2010年2月27日土曜日

「地域再生」と「在日」ーエクソドスはもういらない

『人間回復の経済学』(神野直彦 岩波新書)を読みました。『地域再生の経済学』と合わせて読んだので、重なる部分もあったのですが、「人間」を重視する著者の思いはよくわかりました。この本は、人間をホモ・エコノミスと捉える新自由主義を徹底的に批判します。そして「日本の構造改革は、歴史のハンドルを切りまちがえている」と糾弾し、人間が人間らしく生きるために、同じ間違いを犯してはいけないということを強く主張するのです。

著者は、「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費を実現したトータルシステムとしての社会を「ケインズ的福祉国家」」と規定します。即ち、福祉国家の背景には、大量生産・大量消費があり、それを支える重化学工業が不可欠であったという理解です。

私は川崎の革新市政のときに「青い空」を求め、患者を中心とした公害闘争も勝利したことを知りました(『よみがえれ 青い空―川崎公害裁判からまちづくりへ』(篠原義仁編著 花伝社)。しかしそのときに臨海部の工場からのばい煙や廃棄物の規制をしたのは事実でしょうが、公害を生みだすに至った社会のト―タルシステムを問い、臨海部のあり方そのものを根底的に問うて市民の憩えるウォターフロントにしようとする長期的なプランがだされたのでしょうか。

私は保守・革新を問わず、日本の国のあり方として「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費」を前提にした、トータルシステムとしての社会であったのではないかという、著者の指摘に深くうなずくのです。そして川崎はまさにその最も典型的な例ではないのか、と改めて考えました。阿部が批判した、それまでの革新市政の福祉政策が、実は工業化を前提にして、臨海部からの税収で福祉に取り組んでいたということです。阿部市長は福祉を切り捨て行財政改革に取り組み、ここに至って盛んにエコ・環境政策を吹聴するのですが、それによって、川崎が持続的な、人間がまともに「生き延びる」社会になるのか、臨海部が持続可能な、人間が住める地域社会になるのか、私は徹底的に厳しく検証しなければならないと思います。

川崎の工業化の歴史は100年、それは「韓国併合」と時期を同じくしています。工業化による「公害」と、「在日」の苦難は起こるべきして起こっているのです。「公害」と「差別」の真っ只中で川崎の「在日」から北朝鮮への帰国運動の声が上がりました(『北朝鮮へのエクスドス』(テッサ・モーリス・スズキ 岩波書店))。今ここに生きる「在日」は、祖国に生き延びる場を求めるのではなく、国籍を超え「住民が生き延びる」ための「地域再生」に全力を尽くすべきだと私は思います。

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