2019年2月19日火曜日

原爆被害者支援と反核平和運動を提案 ー李 承 茂(韓日反核平和連帶)


原爆被害者支援と反核平和運動を提案

李 承 茂(韓日反核平和連帶)

1. 序言
20世紀になるまで,国家は市民社会と多少乖離した存在として市場経済主導勢力の牽制を受けたり伝統社会の権威を喪失して民主勢力の挑戦を受ける脆弱な位置にあった。しかし帝国主義と植民地世界的な規模の戦争を経て,20世紀の国家はすべての自然人である人民を国民に転換させのような条件で国家の中で生存を許す神的な存在になった。
このような過程を経て成立した国家イデオロギーは国家が国民の一部を犠牲にして全体国家の利益を図ることができるということを暗黙的に内包しているものと見られる。 これは戦争や平常時の良民虐殺,核兵器と開発と使用原子力発電所の建設と運営が市場経済と民主主義という現代社会の理念とは関係なく国家によって推進され社会の進路を他律的に規定しながイデオロギー的に国家の行為が民主主義とは関係なく神聖不可侵の位置で疑問に付されない状態の持続を特徴とする。
一般市民や知識人の合理的判断の領域から外れた複雑な行政工学システムがこのような国家エリート集団に対する神秘主義に温床を与えたと言える。この過程で多くの大衆はイデオロギー的な幻想に陥り国家行為の犯罪的な性格を見かねて虚構的な受恵者意識を持つようになり、実質的な加害者、犠牲者を周辺化させ,社会の前面から押し出す差別と情緒的な分断を発達させてきたのだ
 こ文では核兵器と核発展という国家ないし国際集団の行為による受恵者と被害者犠牲者の立場を見て、受恵者という潜在意識の虚構性を表わし被害者たちの連帯行動の可能性を模索する。

 歴史の教訓
 すべての核兵器の製作と使用で加害者と受恵者、加害者と犠牲者を分け合うことができる。 受恵者は核兵器の製作と使用で利益を得る人々の集団だ。 加害者と受恵者は利益共同体につながっている。 被害者は直接核兵器によって死亡したり身体的に損傷を受けた人々も含め経済的社会文化的被害を受ける広範な人々の集団を指す。犠牲者はもちろん,直接的な身体的な被害を被ったり,命を失った人々を指す。
 それなら,1945年8月の広島長崎原爆投下について考えてみると加害者と犠牲者は明確だ。 加害者は米国のトルーマン大統領を中心にした行政府その中でも軍部だ。 犠牲者は当時
広島と長崎に住んでいて命を失ったり傷害にあったりする。 
 「害者と犠牲者いう言葉は戦争ではなかなか使わない言葉だ。 しかし敵軍とは言えない民間人が多数の死亡を予測しながらも意にそのような攻撃手段を選択したのならこれは戦争犯罪に該当し当然刑事処罰の対象にならなければならない。
 原爆投下で利得を得た人は誰なのか。

1) 韓国人の虚構的受恵者意識
 韓国の人々はこれまで広島,長崎の原爆投下によって日本帝国主義の植民地支配から解放されたという核兵器による受恵者意識を潜在的に持っていた。 このため広島長崎地域で核兵器に犠牲になった韓国人被爆者たちは無念な被害を受けたにもかかわらず韓国社会で感情的な孤立を感じ苦しい生活を余儀なくされた。 核兵器による受恵者意識を持った集団と犠牲者集団が共感し疎通できなかったのだ。
 歴史を立て直し正確な歴史認識に到達できれば韓国社会は広島長崎の原爆投下をどう考えるだろうか。 当時連合国の一員だったソ連は日本の北部を占領する計画を持っており
本軍部は米国式自由市場経済よりもソ連式統制体制が日本人の感情に近いと見てソ連と秘密裏に接触して天皇制を維持するという条件でソ連に降伏しようとしていた。
 米国はソ連が日本を占領する場合太平洋地域で米国がソ連と影響力をめぐって争い勢力圏を分点するしかないという危機意識を感ソ連が日本を侵攻して占領する前に核兵器を投下するという極端な方法で戦争を仕上げ日本の降伏を取り付けることにしたのだ。 その後,日本は,福島の原子力発電所事故が起こるまでに,トルーマン·ドクトリンが出るようになった米国戦略の意図どおり,66年間,米国の保護の下で安全で統一した領土を持って,先進資本主義国家に発展した。 そう見ると米国と日本の資本勢力の利害が一致したわけだ。
 そのおかげでソ連は日本に侵攻できず豆満江を渡って日本の植民地だった韓半島を占領しに来ることになる。

