2009年6月8日月曜日

齋藤純一さんの講義内容ー民主的公共生と条件について

みなさんへ

6月6日に、齋藤純一さんを囲んで学習会をもちました。
「民主的公共性の理念と条件について」というタイトルで
話された講演内容の要旨を下に掲載いたします。
学習会の要旨は毎回、望月さんにお願いしているのですが、
今回もありがとうございました。私からしたら、あんな
むつかいしい話をどうしてテープもなく、1日で要約できるのか、
まさに神業ですね。

3時から始まった講義は途中での質疑応答を含めて、終わった
のは休憩なしで6時を回っていました。

齋藤さんの、政治思想史を専攻する研究者として明晰な分析と、
言葉の定義について、日立という企業の現場や地域における
当局とのやりとりから経験したことを率直に話し、その点に
関する齋藤さんのご意見を伺い、大変、貴重な学習会に
なりました。いくら閉鎖的な現場であってもあきらめずに
やりぬくことをアドバイスいただきました。
改めて、齋藤さんに感謝申し上げます。

単語の本来の語源、ヘーゲルやカント、ハンナ・アーレントを
引用しての言葉の使い方や、定義も話していただき、今後の
闘いの武器になると思いました。

二次会では10時過ぎまで、さらに率直な意見交換をして、
齋藤さんの人柄をよく知る場となりました。
無礼講、お許しを!

私個人としては、在日の政治参加について、国政選挙であれ、
選挙権・被選挙権は当然あってしかるべきという説明については、
「政治思想史」的観点と現実との乖離は、どのように埋めるのか、
その「思想」の検証はどこでなされるのか、さらに突っ込んだ
意見交換をしたいと思いました。

最後に、日本学術会議会員の国籍条項に話が及んだ時、齋藤さんは
御自分も連携会員であると話され、学術会議で国籍条項撤廃に
ついてしっかりと話し合ったらそんな筋の通らないことはあり
えないし、それはわかってもらえると思う、話が通じないときには、
脱退すればいい、という飲んだ席での話でした(何せ、5人で
焼酎5本、生ビール10杯以上飲んでみんなべろんべろん
でしたから!)。

私はそこに彼の楽観性と、人の良さを感じました。その楽観性が
「政治思想史」研究者という特性からくるものなのか、彼本来の
個性なのかわかりませんが、「長い目で見てほしい」という最後の
言葉(実は最初会ったときにも同じことを聞きました)を信じる
ことができると思いました。

崔 勝久

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講義要旨 民主的公共性の理念と条件について
          斎藤純一(早稲田大学教授)

          期日6月6日 場所日本キリスト教団川崎教会

             2009年6月8日     望月文雄 文責

A,デモクラシーの理念と政治的権利(ハンナ・アレントに準拠)
(1)デモクラシーの理念とは、各自が政治的自律を持つこと。自分自身の生を規定する意志形成・意志決定過程に参加しうること、それによって影響を被るすべての関係者が同意しうる意志決定のみが正当性をもつ。

(2)民主的開放性 デモクラシーの基本はauto(自身・独自)+nomos(慣習・掟)でリベラリティー(公平無私・寛大)が伴う、意志決定の場であり、国民内部ででは公共の意志決定ではありえない。複数の国籍を視点に、正統性(legitimacy)に焦点を当てて、全ての人の理念を共有される必要がある。求められるもは閉鎖性(クローザー)ではなく開放性(オ^プン)である。

(3)政治的権利 参政権+コミュニケーション権(これはハーバーマスの社会理論による)「理性の公共的使用」という観点は18世紀のドイツ人哲学者イマヌエル・カントが発表した市民の権利で、「諸権利を持つ権利」(「唯一の人権」)…「自らの意見や行為に対して応答が返されうる枠組みのなかに生きる権利」とアラントはいう。ユダヤ系ドイツ人である彼女の体験を踏まえての言葉。さらに、政治的存在者として他者に向かって話しかける権利を「熟議deliberationを始める権利」とボーマンは提起する。

B,熟議デモクラシー(deliberative democracy)の構想
各自の成熟度会いが前提とされる。それによって公共的に要求できる権利が規制される。そこで要求できる権利についての考察が必要である。goodとrightという概念の整理をまず行う。goodは他から判断され得ない事柄で、宗教信仰・信心の部類で、審議の対象になならない。rightは意志形成のプロセス(procedure手続き)が共有できることがら。

