国籍条項問題とは何か
ー川崎市当局との交渉から見えてきた地平についてー
崔 勝久
1. はじめに
国籍条項問題とは何なのか、まったく御存知でない方も多くいらっしゃると思いますが、御存知の方は、外国人を公務員にさせない、国籍による差別制度に対して外国籍公務員の「門戸の開放」を求める動きと答えられるでしょう。
私はこの小論で、「川崎方式」と呼ばれる、川崎市と市の組合(市職労)、市民運動体が一つになって、外国籍公務員の「門戸の開放」を実現させたその実績と、しかしそこに含まれる問題点について記します。そのことによって「川崎方式」によって3者間で合意され、川崎市が作成した「運用規定」(「外国籍職員の任用に関する運用規定―外国籍職員のいきいき人事をめざして」)がもつ、制度化された差別の実態が明らかになると考えるからです。
その差別制度の根底には国民国家をすべての前提にすることによる、差別と排外主義という植民地主義イデオロギーの残滓が見られます。それらを内包する植民地主義イデオロギーを公権力が是認し制度化したという意味で、またこの制度が日本国家の在日外国人対策の根幹をなしており、川崎市以外の他の地方自治体も追随してきているという意味で、そして最後に、これらの動向を差別と闘う市民運動側が一定の評価をしているという点で、私は「川崎方式」と「運用規定」を評価することで終わることなく、そこにみられる差別思想を徹底的に洗い直さなければならないと考えるのです。
差別は個人の価値観、倫理観の問題でありながら同時に、歴史的な背景をもつ社会構造の産物であり、各組織体と地域社会、国家の実態を反映しています。「川崎方式」と「運用規定」を取り上げることによって国籍条項問題とは何かを明らかにすることが、この小論の目的です。
2. 序文
「多文化共生の街」づくりをスローガンにする川崎市は、外国人への開かれた市政を宣言し、実際に市長を先頭に偏見・差別をなくすことに努めていながら、どうして自らが国籍を理由にして差別を制度化したことの問題点を把握しようとせずに、その正当性のみを唱えるのでしょうか。
私たちは、川崎市は外国人への門戸の開放と同時に、国籍を理由に管理職への昇級と職務の制限を制度化した、「川崎方式」と外国籍公務員の人事(任用)の「運用規定」によって差別を構造化したと考えています。それは公権力による差別です。門戸の開放を決断した市長の英断が評価される中で、これまで市に「門戸の開放」を求めてきた市民運動体や市職労から川崎市が差別を制度化したことへの批判とそれに抗する具体的な運動がなされなくなったことに危機感を覚え、私たちは「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」を結成しました(2007年)。そしてこの間、学習会と討論を重ねて、ようやく市当局との直接交渉を始めました。その過程で私たちは、外国人の門戸の開放を求める「川崎方式」と「運用規定」の問題の本質を理解するようになりました。
外国籍公務員の管理職登用と職務を制限する「川崎方式」が何故、全国に広がる兆しを見せているのでしょうか。また「川崎方式」のスローガンである「多文化共生」がどうして幅広く、運動側だけでなく、地方自治体、政府、企業の間に至るまで、圧倒的に多くの人が是認する理念として使われるようになっているのでしょうか。それは社会現象になっていると言って過言ではありません。私たちは「川崎方式」と「運用規定」がもつ問題点を徹底的に解明することによって、現代日本社会の病根にメスを入れることができるのではないかと考えます。
一方、民族差別と闘う「在日」の立場から見れば、川崎では日立就職差別裁判(「日立闘争」、1970~1974年)や1980年代の指紋押捺拒否闘争の歴史を背景にして、児童手当や市営住宅入居等、外国人を排除してきたこれまでの市政の政策に問題提起し、日本人の仲間と一緒になってそれらの権利を獲得してきた経緯があります。また川崎においては、民族差別と闘う拠点であった在日大韓基督教会が中心となって設立した社会福祉法人青丘社と、青丘社を母体とする「多文化共生」のシンボルとして認知されるようになった、公設民営の「ふれあい館」(1988年)があります。
「日立闘争」の勝利の後、「日立闘争」を担った人たちが中心となって全国組織の「民族差別と闘う連絡協議会」(通称「民闘連」、1974年)を立ち上げました。川崎市は外国人市民の要望に応えるかたちで「多文化共生の街」づくりをスローガンにして「人権・共生推進担当」(現在は、人権・男女共同参画室)を市民局の中に設け、外国人市民の政治参加を促しその権利を保障する組織として「外国人市民代表者会議」を設置し(1996年)、外国人の人権に関する取り組みでは全国でもっとも先鋭的な都市として知られるようになりました。
