2012年2月26日日曜日

3・11フクシマ原発事故をキリスト者としてどのように受けとめるべきなのか

新教出版社編集部編『原発とキリスト教──私たちはこう考える』新教出版社、2011年昨年出版されたこの本の中で、拙論も入っています。「キリスト者」とは何かを議論すればそれだけでいろんな意見がありうるでしょう。新教出版社から発売されて数か月経つので、拙論をブログで公開させていただくことにいたします。勿論、これは以前から新教のお許しを得ていたことです。クリスチャンでない人も、私たちの先人がどのように原発を捉えようとしてきたのか、よくおわかりになると思います。一読をお勧めいたします。

この原稿を書いた時点と今の私とではもうかなり問題意識の面で違いが出ています。私のブログの読者は気づいてくださっていることでしょう。現実はそれほど進み、その現実に正面から関わろうとすれば自分自身が変わらざるをえないのです。<原発体制>に挑むにはあまりにもやるべきことが多くあります。時間がない、という焦りに似た気持ちになります。しかしここでじっくりと踏ん張って、しっかりと<原発体制>なるものを見据えていきたいと思います。 崔 勝久


3・11フクシマ原発事故をキリスト者としてどのように受けとめるべきなのか    

 正直に告白しなければならないのですが、私は3・11の原発事故を目撃するまでは、原発は問題だという意識がありながらもどこか他人事(ひとごと)のように思っているところがありました。しかし今回の3・11フクシマ原発事故とその後の「原発避難民」の実態と放射線の影響を知り、私は自分自身の歴史観、信仰についての考え方が根本から問われていると思いました。

(1)在日朝鮮人として歩み
 私は1945年生まれの「在日」2世です。大阪で生まれ育ち、ICUに入学したときには自分の本名や韓国の本籍地もわかりませんでした。私は自分が朝鮮人であることをどのように受けとめていいのか、自分は何者で、どう生きていけばいいのかを悩んでいました。

 そのような私がある日、朝日新聞の記事で、ある高卒の「在日」青年が日本名を使い日本の住所を本籍と「偽り」日立ソフトウェアの入社試験に合格したものの、「嘘」をついたという理由で解雇され提訴したということを知りました。彼の名前は朴鐘碩(パク・チョンソク)、日立就職差別裁判闘争の当事者です。日立闘争は民族差別を許してはいけないという戦後初の大きな市民運動になり、日本のキリスト者からも多くの支援を受けました。海外ではアメリカ、韓国の教会が現地で日立商品の不買運動を展開し、韓国の学生が民主化闘争の最中にこの闘争支援を発表したことによって、運動は大きく展開し始めました。

 日立の就職差別裁判闘争は、「在日」の歴史と差別社会の実態を反映したものであるというこちら側の主張が全面的に認められた完全勝利に終わりました。日本社会の差別と同化を強いる現実を直視した運動へと運動体の質が深まり、朴君自身の人間的成長によって勝利したこの事件を、韓国のマスコミはこぞって「告発精神の勝利」「民族全体の貴重な教訓」と称えました。「在日」の足元からの闘いが民族全体の課題と結びついたのです。その朴君は今年の11月に無事、日立を定年退職します。

私は民族の主体性というものは自分の足元での闘いを通して勝ち取るものだという信念をもつようになり、ソウル大学の大学院を中退してRAIK(在日韓国人問題研究所)の初代主事に就き、川崎の地域活動を始めました。生意気盛りの私たちを受けとめ運動を背後から支えてくださったのは、川崎教会の故李仁夏牧師です。

 私たちは自分の「在日」としての生き方を地域における足元の問題と取り組むことからはじめるという考え方で川崎の地域活動に没頭しました。国籍条項や「在日」の教育問題に深くかかわり一定の成果をえるようになるのですが、その運動がいつしか「多文化共生」を目指すものとなり、地域活動が行政と一体化し同じスローガンを掲げ行政批判をひかえるようになってきたことを私たちは批判的に見るようになりました。
 
 「多文化共生」と言いながら地域における外国人の政治参加を許さず「多様性」を強調するのは、労働力を重視して外国人を「二級市民」とする植民地主義イデオロギーであり、「在日」に理解を示す日本人に対しては、「在日」をマイノリティとして位置づけマジョリティである自らを省みることがないのは残念ながらパターナリズム(家父長的温情主義)に陥るしかないということが段々とわかってきました。それでは対等な関係は作りえないのです。

 「在日」が「多文化共生」を求めることは地域社会の「変革」ではなく、「埋没」になるということが見えてきました。日本社会は「多文化共生」を強調することで、日本のナショナリズム(日の丸・君が代の強調)を肯定する構造になっているのです。「多文化共生」批判は結局、国民国家を前提にするナショナリズム(民族主義)の相対化という問題に行きつきます。私は地域社会のあり方そのものを変革していかない限り、「在日」の人権の回復はないということを主張するようになりました。

 日韓併合の100年は、川崎の埋め立ての100年でもありました。臨海部の巨大なコンビナートは、かつては公害問題を生み出し経済最優先の象徴であったのですが、今や脱工業化の時代にさしかかりその持続が可能なのか問われるようになりました。大震災に遭った場合の災害対策も不十分です。3・11で明らかになったように、災害があれば住民はみんな等しく被害に遭います。だからこそ、住民は国籍や民族を越え、<協働>して共に生き延びることができるように地域社会を「変革」していかなければならないのです。それは住民主権の内実を問うものとなるでしょう。「多文化共生」は、地域社会そのものの在り方を問う方向に向かわず外国人と日本人の関係性を問題にする限り、為政者にとって都合のいいものに終わるでしょう。

