2013年1月20日日曜日

「パリ五月革命 私論」と「最強のふたり」(フランス映画)からー朴鐘碩


「パリ五月革命 私論」と「最強のふたり」(フランス映画)から「日立就職差別裁判闘争」を考えるー朴鐘碩

植民地主義は、宗主国と植民地に住む人間の人格を徹底的に破壊する。
国籍・民族を超えて植民地主義に抵抗する人々は、人間性と理性を求める。

2012年が終わる12月中旬、連れ合いに誘われて「最強のふたり」を観た。隣で上映されていた007シリ-ズに惹かれたが、誘われるまま鑑賞した。

場面は、職業安定所にいる体格のいい不良黒人青年が出る。シーンは切り替わって車椅子で生活する大富豪の紳士。スト-リは、Disable personである紳士と全く異なる世界-貧困地区で育ったNon- Disable personの青年、二人が(差別・偏見を克服し)精神的に成長し、対等な関係を作り上げていく実話である、と字幕にあった。

映像は、外国人(労働者)排斥が起こったことを思い出させた。映像が進むに連れて青年が育った地域、家族関係が明らかにされていく。画面は青年が育ったスラム・住宅地域に変わった。寒い日、仕事の見つからない(黒人の)青年たちがたむろしている。タバコを吸いながらギャンブルしている。ヤクも吸っている。暴力、喧嘩も起こる。青年の両親は離婚、叔母が彼を育てる。叔母は朝早くから遅くまでビル清掃の仕事で、一人で子供たちを養う。

経済的に不自由のない、上流社会で生きる紳士は、事故で妻と別れる。首から下の身体は、神経麻痺。夜中に発作も起こる。援助がなければ食事、入浴、排泄など、基本的な日常生活は不可能。

貧困家庭で育った常識・知識のない青年が職業安定所で見つけた仕事は、紳士の日常生活、身の回りの全世話役。紳士を世話する女性秘書から「この仕事に1週間、我慢できる人はいない」と告げられる。わがままな一人娘(はしだいに青年から厳しい躾を受け、心を開いていく)を持つ紳士は、数人の応募者から彼を選んだが、親しい友人は、「素性のわからない、不良青年を雇うことは、やめたほうがいい」とアドバイスする。しかし、紳士は青年を信頼した。青年は、豪華な一人部屋をあてがわれ、「貧困生活」から別れる。「家族」には知らせない。彼は、上流社会の仕来たり・常識をことごとく破る。破天荒な態度で「上流の常識・価値観」を覆す。

熱湯を紳士の素足に溢し、無反応・無表情の紳士に驚く。面白がって、再び熱湯をかける。病人扱いしてきたこれまでの世話人とは全く異なる、青年の紳士への態度は、しだいに信頼関係を深め、全く異なる過去を語っていく。紳士は、不可能だと諦めていた散歩、高級車でのドライブ旅行、パラグライダ-、世界旅行を青年とともに可能にする。

紳士は、女性と文通しているが、会ったこともない。女性秘書が代筆する。格調高い手紙の文章に学歴・知識のない青年がチャチを入れる。青年は会うチャンスを試みるが、紳士は自分の容姿を怖れ、約束の時間ぎりぎりで「会わない」と言い、デ-トをすっぽかす。

素晴らしい経験と出会いが生まれたが、紳士は雇用期間が切れた青年と別れ、青年は元の貧しい生活に戻る。新たに採用された世話人は、紳士を病人扱いし、世話の仕方もいい加減になる。見かねた女性秘書が青年を呼び戻し、再会を喜ぶ。

ついに、青年は、紳士と会ったこともない女性とのデ-トを実現させる。青年は、自分の「使命」を終えたことを悟る。狭い、汚い部屋・集合住宅に戻り再び叔母、「不良の弟、妹がいる家族」とともに暮らす。

「最強のふたり」は、(卑屈になっていた)二人が信頼し、対等な関係を築くプロセスが印象的だった。私の関心は、青年が住む都市部にある貧困地域にあった。貧しい家庭で育ち、卑屈になり、朝鮮人であることに悩み始めた私が高校生の時に観た「アルジェの戦い」は、ものを考えなかった私に強烈な印象を与えた。今も忘れられない。日立闘争で知り合った新左翼の日本人学生たちに、映画のスト-リを話すと「そんな映画があるのか?」と驚き、「ぜひ見たい」と語っていたことを思い出す。

アルジェリアはフランス占領下・植民地であった。登場した「国民国家の独立」を願い、生きる「希望、自信を失った」青年たちの命をかけた闘い、ドゴ-ル(政権)が青年たちを拷問にするシ-ンは、今も覚えている。植民地で生まれた両親を持つ朝鮮人である自分と植民地アルジェリアの関係は理解できなかった。高校生であった私は、自分が一体何者か、何をすればいいか、全く分からず、生きる希望はなくふらふらしていた。金嬉老(キム・ヒロ)事件があったのはその頃だった。