ここでは(1)利益集約/調整型デモクラシーとの対比が必要で、それは①利害関心/価値観の相互修正、②他者は異なったパースペクティヴ(見方)をもつ対話の相手、③第三者の立場をも考慮する公共的パースペクティヴ(見方)の形成が要求される。

 カントは自己中心に対して自分自身への複数の観点に立つ必要性に言及している。それは第三者の立場から私たち(自分たち)の立場の考察を意味する。ここにdeliberation(熟慮・審議=理由の検討)、過重負担を排除していく力の必要性がある。

(2)理由の検討 熟議/討議の過程で従来非理性的という見解で除外されてきた感情は、損なわれた/充たされない規範的期待としてとらえる必要がある。これの解決方法として考慮されなければならないことが、様々な理由が存在するということこれを「理由のプール」といい、これは熟議/討議の実践を通じて修正されていく。理由は性規範とか差別、偏見など多岐にわたる。

C,公共圏と政治過程(公共圏=pubics)政治的な意見形成・意見形成が行われる議論の空間。公共性はさまざまな(競合する)公共圏の〈間〉として理解される。この論理はハーバーマスの理論(住民の意向収集と合意形成)に準拠して展開する。

(1)二種類の公共圏の連携プレーが必要とされる。一般的にはフォーマルな公共圏「〈意志決定〉の境界」がインフォーマル〈意見形成〉境界を持たない、公共圏(議会)を設定していく。ここに、公共圏の正当性、行政システムのチェック(監査)が必要となる。さらにデリバレーションへの参加、不参加、また、内部的な問題、たとえば、専門性などの要因が入り一致が困難になる。デリバレーション形成体の持つ制限として、参加者の話し方、問題意識、感覚の多様性、表現の方法などが現れる。

(2)熟議/討議と動員
 熟議/討議にもとづく意思形成ー意志決定のみが民衆的正統性をもつのであるが、限界の存在を無視できない。それを超えるには、①熟議の場からの規範的閉鎖性、言説の資源の排除。②公共的アテンション(注目)を引くための直接行動(ディスプレイ〈展示する〉の政治)の必要(街頭公共圏)。ナチズムはこれによって成立したといえる。反対に不服従運動で展開などが存在する。

ここで「公共の福祉」また「公共性」についての質疑応答がなされたが報告からは割愛。

D,(定住)外国人をめぐる政治 
(1)市民による暴政("citizen tyranny"M,Walzer=マイケル・ウォルツァー(Michael Walzer, 1935年3月18日-)は、アメリカ合衆国の政治哲学者。プリンストン高等研究所教授。)に抗して
 公共的な意志決定(議会等)によって影響を蒙る人びとからの政治的権利の剥奪。参政権問題、少数者代表の制度化。マイノリティーが政治的参政権を得てもそれをマジョリティーに反応させ得るか。

(2)民主的「正統性」の間接的調達 聞く者と聞かれる者の間に、相互信頼性が欠如している。地方行政での名目的政策「外国人市民代表者会議」や、国際交流協会などが形成されていても、差別の撤廃に繋がらない事例多々。

(3)外国人の排斥と需要
 ショーヴィニズム(狂信的愛国者・極端な排他主義)の傾向(e,g,"Welfare chauvinism"「在日の特権を許さない会」)。フランスをフランス人の手に取り戻すという極右てきグループ。大統領選挙で15~35%の得票率、日本の外国籍労働者の需要はダーティワークの強要などの見られる状況。

E、政治の変容のもとでの自治
(1)「統治の統治」化
 一元的で直接的な統治から多元的で間接的な統治へ。個人や集団の能動的な自己統治の促進とそれに対する監査(audit system)。これは様々な企業で自己査定申請という形式で行われている。大学の教授である自分も年に2度3度、実行させられている。言葉を変えれば昔の植民地主義から現代の新植民地主義への変更に等しい。サッチャーの自己責任論を回答したグローバリズムの実態に即応している。

(2)自律的公共圏として機能するアソシエーション(association連合・共同)へ
監査基準の民主化はactive citizenship積極的市民権によって可能性が高まり、ニーズ(必要性)は従来上から示されて来たが、自分たちで詰めていく必要があるのでしょう。事例として植民地でプランテイションに組み込まれていた農民たちがオールタナティヴな制度の創出として、産地直販売を開始し始めている。

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