NHKで自治省の反対を押し切って実行したと報道された、政令都市としては初めての川崎市長の「門戸開放」宣言(1996年)は「英断」であるとして川崎市職員労働組合(「市職労」)や市民運動体からも高い評価をうけました。しかし、実はその「門戸開放」を実現した「川崎方式」こそ、市民運動体、市職労、市当局が「多文化共生」を掲げオール川崎で一緒になって取り組んできたこれまでの成果、集大成であったのです。
川崎市長の「門戸開放」宣言と同時に、外国籍公務員は182の職務には就けず管理職への昇級は制限すれるということが発表されたのですが、詳細は1年にわたってあきらかにされず、日立闘争の当該であった朴鐘碩の情報公開要求も却下されました。そして1年後、市は「運営規定」を発表し、ここにおいてようやく外国籍公務員の就くことが許されず昇進も認められない、182職務の内容が明らかになりました。
しかしながら市職労と市民運動体は川崎市と共に「多文化共生」を掲げながら、182職務には外国籍公務員を就かせない差別制度である、「川崎方式」と「運用規定」の問題点を明らかにしてそれらの撤廃あるいは改正を求める具体的な行動を起こしませんでした。市職労と市民運動体は川崎市とはパートナーとして取り組みを共にする、「要求から参加へ」(「ふれあい館」館長の講演より「RAIK通信」97年)の時代になっていったのです。
彼らが選択した道は本当に民族差別をなくし地域社会の変革につながるものなのでしょうか。私たちはその問いに対して、外国籍公務員の門戸の開放を実現した「川崎方式」とそれを制度化した「運用規定」の内容とその過程を分析することで実態を明らかにします。「日立闘争」から地域での民族差別と闘う経験の上で問題点を明らかにしていきたいと思います。
3. 地方自治体の自立について
地方自治体は今日、国家との関係において経済、施策、理念の面でいかに自立していくべきなのかが問われています。「国と地方自治体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする」(第1条)ことを明記した地方自治法からすれば、地方自治体の人事のあり方は地方自治体独自で決定すべきであるのに、どうして川崎市は鄭香均さんの最高裁判決で外国籍公務員の管理職登用と職務については各地方自治体判断とされたにもかかわらず、政府見解にすぎない「当然の法理」に従おうとするのでしょうか。「当然の法理」とは、1948年に内閣法制局が示した「公権力の行使または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには日本国籍が必要」とした見解のことです。
国と地方自治体の関係については、北海道の公式HPによると、1999年の「地方分権一括法の成立により、機関委任事務制度が廃止され、自治体の事務は自治事務と法定受託事務に再構成された。これに伴い、国の包括的な指揮監督権は廃止され、国の自治体に対する関与は法令に根拠がある場合に制限され、その手続きルールと紛争処理手続きが創設されるなど、国と自治体は上下・主従から対等・協力」(北海道のHP)の関係になった、とされています。( http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ssa/academy/11academy/jichi/dai2-1-123syou.htm )
そもそも国とは「上下・主従から対等・協力」の関係になったはずの地方自治体は、「国の統治作用」を行うことを本来的な任務としているのでしょうか(鄭香均さんの国籍条項訴訟における裁判所の一貫した主張。 1996年
東京地裁敗訴判決、1997年 東京高裁勝利判決、2005年最高裁敗訴判決)。川崎市は外国籍公務員の管理職登用と職務の内容に関しては、鄭香均さんの最高裁判決にあるように、地方自治体の独自の判断に基づき決定すればよかったのです。何が「公権力の行使」にあたるのかの独自の「判断基準」で行政が一方的にその職務を決めるのでなく、選択した職務に外国籍公務員が就くことが実際に地域住民の不利益を与える可能性があるのかを外国人市民を含めた市民と行政が議論をして決定するべきであった、と私は考えます。それこそが「多文化共生」を唱える川崎市にとっては民主主義的な手続きであり、川崎市にふさわしいやり方であったでしょう。
4. 地方自治体の持つべき理念について