潘炳律 韓国外国語大学歴史学教授
原爆は元々ドイツに使用することにしたのだ。 ヒットラーが自殺して降伏し使えなくなったポツダム宣言でルーマンがスターリンにこれを知らせた。 トルーマンの立場ではソ連が可能な参戦しない方向に進むことを望んだ。 ソ連の東アジアでの利権を得る必要がなかったためだ。 ソ連は早く参戦しようとする意志があった。 その後原爆が投下され連がその翌日,韓半島に進駐を始める。
[質問] 
第2次世界大戦後,敗戦国の日本がなぜ分割されないのかなぜ半島が真っ二つに割れたのか。
[答え]
 米国は日本絶対譲歩しないと考えた。 韓国は共同信託統治ができると思ったのだ。
ルーズベルトは帝国主義勢力ではあるが国際主義的な面がある。 トルーマンよりは反共主義的側面が弱い。 ソ連も日本を占領した時一役買ったかった。 米国が徹底的に日本の分割を阻止した。 日本の場合は日本人による政権を維持させてくれた。 天皇を死刑にすべきだという世論が高まったにもかかわらず天皇を維持させたのだ。 崔容昊教授は、「国分断の責任は日本にある」と考える。 日本が直ちに降伏せずソ連に仲裁を要請する。 佐藤がモロトフに会って要請したのだ。 日本が急がれることをしソ連は一掃中立を廃棄すると言った。 しかし通報後1年間は有効になっていた。 日本がソ連ではなく米国と交渉をしたなら違っただろう。 日本が重視していたのは天皇をどうするのかということだ。 これを維持することを約束すれば降伏できる"と述べたのだ。 降伏でも天皇を維持しようとして降伏を遅らせソ連が参戦した契機になったのだ。 ソ連が韓半島全体の占領を防ぐため米国が韓半島に入って行った。 1943年から38度線を米国内で悩んだという。 ロシア日本間の3~9線分割論もあった。 38度線を引いて北朝鮮は関東軍傘下としてソ連軍が武装解除を残りの米軍が朝鮮軍を武装解除してさせる陰謀を行なったという説もある。 崔先生は日本の軍国主義者に責任があると考える。
 興味深いことは日本の軍部指導者の大半が個人主義者に対する不信があり共産主義に対して危機意識を感じなかった人々が主をなしてソ連に接触しようと思ったということだ。 それが結局韓半島分断をもたらした説がある。 お互いに裏付ける史料が多い。

歴史に「もということはあり得ないがもし米国が日本に原爆を投下させなかったらソ連は日本を侵攻したであろうし韓半島はどうなっただろうか。 少なくとも,米ソ両大覇権間の対立の結果である戦争と永久分断の道に進まなかった可能性が高い。そうだったらたとえ内戦が起こったかもしれないが韓国戦争のようなおびただしい戦争にはならなかっただろう。 
 このような歴史的事実から見て韓国人は原爆投下で利益を得られなかったと考えるべきだ。むしろ南北分断になり3年間悲惨な戦争を経験しなければならなかった。 そのためこれまで74年間分断状態にある。 これは日本が受けた原爆投下の災いに劣らぬ恐ろしい災いだ。 200万人以上の人々が犠牲となり分断既得権勢力の暴力的な統治の歴史が相当期間にわたって続き未だにその傷から抜け出せずにいる。
 韓国社会で原爆投下をめぐり受恵者の意識を持つ多くの人や犠牲被害者になった人々の間には克服しがたい壁があったのだ。
 しかしその受恵者意識は虚構的に作られた捏造された歴史に基づいている。 原爆投下の真の受恵者は日本の資本と韓国の反民主的な分断既得権勢力そして米国の軍事金融覇権集団だ。
 韓国の被爆者と同じく大半の韓国人は分断と独裁の被害を被ったため米国の原爆投下行為の被害者たちだ。 その被害は簡単にぬぐえない傷でいまだに韓国社会を押さえつける荷物になっている。

