。
参考文献;在日」の生き方と地域問題への関わり方ー病んでいるのは日本人社会
http://www.oklos-che.com/2012/04/blog-post_08.html


(何故、今、在特会は川崎に来るのでしょうか?)
在日が自らの人権を要求し、それを支援する「反日極左」とが一緒になって国籍条項を撤廃させた「川崎方式」を許さない、ということで在特会は川崎に来て、示威行動をするのでしょう。しかし彼らと闘うということの意味を明確にする必要があります。私たちが命をかけて闘うのは、在特会の異常な行動に対してではありません。

突き詰めれば、差別されている在日の権利回復の要求は、地域社会における住民主権、その実現ということになるでしょう。これは国民国家の絶対的な権威を相対化し、地域に住む者が国籍や、性や思想によらず、人間らしく生きていく権利を具体化することを意味します。未だ実現されていない民主主義の根本問題といってもいいでしょう。

在特会の異常な行為に対して、東京のデモにおいても在特会に対抗する勢力が現れたり、平和的に、差別をやめようよと訴えてプラカードを掲げる集団があったそうです。私の仲間の内でも、明後日の在特会の川崎でのデモに対して、「在特会には負けられない!みんなでがんばろう!」とい檄文が流れています。これはどういう意味なんでしょうか、物理的に彼らを粉砕しようというのか、私たちも数の面で彼らに負けないように人を集めて、原発反対、在特会粉砕と示威行動をやろうということなのでしょうか?

(3・11以降の川崎の市民運動の歩み)
原発体制への闘いは、原発体制を生み出してきた、自分の住む生活の場である地方(地域)社会のあり方を徹底して追い求めるところに戻らなければならないのです。反原発(=反核)を掲げ、開かれた地域社会を作っていくことは原発体制と闘うにあたって不可欠な視点だと思います。それは地域における個別闘争の活性化とつながり、住民主権の確立に向かうものであると、私は確信するに至りました。

私たちは3・11以降、「脱原発かわさき市民」という規約も、代表者もないゆるやかな組織をつくり東京でのデモに参加し、学習会、署名活動、講演会の開催などをはじめるようになりました。時間の経過と共に徐々に運動は分化し、ゴミの問題、リニアカー問題、焼却灰の問題などに個別に取り組むようになりました。当然のことです。

そして一昨年の「原発ゼロへのカウントダウン in 川崎」集会・デモを反原発の立場に立つ市民が思想や各自の属する組織いかんにかかわらず一緒にやりはじめ、今年の3月10日の1500名に達する集会・デモを成功させました。そしてその後の実行委員会では、3・11の集会を自己目的化せず、日常的な市民の、脱原発につながる運動を活性化するように協力し合うことが確認されました。

個別化してきた市民運動が住民主権という観点からさらに一致して運動を展開することが求められています。






2 件のコメント:

  1. 在特会。挑発者でもあると思います。
    自分の周りにもいますが、彼らの言動に大なり小なり影響を受ける人もいる以上、それなりに反論したりすることも必要だと思います。
    しかし、それ以上に、挑発者であることを強調すべきだと思います。本当の敵は、彼らを手先で使う人間。在特会の背後、それもずっと背後にいるのでは?
    彼らの動きに直対応するのではなく、この挑発者(現代ファシズムの突撃隊?)が何の役割を担わされているのか?ってことを考えて、暴露していく必要もあると思います。
    大事なのは、団結なんですね。市民運動もいろんな垣根をのりこえて、市民運動、労働運動、いろんな運動が一致して、この攻撃に対抗しなくては。

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  2. メーリングリストへの投稿は初めてとなります。
    蒲田在住、川崎勤務の岡です。
    原発関連の行動の方へは、稀な参加で申し訳ありません。

    私も在特会のデモならぬ公の場でのヘイトスピーチには、なにか手を打たねばいけないと考えています。
    けれども、勝久さんのいうように、根本的な問題は何か、そこが見えない限り、そしてそこにアプローチしていかなければ、解決の道筋は見えてこないと思っています。

    今年に入ってから、何回か新大久保の彼らの街頭デモを見ていますが、やっぱり彼らから発せられる言葉、プラカードは、心にささります。
    怒りもあるのですが、なぜ、そこまで言わせてしまうのか、彼らは一体何に怒りを抱いているのか・・・。
    そこに気持ちを集中すると、つらくなる感じです。
    彼らの活動が最近になり活発になっており、かつ会員も増え、若者も多いです。
    まさに、「病んでいるのは日本人社会」なのでしょう。
    今回、川崎駅の街宣の方ではプラカードの掲示はできない規制があるようですが、お昼のあとの15時出発のデモでは「優しい言葉も載せること」を推奨したプラカードが並ぶみたいです。

    私が初めて在特会のスピーチを聞いたのは、1年半程前の蒲田駅前でした。
    無性に悲しかったです。
    それなりに人が集っているのに「なぜ誰も何も言わないのだろう」「皆、これを本当に信じて聞いているのか」ハラハラする思いもありました。
    このときは、ちょうど朝鮮学校無償化除外に抗議する集会が蒲田で行われた時だったので、仲間が一緒にいるひとが多かったと思います。
    (とは言っても、全然良い思いはしないのですが。)
    でも、おかげで私も助けられた感じがしました。
    今回の場合は聞きたくもない人が、たまたま聞いてしまい、つらい思いをすることが予測できます。

    在特会の主張はとてもきつい。
    感情的な、そして対処療法的な対策でしかないのかもしれないですが、同じ場に、在特会の主張する立場とは違う立場にいます、というアピールは必要かと考えています。
    大久保の「仲良くしようよ」プラカード隊にも、少し違和感があるものの、あれをみて安心する人たちがいるのも事実なんですよね・・・。
    でも、まずは、大久保地域以外で彼らが蒲田・川崎で何を言うのか、それは気になります。

    浅はかな考えかもしれませんが、同じ地元にいて、知らんぷりはできないので。
    明日、またお会いできればと思います。

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