「最強のふたり」に設定された黒人の青年がアルジェリア人であったのか、青年が育った地域が「1968年のナンテ-ル」であったのか、わからない。フランス革命、人権宣言の歴史は、よく知られている。

映画を観た後、連れ合いは、「紳士の知性、知識は西川長夫先生で、常識・知識のない、貧しい青年の姿は、裁判当時の鐘碩に似ているところがある。勿論、情況は全く違っているが、鐘碩が西川先生に傾倒しているのだけれど。」と語っていた。

立命館大学西川長夫教授は、「パリ五月革命 私論」の中で書いている。

「大学における学生運動の形態が、その大学が置かれている場所に深く関わっている」
「ナンテ-ル分校もまた貧困と人種差別を抱える新興の郊外都市であった」
「しかし、そこにあるアルジェリア人の部落を見たとき、私は大きな亀裂がポッカリと口をあけているのを発見した。それは文字通り「ゲット-」という語感にピッタリした一画であった。小さな-本当に小さな小屋が点在し、ウイ-クデ-だというのに、仕事のない、ボロをまとったアルジェリア人たちが、ごろごろしていた。子供は全裸で地面をはいまわっていた。われわれの車を見て、子供が2、3人駆けよってきた。それにつづいて青年が数名近づいてきた。そのときだった。(共産)党書記は、車のドアの把手をしっかりつかんで運転手に叫んだ。「危ない。走れ。はやく、はやく。」私の印象に残っているナンテ-ルとはそんなところだった。」「ナンテ-ルは、・・もともとアルジェリア人労働者の貧しい居住地であった。」

この文章を読んで、日立闘争を契機に始まった川崎市南部・京浜工業地帯の一画に隣接し朝鮮人が密集する池上・桜本を中心にした地域活動を思い出す。私は、西川教授の文章を思いながら「最強のふたり」を観た。青年が上流社会の既成の価値観を紳士と共に打破していくプロセスに、日立就職差別裁判闘争から学んだ一部が映し出されたと思った。「朝鮮人は企業に就職できない。裁判しても無駄だ。やっても勝てない」と朝鮮人(青年)誰もが諦め、それが朝鮮人社会の常識・価値観だった。さらに、日立闘争は、当初韓国の民主化、朝鮮半島統一を謳う民族団体から「民族、言葉、歴史も知らない若造が何を偉そうなことを言っているか。これは同化裁判だ」と厳しく批判された。果たして日立闘争は、「同化、植民地主義」に繋がったのか ?

1970年代、韓国で厳しい状況に置かれ、民主化を目指し、日立闘争を反日救国闘争として位置づけた本国の学生たち、日立闘製品不買運動を展開した教会のオモニ(母親)たちによって日立闘争は世界的な運動となった。世界の日立は負けた。また「小さな」日立闘争は、(朝鮮人)社会の常識・価値観を破った! のではないか。

労働者に沈黙を「強要」している、原発メ-カ・日立製作所の植民地的経営は続いている。経営者・労働組合幹部は、3・11福島事故の教訓を学ぼうとせず、リトアニアに原発プラントを輸出する機会を窺っている。

被曝した広島の惨状を見た日立製作所・金井務元社長は「日本を代表する企業として、やはり国が必要としていれば我々はやらなければならない」(「経営理念・原子力」)と防衛大学校生に語っている。これは、国民国家を支える思想である。戦争責任を明確にできなかった、利潤・効率・資源を求める多国籍企業・経営者の本音である。

植民地主義拡大に繋がる日立の原発輸出は、絶対許してはならない。
社会の常識・価値観を打破した日立闘争のように、やればできる。
No.327 - 2013/01/20(Sun) 01:59:00
(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」掲示板より:http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html ) 

参考文献:崔のブログに掲載されたものの中から「五月革命」でヒットしたものの紹介
「自らを問う」・「これは始まりにすぎない、闘いを続けよう」-西川長夫さんの出版記念シンポジュームに参加してー朴鐘碩
http://www.oklos-che.com/2012/02/blog-post_17.html

企業内、国内「新植民地主義」の考察ー朴碩碩
http://www.oklos-che.com/2011/10/blog-post_06.html


1 件のコメント:

  1. 勝久さま


    今日、ハニルチャーチでは「アルジェの闘い」の話が出ました。

    わたしは、先日20年間ひきこもりの33歳の女性をつれて「最強のふたり」を見て来ました。

    きょうの通信もとても感動しました。朴鐘硯さんによろしくお伝えください。

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