2) 日本人は?
 日本社会は2011年3月11日前まで豊かで安全な島国として羨ましい国に発展していた。 確実な米国の版図の下で市場経済の発展の恩恵を受けたのだ。 原爆投下で被害を受けた数十万人のほか日本人の大半はそのおかげで幸せに暮らしてきたのだ。 しかし福島の津波による原発爆発で日本は一夜にして幸せを失った。
 日本社会はこれまで事実上統一して幸せな社会ではなかったこと福島の原発爆発で明らかになったのだ。 原発で恩恵を受ける地域と原発で被害を受ける地域的な差別が発爆発後に明確に表われた。 日本社会の80%以上の大多数は,脱原発に賛成するが約20%は原発の維持を望んでいる。 これらは日本産業資本主義の中枢的位置にある人々だ。 その他の多くの日本産業の消費者は,放射能流出で健康に悪影響を受けるので被害者になったのだ。
 結局韓国や日本で権力と金を握った少数の人々は米国の核兵器投下を自分たちのイデオロギー的正当性と富の蓄積の契機としてきた。 核発電所の建設はその延長線上にある。 大多数の韓国人や日本人はこれまで兵器+核発電=幸せデオロギーにとらわれてきたのである。
 しかし日本では核発電が数の犠牲で多数が幸せになる手段なく少数の幸せのために多数の不幸をもたらす手段いう認識が拡大している。 韓国では核兵器の使用が数の犠牲者がいるが多数が幸せになった手段いう認識がまだ多くの頭の中に潜んでいる。 しかし歴史的事実はその反対を教えてくれる。 数が得をし,多数が苦痛を経験した出発点ったのだ。
核発展についても同じことが言える。 日本人は福島事故が起きた後これについて韓国の人々より先に知るようになった。

2. 原爆被害者支援と反核平和運動 
数の人々が犠牲になっても多数が幸せでいいいうのは功利主義哲学の延長線上にある論理であり功利主義は19世紀の進歩的な思想で資本主義に受け入れられた核心論理だ。 しかし、この論理は少数の利益のために多数を苦痛の中に落とし入れる行為を包装する嘘の論理として使われてきた。 核兵器と核エネルギーの出発点からこれまでの歴史がこれを暴露する。くら多数のためにも,いかなる人も自分の意思に反して故意に犠牲になってはならないいう確固たる社会倫理がなければ、結少数が多数を欺き多数を苦痛の中に陥ることが繰り返されることになる。 

 私たちは、まず、核兵器と核発電所が同一であることを確認しなければならない。 どの国で大砲や小銃を兵器システムで開発して配置するということ大砲玉と弾丸を持続的に量産する施設を確保しておき非常時にその施設を民需用から軍事用に切り替える計画を備えていることを意味する。 核兵器も同じだ。 いくつかの核兵器の卵を倉庫に保管しているのは何の対策にもなら核兵器の原料であるプルトニウムを連続して供給する工場が建設されなければならない。 核発電所は偽装された核兵器の原料工場だと言える。 米国での核兵器製造は核兵器の原料は米国の同盟国に製造されたプルトニウム製造工場から提供される。それがまさに原子力発電所と言える。
 私たちがする原爆被害者支援と核兵器核発電所を反対する反核平和運動は体制(=核兵器体制を維持するためのプルトニウム原料供給体制)に反対しこれを粉砕するための闘争だ。 最も重要なことは核体制のイデオロギーが持つ虚構性を暴露することだ。 それは数を犠牲にして多数が幸せを享受できれば大丈夫いう変形した形態の功利主義が結局はすべてを破滅の道に導くことを確認することだ。 それは日本軍部が敗戦する前に多くの人々を死に追い込んだ論理だと言え核を開発した米国の軍産複合体の論理もさほど違わない
 原爆被害者支援はいかなる大義のために自分の意思に関係なく犠牲にしてはならずそれは不法行為であるだけでなく犯罪行為ということを社会全体で受け入れさせ二度とそのようなことが繰り返されない社会を作るための目的での運動だ。 被害者が実質的な支援を受けられるように効果的な支援体制を構築するとともに加害者がその加害行為の結果を認め,重い費用負担を与えることで彼らの行為を後悔し同じことを繰り返さないように十分な羞恥と経済的打撃を受けると意味がある。 それが問題を平和的に解決する道である。加害者側に特に負担を与えず原爆被害者を效果的に支援するという考えは核兵器使用行為を正当化するのに役立つだけだ。
 核発電所反対運動も,新たな倫理的基準によって経済成長の論理が持つ虚構性を暴露する運動だ。 新しい倫理的基準は、「私が望まないことを他人にしてはいけないいう伝統的なシールバーのruleから大きく外れるものではない。 このような倫理的基準に従わない場合これは不道徳なことに止まらず結局少数の利益のために多くの人々を苦痛の中に陥る結果がもたらされるということを歴史的・科学的に確認できる。
 それは核兵器の使用と原子力発電所の建設と関連して韓国と日本が伝わってきた歴史から証明される。 カギになるのは核兵器と原子力発電所問題で虚構的な受恵者の意識を脱ぎ捨て牲者と連帯し私たち皆が被害者であることを悟ることだ。

