2012年5月14日月曜日

朝日の耕論より、「黙らない生き方を選んだ」ー朴鐘碩



5月12日の朝日新聞のオピニオン 「耕論」という欄で、「冷や飯を食う」というタイトルで今をときめく、元経済産業省官僚の古賀茂明さんと、日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎さんと、我らが朴鐘碩が日立就職差別裁判元原告として名を連ね、その談話が大きく取り上げられています。

それがどうした、ただ3人ともサラリーマン時代の経験、どれほど冷や飯を食わされたかを語っているだけのことではないかと言われればそれまでのことなのですが・・・。それにしても、ネームバリューからしても古賀、川淵両氏はわかります。しかしどうして朝日は朴鐘碩をとりあげたのでしょうか?

「新しい職場に慣れましたか。私は・・・・。会社のために汗を流し、同期にも負けなていないはず。なのに・・・。
冷や飯、腹いっぱい食べてやろうじゃないですか」。

この「耕論」の頭の2行にその朝日の意図が伺い知れます。3人は現職時代、大きな組織の中で「まな板の上の鯉」(川淵)でしかないサラリーマンとして、まさに不条理な冷や飯を食わされたのです。しかしそれでもこの3人は、筋を曲げることなく、退職したり、転職したり、そのまま居残ったとしても、そこで徹底して自己主張を貫き、それが何か今の硬直した日本社会の中で逆にあるべき生き方のように評価されているのです。朝日のこの企画は、新しく社会人になった若い人へのエールですね。簡単にはできないかも知れないが、いや、おそらくできないだろうが、こういう人もいるんだよ、「冷や飯、腹いっぱい食べてやろうじゃないですか」!。これは朝日の担当記者の思いであるのかも知れません。

多くの読者は朴鐘碩が取り上げられたことをおそらくいぶかしく思ったでしょう。伏線がありました。朝日新聞(12月28日)の夕刊、<窓>論説委員室から 「ある会社員の定年」 http://www.oklos-che.com/2011/12/blog-post_28.html という記事がそれです。さりげなく短く、日立闘争の当該であった朴が、あれだけ30年間、徹底して会社と組合を「批判」したのに、その定年退職の日に、多くの日立の社員が花束を持って彼を称えたという記事です。会社や組合がそんな粋な計らいをしたとは思えません。周りの人たちは自分たちは何も言えず黙って働いてきたけれど、朴の言動が、入社のとき以来一貫して、日立に対して「開かれた社会」を求めた、共鳴するものであったということを暗示するエピソードであったように思います。

世界的な闘いになった日立闘争の当該であったからそんな好きなことを言ってもクビにされなかったのだと言う人もいます。そうかもしれません。しかし30年間、組合の閉鎖性と独善的な運営、不明朗な会計を批判し、自ら何度も組合委員長に立候補し(多い時は30%台の支持を受けたこともあるそうです!)、働く者にものを言わせない職場であることを日立の経営陣にメールを送り訴え続けたというのはたとえ、世界的なバックが彼にあったとしても(実はまったく、何もなかったのです!)、できることではありません。おそらく、彼は奥さんの支えを受け、自問自答しながら、孤独のまっただ中でそのような行動をし続けたのでしょう。

高卒でコンピュータの勉強をしたこともない彼が日立のソフトウェアー部門で生き抜くのは、並大抵な努力ではなかったでしょう。40年近い付き合いで一度も彼から弱音を聞いたことがない私は(入社してあまりのプレッシャーで胃潰瘍になり入院したときでさえ)、定年の直前、初めて苦しかった胸の内を一言、苦しかったと涙ながらに吐露する姿を目にして私は、彼がどんな境遇にいたのか、わかりました。

日立闘争は確かに国籍を理由に韓国人青年を解雇したことを許さなかった裁判闘争であり、世界的な運動でした。戦後の在日の歴史に刻まれるものでしょう。教科書にも載っているそうです。多くの人は、それも運動を一緒にして彼を支えた人たちでさえ、日立闘争は彼の入社で終わったものと理解し、大企業に入り生活は安定したんだからおとなしくしていればいいじゃないか、と陰口を叩きながら冷やかにみていたようです。しかし入社後の長い闘いが彼にとって「第二の日立闘争」、それも一人の孤独な闘いだったのです。彼の闘いの意味を取り上げた朝日の記者の見識に敬意を表します。

