2011年11月16日水曜日

国際連帯・モンゴル編(その2)-ウラン山で働く青年との出会い

1)ウランバートルの印象
10月26日から韓国に行き、11月1日にモンゴルの首都ウランバートルに飛びました。ウランバートルは270万の人口の半分ほどが住み、交通渋滞、大気汚染のひどいところでした。しばらく街を散策しても喉がおかしくなります。

街のはずれに川があり(とても汚染されていて、魚釣りどころではない)、そこから少し行くと街を一望できる山(丘?)があり、その頂上には、ロシア軍との友好関係を誇っていた時のモニュメントがありました。モニュメントと言っても頂上を囲む周囲5-60メートルの壁画があるだけです。そこまでふーふー言いながらたどり着くと、ウランバートルの街が360度展望できます。空港から車で約2-30分かかるウランバートル市内ですが、「遊牧」を彷彿させるものはなく、ただ荒野が続き、そこに大きな煙突が沢山見えます。これらは石炭工場だそうです。頂上からも近代的なマンションが見えますが、それよりもはやり工場の煙突の多さに目を見張ります。

この丘は高い分、空気がきれいなのでしょう。もともとは建築許可の下りない場所であったが、今は最高の住宅地になっておりお金持ちが住んでいるようです。住宅の建築が盛んという印象です。頂きの一角にパオと呼ばれる蒙古固有の住宅が見えました。地方から遊牧で食えなくなった人たちが住んでいるとのことです。そのようなパオが立ち並ぶ地域もあり、都会の貧困地域になっていると聞きました。街の汚染はそこで炊かれる暖房用の石炭のためだということですが、まさに複合汚染でしょう。私は見ませんでしたが、マイナス20度以下になる寒いところなので、マンホールの中で住む人たちも多くいるそうです。国会議事堂やオペラハウスがある一角は、世界の最高ブランドの店が並び、裕福な人たちも多くいるということでしょうか。街の治安はよくなく、とても(寒くもあり)夜一人でぶらつくという訳にはいきません。

私の会ったモンゴルの人は決して愛想がいいわけではありません。しかし人情の篤い人たちだという印象を強くもちました。日本人の書いた本にもそうありましたが、もはや7割くらいの人が都会生活をしていても自分たちは「遊牧民」であるということにとても誇りを持っているように思いました。ユーラシア大陸を東から西まで統治していた彼らとしてはその歴史、伝統を重んじるのは当然です。空港の名前もジンギス・ハーンとあり、郊外ではとてつもなく大きな馬上のジンギス・ハーン像(ステンレス製か)がありました、個人の所有の博物館の上に建てられたものです。

地球儀のような円の上の文字が縦書きの蒙古固有の文字で、その下がロシアのアルファベットです。

彼らの使う文字はロシアのアルファベットで、社会主義国家のときにロシアの政策でそのアルファベットを使うようになったとのことです。しかし元々は彼らにはモンゴル固有の文字(縦書き)があり、ジンギス・ハーンが馬上で書いたそうです。社会主義の時代に教育を受けた50代前半の人はその縦書きのモンゴル文字を読めず、新聞も看板も目に付くところはほとんどロシアのアルファベットでした。しかし当然それはモンゴルの話し言葉と符号しない部分もあり、修正もされたそうですが、そのアルファベット使用の結果、子音が多くなり、何か固い印象を受けます。元来のモンゴルの言葉は母音で終わる言葉が多く(内蒙古では昔のまま)、これからモンゴルの文化政策はどうなるのか、気になるところでした。

私のモンゴル訪問の1週間は結局、人との交流で時間がとられ、世界に誇るモンゴルの自然に触れることはできませんでした。道路わきで観光客用に見せるラクダも鷹もまったくのビジネス用でした。それでも好奇心の強い私はラクダに乗り歓声をあげ、全力疾走する思いでぱかぱか歩き、8キロにもなる重い鷹を腕に乗せてはこんな重いものをどうして鷹師は我慢できるんだろうなどと思って鷹師にすぐに鷹を戻しました。都会の人間はひ弱だ!次はなんとしても世界に誇るモンゴルの自然に触れたいものです。