歴史を直視せず未来を語ることはできません。平和の実現を語ることなく、自らの過去の戦争責任に沈黙して地方自治体の未来を描くことが許されるのでしょうか。私たちが出した高橋清元川崎市長宛への公開質問状の中で、市の戦争責任をどのように考えるのかということに対してこのような回答がありました(98年12月18日)。
戦前は、地方自治制度が現行のように憲法上の制度として認められたものでないため、一自治体の首長として戦争責任を明らかにすることは困難であると考えます。また、現市長が公人として責任を具体化しなければ、多文化共生を進められないとは考えておりません。
川崎市は一般論としては戦前、戦中の歴史を語りながら、自らの問題として戦争責任を表明したことはありません(例えば当時、市の課の中に、戦争動員体制の強化と他民族支配を前提とした、朝鮮人の日本社会への融和を目的とする「内鮮協会」の事務局が置かれていました)。具体的には、現在においても、南京虐殺事件の映画会を暴力的に妨害する右翼と対峙するどころか、治安を理由に主催者に再考を求めた市当局の姿勢であるとか、朝鮮学校に対して、拉致問題を引き起こした北朝鮮の窓口とされる在日本朝鮮人総連合会(「朝鮮総連」)との関係を口実にして補助金を支払わず拉致問題に関する本屋DVDの現物支給に代えたことなどがあげられます(注:「川崎市が朝鮮学校に「補助金の代りに現物支給」と称して「拉致問題」本を強要」(片山道夫のブログ http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-127.html)。
戦争を起こしたことは全て国の責任であり、地方自治体や国民にはその責任はなかったということですまされるのでしょうか、大日本帝国の責任はもちろん、戦争を支え進めたマスコミ、個人、地方自治体の責任はどうであったのかということも問われるべきでありましょう。戦争を具体的に担ったこと、それが例え国家からの命令に従うしかなかったとしても、今後は二度と同じ誤ちを犯さない為には、国民自身、地方自治体もまた過去の戦争に加担していった具体的な事実について明らかにし、自らの加害者性と戦争責任を認めるべきではないでしょうか。
川崎市は「多文化共生」を掲げながらも、「戦争責任」と植民地支配の清算の必要性を明確にせずに、地方自治体において平和を実現していくことの重要性を語ってきたのでがないでしょうか。私は川崎市はそのような歴史認識をもたないなかで、外国人市民の増加の過程で、ある意味、仕方なく、外国人市民の地域社会への「統合」を目的とする「多文化共生の街」づくりというスローガンを立てたのではないかと考えています。
川崎市が具体的な戦争責任についての歴史認識を表明し、国籍を理由にして外国籍公務員の権利を制限した「川崎方式」と「運用規定」は差別であることを認めることから全ては始まります。外国人市民やホームレス、老人、障害者といった社会的弱者を含めた全ての住民を地域の対等な構成員としてその人権を保障するという理念を持たずして、21世紀に向けた住民自治は不可能です。
5. 「公権力の行使」の川崎的解釈の裏にあるもの
国や地方自治体が国民国家の原則であるとして「当然の法理」を理由に外国人は公務員になれないと言い張っていたならば、ある意味では排外主義的な植民地主義イデオロギーの問題は露呈していなかったかもしれません。しかし「日立闘争」の就職差別裁判での勝利判決以降(1974年)、一般企業において国籍を理由にした差別は認められなくなり、弁護士資格もまた国籍条項を撤廃するようになり(1977年)、地方自治体も外国人市民への「門戸の開放」をせざるを得なくなってきたのです(川崎市の門戸開放は1997年。それは外国人市民当事者自身の自覚と闘いだけでなく、その動きに共鳴し支援する、日本社会の変革を求める新たな流れがあったからでありましょう)。
地方国家公務員法には国籍条項はありません。外国人市民への門戸が閉ざされていたのは、日本の独立の際に示された、日本政府の「公権力の行使」と「公の意思形成」の職務は日本人に限るとする「当然の法理」が、植民地支配の清算に対する十分な理解と決意がない日本社会全般の偏見と差別の上で、当然視され、正当化されてきたからです。
しかし事実として外国籍公務員が誕生し、鄭香均さんのように高裁で勝利する例(1997年、最高裁では敗訴、2005年)も現れはじめています。鄭さんの裁判では「当然の法理」だけでは、もはや既成事実になっている外国籍公務員の存在と彼らが被っている差別の実態を説明できないものですから、あらためて「日本の統治作用」という概念がだされ、それに抵触しない範囲で外国人公務員の存在が公認され、管理職にも就けるようになりました。
