2011年12月16日金曜日

戸籍は差別の元凶ですね

遠藤正敬さんの『近代日本の植民地統治における国籍と戸籍-満洲・朝鮮・台湾』(明石書店)を読みました。見知らぬ人からメールをいただき、戸籍に対する正確な指摘であれっと思い、早速購入しました。そうか、かれが影響を強く受けた人は田中宏さんで、明石書店のKさんとの出会いでこの本が出版されたという経緯
わかりました。なるほど。

日本社会は日本人のもの、この強烈で排他的な意識はツィターでもよくお目にかかります。彼らは、民族・国籍を超えて協働を訴える私に対して、日本から出て行けだの、自分の国でやれだのと呟くのです。そして、常設型の住民投票を外国人に認める自治体が増えると思っていたら、その反動が広がり、最近では橋下や河村が小さな政府を訴えながら市民参加を求める構図になってきているのですが、そこには国籍条項を設置して外国人住民を排除する流れがはっきりと見られます。みんなの党も然りです。

もともと日本共産党は、六全協以来、党員資格に国籍条項を明記していたのですが、最近、民主党が党員資格として日本国籍者を明記したそうです。外国人からの選挙献金と大騒ぎをしたマスコミや、それで潔く辞めた政治家や首相のことがあったからでしょう。しかし「在日」の私にもよく政治家からの案内状が入り選挙献金のお願いが来るのですが、これなんか、私が日本名を名乗り献金すれば絶対に政治家はわからないでしょうね。いくらでも落とし込める構造になっています。そんな馬鹿なことはしませんが・・・

住民主権を実現する様々な試みがなされてきていますが、この戸籍と関係する差別制度が日本人の精神構造に大きな影響を与えていると自覚する人は稀有ですね。川崎で銀行からお金を借りようとした時、またクレジットカードの使用を断られた時、いずれもが戸籍謄本のことが明記されていました。これは差別の武器です。いや、外国人排除の基本的な構造です。遠藤さんが私へのメールで指摘されているとおりです。

「どうして外国人住民は、地域の住民投票から外されるのでしょうか。」 http://www.oklos-che.com/2011/12/blog-post_09.html をもう一度読んでいただけますか。私は外国人の「公権力の行使」と「公の意思形成」によって外国人を排除した「当然の法理」をほとんどの日本人が当たり前のことと捉えて、その差別の根になにがあるのか考えようとしない人が多いのに驚きます。それはそのような現実を知らないからでしょうね。

住民主権論は外国人住民を受け入れるのか、排除するにか、今この瀬戸際に来ていますが、どうも流れは排除の方に向かいそうですね。原発体制を問うとは、戦後日本社会の何を問うのでしょうか。原発をなくせばいいのですが、無くさなければいけないのですが、そもそもそれを生み出した社会構造、意識のあり方の検証に向かわなければ結局、このまま流されてしまうような気がするのです。

戦前、植民地主義支配を支えたのはまさに戸籍制度でしたが、戸籍制度が残り、天皇家が存続し、外国人を住民として「かけがえのない隣人」とすると言いながら、いざという時に戦争に行かない外国人は「準会員」であると明言する、日本でもっとも外国人施策が進んでいると思われている川崎の市長。しかし東京湾に直下型の地震が起これば、災害を受けるのに日本人も外国人もありません、みんな同じように被害を受けるのです。放射能の被害も同じです。地域や国のあり方も、ここのところから考えなおさないと、国家や民族という観念にからめとられるように思います。

遠藤さんから送られてきたメールを本人の承諾を得て公開させていただきます。

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崔 勝久さま

 はじめまして。戸籍問題を歴史的に研究しております遠藤と申します。ご指摘の通り、日本の各自治体で近年、常設型住民投票に外国人に投票権を認めるところが増えていましたが、最近はこれへの反対決議を出すところも目立ってきました。こうした動きには根底に外国人は「住民」として地域社会の参画に参加させてはならないという根深い排外主義がありますね。住民登録から外国人を排除し、外国人登録という治安的観点に立った制度のもとに管理してきたのが戦後日本の民主主義のひとつの姿です。

なぜ外国人は住民票に載せないのか。これには住民票が戸籍と不可分の制度だからです。植民地統治において朝鮮人や台湾人は日本人と戸籍によって峻別されていた。この差別構造をもつ戸籍 が戦後も生き残り、在日朝鮮人を明確に日本人と区別するために住民登録法が成立したとき、戸籍法の適用を受けないものは住民登録の対象としないことにしました。すなわち戸籍という排外思想をもつ制度がある限り、来年から外国人にも住民票を作成するように部分的な法改正がなされようと、根底にある排斥の思想は変わらないでしょう。私もなんとか戸籍というものが韓国のように個人単位の身分登録制度に変革できないものかと考えています。以上、拙文ながら、失礼します。
                        早稲田大学台湾研究所 遠藤 正敬

崔勝久様
 唐突に送りましたメールにご返事ありがとうございます。おっしゃるように、戸籍は天皇制と切り離せない制度であり、だからこそ日本にのみいまだに生き続けているのでしょう。日常では戸籍について気に留めないことが多く、学会などで著名な先生と話していても、自分が戸籍問題を研究しているというと、たいてい「へぇ」という意外な顔をしてそれ以上話しが続かなくなる場面が多いですね。このような反応は興味がない、あるいは知識がない、のどちらかでしょうか、どちらにしても戸籍についての問題意識がほとんどないのでしょう。これは戸籍が「秩序」として根深く日本人のなかに定着していることの裏返しだと思いますね。御関心があれば昨年出した拙著『近代日本の植民地統治における国籍と戸籍-満洲・朝鮮・台湾』(明石書店)をお読みいただければ幸いです。私のメールは公開していただいても構いません。早く何かの機会にお会いできることを楽しみにしております。
                                          遠藤 正敬

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