2008年12月3日水曜日

「共生」を批判する: N教授への手紙ー国民国家の呪縛に抗して

康成銀さんへの謝罪


康成銀さんからメールをいただき、私の記事が正確でなく、また私の見解があたかも康成銀さんからの引用で
あるかのように記したことに対して、大変親切なご指摘をいただきました。謝罪し、訂正いたします。

本文は以下のように訂正しました。[]内が訂正した文の全容です。

[第二セッションの康成銀氏(朝鮮大学校)によると、「在日コリアン社会における「分断体制」」という発題をしそのレジュメの中で、総連の元になった在日の組織が1950年に「民戦」(在日本朝鮮統一民主戦線)を作ったということが記されています。(「民戦」は独自の組織でありながらも、日本共産党から直接・間接的な指導を受け、日本の革命活動を担おうとしました。)](()内は修正した箇所)

民戦が組織として日本共産党の傘下組織であったというのは私の間違いです。独自の組織であったが、直接・間接的に日本共産党の指導を受けていたと記すべきでした。私の強調したかったポイントは、社会を変えようとする者が、日本共産党の六全協を契機として、日本人も在日朝鮮人も国民国家の論理にすべて吸収されるようになった、国民国家の論理を超える現実の運動を作り思想として育て上げるよう必要があるのではないか、
ということでした。これは今現在においての課題でもあるのです。

また私が記した、ナショナル・アイデンティティを最優先することになるこれまでの民族運動についての記述は「主観主義的」との批判を受けました。この点に関しては康成銀さんとも意見の交換をさせていただきたい旨を本人にメールしました。この点に関しては、わざわざ鳥取から2度にわたり川崎の集会に参加してくれた民団の役員の方からも以前、同じように批判されました。

立命館でのシンポジュームにおいても、この点について私への批判がありました。今後継続して今後の課題として考えていきたいと思います。私はパネラーとして、主体性についてはいろんな可能性があるのであり、それは本人が判断すべきこと、それをどうして民族主体性が最も重要なものとするのか、また(民族)アイデンティティの追及が当然のこととして語られているが、そのそもアイデンティティとは何かということを問いました。

私は民族主体性ということが観念化され、政治化され、足もとの在日の抱える問題に関わることとを拒んできた過去の日立闘争のときの各民族団体の反応について話しました。足もとの例えば、介護や保育、教育の問題は在日にとって、すべて日本人に委ねることなのか、自分の住む地域において責任をもって関わるべきことなのではないのか、と発題しました。それに対して、徐勝さんからは、日帝時代においても一般の民衆は飯を食うていたという現実はあったのであり、足もとの問題だけを強調するのは問題だという指摘がありました。いずれ、立命館からシンポのことは出版される予定とのことですので、私ももっとしっかりとした主張にしたいと考えています。

崔 勝久

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