国民国家を絶対視するこのような「日本の統治作用」という概念に対して、国民国家を相対化する価値観を持たない一般の日本人は納得せざるをえないのでしょう。日本の国は日本人のもので日本人が統治するのだという、国民国家の正当性を掲げることで、国籍を理由にした外国籍公務員に対する差別制度は差別ではないと広く理解されてきたのだと思われます。外国籍公務員をめぐる差別の制度化は、日本社会にある外国人への偏見と差別をさらに強めることになるでしょう。国民国家の正当性の強調が新たな差別をもたらすのです。
川崎市は国の「当然の法理」であるとした「公権力の行使」の判断基準を「一般市民の意思に反して、その人の自由・権利を制限すること」と設定して、3000を超える全職務を一つひとつ洗い出し、そのうち、182の職務を「公権力の行使」に該当すると判断して外国籍公務員にはそれらの職務に就かせないようにしました。具体的には、建築許可、食品検査、病人の隔離をする保健婦、税金の徴集、墓地への立ち入り検査、狂犬病予防に係わる犬の捕獲等の仕事で、よせばいいのに、それらは「日本の統治作用」に関するもので、「公権力の行使」であるから外国籍公務員ではだめだと説明しています。ちなみに川崎市の判断では、犬への注射も「日本の統治作用」「公権力の行使」にあたるので、外国籍公務員には認めないそうです。
これらの公務員の仕事は全て法や条例などに基づいてなされるもので、公務員であれば誰であってもその範囲内で職務を遂行しなければならず、自分勝手に選べるものではありません。しかし同時に日本では労働基準法3条(均等待遇)のように、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。」とあり、国籍などによる差別は禁じられています。この法律に反する契約は「無効」なのです(第13条)。国と地方自治体はそれをどうして外国籍公務員の管理職への昇進と職務の制限は許されると判断するのでしょうか。彼らの論理は完全に破綻しています。
私たちはここに、多くの人が納得する「公権力の行使」と「日本の統治作用」という言葉(概念)で外国籍公務員への差別を制度化し正当化するその考え方の中に、国民国家を絶対視することで歴史的に作り上げられた戦前の、外国人への偏見と排外主義的な植民地主義イデオロギーが戦後においても生きていることを知るのです。
6. 「川崎方式」の本質について
阿部前川崎市長は外国人への門戸を開放した「川崎方式」は100点満点の80点の合格点であり、外国人に地方参政権を認めるように国の法律が制定されるまでは変わることはないと主張しました。地方参政権がないと外国人市民の基本的人権は保障されないのでしょうか。在特会のヘイトスピーチに断固たる姿勢を見せ、「あらゆる差別を許さず、偏見をなくしていく」ことを公約にして二期目の当選を果たした福田現市長でさえ、「川崎方式」の外国籍公務員への国籍を理由にした制限は「差別でなく、区別」であると言ってます。
一般市民にリベラルな印象を強く与える「多文化共生の街」づくりを掲げた「川崎方式」こそ、本質的には、労働力として日本社会から求められ地域社会に多く住むようになってきた外国人市民を円満に日本社会に「統合」していこうとする、日本国家の遠大な国策に沿ったものであると私たちは考えます(「民闘連」での坂中講演参照)。それは北朝鮮と中国に対する日本の防衛を口実に莫大な軍事予算を計上しながら、低賃金の外国人労働者を日本社会に吸収(「統合」)しようとする国策に合致します。
誰もが賛同する「多文化共生」という言葉に惑わされず、「多文化共生」がどのような社会的な背景において広く使われるようになってきているのかを理解する必要があります(注:「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の基調報告)。戦前、戦中において大日本帝国は「日鮮融和」「五族協和」を謳い植民地支配を進めました。過去の植民地支配を清算するためには、多くの国民が日本の植民地支配を富国強兵政策として支持し、その政策の履行を支えてきた歴史を直視する必要があるでしょう。「多文化共生」は満洲を支配していくためのイデオロギーとしてあった「五族協和」と何が、どのように違うのか、日本国民は学ぶ必要があるのでしょう
。
7. 「運用規定」の本質について
川崎市が作成した「運用規定」は本当に外国籍公務員の権利の獲得のために作られたのでしょうか。確かに「運用規定」の正式名は「外国籍職員の任用に関する運用規定」であり、行政と市職労と市民運動体は外国人の「門戸の開放」の実現のために、「川崎方式」と呼ばれる3者で協力しあったものです。