(2)3・11大震災を目撃して
 「いざというときに戦争にいかない外国人は『準会員』である」と放言した阿部現川崎市長は、外国人に門戸を開放しても管理職や市民に命令をするような職務には就かせないという「当然の法理」に拘泥していました(たばこや空き缶を捨てることを注意する職務もだめだというのです)。私たちは市長を代えなくては閉ざされた門戸はどうしようもないという事実に気づき、阿部三選阻止に全力を挙げることにしました。そこで多くの市民と出会うことになったのです。日本基督教団川崎教会の滝澤牧師や阿部三選阻止に賛成する市民と一緒になって住民が中心となる「新しい川崎をつくる市民の会」を立ち上げ、上記の臨海部の問題や「脱原発」「災害対策」、そして行政単位を小さくし「開かれた地方自治」を求めるなど長期的な取り組みに着手し、次の市長選に臨もうと計画しています。

 そのようなときに3・11の大震災に出逢い、地震と津波と原発事故を目撃して言葉を失うほどのショックを受けました。地震と津波は自然災害ですが、その背景として、一極集中化した東京が地方を搾取してきた社会構造を見逃すことはできません。そして原発事故は明らかに人災です。私はネットで原発のことを調べ、講演会を聴き、そしてできる限り多くの本を集中して読みました。

 原発は地域と被曝労働者への差別を前提にしているということがわかりました。これは戦後日本社会の平和と民主主義の形骸化、経済最優先による環境破壊、市民生活における差別・格差の固定化・拡大を象徴するもので、まさに戦後日本社会の歩みそのものが生み出したものです。そうであれば、戦争責任告白をしたキリスト者は、このような戦後社会を作ってきた、そしてそれを許してきた戦後責任について神の前に許しを乞い、信仰的な決断によって「反原発・脱原発」を求めていかなればならないのではないか、そしてその背後にある問題を直視してその解決に向かう具体的な歩みをするべきではないかと考えるようになりました。

 また私は「原発安全神話」は日本だけでなく韓国でも同じように市民の中に浸透し、石油を持たない国としてクリーンで廉価な電力を持ち、なによりも原発プラントの輸出によって金儲けをしようという国策の実態を知りました。韓国は2030年までに原発依存率を60%にまで高めるというのです。日本もまたヴェトナムに原発の輸出をすること、モンゴルに使用済み核燃料の捨て場の確保をすること、ヴェトナムから延べ6000名の原発実習生を連れてくることを決定しています。
 
大都会から遠く離れた地方において原発建設を進めさらに海外へというのは、まさに植民地主義の考えであり政策です。私はキリスト者の責任として原発問題に正面から取り組むべきであると考え、その運動は日本国内だけでなく、広くアジアの民衆とつながるべきであると確信するに至りました。私はその思いを、日本キリスト教団の東海林勤さん、関田寛雄さん、そしてルーテル教会の内藤新吾さんに話すことで、「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」を広く呼びかけることを決意しました。原発事故によってすべての住民が被害に遭います。私が地域の中で考え始めていた、民族や国籍を越え<協働>によって社会変革をするということは、なにか、この「ネットワーク」を作るために準備されていたような気がします。

 私は日本のキリスト者の「戦争責任」と「戦後責任」を重要視します。そしてその告白を教会指導者によって書かれた声明文に終わらせず、各個教会において時間をかけて話し合うべきであると思います。「反原発・脱原発」の闘いは日本に住むキリスト者が民族・国籍を問わず総結集して祈り、具体的な行動に移すべき課題なのではないでしょうか。私たちの「ネットワーク」は8月末現在、90名を超える賛同者をえました。いわゆる社会派のキリスト者だけでなく、イエスに従い「脱原発・反原発」の一点で一致できるのであれば、どのような教団・教派に属す人とも行動を共にしていきたいのです。そしてその輪を原発が集中するアジア地域に拡げていきたいと願います。

 具体的な計画としては8月末までにHPを作成し(http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/)、原発に反対する、疑問をもつキリスト者は正確な情報を得てそれぞれの意見の交換と活動の報告ができる場を提供したいと考えています。そして何よりも、アジアの国々で原発反対をする人たちとの交流が必要になってきます。私の願いは国籍、民族を越えひとつになって「脱原発」を実現することです。そのことのために私は用いられている、そしてそれは故李仁夏牧師の祈りを引き継ぐことだと強く思うようになりました。みなさんと祈りを共にしたいと願います。
(「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」事務局長)

参考文献
崔勝久・加藤千香子共編『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社 2008)
崔勝久「人権の実現―「在日」の立場から」(斎藤純一編『人権の実現』法律文化社2011)
崔勝久 ブログOCHLOS(オクロス):http://www.oklos-che.com/

1 件のコメント:

  1. 日立への就職の取り消しが「差別」と言いますが、嘘ついたらいけないんじゃないですか?今はしていませんが、かつて私は経営者をしていました。そんな人がいたら、日本人でも他の外国人でも辞めてもらったと思います。信頼出来ないからです。
    以前 聖路加病院で億なわれていた牧会カウンセリングにおいて、韓国人の生育歴をつついたら差別だという人がいました。おかしな話です。カウンセリングで生育歴をつつくのは当然な事なのに、鬼の首でもとったように「差別」「差別」と叫びつづけていました。事実、差別があるのはわかりますが、全てが差別ではありませんし、何でも訴えるのがいいのではなくて、その差別を切り抜ける力こそが必要だと思います。

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