2011年7月30日土曜日

川崎駅での反原発街頭活動の報告ーどうして無関心な人が多いの?



昨日、7月29日午後6-8時まで、大江健三や内橋克人らによる「脱原発」の1000万人署名運動に私たち、「脱原発かわさき市民」も共鳴して17名の仲間と共にJR川崎駅東口の一角を占めて署名とチラシの配布の街頭活動を行いました。視覚障害のある友人も参加して反原発を訴えていたことを報告します。私のような外国籍の「在日」を含め、女性労働者が一緒になって「反原発」の運動を進めることに大きな意義と喜びを感じます。

署名活動の趣旨には賛同するものの、そこには被曝労働者の問題と海外に原発を輸出する動きには触れていなかったため、私たち独自のチラシを作り、4000枚配り、147名から署名をしていただきました。そのうち、アメリカ、インド、フィリピンから来た人は自国での原発推進政策には反対と話していました。中学生らしい学生や子供連れのお母さんの署名もあり、自ら進んで、困ったもんだねえと言いながら署名してくれた人には感謝です。

通行人の中には、反原発の旗を見て私たちに突っかかってくる人も何人かいました。私も対応しましましたが、そのうちの一人は、川崎の製造業で働いているが、15%の節電で自分たちのボーナスがでなくなる、東電がすべていいいとは思わないが原発を止めると自分たちの生活はどうしてくれるのかという人もいました。彼は津波の所為で事故が起こった、飛行機も同じで物事に事故はつきもの、広島原爆での放射能もそのうち無くなったのだから福島もそうなる、しかしもう放射能は止まっているのだから様子をみればいいではないか、原発を止めることには反対、という立場でした。

今も放射能が出ていること、福島の事故が広島原爆よりもチェルノブイリよりもその何倍も多く放射能が出ていること、放射能の影響は簡単には消えないこと、原発には死の灰が不可避的にでること、使用済み核燃料の処理は地下に埋めるしか人類には解決できないことを説明しました。そうしたら、海深く埋めればいいとか、スウェ―デンのように地下深く掘ればいいではないという反論がありました。これらのことは多くの人はテレビや新聞などで誤った、或いは断片的な情報しかもたない上に、自分にかかる被害(損得)については敏感で、それ以上、深く考えたり情報を集めたりせず、ただ原発がなくなったら困るという態度でした。おそらく多くの人がこのような考え方をもっていると思います。

しかしそれより気になったのは多くの、いや圧倒的な大多数が無関心であったということです。署名してくれた人は、17名が2時間必死に説明して147名、1時間で一人あたり5名にもなりません。「脱原発に署名をお願いします」「死の灰はもう要りません」「福島で困っている人に協力しましょう」「お子さんを放射能から守りましょう」と訴えるのですが、私の目を避け、完全なシカトを装います。本当にお子さんのこと、心配じゃないんですか、と後を追い呼びかけると、恥ずかしそうな顔をしながら逃げていきます。しかしそう言われて立ち止まって署名してくれる若いお母さんもいました。

私は間違った情報がマスコミを通して流されているということと同時に、何か、普通の人と違った、現状に否を言って周りと異なった行動をすることはよくない、避けたいと、黙って通り過ぎる人の能面のような顔が語っているように思いました。この壁をどう突破するのか、旧約聖書では繰り返し繰り返し、人が罪を犯し、何か大きな事故や事件でまた悔い改める様子を思い出します。2度の原爆と福島事故では日本社会はまだ足りないのでしょうか、これ以上、犠牲をだしていいのでしょうか、「原発避難」をした人たちの苦しみ、乳飲み子をもつ母親の苦悩、農業や漁業や牧畜で生きてきた人が完全に食えなくなっている状況をどうして他人事として見てしまうのでしょうか。人間的な共感ができないくらい愚鈍になっているのはなぜでしょうか? 私はこのようなことを考えながら、2時間の街頭活動に参加しました。

川崎駅での街頭活動は自戒、8月21日(日)午後4時、JR川崎駅東口です。多くの人の参加をお願いします。

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