2012年6月22日金曜日

政令都市最後の牙城、川崎市も議場で国旗掲揚へ


毎日新聞はこれまでの川崎市での国旗掲揚に関する経緯を簡潔に記しています。「市議会局によると、川崎市を除く全国19の政令市と、全ての県議会の議場で国旗が掲揚されている。川崎市でも10年12月、国旗掲揚を求める陳情が提出された。しかし、議会の運営方法や在り方などを話し合う議会運営委員会は全会一致が原則となっており、結論が得られずに採決が見送られた経緯がある。」(12/6/21)

しかし「国旗に敬意を表するのは」当たり前という論理で、これまで川崎市議会議場で国旗が掲げられてこなかったといういきさつを論議することなく、満場一致の慣例を破ってまで多数決で決定しようという背景は何なのでしょうか。その案が自民党から提出され、共産党を除く全党の賛成で本日、決定されるそうです。

それに反対する市民側は、「政令市で唯一掲揚していないのは、多様性に配慮している証し。慎重に対応してほしい」と多文化共生を掲げる川崎市議会議場での国旗掲揚を反対しています。私も属している「川崎・市民フォーラム」(今井克樹 代表)は、いち早く市議会での国旗掲揚に反対する声明文を発表し記者会見をもちました。

しかし新聞紙上では、今井さんの「戦時中の記憶があり、受け入れられない」というコメントだけが書かれており、基礎自治体において川崎市の旗を掲げるのには同意するが、どうして国家権力の象徴である国旗をあげるのか、という氏の主張は取り上げられていませんでした。

この点は、昨今、原発再稼働の問題やゴミの問題で地方自治体の独自性が問われ、同じ国民だからとか、日本人としての絆ということで国会で十分な議論もなく官僚の意向で勝手に決めた国策を無理やり地方自治体に押し付ける傾向に対して、自らそれにすり寄るような行為だと私には見えます。

基礎自治体は日本国籍を持つ市民だけのものでなく、様々な国籍をもつ者、或いは国籍をもたない者を含め、そこに住む人たち(住民)のものであり、その市議会議場で、わざわざ国旗を掲げてきた「伝統」を何の議論もなく一方的に、「愛国心」を強調するための国旗掲揚を決めることはないはずです。しかしこの件もすぐに瓦礫の引き取り、絆の大合唱、そしてまもなく始まるオリンピックの開催と愛国心の高揚とともとに忘れ去られていくことでしょう。

3 件のコメント:

  1. 「ここは日本人の為の日本国です。」
    可決理由はそれだけで十分です。

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  2. >基礎自治体は日本国籍を持つ市民だけのものでなく、様々な国籍をもつ者、或いは国籍をもたない者を含め、そこに住む人たち(住民)のもの

    どこかの政党でいましたよね。『日本列島は日本人だけのものではない』と口にした元首相が。もう少し進むと、常識的にはこれは売国奴と呼ばれるレベルの発言です。

    自治体は、自治体である以前に国の一部でしょ。道州制が導入されたって、日本でしょ。市民だとか住民という言葉を前面に出して、国家がさも敵であるかのような前提に立つ言論は、如何なものでしょうね。

    人間がこの世界に生きている以上、国家や、民族としてのアイデンティティは必要です。グローバルな世界に生きているからこそ、必要なのです。

    アイデンティティも持たない者は、根無し草と同じです。逆に、国家を超えて人間が協調するために、アイデンティティが助けになることはあれど、障害になることはありませんけど???

    国旗というのは、民族のアイデンティティの一部です。どこの国でも同じ、日本人にとっても同じです。

    そして、『ここは日本』です。

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  3. Orzさんへ
    投稿、ありがとうございます。
    「人間がこの世界に生きている以上、国家や、民族としてのアイデンティティは必要です」というお考えですが、私はそうは考えていないのですよ。聖書にはこのようにあります。「私たちの本国は天にあります」(ピリピ人への手紙3章20節)。国籍や民族とは絶対的なものではない、この前提に立ちます。私のブログを読み、真剣な対話をしてくださるのなら、以下の二つをお読みいただけますか。

    「3・11」を踏まえて韓国の民主化闘争とは何であったのかを考える ー反原発運動の国際連帯を求めて
    http://www.oklos-che.com/2012/06/blog-post.html

    大澤真幸の『夢よりも深い覚醒へー3・11後の哲学』を読んで、深く共鳴
    http://www.oklos-che.com/2012/05/blog-post_19.html

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