2013年2月17日日曜日

武藤一羊さんの講演内容:今の運動に欠けているものは何か


NNAA学習会議事録メモ

開催日時:2013210日(日)、1330pm1630pm
会場:        川崎市中原市民会館2F会議室(東横線武蔵小杉駅)
講師:        武藤 一羊(ピープルズ・プラン研究所)
テーマ:    「核なき世界」-私たちに求められるものは何か? 日本の核政策、政治体制の在り方から考える


序説:今回のテーマはとても大きい。よって、関連する事柄に的を絞って話をしたい。

内容:
[現状認識] 先ず第2次阿倍内閣は「やばい」との思いを共有して話をする。安倍首相は所信表明演説で、「取り戻す」という文言を使った。つまり、「レジーム・チェンジ」のプロセスを公言した。過去(日本では)「レジーム・チェンジ」が1945年に起きたが、その後60年間「レジーム・チェンジ」は起きていない。従って、安倍政権は「やばい」のである。安倍政権は、「改憲」を狙っており、憲法を変える城郭作りを開始した。

[国家に対する認識] 「国家」は、造られ、また壊されるものである。戦前、大正デモクラシーが「レジーム・チェンジ」して軍国(主義)となった。国家は永遠不滅の存在ではなく、人によって(良い方にも悪い方にも)変わる。また、国家は、その国に住む人の頭の中に入り込む。例えば、アメリカでは(9.11後、アフガン・)イラク戦争を開始したが、国内では国旗の掲揚が次第に増えた。ブッシュ大統領の(議会への)戦勝報告は、スタンディングオベーションで共和党・民主党に称えられた。つまり、唯一人反対した議員がいたのみで、アメリカの人々の頭の中に入り込み支配するもの、があった。国家の呪縛力はあなどれない。

さて、「戦後日本国家」は、ある個性をもっており、民主主義国家となった。安倍政権は、この国家を壊そうとしている。(我々は)この戦後日本国家(とは何か)を知らねばならない。国家は戦争をして人を殺せるし、また死刑によって人を殺すことができる。ここに、国家の「正統化原理」が必要となる。以下に3つの正統化原理について議論する。

[3つの正統化原理] 1)アメリカ占領下に日本国憲法はつくられたこと;2)平和民主主義;3)日本帝国のしたことは正しいとして継承すること。以下この3原理を議論する。
1)日本国憲法には、日本が再軍備してアメリカに敵対しないように非武装条項が必要だった。アメリカは天皇を傀儡として利用した(アメリカ天皇制:ライシャワー覚書参照)。また、日本の軍は(アメリカ軍)予備隊として発足し、アメリカ軍の内に組織されたため、アメリカに政権中枢を押えられた。戦後日本国家はアジアとの関係を回避し、アメリカとの関係の中でアジアとの関係をもった。なお、「憲法」については「人民が権力に押し付けるものが憲法である」とのラミスの説がある。

2)前段1)で述べた「軍事力」と2)の平和民主主義とは互いに矛盾する。また、平和民主主義が憲法のお陰であるとだけ考えるのは間違いである。下からの運動が平和民主主義を動かした。ビキニ原水禁運動と安保闘争である。闘争を通して活きた原理となった。また、戦後日本の(指導)集団は、戦争はしたくない、お金を儲けたいと願ったのである。

3)「日本帝国のしたことは正しいとして継承すること」との正統化原理は、個々の政治家の頭の中にあるのみならず、日本の国家の中にある。例えば、「教科書問題」=「国体の問題」;「侵略」か「進出」か。近代日本の過去をどう評価するのか?アメリカ天皇制の中で、天皇は3)の原理について何も言わない。未だに不思議な事に、(歴代)政府は自分の正統性を(堂々とは)主張せず、代わりにみじめな小さな論法で延々と反論してきた。1993年自民党に歴史検討会ができた(資料5参照)。

