「ヴァナキュラー・コスモポリタン」(「地域に根差した世界市民主義」)という故西川長夫さん
から提示された概念をご紹介します。これは川崎で地域活動する私たち在日の運動を指した西川
さんの造語です。私は本名で日本社会に入ることを主張し、同胞から「同化論者」として指弾された
ことがありました。しかし西川さんのこの「報告メモ」はその在日の地域活動の根拠を示して下さった
ものだと思います。
在日をマイノリティとか在外公民、在外韓国人という捉え方がこれまでの主流でした。私たちは
MinorityとMajorityの2項対立、あるいは国民国家の一員という既成概念から抜け出せないでいました。
それを突破する視点を西川さんは残してくれたように思うのです。
感謝を込めて西川さんのご冥福を祈ります。
故西川長夫さんが最後に贈ってくださった言葉、「ヴァナキュラーコスモポリタン」(「地域に根差した世界市民主義」)。これは70年代、80年代に川崎で地域活動を始めた私たち在日と、日立闘争後何をすればいいのか模索していた日本の青年たちへの西川さん最後の言葉だと思います。
今や川崎市と市民運動の関係はこの西川さんの残して下さった言葉からは遠いところに行ってしまったと思われます。外国人を排除することを明言した日本政府の「当然の法理」が全国の地方自治体において完全に定着しているのです。川崎市の差別禁止条例はヘイトスピーチだけでなく、「当然の法理」に基づく差別制度にまで、即ち自らへの批判の刃とされなければならないのです。
<それから、・・・これは直接にはホミ・バーバの論考の中にあるものから取ったんですけど。
崔さんや朴さんの運動を理論的にどう説明するか、どう支持するかということを考えていて、
非常に残念なんですが、こういう外国の言葉で・・・、それを訳しなおすと、「ヴァナキュラー・
コスモポリタン」(「地域に根差した世界市民主義」)という。
これは僕自身が「ヴァナキュラー」という言葉にとらわれていて、それは主としてイリイチの
今度の論集にも2本ほど入っているかな・・・、それは僕の考えではタゴールのナショナリズム
を規定(否定?)する。植民地主義というのは、国民が、ネイションがつくりだしたものである
という。
インドは列強のナショナリズムによって侵略され、植民地化されたわけで、そういう見かたが
できるわけですが。そういうタゴールの考えていること・・・それはガンディーの糸車の運動を
僕は常にイメージして考えていたんですけど、それがまだ熟せないままで、論集(『戦後史再考』)
の中に出てきたことを、もう少し展開して、考えようと。
それについては、崔さんや朴さんの現在やられている運動によって教えられる、それを
見ながら考えを深めていきたいなということがあって。ここに付け加えておきました。以
上です。>
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