2011年9月24日土曜日

寄場での闘いのあり方をめぐる本田、奥田「論争」についてー寿町での聖研を通して

ようやく涼しくなりはじめましたが、皆さんはおかわりございませんか。
ここ数日、ブログの更新ができずにいました。横浜の寿町で「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット聖書研究修養会があり、私もそれに参加しました。太田道子さんの聖書を人間学として読むという大変興味深いお話を伺いました。

彼女は『新共同訳聖書』の旧約の最終編集に関わった4人の内の一人で、これまでアメリカ、ローマ、イスラエルで古代オリエントを研究しながら、アメリカのMLKingと一緒に活動し、人生の大半をパレスチナ問題と関わってこられた方です。いかなる機関にも属さず(教鞭をとることなく)、権威に服さず、ひたすらイエスに従い生きようとする、大変魅力ある女性でした。毅然とした態度、歯に衣着せない物言い、そしてユーモラスな話し方、80近い年齢を一切感じさせない、今もまさに現役の「戦士」でした。お話しの休憩時間に、私は「在日」の境遇をかいつまんではなしたところ、国家に収斂されない、国家を突き超える視点が必要というお応えで、私は何か一挙に心が通じ合った思いになりました。まさに我が意を得たりです。

またそこに参加された方のなかには私たちの「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」のメンバーの方が何人もおられ、初めてお会いして話す機会がありました。初めてなのになぜか昔からの友人のような気がしました。反原発の運動は、神ということでは分裂する人間社会にあってペストに出会い、人は初めて一緒になって闘うようになるというカミュ―『ペスト』と同じではないかという話も印象的でした。メンバーの方々は、私がどうして「多文化共生」を批判しなければならないのかという説明をしたところ、しっかりと受けとめてくださったと思います。

ICUの後輩にあたるという方とは、「在日」であることの視点を貫徹することが大学(社会)を変革することになるという点で、母校の現実を嘆きながらも、それを変革していく視点、具体的でオータナティブな提案が可能であったこと、そしてそれは社会の変革を求めるフェミニズム神学の内容とも関係するという点、リベラリズムはラディカルな部分を切っては腐敗、退廃するという、まことに現実の中で経験し身につまされる点をわずか数十分の間で共鳴しあうという至福の時をもちました。多くの闘う仲間の出会いは楽しいものです。

また私が属す「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」 http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/ が提唱する海外との連帯を目指す動きを高く評価しながらも、現役の運動の大先輩から福島の現実に対してもしっかりと対応する体制を作るように努めてほしいという課題もいただきました。昔からの友人とも腹を割って話すこともできました。すべて感謝です。

雑談の途中、隣にいた、京都から参加したという人は、私が本田さんと奥田さんのことでブログで書いているということを小耳にはさんだらしく、えっ、あれは貴方が書いたものですかと話して来られました。ネット社会とは恐ろしいですね。大変な勢いで情報が伝達されるということを思い知らされました。ということで、私が「ネットワーク」の仲間に送ったメールを公開します。「論争」というのは本田さん、奥田さんご本人同士の論争ではなく、釜ヶ崎の「反失連」が全国のホームレスネットワークから脱退したいきさつについて私が勝手に名付けたネーミングです。誤解がありませんように。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日大阪で釜ヶ崎の本田神父にお会いして対談した内容を 連載でブログで公表しています。現在まで4回、掲載しました。 本田さんの発言に対する奥田知志さんのクレームについて http://www.oklos-che.com/2011/09/blog-post_18.html
釜ヶ崎の本田哲郎さんとの対談ー(その4)行政と一体化するNPOと運動体の位置 http://www.oklos-che.com/2011/09/4.html

私たちの「ネットワーク」にはバプテスト連盟の方も多く参加されており、この 内容には驚かれたと思います。本田神父と奥田さんは野宿者支援活動では 全国的にももっとも著名で影響力のある方ですから。

本田神父のご指摘で、全国のホームレスネット―ワークから脱退したのは、 釜ヶ崎「反失連」で、釜ヶ崎NPOはそのまま残っているということでした。 ということは、「反失連」が脱退したのは本田さんの「記憶違い」でなく、 なんらかの理由があって脱退したのであろうということは間違いのないようです。

しかしその理由が本田さんがおっしゃるように奥田さんの発言をきっかけにしたものなのか、どうかの確認はとれません。文献はなく、脱退のメールを 送っただけと本田さんがおっしゃる限り、「反失連」の脱退理由を奥田さんが どのように理解していらっしゃるのか、という一点が明らかにされれば、 本田さんの「記憶違い」であったのかどうかの問題は解決されます。 「記憶違い」であれば、本田さんは謝罪されるでしょう。

私のブログについてキリスト者ではないが、NPOと地域の活動に従事 されている方からの電話で、NPOが地域の運動を進める面と、問題を曖昧にさせる面があり、NPOそのものの存在の是非ではなく、NPOの問題点、 限界点などをしっかりと認識する必要がある、いずれにしてもNPOに全的に依存しないで、地域の運動を進める部隊が別途あることの重要性をよく認識できた、というお話しでした。

私が本田さんのお話しからもっとも印象深く聴かせていただいた内容を知人が理解しているのを知り、うれしく思います。 この問題は、被災地問題には関心を示すが原発問題には関心をもたない(示さない)教会、キリスト者が多いのはなぜなのか、戦争責任告白をしたキリスト者が、原発問題を引きおこした戦後日本のあり方にたいしての責任をどうして告白して積極的に関わろうとしないのかという問題とつながると思われます。

奥田さんとは一度だけ面識があり、その時の出版記念会のお話しには深く感動したものですから、著書とそのときのお話しには触れられておられないが、直接お目にかかってお話を伺えば、原発に関してもきっちりとした見解をおもちであろうこと、そしてそれが野宿者支援の運動の視点・思想・信仰と深くかかわっているであろうと確信していました。 私たちの「ネットワーク」が社会派といわれているキリスト者だけでなく、信仰の あり方を求めるキリスト者であればどこか、原発問題に関しても接点があり、 一緒にやれることがあると私は考えてきました。

私たちの「ネットワーク」がNCCだけでなく、ひろく福音派とされている教団の 方、カソリックの方々とも接触をもち、協働できることを模索したいと願います。 みなさんのご意見はいかがでしょか。

1 件のコメント:

  1.   いい出会いを経験されたのですね。

     ネット社会ではありますが、結局人を突き動かすものが

     人と人との直接の触れあいであることを大事にして

     行きたいものです。

      >私たちの「ネットワーク」がNCCだけでなく、ひろく福音 派とされている教団の 方、カソリックの方々とも接触をもち、協 働できることを模索したいと願います。

      賛成です。こちらが、イエス・キリストの生き方を共有してい
     
     る人たちだとの前理解を大切にして、話を始めます。

     はじめは理解できなくても、気づきが起きると早いでのでは、と
     
     思いたいです。ただし、イエス・キリストをどうとらえているか

     によっては不毛な結果になることもあるので、気をつけるべきこ

     とはありますが。
              申 英子
     



     

     

    返信削除