しかしながら、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」という、パターナリズム的な色彩を帯びる独特なネーミングをした副題にかかわらず、この「運用規定」は「本市の総合的な人事管理システムの中に位置づけ」られると明記されています。市が「門戸開放」した時、外国籍公務員の182職務の制限を発表しながら、一年にわたってその内容の開示を頑に拒んできたのは、「中長期的視点に立った」「市全体の総合的な新しい人事システムを整備」するのに準備期間が必要だったからです。つまり市は、「運用規定」は外国籍公務員に関する運用規定の整備の為といいながら、その作業をとっくに終え、実は真の目的としてある、全公務員の「ジョブローテーション」による合理化、管理の強化をはかる内容を整備していたということです。これが「運用規定」の本質です。
川崎市は外国籍者への門戸開放と銘打ちながら、実際には地方公務員の労働運動そのものに大きな網をかぶせる人事制度を確立したかったのではないかと推測されます。市職労働者は、外国籍者の為にではなく、自らの問題として自らの解放の為に、「運用規定」の撤廃に取りくむべきであるという私たちの主張の根拠はここにあります。
8. 最後に
今、一般的には、「川崎方式」は過渡期であって、入り口は開けたから(「門戸開放」)あとは、他の地方自治体が徐々に川崎のようになってくれれば自然と国の対応も変わり、川崎市もさらに前進するだろうということが、国籍条項問題を知る人達の間でもよく言われています。しかし本当にそうでしょうか。そんな人任せな解放運動というものがありうるでしょうか。私はそれには同意できません。
私は、塩原義和氏が主張するような、(結果として、行政が多文化共生政策を後退させるような)「意図せざる帰結」をもたらす可能性がある「多文化共生」批判を慎むべきだとは思いません(「『連帯としての多文化共生』は可能か」 岩渕功一編著『多文化社会の<文化>を問う』(青弓社 2010)。「地域社会での幅広いネットワークづくりによって社会変革の実践として捉え直す」運動というものが、いかに実際に差別を制度化・構造化した「川崎方式」と「運用規定」を批判的に変えていくことができるのかを模索し、「川崎方式」と「運用規定」のもつ問題点の解消に向かいたいと願うばかりです。権力者はいつも自分の権力基盤の強化を考えているのです。私は権利は与えられるものではなく、市民自らが当事者として闘い勝ち取っていくべきであると信じてやまないからです。
今こそ、50年になる川崎での民族差別と闘う運動は、地域の市民・民衆が自立し「生き延びる」(上野千鶴子)ためにどのようなことをしてきたのか、そのプラスとマイナスの両面を、対教育界、対地域、対組合、対行政その他すべての分野で、いっさいのタブーを設けることなく、真摯に総括すべき時期が来たのではないかと思います。私たちは、川崎市に対しても、「川崎方式」と「運用規定」が差別の制度化、構造化につながっていることを十分に認識して、それを改正・撤回させる運動にするために、いかなる個人、団体とも対等に対話し、連帯して、共同の歩みをしたいと願います。多くの人が自分の属する組織や団体の立場を超え、一人の人間として賛同しあって共に闘うことができますようにと祈るばかりです。
9・ 結び
「川崎方式」と「運用規定」の内容はどのような状況であるのか、おわかりいただいたと思います。今、川崎の圧倒的多くの市民には「川崎方式」と「運用規定」の実態が知らされていません。そのような中で、限られた者たちだけの間で着々と外国人対策が進められているというのは、どこか根本的に問題があるのではないかと思います。そのようなやり方は地域社会に解放をもたらすものではなく、いつも民衆・市民を非当事者の立場に固定し、権力者の基盤を強化するだけなのではないでしょうか。それでは社会の本質的な差別の構造は隠蔽されたままになります。
ここで記された事実を知れば、「川崎方式」と「運用規定」こそ、外国人差別の象徴として、徹底的に議論をしていかねばならないという私たちの主張は理解してもらえると私は確信します。「川崎方式」と「運用規定」が差別を制度化したものであることを川崎市にも理解してもらい、それらの制度のあり方を改めて考える運動に、多くの人が自分の属する組織や団体の立場を超え、一人の人間として賛同しあって参加することができるようになればと願います。
くり返しますが、私たちはいかなるタブーも認めません。現実をしっかりと見つめ、おかしいことをおかしいと素直に言うことから始めようではありませんか。全ては自らが立ち上がろうとする、「個からの出発」からはじまるのだということをお伝えしたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