「地域あるいは文明の範疇としての「東洋」という概念は、明治日本の発明品である。西予帝国主義侵略の危機の中で、東アジアで最も先に弁明開化に成功した日本が、既存の中華中心の国際秩序を転覆させ、新たに日本を盟主とした東アジア世界を創出しようという目的で、西洋と対立する範疇として考え出した想像の共同体であると見ることができる。」
「文明的には東洋を脱して西洋文明に追随しながら、同時に西洋に立ち向かう東洋の盟主として、自らアジアの中心になろうとして「東洋」という概念を創出した。こうした面から見ると、範疇としての「東洋」概念は、外には西洋ヨーロッパに対立する抵抗体でありながら、同時に日本による既存の東アジア内部秩序の転覆と再編のために作られた一大企画であった。」
安重根の故郷は、私の父の故郷と同じ黄海道の信川でした!
だからと言ってなんということはないのですが、少しうれしい気持ちになったのでFBで知らせています。今度共和国に行くときには安重根の生地にも行きたいですね。そういえばネットで伝えられていましたが、安重根がどこでなくなったのかという場所(確か、満州だったと思いますが、違いますか?)も訪れたいです。
それにしても日本は今や東洋の盟主ではなくなった、経済、政治の面でも。私たち自身が国民国家の枠、概念を超え、改めて地理的な概念にとどまらず、「東洋」の概念規定をする必要があるのではないでしょうか。私は「反核平和」を唱え実践する場として東洋をとらえてみたいと考えています。
『安重根と東洋平和論』(日本評論社)を読み終えました。
本文の最後はこのような文書になっています。
「安重根と伊藤博文に対する評価の差異の前提には、日本近代史に対する肯定的評価、日本中心主義的な歴史観がある。日本近代史を東アジア近代史との関連のなかでみる視点が欠如しているのである。中野泰雄は日本近代史を「アジアから見る」ということを安重根から学んだとして、今までの日本近代史の通説を批判した。・・・このように安重根に対する正当な評価は、自国中心主義的な歴史観を克服し、東アジア共通の歴史認識を獲得することによって、東アジア諸国と国民が和解へと進む糸口を見出す可能性を作り出すであろう。」
また「監訳者代表あとがき」では、「出版界において「謙中憎韓」現象が大手を振り、日本社会に『安重根=愚かなテロリスト』と揶揄する雰囲気が渦巻いている」とあります。日本社会は植民地支配の清算をしていく歴史的責務を完全に葬り去っているのでしょうか。安重根のいう「東洋平和」構築はアジアに住む者すべての課題であり、目標だと私は考えます。
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