一方、自民党は123)と矛盾し並立しない原理を、政治を弱めることで支配しようとした。つまり、「経済さえよければ大丈夫」という、いい加減な原理をアジア・世界に広げようとした。しかし、1995年を境に経済中心原理は働かなくなった。ネオリベラルの小泉改革によって自民党は壊れ、政権交代が生じ、ここに戦後日本国家の崩壊が始まった。

[「核」について] 「核」は、上記第3の国家正統化原理と関係がある。1954年原子力予算が付き、佐藤(首相)は「個人的には日本は核をもつべきと考える」とライシャワーに言った。佐藤は「核は潜在的抑止力」として捉えた。佐藤は驚くアメリカ政府に対し、前言をバーターに「アメリカの核の傘」「沖縄返還」をアメリカから獲得した。

 一方、安倍(首相)は、日本国憲法を変え、レジーム・チェンジを行いたい。自民党は(改憲)草案を作成した→ 主権在民を棄てる。日本国の定義の内容に天皇を入れた。この草案は、自分たちのしたいこと事を言っているだけで、「人民が権力に押し付けるものが憲法である(ラミスの説)」との概念が、一切外されている。他者に対する考えが前記草案には入っていない。草案では「国民は義務を果たさなければならない。義務を果たさない国民は権利(人権)もない」と述べている。→ つまり、日本のガラパゴス化=自己中心化である。今の憲法の「前文」は非常に大切である。しかし、自民党改憲草案では、「過去の出来事はあたかも災害であったかのごとく」記載する。「日本帝国は正しいことをした」とは、さすがに憲法草案には書けない。よって、大きな矛盾をかかえている。アメリカは過去の大日本帝国の行為を絶対に許さない。従って、第3の原理に立とうとすると、アメリカとの同盟はかけ引きの場となる。

 以上のように、安倍のやろうとしている中央突破は危うい。しかも脆弱である。一方、国民は「無関係」にされている。これは、1930年代の「無関係」と同様である。
(安倍らの)国家改造の企画に対し、我々はどう考えるのか?
 この問題提起で、今回の講演は時間となった。
この後、質疑応答が行われたが詳細は省く。

[補足]
i)共闘とは意識的に造るものである。ただ集まっただけでは共闘にはならない。「議論をして造り上げていく」との「力が弱くなっている」。従って、「運動の要は、議論の場を造る」ことである。
ii)レジーム・チェンジでは、「全体」から対応しなければならない。個別・個別の対応をしてもできない。全体からみなければならない。
iii)朝鮮半島問題では米国が政策を変えないとダメになっている。北東アジア問題を解決するには議論の環境を如何に造るかにかかっている。

(参考文献)
季刊 ピープルズ・プラン 2011v.55.「核武装潜在力としての原子力体制の解体へ」武藤一羊
季刊 ピープルズ・プラン 2011v.54.「脱原発に舵を切れ!」

以上(文責 端山俊)

YouTube(画像)
http://www.youtube.com/watch?v=A5d0p460YLw&feature=youtu.be

当日のレジュメ(オクロスより)
http://www.oklos-che.com/2013/02/blog-post_9.html
(テキストファイルも添付。岡田が適当に改行などを入れたものです)





1 件のコメント:

  1. 季刊ピープルズプランのバックナンバー購入希望の方は
    http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd0/index.php?id=47
    からどうぞ。

    ちなみに56号の武藤さんの

    ◆核武装潜在力としての原子力体制の解体へ
      ――安保・沖縄・脱原発/武藤一羊[PDF]

    はWebから読めます。

    http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp55/pp55_muto.pdf

    他にも

    ◆「アメリカの太平洋時代」とは何か
      ――米中「複合覇権」状況の出現と非覇権の立場/武藤一羊[PDF]
    http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp58/pp58_muto.pdf


    ◆米中・日米関係のなかの日中問題としての尖閣問題
      ──脱軍事化・脱覇権による解決のために/武藤一羊[PDF]
    http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp59/pp59_muto.pdf

    また、近日出る予定の最新号ではこの講演のテーマに沿った問題提起が掲載される予定です。

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