(2)今回のモンゴル訪問で、緑の党との記者会見のことは既に触れましたが、緑の党の幹部の人たちの多くはドイツ留学組が多く、まことに知性にあふれ、意欲的で情報分析に秀でている、洗練された人たちでした。彼らとの会話からモンゴルの実情を多く知ったのですが、緑の党の留学組の女性が主宰するFaceBookの反核のグループは1万人を越し、そのグループに属す青年たちが印象的でした。2日にわたり彼らと飲み、食事をしたのですが、最後の日の会議に、ウラン鉱山で働いていたという青年に会いました。11月11日のモンゴルから送られてきた映像の中に彼がいましたが、端正な顔立ちで、鋭い目をして、反原発の手作りのマークを付けたTシャツを着ていました。

彼の説明では、モンゴルの現在のウランの生産量は世界の1%だが、埋蔵量は世界一で15%にもなるということでした。世界全体でも後80年しかもたいないと言われているウランが多いモンゴルに世界列強が目をつけ、20ばかりの外資が鉱山の合弁会社を作っているそうです。そのいずれにおいてもモンゴルの持ち株は15-20%とのことで、ウラン発掘のビジネスの利益の大半は外資が吸い上げているということのようです。ウランの発掘工程で放射能を被曝するというのはよく知られていますが、彼もまた、肝臓をやられお酒は飲めないということでした。私とのお付き合いで、ビール小瓶を飲んだだけでした。

11月11日の記者会見の準備の話を終え私の背景を訊きたがった彼に、私は日本キリスト教協議会(NCC)からの資金援助を受け韓国・モンゴルに来たが、世界のクリスチャンが脱原発ということで資金を提供してくれるのいうので私たちも活動資金の要請をしているということを正直に話しました。モンゴルに日本の原発やフクシマに関する正確な情報を伝える資料や映像をモンゴルの言葉に翻訳してこちらに送りたいという話をしたら目を輝かせていました。それは4日の記者会見でもTVのインタビューでアナウンサーが関心をもっていつそうなるのか、11日の記者会見で発表するのかと尋ねられ、思わずしどろもどろになりました。

彼はあらたまって実は自分はウラン鉱山で働く労働者や周辺の住民たちがウラン鉱山をどのように思っているのか、何か体の異変はないのか、ビデオカメラをもって訪ね歩き、実態調査をしたい、その際、ガーガーカウンターが必要で、それで現場の放射能の量を測定しながら被曝労働者、被爆住民の実態を世界に知らせたい、ついては自分はプロジェクト計画を出すので、その資金援助も検討してくれないかということでした。私は検討するという約束をすることもできず、心の中ではなんとかするぞと叫びながら、彼の話を黙って聞いていました。

自然を愛し、遊牧民の子孫であることにプライドを抱くモンゴルの人たちが、原発の恐ろしさ、使用済み核燃料の問題点を正確に知ったならば、選挙の時のわずかばかりの賄賂に目がくらむはずがないと思います。圧倒的に多くの人たちはフクシマのこと、使用済み核燃料は埋められ何万年も放射能を発し続け、地下水を汚し、子孫に内部被曝の影響が出てくる可能性があるということを知らないで、原発は安く、クリーンで、安全であると、私たちが3・11以前そうであったように彼らも思いこまされているのです。
私が会ったモンゴルの活動家たちは、反核だけでなく、ウランの発掘に反対で、かつ地域社会の自治、経済の問題に関心を示していました。私たちは韓国を含め、一緒になって原発体制の問題は何か、地域社会の経済的自立の問題などとどのように関連するのか考えていきたい、取組べき課題は同じだという思いを強くしました。

参考までに
モンゴルにおける反原発運動の一断面ーウランバートルにて
http://www.oklos-che.com/2011/11/blog-post.html

モンゴルでの記者会見を終えて
http://www.oklos-che.com/2011/11/blog-post_04.html

日韓蒙の脱原発国際連帯運動で何ができるのかーモンゴル編
http://www.oklos-che.com/2011/11/blog-post_13.html

モンゴルはどのようになっているのかー小長谷さんのおはなし
http://www.oklos-che.com/2011/09/blog-post_10.html

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