2010年4月26日月曜日

「1970年代日本の「民族差別」をめぐる運動―「日立闘争」を中心に」を聴いて

「1970年代日本の「民族差別」をめぐる運動―「日立闘争」を中心に」を聴いて

横浜国大の加藤千香子教授が、東京歴史科学研究会44回大会で、上記タイトルの発題をしました。新自由主義を<「自由」と「競争」の歴史的文脈>という観点から批判しようとする今日の大会には若い研究者が多く参加し、二次会も大盛会でした。私も大いに楽しませてもらいました。

加藤さんは、この40年間の膨大な資料にあたり70年代の社会背景を説明しながら、日立闘争そのもの、特に、「在日」と日本人が「共同」するということがどういうことであったのか、「在日」の民族主体性回復と日本人の「自己変革」と総括されることが多かったこれまでの通説に疑問を抱くところから話を始め、顕在化された両者の違いを説明しました。「在日」側の日立闘争以降の地域活動が現在の青丘社・「ふれあい館」の基盤をつくるものの、日立闘争を中心的に担った「在日」が現場を離れるなかで、行政政策に収斂していった過程と、「「民族」の枠組みを超える権利の拡大や社会参画は依然として制限」されている実態を指摘しました。

加藤さんの仮説で説明できる部分は多いものの、私には十分であるとは思えませんでした。まず、川崎での地域活動は行政と一体化して「多文化共生」を掲げるようになり、川崎の現場を離れた「在日」は「多文化共生」を批判するようになったことの意味、また「多文化共生」が90年代以降、新自由主義とグローバリズムの世の中でどのようなイデオロギーとしての役割を担っているのか、この解明につながる視点の提示が必要であったのではないかと思います。

かつて日立闘争を担うなかで模索された「共同」は、「多文化共生」に収斂され、日本人は日本社会の抱える問題点を対外国人との関係に矮小化し、「多文化共生」社会を実現するところに自己のレーゾンデートルを見出すようになってきたというおかしさを加藤さんは指摘しませんでした。その取り組みは本当に日本人のレーゾンデートルたるのか、そのようなパターナリズム的な視点からの取り組みによってマイノリティ問題を生みだした社会の根本的な変革が可能になるのか、疑問です。

私見では、日本社会100年の工業化の過程で起こるべくして起こった「公害」と「在日」問題は、「在日」と日本人の「共同」によって時間をかけ解決していくべきものでしょう。ポスト工業化の社会はどのようなものであるべきか、その経済的な仕組みの再構築と介護や福祉・教育における豊かなまち作りを求め、まさに日本人住民が「在日」と一緒になって住民主権の地域社会の実現を目指すべきでしょう。「私たち」住民の抱える問題の根本的な解決には、行政と企業が一体化している現状において、市民が参加して政策過程に関わる仕組みをつくるしかないと、私には思われます。それが「共同」の具体的な展望です。

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