それは民族差別の次元を超え、そもそも民族差別を起こすような会社の実態はどのようになっているのか、働く者の立場に立つはずの組合もまた会社と一緒になって形式的な民主主義的手続きは踏んではいるものの、労働者に沈黙を強いているということを言い続けたのです。日立の職場は実は日本社会の縮図であり、集団への同一化を強いる無言の圧力とその風土がこの間の経済成長を成し遂げた原動力であると同時に、この停滞の原因でもありました。民族差別を訴えて入社した朴鐘碩の「変節」、見えてきた地平こそ、「在日」のレーゾンデートルを問うものだと私は理解します。「在日」として閉鎖的な日本社会に埋没するのでなく、より「開かれた社会」を目指した「変革」を求めるのです。

彼の「開かれた地平」を求める姿勢は当然のこととして、全国の地方自治体において外国人の採用を決めながら、国籍を理由に昇進をさせず、市民に「命令」をする職務に就かせないという、政府の「当然の法理」に従ったあり方に目を向けます。特に川崎市は、日本で外国人施策がもっとも進んだ、「多文化共生」を看板にする都市であるからこそ、彼は厳しく批判をしてきました。その闘いは今後も続けられるでしょう。

そして起こったのが3・11です。私は歴史は朴鐘碩を過去の人としないのだと思います。第一、第二の日立闘争をしてきた当事者として「開かれた社会」を求めてきた彼は、過去の「神話」の枠に留まらず、原発を生み出した日本社会を直視し、それを戦前・戦後の差別を生み出した社会構造の必然的な姿と捉え、新たな歩みを始めることでしょう。その目はきっと、日立や川崎にとどまらず、世界に向けられるに違いありません。長い付き合いでしたが、これからまた新たな付き合いが始まるような予感がします。朴鐘碩、よろしくね。

参考文献:『日本社会における多文化共生とは何かー在日の経験から』(崔勝久・加藤千香子共編著
 新曜社 2008)
「今改めて、日立闘争の私にとって意味を問う」、朴君の定年退職を祝う集い
http://www.oklos-che.com/2012/01/blog-post_07.html

2 件のコメント:

  1. 大阪の申英子さんよりメールがありました。

    ほんとうに朴さん、勝久さんご苦労様でした。
    土曜日忙しくて新聞を読んでいないことを思い出し、今
    読んでみました。
    朝日、これはえらい!と思いました。
    「黙らない生き方」を静かに実行し、
    まわりはちゃんと見ていた、
    嬉しいですね。

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  2. トルコの久美子2015年4月5日 22:55

    朝日の耕論をご紹介してくださりありがとうございます。
    朴さん、崔さんが韓国人である前に人間として、いつも前向きに戦われていることに感動します。
    素晴らしいです。自分の主義主張を持ち、今も更なる挑戦されていることに、私は一人の人間として賛同します。そして、お二人から、韓国も大好き、そして日本も大好き・・・そして、何があっても、何と言われようが、生きることへの生命力のようなものを感じます。そして、韓国の後輩の為に、障がい者の為に、差別と闘った、お二人の使命感のようなものに私は尊敬します。
                   
    たとえば、私がもし、韓国で、或は、ヨーロッパの国で、或はアメリカの大企業に入って、朴さんのように戦えるかと考えると難しいです。 しかし、私は、朴さん、崔さんを、原発裁判訴訟の活動から知り合うことができました。感謝です。更に、今も尚、見えないところで、だれにも言えずに必死に戦っている人々が、世界にたくさんいると思います。どうかその人々に言いたいです。『黙らない生き方』を頑張ってほしいです。私も頑張ります。私達は一人の人間と一人の人間が賛同し、輪が広がっています。この人間の血の通った、友情の輪をどこまでも、世界に広げていきたいです。崔さんや朴さんがして来たように・・・。

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