2010年12月1日水曜日

「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んでー朴鐘碩

みなさんへ

はやいものですね、もう、師走になりました。あっと言う間の1年でした。
みなさんはどのような1年をお過ごしになられたでしょうか。

立命館大学の名誉教授の西川長夫さんが『長周新聞』で連載された文章に加筆・訂正した「新植民地主義の発見」の感想文を朴鐘碩が、「外国人への差別を許すな川崎・連絡会議」の掲示板に発表していますので、下記に紹介します。西川論文:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html

朴は日立闘争で入社し40年経った今、来年の定年退職を前にして、西川論文が展開する「新植民地主義」に触発されながら、日立製作所という大企業と組合組織の実態を描き、「自分の置かれている状況に合わせて・・・西川論文を理解・解釈」しようとしています。(朴一編『在日コリアン辞典』(明石書店、2010)の「日立就職差別裁判闘争」の項を私が書いています)

同じく、韓国の京郷新聞で掲載された、西川長夫立命館名誉教授と尹海東・韓国成均館大学教授の対談「日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで」について望月文雄さんが感想文を書いているので、合わせてお読みください(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/11/blog-post_7217.html)。対談:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage14.html

崔 勝久

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「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んで 朴鐘碩
             
多国籍企業・「HITACHI」のロゴは、世界の主要都市にあります。今年創立100年を迎えた日立製作所は、31,000人の正規所員、グル-プ全体で約36万人の労働者が働いています。1910年に朝鮮半島は日本の植民地となりましたが、日立は、技術躍進の歴史を記念イベントとして展開しています。技術を誇る記念誌「開拓者たちの挑戦-日立100年の歩み1910~2010-」に日立就職差別裁判は記載されませんでした。技術は進歩しても労働者への「抑圧」は変わりません。日帝の朝鮮植民地化と国策に沿った日立経営100年の歩みは無関係ではないはずです。

植民地から60年(「解放」から25年)経過した1970年、日立就職差別裁判(日立闘争)が始まりました。74年横浜地裁で勝利判決が出され、日立製作所に正規所員として私は入社しました。この裁判は、民族団体から「同化に繋がる」と厳しい批判を受けました。しかし、私は19歳で始まった日立闘争、その後川崎南部(池上・桜本)で始まった子ども会(地域運動)を経験し、「民族」と人間らしく生きることを学びました。日立闘争は、同化への道ではありませんでした。植民地主義に繋がる「同化裁判であったか?」関心ある人たちがどのように判断するでしょうか。「就職差別されて当たり前」の風潮・価値観があった中で、多くの人たちの支援、世界的な運動の力で差別の壁を崩しました。「日立に入ったら、何が起きようとも一人でやるしかない」と覚悟したのです。

2011年11月、(裁判期間を含め)41年間勤めた日立製作所で定年を迎え、私自身の「続日立闘争」は、一旦「終わる」ことになります。悩み、解のない生き方を問い続けているうちに40年が過ぎてしまいました。開かれた民主的な会社・組合組織を目指し、企業で人間らしい生き方を求めて組合活動をやってきました。役員選挙にも自分勝手に立候補しました。自分の置かれている状況に合わせて西川長夫立命館大学教授の「植民地主義の再発見」(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html)を理解・解釈しました。

「植民地主義の再発見」を読んで、私の「続日立闘争」は、ものが言えない企業社会、組合組織の「労働者の植民地化」を問うことになると更なる自信を深めました。(日本人)労働者にとって「民族差別は関係ない、どうでもいい問題」のようです。また組合(幹部)の組合員への人権無視は日常茶飯事です。差別・排外と沈黙を強いられている労働者の問題は表裏一体です。これは日立の経営方針、職場環境、組織のあり方など全て繋がっています。

「植民地主義」の陰険な「隠蔽の方法は、逆に触れることなく意識下に抑圧するやり方です。人種差別や植民地主義の隠蔽はその代表例で、差別する側の人間がそれを自覚することは決して容易ではない。また仮にそれを自覚したとしても、私たちの思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい。」

組合幹部は、労働者にものを言わせない(言わない)暗い職場環境を作っています。組合員エンジニアたちは、おかしいあるいは疑問に感じることがあっても誰一人「触れることなく」、「抑圧されている」のが実態です。「ものが言えなくてもいい。労使幹部が一方的に労働条件を決定してもいい。生活できればそれでいい」という「思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい」ようです。

どこの世界でも言えることですが、人間らしく生きるために生き方をかけて、自ら属する組織を批判することは並大抵のことではありません。しかし、「堕落を救ったのは抵抗運動でした。だが抵抗運動があったがゆえに、その堕落さの深刻さに対する考察が弱められるということが起こりえたのではないでしょうか。」「堕落」は、植民地主義を補強します。

「植民地化は、住民やその土地を変えてしまう」が、企業社会における「植民地化」は経営者幹部・エンジニア(労働者)の理性や倫理観、人格まで「会社人間」に変えてしまいます。そのために様々な矛盾・問題・事件が起こりますが、根本解決するために互いに議論することはありません。「植民地主義は、私たちが社会や様々な集団の中で占める位置によって姿を変え、あるいは姿を隠して現れ」ています。労働者を「擁護する」連合あるいは「人権」を標榜する運動体にも言えるのではないでしょうか。

毎年11月は、人権週間があります。(東京)人企連主催で、加盟企業は人権標語募集の案内を全従業員にmail展開します。優秀作品は表彰されます。人企連および運動体との関係の詳細は「日本における多文化共生とは何か」を参照してください。

「新植民地主義の本質は、その下にある国家は、理論的には独立しており、国際法上の主権のあらゆる外面上の装飾を有しているということである。現実には、経済体制・政治体制は外部から指揮されている。」民主党現政権を支える連合傘下の企業内組合はじめ多くの組合は、労働者の人権を「外面上」「装飾」し、「独立」しているようですが経営者に「支配」されています。「組合を裏返せば会社になる」ことは、「沈黙している」組合員は十分承知しているようです。

「独立した国の内部には植民地や植民地主義はありえないとする民族主義的な前提が、国内における植民地的状況、収奪や抑圧、差別や格差、等々、などの存在を見えなくしていることは事実です。」これはまさに「共生」を標榜する川崎市の「外国籍職員の任用に関する運用規程」(「当然の法理」を理由に外国籍職員に許認可の職務・決裁権ある管理職に就くことを制限するマニュアル)、阿部現市長の「準会員」発言、戦争責任を問わない組合幹部の「労働運動」を厳しく批判しています。

西川教授は2009年2月2日横浜国大で「多文化共生と国内植民地主義」をテ-マに講演し、翌日、「川崎連絡会議」との交流会において「小生がこの2,30年間、書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。」と結んだ言葉が印象的で今も脳裏から離れません。「私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならないとおもいます。」

日立闘争がそうであったように自分の置かれている現場で、個別・具体的な活動を通じて、思想・信条を乗り越えて対話を継続し共に歩むことが人類の永遠なる課題である「植民地主義」を克服し、歴史の和解を目指す近道であるような気がします。

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