2017年12月30日土曜日

日韓両国の慰安婦問題解決「合意」の問題ー現代の植民地主義をめぐって

慰安婦問題は過去の植民地支配の清算の問題であり、現代の女性の基本的人権の問題です。慰安婦少女像はその象徴です。
しかし日本政府の強い反発があり、政治的解決のために、安倍首相と追放された元朴韓国大統領が政治的「合意」をしました。しかしその「合意」に関して韓国国民は「合意」の内容と経過に問題があると反発し、新しく市民キャンドル革命で選ばれた文大統領は国民の意思に応じた対応をしようとしています。
一方日本のマスコミと多くの国民は、「合意」を反故しようとする韓国は民主主義的でない、世界で通用しない暴挙だと見ているようです。はたしてそうでしょうか?一体、民主主義社会とはどういうことが実現されなければならない社会なのでしょうか?​

1)民主主義社会では政治家の「説明責任」は不可避
民主主義においては、国民から選ばれた政治家はアカウンタビリティ(accountability)が求められていると日本のマスコミで90年代に言い出したのはオランダ人ジャーナリストのウォルフィンでしたが、それをマスコミが説明責任と訳すことに本人は反対しています。誰が責任を負うのか、結果に対する責任の所在があいまいだからという理由からです(『偽りの戦後日本』50頁(白井聡とウォルフレンの対談集、Kadokawa 2015、更に詳しくは、ウォルフィン『人間を幸福にしない日本のシステム』(毎日新聞社 1994))。  

(2)日本は民主主義社会か?
それを踏まえた上で、私は敢えて「説明責任」という単語を使って日本は民主主義社会ではない証拠を挙げたいと思います。慰安婦問題解決「合意」に関して安倍政権が韓国の追放された元大統領との条約でもない、単なる政治家トップの法的根拠のない「合意」をしたその内容と経過に関して、①日本国民が安倍首相に説明責任を追求しないこと、②安倍政権が政治責任を負おうとしないこと、③日本のマスコミがそのことを問わず黙認し、かえってリベラルなマスコミを含めすべてが安倍を支持していることを実例としたいと思います。

(3)韓国の場合
多くの韓国国民は、慰安婦当事者を完全に無視したことと、その上「合意」の内容と経過が明らかにされていないとの理由から、「合意」に反対しています。それに対して日本のマスコミと圧倒的多くの国民は、「合意」した内容を遵守していないという形式論で反発しているのです。条約でもない、法的根拠の一切ない「合意」を正当化するのどうかを決める主体は国民の意思でしかないはずです。韓国の文在寅は大統領は国民の意志に応える対応をしようとしています。

(4)では日本は?
日本国民はどうなのでしょうか。安倍の説明責任を求めないほど安倍を信頼し、彼が独断で進めた「合意」を承認してこのまま黙認するのでしょうか?動き出すべきは、安倍に説明責任を求め「合意」の内容と経過を明らかにさせるべきは、日本の市民、国民であるはずです。
それとも日の市民、国民もまた、安倍首相や大阪の吉村市長のように、慰安婦は性奴隷ではない、橋下元大阪市長のように当時は慰安婦はしかたがなかった、と思って支持するのでしょうか。
大阪市長はサンフランシスコ市が市民からの慰安婦少女像の寄贈を受け容れたということで反発し、サンフランシスコ市との姉妹都市を解消することを宣言しました。女性の基本的人権の問題を理解しない大阪市に万博を誘致する資格があるでしょうか。世界中が注目しています。


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