① いわゆる"核の傘"の拒否
 「核の傘いう言葉自体が虚構的だ。 傘は雨に濡れないようにしてくれる良い手段だ。 しかし同盟国が提供する核の傘はそのような利益を提供しない。 むしろ核兵器の使用と関連した施設を領土内に収容しながら他国の攻撃対象になる危険をもたらす。 韓国と日本は
米国のいわゆる核の傘の下にあるという理由で核兵器禁止条約に参加できずにいる。 いわゆる核の傘のため韓国と日本は米国に莫大な金を支出している。 自主的な外交戦略も展開できずにいる。 その結果は莫大な経済的浪費と政治的従属民主的な社会経済の発達の地長だ。 朝鮮は独自の判断によって軍事的な手段と外交的な手段を効果的に組み合わせて
最小の費用で国の安全と継続性を維持している。
 無理に書かれていたいわゆる核の傘」で恩恵を受けるという考え完全な虚構であることを暴露しなければならない。 朝鮮も効果的な防衛手段として核兵器を開発したというが
使用の可能性を誇示しない核兵器は使い道がなく使用の可能性は必ず罪のない人々を犠牲にする可能性を内包する。 しかし核兵器は民主主義と道徳性に基づいた社会主義や共産主義理念には合わず資本主義やファシズムの属性とよく合致する。 朝鮮は社会主義の原理に合わせて核兵器に反対する平和理念と外交戦略を含む様々な手段を通じてより効果的に安保を守ることができるだろう。

② 核エネルギーの拒否
 核エネルギーを拒否しなければならない理由はあまりにも多い。 核エネルギーは核発電施設が建設された地域の住民だけに被害を与え他の地域には安価な電気を供給するのではなく
半径数百キロ以内の人たちに放射能で汚染された空気や水食べ物を摂取させる危険を常に内包するエネルギーだというのが事実だ。 それだけでなく事故が起きていない普段も近隣地域住民と発電所従事者に放射能露出を起こし被害者を量産している。 今の施設レベルでは
の命がエネルギー生産に日常的な原料として投入される発電所が原子力発電所と言える。 犠牲者はこれに当然同意しない。 そのような事実を知るならエネルギーの消費者たちもこれに同意してはならない。 これはそれ自体が犯罪行為になるだけでなくこれをそのまま容認する場合,時間が経つにつれその社会自体が災いを迎えることになるからだ。

3. 結論
 同じ社会を生きる人々はれぞれ孤立して生きていくのではない。 人口集団はほぼ一身と変わらない.。そのうち何人かがどの地域が犠牲になっても全体社会のために良いことならしなければならないということは歴史的にも論理的にも誤りであることが明らかになった。 事実上社会は歴史的に大きな授業料を払いながらこれをよく経験した。 それでも上層部のエリート集団は考えをあまり変えない。
 韓国社会には核兵器と核発電所に対する誤った盲信にとらわれた人々のイデオロギーが
いまだに通じている。 原爆被害者たちが受ける無関心と疎外感がこれを裏付ける。 原爆被害者支援というのは決して社会福祉の問題も脆弱階層への支援の問題でもない。 それは加害者に責任追及をすることでありその犯罪行為の決定と執行過程を明かし二度とこのようなことが繰り返されないよう善悪の真実を明確にするものだ。このために韓国と日本の市民社会が手を取り合い歴史的経験と情報を共有しなければならない。
それは第1次大戦後,韓国の3.1運動とその後に続く反帝国主義反ファシズム闘争がまだ成し遂げられていない目標を達成するものであるがこれはどんな目的のためにも人を手段として利用し犠牲にしてはならないという価値を実現するものではないか。




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