2012年3月1日木曜日

教会の変革について。内藤新吾著『キリスト者として”原発”をどう考えるか』を読んで



この本はいのちのことば社から3月11日に発行される予定で、副題は、「今、問われる責任と決断」になっています。「3.11ブックレット」と銘打っていますから、今後このシリーズが多く出版されることを期待します。83ページの薄い本で単価も700円と手ごろで、各章に四つの単元が並び、一つの単元は4ページに収まっているので一単元づつ若い人たちや婦人会の読者会で読んで話し合うのに手ごろなテキストになっていると思います。前著に比べると易しく書かれており、内容的にもじっくりと語るように書かれています。



キリスト教新聞社の季刊誌『Ministry』のスぺシャルインタビューとして内藤さんの「原発をどうする?」も発表されています。内藤さんは歯に衣着せぬ言い方で、「『復興支援』はしても原発には物言わぬ教会」、「『声明』なんかださなくてもいいから、まず知ることから始めてほしい」と随分、教会組織の人が聞いたら怒りそうな(いや、もっともだと言う人が多ければいいのですが)発言です。

しかし牧会者としての内藤さんは、「教会を変えることが目的でなく、教会が変わることで、隣人の幸せのために奉仕できるようになれるのが願いです。」と語り、あくまでも教会を魂の救い、教会員の増加を目的にするのでなく、生きている隣人に仕えることを教会の使命に考えていらっしゃることが窺えます。しかし被災地への復興支援は必要不可欠なもので、全世界から、特に韓国からの支援は目を見張るものがあります。

ところが、原発事故を起こしたこの原因はあくまでも原発体制にあるわけで、これまでの安全神話は「嘘」であることがはっきりとしてきたのに、教会は原発に関する発言は政治に関わるので避けたい、電力会社の信者もいるというので原発に対する議論は避け、実際に被曝者への支援・連帯や、脱原発のための行動を起こすことに躊躇があります。この点を内藤さんは厳しく批判され、「『声明』なんかださなくてもいいから、まず知ることから始めてほしい」と曝者の実態を知ることさえ、なされていないのではないかと話されているように思います。

その怒りは、内藤さんが名古屋で被曝労働者の実体験を知り、その後、浜岡近くに赴任されてからいかに原発は危険であるかを身をもって感じ、地域の人たちと一緒に活動されてきた経験からくるものなのでしょう。私はこの原発体制と闘うには一国主義ではなく、国際連帯による運動が不可欠と考え、キリスト者のネットワークを作ることで相談に伺ったことがあります。内藤さんは全面的に賛同してくださり、現在、「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)となってきたのですが、その際、内藤さんの本棚にこれまで図書館でも、本屋でも見たことがないくらい、原発に関する蔵書が多いことに驚きました。内藤さんは勉強家でした。

私がこの本の中で特に感銘を受けた部分は、この世の不運や災いに関する彼の解釈で、それは彼の育ってきた境遇の中から学んできた「信仰理解」なのでしょう。「この世で起こる試練に対して、悲しみは悲しみとして、また不義に対しては不義の怒りを、その当事者とともにかみしめることが、神が私たちに期待しておられる生き方であると信じ」、だから被曝者や放射能の被害者に子供がなるような事態には怒りをもって対しているのでしょう。

教会は社会の問題とは関係しない、魂の問題に関わるのだとよく教会で聞くセリフですが、これに対して内藤さんは厳しく応えます。「どんなことでも教会は社会の問題と関係しないと言うのなら、私は『それならば、クリスチャンが増えれば増えるほど、世の中は悪くなる』とお答えしよう」というのです。ここまではっきりとものを言う牧師は私は初めてです。内藤さんに全面的に賛意と敬意を表します。

韓国の教会はこれまで原発に関する発言は極めて少なく、むしろ石油・石炭資源がないことで更なる工業化の推進のためには原発は不可避と政府の政策を支持してきました。海外への原発輸出に成功した日を祝い、休日としたくらいですから。しかし日本のフクシマ事故以来、韓国の教会は大きく変わろうとしています。政治の責任を追及し、原発に賛成する議員を落選させようとする運動が間もなく始まるでしょう。

日韓の市民は連帯して、脱原発に政策を切り替えるようにさせなければ、自分たちの生命を守ることはできません。子供を放射線から守ることはできないのです。日本の教会がどのように韓国の教会と協働して具体的な脱原発に向けたアクションを起こすのか、これからが重要です。原発事故の当事者として、日本は世界に脱原発の情報発信をしなければならない立場です。まだ福島事故は終息していないのですから、再稼働はおろか、原発を輸出することを国策として進めるというのは決して許してはいけないことであるはずです。かなりこのことは日本社会では浸透していきているように思いますが、しかし原発基地のある地域では、もうどうしようもないというあきらめがあることも事実です。地域社会をどのように変えていくのか、地道な闘いはこれから始まるのです。

この地域社会をどのように変革していくのか、この点でも日韓の市民は多く学び合えるはずです。この地域からの変革がなければ中央での政治システムの変化があっても十分でないという点を、強調したいと思います。

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